俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】 作:冷凍シャケ
水篠旬の目の前に、一つのウィンドウが浮かんでいた。
青白く透き通った、半透明の画面。それは他の誰にも見ることのできない――旬だけが認識できる『システム』だった。
かつて水篠旬は、ハンターと呼ばれる覚醒者たちの中でも最弱だった。
世界各地に突如として出現する『ゲート』。その先に存在する『ダンジョン』。そこに巣食うモンスターを倒し、ゲートを攻略することを生業とする者たちが、ハンターである。
その中で旬は、長いあいだ最低ランクのE級ハンターとして生きてきた。弱く、何度も傷つき、死にかけた。
だが――ある出来事を境に、旬だけがゲームのようにレベルアップできる能力を手に入れた。
敵を倒せば経験値を得る。能力値を上げる。アイテムを手に入れる。そして、システムから与えられるクエストをこなしていく。
そうして成長を続けた結果、かつて最弱だった少年は、今や人間の領域を遥かに超える力を持つ存在へと変わっていた。
無数の影の兵士を従える――『影の君主』。
それが、今の水篠旬だった。
そして、その彼をもってしても、目の前にあるものは初めて見るものだった。
「……鍵?」
旬の手の中にあるのは、一本の鍵。これまでシステムから手に入れた鍵とは、明らかに違う。
青白い燐光を放ち、まるでこの世界の物ではないかのように淡く輝いている。
旬がその鍵へ意識を向ける。
すると――ピコン。
聞き慣れた電子音とともに、システムウィンドウが開いた。
『未知なる次元への扉が開かれます』
『挑戦しますか?』
【YES/NO】
「……未知なる次元」
説明は、それだけ。
行き先も書かれていない。どんな敵がいるのかも、何が手に入るのかも、帰還できるのかすら分からない。
普通なら、警戒して当然だった。
だが。
「まあ、行けば分かるか」
旬は迷わなかった。
これまで何度も、システムはこうして彼を未知の領域へ導いてきた。危険だったこともある。死にかけたことだって、一度や二度ではない。
それでも、その全てを乗り越え、今の自分がある。
それに、今の旬にとって並の危険など危険ですらない。
指先が【YES】へ触れた。
その瞬間、空間が歪んだ。
「……!」
視界が白く染まる。上下左右の感覚が消え――次の瞬間。
◇
「……ここは」
旬が目を開いた。
そこにあったのは、ダンジョンではなかった。
高層ビル。アスファルトの道路。信号機。行き交う車。そして、大勢の人間。
近代的な都市の真ん中に、旬は立っていた。
一見すれば、ごく普通の街だ。しかし、旬はすぐに異変に気づいた。
(……マナがない)
周囲に意識を広げる。
人間はいる。数え切れないほどいる。だが、その誰からも覚醒者特有の魔力を感じない。
モンスターの気配もない。ゲート特有の空間の歪みも感じられない。
あまりにも――普通だった。
「ダンジョン……じゃないな」
旬が周囲を見渡す。
建物の看板に書かれているのは、日本語。街並みも、少なくとも見た目だけなら日本とそう大きく変わらない。
だが、旬の知る世界に、ここまで完全にマナの存在しない場所などなかった。
(システムは『未知なる次元』と言った)
つまり。
「……別世界、か?」
まだ断定はできない。だが、可能性は高い。
そんなことを考えていた時だった。
ころころ、と一個のサッカーボールが転がってくる。旬の足元で止まった。
「あっ!」
子供の声。
「ごめんなさーい!」
旬が顔を上げる。
眼鏡をかけた、小学生くらいの少年が走ってきていた。青いジャケットに、赤い蝶ネクタイ。
旬はボールを軽く蹴り返す。少年はそれを器用に受け止めた。
「ありがとう、お兄さん!」
「ああ」
旬はそれだけ答える。
少年もそのまま去る――そう思った。
「お兄さん、この辺の人じゃないよね?」
「……?」
旬が少年を見る。
「見たことない顔だし。それに、旅行にしては荷物もないし……」
少年は笑っている。
子供らしい、人懐っこい笑顔。
だが、旬には分かった。
(……見てるな)
視線。立ち方。質問の仕方。
ただ興味本位で話しかけているわけではない。少年は旬の服装から靴、持ち物、周囲の状況まで、一瞬のうちに観察していた。
(妙な子供だ)
「お兄さん、どこから来たの?」
「……通りすがりだ」
「通りすがりって――」
旬はそれ以上答えることなく歩き出す。
「あ、ちょっと待ってよ!」
少年が追いかけてくる。
旬は小さく息を吐いた。
面倒だった。敵意は感じない。危険でもない。しかし、今はこの世界の状況を把握する方が先だ。
「隠密」
旬が小さく呟く。
瞬間、その姿が消えた。
正確には、透明になったわけではない。
スキル『隠密』。
姿、音、気配。自らの存在そのものを周囲から感知されにくくする能力。
少年が足を止める。
「……え?」
目の前には、誰もいない。
「……は?」
左右を見る。後ろを振り返る。近くの店。路地。人混み。
どこにもいない。
ほんの数秒前まで、確かに目の前を歩いていた男が、忽然と消えている。
「そんな……」
少年の顔から、子供らしい表情が消れた。
江戸川コナン。
現在は小学生として生活している少年。だが、その正体は――高校生探偵・工藤新一。
ある犯罪組織によって謎の薬を飲まされ、身体だけが小学生の姿になってしまった高校生である。その観察力と推理力は、大人顔負けどころか、多くの刑事や探偵を上回る。
だからこそ、コナンには理解できなかった。
(ありえない)
人間が、何の遮蔽物もない場所で、一瞬で消えるなど。
「……何者なんだよ、あの人」
コナンは、水篠旬が立っていた場所を見つめ続けていた。
この時、彼の中に一つの謎が生まれた。
◇
少し離れた路地。
旬は隠密を解除した。
「さて……」
まずは状況を確認する必要がある。
旬が意識を向ける。すぐさまシステムウィンドウが現れた。
『メインクエストが発生しました』
【異世界の真相を探求せよ】
『この世界の構造、及びプレイヤーが召喚された理由を解明してください』
報酬:???
「……やっぱり異世界か」
システム自身が、ここを異世界と明言している。ならば、もう疑う必要はない。
問題は。
「帰還方法は?」
表示は変わらない。
「……」
何も出ない。
「相変わらず説明不足だな」
昔から、システムはそうだった。必要最低限のことしか教えない。あとは自分で考えろと言わんばかりだ。
旬は次にインベントリを確認する。
武器。アイテム。その他の所持品。問題なく使える。
そして。
「……金も使えるのか」
所有していた資金の一部が、この世界の通貨――日本円へ自動的に変換されていた。
つまりシステムは、旬をこの世界へ送り込んだだけではなく、ある程度生活できる環境まで用意している。
(偶然飛ばされたわけじゃない)
意図的だ。何か目的がある。
そして、その答えを探すことこそが、メインクエストなのだろう。
「なら、まずは情報収集だな」
帰る方法が分からない以上、焦ったところで意味はない。
旬は米花町にあるホテルへ向かい、長期滞在の手続きを取った。
その後、数日かけてこの世界のことを調べた。
テレビ。新聞。インターネット。そして、自分の足で街を歩く。
分かったことはいくつかある。
まず、この世界には『ハンター』という職業が存在しない。ゲートもない。モンスターも、ダンジョンも。
少なくとも一般社会では、全てゲームや創作物の中だけに存在するものとして扱われていた。
旬が知っている世界とは、根本から違う。
そしてもう一つ。妙なことがあった。
「……事件、多くないか?」
テレビをつければ殺人事件。街を歩けばパトカー。新聞を開けば強盗や誘拐。
偶然なのかもしれない。
だが、旬の感覚からしても、この街――米花町は妙に事件が多かった。
もっとも、それが自分に関係するとは、この時の旬はまだ思っていなかった。
◇
数日後。
旬は街を歩いていた。
特に目的があったわけではない。この世界の空気を知るための、情報収集の一環だった。
ふと、一軒の喫茶店が目に入る。
『喫茶ポアロ』
その窓際に、見覚えのある少年が座っていた。
「……またあいつか」
先日出会った、眼鏡の少年。コナンだ。
隣には女子高生らしき少女。さらに、口ひげを生やした中年男性。
旬は視線を逸らした。
関わる理由はない。そのまま店の前を通り過ぎる――はずだった。
ピコン。
「……」
旬の足が止まる。
システムウィンドウ。
嫌な予感がした。
『緊急クエストが発生しました』
【宝石強盗事件の真相を追え】
『付近で発生する宝石強盗事件に関与し、その真相解明に貢献してください』
報酬:ランダムボックス×1
失敗条件:
・事件解決前に現場を離脱する。
・真相解明への貢献が認められない。
「宝石強盗?」
旬が眉を寄せる。
モンスター討伐ではない。ダンジョン攻略でもない。それどころか。
「真相解明……?」
意味が分からない。
その時。
「きゃああああっ!!」
悲鳴。
旬が顔を上げる。
ポアロのすぐ近くにある宝石店。そこから客が飛び出してきた。
「強盗だ!」
「銃を持ってるぞ!」
店内には、覆面をした男が二人。
一人は宝石をバッグへ詰め、もう一人は拳銃を手に客たちを威嚇している。
「動くな!」
「警察呼んだら撃つぞ!」
ポアロの中も一気に騒がしくなる。
「な、なんだ!?」
口ひげの男――毛利小五郎が立ち上がる。隣にいた少女、毛利蘭を庇うように前へ出る。
コナンはすぐさま窓際へ移動し、宝石店の内部を観察し始めた。
そして、もう一人。
ポアロで働いていた金髪の青年――安室透。
彼もまた、一般人とは思えないほど冷静だった。客を安全な場所へ誘導しながら、同時に犯人の位置、武器、人数、出口を確認している。
旬は一目見ただけで分かった。
(あの男……鍛えてるな)
身のこなしが違う。ただの喫茶店員ではない。
だが、今はそれよりも目の前のウィンドウだ。
(真相解明に貢献しろ……?)
旬は考える。
強盗犯を捕まえる。それなら簡単だ。今すぐ二人とも無力化できる。
だが、それで『真相解明』になるのか?
システムは討伐しろとも、逮捕しろとも書いていない。
(何をすれば達成になる?)
旬が考えている間にも、事態は悪化していく。
「動くんじゃねぇ!」
犯人の一人が叫んだ。
恐怖で動いてしまった女性へ、拳銃を向ける。
指が、引き金にかかる。
旬の目が鋭くなった。
――危ない。
その瞬間、クエストのことは頭から消えた。
「……」
支配者の権能。
旬が持つ能力の一つ。物体に触れることなく、見えない力で動かすことができる。
もちろん、本気で使えば人間一人程度など簡単に吹き飛ぶ。
だから、必要なのはごく僅かな力。
犯人の手首を、ほんの少しだけ弾く。
「ぐっ!?」
銃声。
パンッ!
弾丸は人質を外れ、天井へ突き刺さった。
「今だ!」
同時に、安室が動いた。
一瞬で犯人との距離を詰め、拳銃を持つ腕を制圧。体勢を崩し、そのまま床へ叩き伏せる。
「なっ――!」
もう一人の犯人も動揺する。
そこへ、通報を受けて到着した警察が突入した。
「警察だ!」
「武器を捨てろ!」
数分後、二人の犯人は確保された。
人質に怪我はない。
事件は解決。
旬は小さく息を吐いた。
(これでいいのか?)
少なくとも、事件解決には貢献した。
そう思った。
――ピコン。
システムが開く。
『緊急クエスト終了』
そして。
『クエスト失敗』
「……は?」
旬が目を細める。
『失敗理由』
『真相解明への直接的な貢献が確認できませんでした』
「…………」
失敗。
何かの間違いかと思った。だが、表示は変わらない。
(人質を助けた)
犯人の逮捕にも間接的に協力した。
それでも、失敗。
旬はしばらく考える。
そして。
「……そういうことか」
ようやく理解した。
このクエストが求めているのは、『事件を解決すること』ではない。
『真相解明に貢献すること』。
力で犯人を倒すことと、事件の謎を解くことは別物なのだ。
旬の視線の先。
小さな少年――コナンが、警察官たちの間を動きながら何かを確認している。
事件が終わった後だというのに、現場、犯人、落ちている物、店内の配置――その全てを見ていた。
(あの子供……)
最初に会った時から感じていた。妙に鋭い。
そして今、確信に変わりつつある。
普通の子供ではない。
「戦え、じゃなく……」
旬は呟く。
「真実を見つけろ、か」
モンスターを倒すより、面倒なクエストかもしれない。
旬は軽く息を吐き、人混みの中へ紛れていった。
その姿を、一人の少年が見ていた。
(……あの人)
江戸川コナン。
銃が発砲された瞬間、犯人の手が不自然に動いた。
まるで、何か見えない力に弾かれたように。
そして、その直前。
水篠旬は確かに犯人を見ていた。
(偶然……?)
いや。
最初に会った時もそうだ。突然姿を消した。
今回も、説明のつかないことが起こった。
(やっぱり何かある)
水篠旬。
どこから来たのか。何者なのか。
コナンには、まだ何一つ分からない。
だが、それ以上に。
もう一人。
旬が去った方向を見つめる男がいた。
安室透。
表情にはいつもの穏やかな笑み。しかし、その瞳だけは鋭かった。
(……今の銃口の動き)
犯人自身が逸らしたものではない。
自分が手を出す直前、何かが起きた。
そして、あの黒髪の男。
一瞬だけ、犯人へ視線を向けていた。
偶然か。
あるいは――。
安室もまた、水篠旬という存在を記憶した。
こうして、異世界からやって来た影の君主は、この世界で初めてのクエストに――失敗した。
だが、その失敗によって一つだけ理解したことがある。
この世界では、圧倒的な力だけでは先へ進めない。
そして同時に、水篠旬という異物を二人の探偵が認識した。
一人は、小さな身体に真実を追う頭脳を宿す少年――江戸川コナン。
もう一人は、喫茶店員という顔の裏に別の顔を持つ男――安室透。
まだ誰も知らない。
この出会いが、やがて――異なる二つの世界を巻き込むことになることを。
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