俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】   作:冷凍シャケ

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第十六話 死を覚悟した瞬間、彼は来た

 

 

ペナルティ・シークエンスが開始されてから数日が経った。

 

水篠旬の身体には、今のところ何の異常も起きていない。能力が制限されたわけでもなく、突然どこかへ転送されることもない。システムも、それ以上の説明をする気はないらしかった。

 

それがかえって不気味だった。

 

ホテルの部屋で『帰還の羅針盤』のレシピを眺めながら、旬は小さく息を吐く。最初の素材である『次元の残滓』は手に入ったが、残り四つについては手掛かりすらない。

 

ペナルティについても同じだ。

 

何も起こっていないのか。

 

それとも、自分の知らないところで既に何かが始まっているのか。

 

判断する材料がない以上、今はクエストを続けながら警戒するしかなかった。

 

そんな時だった。

 

旬の意識に、突然鋭い違和感が走った。

 

「……?」

 

言葉ではない。

 

声でもない。

 

自分と繋がっている影の一つが、異常なほど強く警戒している。

 

旬はすぐに目を閉じ、意識をそちらへ向けた。

 

江戸川コナン。

 

以前から護衛のため、その影へ潜ませている兵士の反応だった。

 

普段とは明らかに違う。

 

位置は米花町の工業地帯。

 

そして、護衛対象へ危険が迫っている。

 

かなり切迫している。

 

旬は立ち上がった。

 

「……コナン君か」

 

あの少年なら、自分から危険へ首を突っ込んだ可能性も高い。

 

だが今回は、そう笑って済ませられる感覚ではなかった。

 

影がここまで強く反応するということは、既に命に関わる状況に入っている。

 

旬は立ち上がった。

 

「……また何かやってるのか」

 

そして。

 

コナンの影に潜ませている兵士へ意識を向ける。

 

「影の交換」

 

次の瞬間。

 

旬の姿がホテルの部屋から消えた。

 

 

その頃。

 

コナンは古びた廃工場の中を走っていた。

 

少し前まで追っていたのは、連続窃盗事件の容疑者だった。蘭や小五郎、警察と共に追跡していたはずが、逃げた男を見失うまいと一人で工場内部へ入り、そのまま他の者たちとはぐれてしまった。

 

「待て!」

 

男の背中が角を曲がる。

 

コナンも続く。

 

しかし、その先には誰もいなかった。

 

「……?」

 

足を止める。

 

遅れて気づいた。

 

静かすぎる。

 

次の瞬間、少し離れた場所で金属の落ちる音が響いた。

 

ガァン――!

 

「っ!」

 

天井付近から錆びた鉄材が落下する。

 

コナンは寸前で飛び退いた。

 

「くそっ、罠か!」

 

犯人は最初から、自分が後を追っていることに気づいていた。

 

しかも逃走する際、老朽化していた設備の一部を壊したらしい。

 

嫌な音が。

 

工場全体へ広がっていく。

 

ミシッ。

 

ミシミシッ――。

 

「まずい……!」

 

コナンが走り出す。

 

直後、背後で壁の一部が崩れた。

 

粉塵が一気に吹き上がり、視界が白く染まる。出口へ戻ろうとするが、来た道にも瓦礫が落ち、完全に塞がれていた。

 

「ちっ……!」

 

別の出口を探す。

 

しかし建物そのものが限界だった。

 

天井からコンクリート片が落ちる。

 

鉄骨が軋む。

 

さらに大きな崩落音。

 

コナンは腕で顔を庇いながら、僅かに開いている通路へ駆け込んだ。

 

だが。

 

その先も。

 

塞がれていた。

 

「嘘だろ……」

 

振り返る。

 

上を見る。

 

巨大な鉄骨が。

 

支えを失い。

 

ゆっくりと傾き始めていた。

 

逃げる場所はない。

 

キック力増強シューズでも。

 

麻酔銃でも。

 

どうにもならない。

 

(……まずいな)

 

不思議と。

 

頭は冷静だった。

 

蘭。

 

父さんと母さん。

 

博士。

 

灰原。

 

少年探偵団。

 

いくつもの顔が、一瞬だけ脳裏を過ぎる。

 

そして。

 

鉄骨が落ちた。

 

コナンは反射的に目を閉じた。

 

轟音。

 

床が揺れる。

 

だが。

 

いつまで経っても。

 

身体に衝撃は来なかった。

 

代わりに。

 

突然、身体が浮いた。

 

「……っ!?」

 

誰かの腕に抱え上げられている。

 

コナンが目を開く。

 

黒い服。

 

粉塵の中でも見間違えるはずがない。

 

「水篠……さん?」

 

旬だった。

 

「掴まってろ」

 

低い声。

 

次の瞬間。

 

景色が消えた。

 

いや。

 

そう感じただけだった。

 

旬が地面を蹴った。

 

それだけで二人の身体は数メートル先まで移動し、直後、先ほどまでいた場所へ巨大な鉄骨が叩きつけられる。

 

轟音が背後で響いた。

 

コナンの目が大きく見開かれる。

 

(なんだ……今の……)

 

速い。

 

そんな言葉では足りない。

 

旬は落ちてくる瓦礫を見てから避けている。

 

それも。

 

自分一人ではなく。

 

コナンを抱えたまま。

 

再び天井が崩れる。

 

旬は僅かに身体を傾けるだけで瓦礫をかわし、そのまま床を蹴った。

 

今度は。

 

跳んだ。

 

コナンは言葉を失った。

 

普通の人間なら助走をつけても届かない高さ。

 

旬はコナンを片腕で抱えたまま、崩れた壁の隙間へ軽々と飛び上がる。

 

数秒後。

 

二人は崩落の中心から離れた場所へ着地していた。

 

旬がコナンを降ろす。

 

「大丈夫か?」

 

「……」

 

返事がない。

 

旬が眉を寄せる。

 

「コナン君?」

 

「あ……う、うん」

 

ようやく声が出た。

 

「怪我は?」

 

「ない……と思う」

 

旬が素早くコナンの身体を見る。

 

大きな怪我はない。

 

額に小さな擦り傷。

 

それだけだった。

 

「ならいい」

 

旬が立ち上がる。

 

そのまま去ろうとする。

 

コナンは我に返った。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

旬が足を止める。

 

「どうして……」

 

聞きたいことが多すぎる。

 

どうしてここにいる。

 

どうやって自分の居場所が分かった。

 

今の速度は何だ。

 

あの跳躍は。

 

そもそも。

 

どうやって、この崩れかけた工場の中へ入ってきた。

 

「どうして俺がここにいるって分かったんだ?」

 

旬は答えない。

 

「それに今の……」

 

コナンは旬を見つめる。

 

「今の動き、何なんだよ」

 

子供らしい口調を作る余裕さえなかった。

 

旬は少しだけ沈黙した。

 

見られた。

 

完全に。

 

今さら『気のせいだ』で済ませるには無理がある。

 

それでも。

 

説明するつもりはなかった。

 

「気にするな」

 

「気にするなって……!」

 

「生きてるなら、それでいいだろ」

 

「そういう問題じゃ――」

 

そこで。

 

遠くから声がした。

 

「コナン君ー!」

 

蘭だ。

 

その後ろから複数の足音も聞こえてくる。

 

旬がそちらを見る。

 

「すぐ他の奴らが来る」

 

「待って、水篠さん!」

 

旬はコナンを見る。

 

「今日見たことは、好きに考えろ」

 

「え?」

 

「ただ、俺のことは話さない方がいい」

 

「どういう――」

 

問い終える前に。

 

旬が歩き出す。

 

そして。

 

粉塵の向こうへ入った瞬間。

 

姿が消えた。

 

「……」

 

コナンはしばらく動けなかった。

 

あれほど近くにいた。

 

なのに。

 

また。

 

消えた。

 

(何なんだよ……あの人)

 

以前から。

 

普通ではないと思っていた。

 

灰原の前から消えた。

 

事件の手掛かりを、あり得ないほど正確に見つける。

 

調べても過去が出てこない。

 

そして今。

 

自分の目の前で。

 

人間には不可能な速度と跳躍を見せた。

 

それでも。

 

最も頭に残っているのは。

 

そこではなかった。

 

旬は。

 

自分を助けに来た。

 

理由も言わず。

 

見返りも求めず。

 

ただ。

 

助けた。

 

(……また助けられたな)

 

疑念は。

 

むしろ増えた。

 

だが。

 

同時に。

 

一つだけ変わったものがあった。

 

もう。

 

単純に『危険だから警戒する相手』とは思えなかった。

 

 

「コナン君!!」

 

蘭が駆け込んできた。

 

次の瞬間には、コナンの身体を強く抱きしめていた。

 

「もうっ……! 本当に心配したんだから!」

 

「ご、ごめん蘭姉ちゃん……」

 

「怪我は!? どこか痛くない!?」

 

「大丈夫だよ。ちょっと擦っただけ」

 

遅れて小五郎、目暮、高木、佐藤たちもやってくる。

 

周囲の惨状を見た小五郎の顔色が変わった。

 

「おいコナン! お前こんなところまで一人で入りやがって!」

 

「ごめんなさーい……」

 

「ごめんなさいで済むか!」

 

怒鳴ってはいるが。

 

声には明らかに安堵が混ざっている。

 

目暮もコナンへ近づいた。

 

「しかしコナン君……よく無事だったね。この崩れ方では、逃げ道もほとんどなかったはずだが」

 

コナンの表情が僅かに止まる。

 

旬の言葉を思い出した。

 

『俺のことは話さない方がいい』

 

実際。

 

あの動きをそのまま説明したところで。

 

誰が信じる。

 

いや。

 

信じられれば。

 

もっと面倒なことになる。

 

「えっとね……」

 

コナンは子供らしい顔へ戻る。

 

「もうダメだって思った時に、水篠さんが来たんだ」

 

「水篠さん?」

 

佐藤がすぐに反応した。

 

「また彼がいたの?」

 

「うん。でもね、水篠さんが『そっちならまだ崩れてない』って、安全な方を教えてくれたんだ。それで僕、必死に走って……気づいたらここにいたの」

 

完全な嘘ではない。

 

ただ。

 

最も重要なところを。

 

全部隠しただけだ。

 

「またあの兄ちゃんか……」

 

小五郎が渋い顔をする。

 

「本当にどこにでも出てくる奴だな」

 

高木も周囲を見回した。

 

「でも、水篠さんは?」

 

「もういないよ」

 

「……またですか」

 

高木が苦笑する。

 

佐藤は笑っていない。

 

「どうして彼が、こんな工場の中にいたのかしら」

 

誰も答えられない。

 

コナンだけは。

 

知っている。

 

旬は。

 

明らかに。

 

自分を助けるために来た。

 

 

その夜。

 

阿笠博士の家。

 

コナンはソファに座り、向かいにいる灰原を見ていた。

 

博士は別の部屋にいる。

 

今なら。

 

二人だけで話せる。

 

「灰原」

 

「何?」

 

「今日の工場のことなんだけど……」

 

灰原が本から目を上げる。

 

コナンの顔を見た瞬間。

 

何かあると察したらしい。

 

「警察に話したこととは違うのね」

 

「ああ」

 

コナンは昼間の出来事を話した。

 

鉄骨が落ちてきたこと。

 

完全に逃げ道を失ったこと。

 

その瞬間に旬が現れたこと。

 

そして。

 

自分を抱えたまま、崩落する工場内を人間とは思えない速度で抜けたこと。

 

話を聞き終えた灰原は、しばらく黙っていた。

 

「……直接?」

 

「ああ」

 

「あなたを抱えて?」

 

「ああ」

 

灰原の眉が僅かに動く。

 

コナンは思い出しながら続けた。

 

「信じられないと思うけど、本当に見たんだ。鉄骨が落ちてくるより速く動いて、俺を抱えたまま何メートルも跳んだ。あれは……」

 

一度言葉を止める。

 

「人間の動きじゃない」

 

灰原は否定しなかった。

 

以前。

 

自分も旬の異常さを目の前で見ている。

 

男二人をほとんど何もさせず制圧したこと。

 

そして。

 

目の前から消えたこと。

 

「そう」

 

灰原が静かに言う。

 

「やっぱり、私たちが思っていた以上に普通じゃなかったみたいね」

 

「驚かないんだな」

 

「驚いてるわよ。でも、あの人なら何が出てきてもおかしくない気がしてきただけ」

 

「それ褒めてねーだろ」

 

「褒めてないもの」

 

いつもの調子。

 

だが。

 

コナンの表情は戻らなかった。

 

「それだけじゃない」

 

灰原が見る。

 

「俺があそこにいることを、あの人は知ってた」

 

「……連絡したの?」

 

「してない。電話する暇なんてなかった。蘭たちだって、俺が工場のどこまで入ったのか分かってなかったはずだ」

 

灰原の目が僅かに細くなる。

 

廃ビルの時と同じ。

 

旬は。

 

誰にも知らされていないはずの危険を察知し。

 

正確な居場所まで辿り着いた。

 

「監視されている、と考える?」

 

「それも考えた。でも……」

 

コナンは俯く。

 

もし旬が常に自分たちを監視しているなら。

 

確かに不気味だ。

 

ただ。

 

その監視のおかげで。

 

今日は命を救われた。

 

「分かんねえんだよ」

 

「何が?」

 

「水篠さんが、何を考えてるのか」

 

コナンはソファへ背を預ける。

 

「最初は、危険な奴かもしれないって思ってた。今も正体は分からねえし、あの力だって危険なのは間違いない。でも……俺を殺すつもりなら、今日わざわざ助けに来る必要なんてない」

 

「そうね」

 

「それに、灰原の時もそうだった」

 

灰原は何も言わない。

 

「俺たちが危ない時、あの人は助けてる」

 

短い沈黙。

 

やがて灰原が本を閉じた。

 

「だから信用するの?」

 

コナンは少し考える。

 

「……まだ、そこまでは言わねえよ」

 

「そう」

 

「でも」

 

コナンは顔を上げる。

 

「少なくとも、今すぐ敵だと決めつける気はねえよ」

 

灰原は。

 

少しだけ目を細めた。

 

「あなた、随分あの人に甘くなったわね」

 

「命助けられたんだから仕方ねえだろ」

 

「それで正体を調べるのはやめる?」

 

「それとこれとは別だ」

 

即答だった。

 

即答だった。

 

灰原が小さく笑う。

 

「でしょうね」

 

コナンも苦笑する。

 

ただ。

 

今日の出来事で。

 

水篠旬という存在への見方が。

 

確実に変わった。

 

何者か分からない。

 

何のために事件へ関わっているのかも分からない。

 

どうして自分たちの危険を察知できるのかも。

 

分からない。

 

けれど。

 

少なくとも。

 

自分たちを見捨てる人間ではない。

 

今は。

 

それだけで十分だった。

 

その一方で。

 

二人の知らない山奥では。

 

この世界に存在するはずのないゲートが。

 

静かに。

 

ダンジョンブレイクへの時間を刻み続けていた。

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