俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】 作:冷凍シャケ
廃工場でコナンを救出してから数日が経った。
ペナルティ・シークエンスが発動したというのに、水篠旬の周囲には相変わらず目立った変化がない。身体能力にもスキルにも異常はなく、システムから追加の説明が表示されることもなかった。だが、何も起きていないからこそ、旬は警戒を解けずにいた。
かつてデイリークエストを無視した時のペナルティは明確だった。強制転移され、モンスターの群れに放り込まれた。しかし今回は違う。何かが起こったはずなのに、自分には何も起きていない。
(俺に対する罰じゃないのか……?)
その疑問に答えが出ないまま、旬は発生するクエストを処理し続けていた。帰還に必要な素材も、ようやく『次元の残滓』を一つ手に入れただけ。残り四つを集めるためにも、クエストを無視することはできない。
そんな昼下がり、駅前の複合商業施設で小さなひったくり事件が起きた。
旬に与えられたクエストも、その事件の解決に貢献するという単純なものだった。現場には高木刑事がおり、買い物に来ていた蘭とコナンも騒ぎに気づいて残っている。
犯人は人混みに紛れて姿を消していたが、旬が赤く光るリストバンドをゴミ箱の陰に見つけるまで、それほど時間はかからなかった。
「高木刑事」
「はい?」
旬がゴミ箱の方へ視線を向ける。
「あの辺りを調べてみてくれないか。何か落ちている」
高木は一瞬だけ旬を見たものの、最近ではこの手の発言を無視しなくなっていた。
「分かりました」
確認すると、犯人が身につけていたものと同じ特徴のリストバンドが見つかった。そこから防犯カメラの映像と目撃証言が繋がり、施設内で上着を替えて潜んでいた犯人は間もなく確保された。
――ピコン。
『クエスト成功』
「また当てた……」
コナンが少し離れたところから旬を見る。
以前ならすぐに追及していただろう。
だが今は、廃工場で見たものが頭から離れない。
水篠旬が普通の人間ではない。それだけはもう疑いようがなかった。
その時だった。
旬の表情が変わった。
ほんの一瞬。
だが。
コナンは見逃さなかった。
「……!」
旬が勢いよく振り返る。
感じた。
この世界へ来てから一度も感じることのなかった、明確なマナ。
それも人間のものではない。
血と獣臭さが混ざったような、嫌というほど覚えのある気配。
(モンスター……?)
間違えるはずがない。
強い個体ではない。旬にとって脅威になるような相手でもない。
問題はそこではなかった。
この世界には。
モンスターなど存在しない。
旬は何も言わず、気配のした方向へ走り出した。
「えっ、水篠さん!?」
高木の声が聞こえる。
コナンもすぐ反応した。
「水篠さん!」
旬は人混みを抜け、商業施設の外へ出る。先ほどの気配は駅前の雑踏を移動していた。
だが、追いつくより先に。
消えた。
完全に。
旬は足を止め、周囲へ意識を広げた。マナの残滓すらほとんど残っていない。
(隠密……?)
人間の群れに紛れながら、これほど綺麗に気配を消す。
ただのモンスターではない。
そこへ遅れてコナンが追いついた。
「水篠さん!」
旬が振り返る。
「急にどうしたの? 何かいた?」
「……いや」
「いやって顔じゃないだろ」
思わず素の口調が出る。
旬は何も答えなかった。
コナンはその反応を見て確信する。
何かあった。
それも。
自分たちには分からない何か。
「水篠さん、何を見つけたの?」
「何でもない」
「でも――」
「コナン君」
旬の声が少し低くなった。
「今日は帰れ」
コナンが眉を寄せる。
「……危ないことがあるの?」
旬は答えない。
それが。
何よりの答えだった。
「俺は少し調べる」
それだけ言い残し、旬は雑踏の中へ消えていった。
コナンは追わなかった。
いや。
今の旬を追うべきではない。
そう感じた。
(何が始まってるんだ……?)
◇
その夜。
阿笠博士の家では、博士が一人、遅くまで発明品の調整を続けていた。
「ふむ……ここの回路をもう少し改良すれば……」
半田ごてを片手に、基板とにらめっこする。
周囲は静かだった。
その時。
博士の背後で。
何の音もなく。
空気が僅かに揺れた。
「……?」
博士が振り返る。
誰もいない。
「気のせいかのう……」
再び作業机へ向こうとした。
次の瞬間。
腹部へ鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!?」
何が起きたのか分からない。
だが。
確かに。
何か鋭利なものが、身体を貫いた。
博士がよろめく。
目の前には誰もいない。
ただ視界の端で、空間が陽炎のように歪んだ。
「な、なんじゃ……これは……」
膝から力が抜ける。
博士はそのまま床へ倒れ、意識を失った。
同じ頃。
ホテルにいた旬が、弾かれたように顔を上げた。
阿笠博士の近くに潜ませていた影兵士。
その影から。
強烈な警戒と。
護衛対象の生命が急速に弱まっている感覚が伝わってくる。
旬が立ち上がる。
「阿笠博士……?」
さらに。
影を通して感じる僅かな異物。
昼間。
商業施設で感じたものと同じ。
(モンスターか)
躊躇う理由はなかった。
旬の足元の影が大きく揺れる。
「影の交換」
次の瞬間。
旬の姿がホテルから消えた。
阿笠博士の家。
床へ倒れた博士の傍らに、旬が現れる。
「博士」
呼びかけても反応はない。
呼吸は浅い。
服の腹部には、鋭いものに貫かれたような穴が開いていた。
出血はほとんどない。
だが。
旬が状態を確認すると。
内部が酷く損傷している。
普通の刃物による傷ではない。
明らかにマナを伴った攻撃。
そして、襲撃者の気配は既に消えていた。
(手遅れになる前に)
旬は周囲を確認する。
誰もいない。
ならば。
迷う必要はない。
「ベル」
旬の影が持ち上がる。
漆黒の外骨格。
鋭い爪。
かつて済州島で戦った蟻の王。
ベルが姿を現し、主の前へ静かに膝をついた。
「治癒しろ」
旬が短く命じる。
ベルはすぐに博士の傍らへ移動し、その手を腹部へかざした。
淡い光が博士の身体を包み込む。
損傷した組織が、常識ではあり得ない速度で修復されていく。
蒼白だった顔へ血色が戻り。
浅かった呼吸も。
次第に安定していった。
旬は博士の状態を確認する。
服の穴はそのままだ。
しかし。
その下にあったはずの傷は。
完全に消えている。
「……もういい」
ベルが手を離す。
旬が短く命じた。
「戻れ」
ベルは主へ頭を下げると、再び影の中へ沈んでいった。
博士の生命に危険がないことを確認した旬は、家の電話を使って救急へ連絡を入れる。
「阿笠博士宅で、人が倒れている」
必要なことだけを伝え。
電話を切る。
その後。
床へ僅かに残ったマナの痕跡を見る。
昼間の気配。
不可視の襲撃者。
ペナルティ。
旬の中で。
点が少しずつ繋がり始めていた。
(やはり……ペナルティと関係があるのか)
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
旬は『隠密』を発動すると。
誰にも見つかることなく、その場を離れた。
◇
病院。
コナン、灰原、蘭、そして少年探偵団は、不安そうな表情で医師の説明を聞いていた。
医師もまた、困惑を隠せない様子だった。
「幸い、命に別状はありません。ただ……どうにも不可解でして」
「不可解?」
蘭が尋ねる。
医師は頷いた。
「発見時、阿笠さんは意識を失っていました。かなりのショック状態だったようなのですが、全身を検査しても外傷が見当たりません」
「外傷が……?」
「はい。ただ、ご本人は『何かに刺された』と仰っているんです」
しばらくして。
意識を取り戻した博士の病室へ全員が入った。
「博士!」
歩美がベッドのそばへ寄る。
「もう大丈夫なの?」
「おお、心配をかけたのう。もう大丈夫じゃ」
「本当に何があったんですか?」
光彦が心配そうに尋ねる。
博士の表情が曇った。
「わしにもよく分からんのじゃ。作業をしておったら、いきなり腹に鋭い痛みが走ってのう……」
博士が腹部へ手を置く。
「確かに、何かに刺された感覚があったんじゃ。じゃが……見えんのじゃよ」
「見えない?」
元太が目を丸くする。
「ああ。相手の姿がまったく見えんかった。まるで透明人間にでも襲われたような……」
「透明人間!?」
元太が大きな声を出す。
「元太君、病院ですよ」
光彦が慌てて止める。
蘭は博士を心配そうに見た。
「それで、誰が博士を見つけてくれたの?」
「それも分からんのじゃ」
「え?」
「わしは途中から意識がなくなってしもうたからの。どうやら誰かが救急車を呼んでくれたらしいんじゃが……」
博士が首を捻る。
「顔までは見とらん。いや……そもそも、誰かが近くにいたかどうかも……」
「じゃあ匿名の通報だったってこと?」
コナンが尋ねる。
「そうらしいのう」
コナンは何も言わず、博士が着ていた服へ視線を落とした。
腹部。
そこには。
はっきりと穴が開いている。
「ねえ博士。刺されたって言ってたの、この辺りだよね?」
「ああ、そこじゃ」
コナンがパジャマの隙間から腹部を見る。
傷はない。
本当に。
何も。
「……」
「どうしたんじゃ?」
「いや……」
コナンが僅かに眉を寄せる。
「この辺りの皮膚……なんか妙に綺麗じゃないか?」
博士も自分の腹を見る。
「そうかの?」
「服には穴が開いてるのに、傷がない。それどころか……」
灰原も視線を向ける。
不自然なほど滑らかだった。
まるで。
傷ついた部分だけが。
新しく作り直されたように。
コナンの頭の中で。
昼間の光景が蘇る。
突然。
何かを感じ取った旬。
追いかけても何も説明せず。
『今日は帰れ』
そう言った。
そして夜。
博士が。
目に見えない何かに襲われた。
(偶然か……?)
いや。
偶然で片づけるには。
繋がりすぎている。
その時。
隣にいた灰原が。
コナンにだけ聞こえる声で呟いた。
「……彼なの?」
コナンが灰原を見る。
「お前もそう思うか?」
「断定はできないわ」
灰原は博士の腹部を見たまま答える。
「でも、服には明らかな損傷がある。それなのに傷はない。誰かが博士を見つけて、救急車を呼んだ……その間に何かがあったと考える方が自然でしょうね」
「もし水篠さんだとしたら……」
コナンも声を落とす。
「どうやってこんな傷を治したんだ?」
「それを私に聞く?」
「……だよな」
灰原が少しだけ目を細める。
「それより、問題はそっちじゃないでしょう」
「え?」
「博士を治したのが彼だとしたら」
灰原は静かに続ける。
「博士を襲ったのは、誰?」
コナンの表情が変わった。
その通りだった。
旬が博士を助けたのだとすれば。
彼が危険なのではない。
別の何かが。
既に自分たちの近くまで来ている。
「見えない何か……」
コナンが呟く。
「昼間、水篠さんが追ってたのも……」
「同じものだった可能性はあるわね」
「でも、なんで博士が狙われた?」
「知らないわ」
灰原はそこで言葉を切った。
「ただ……」
コナンを見る。
「少なくとも、今まで私たちが警戒していたものとは、少し違う問題が始まってるのかもしれないわね」
コナンは答えなかった。
博士の破れた服。
傷一つない身体。
見えない襲撃者。
そして。
昼間の旬の異常な反応。
もう。
水篠旬だけを追っていればいい状況ではない。
旬が。
何かを追っている。
その何かを。
自分たちはまだ何も知らない。
◇
その頃。
ホテルへ戻った旬は、一人窓辺に立っていた。
昼間に感じたモンスター。
阿笠博士を襲った不可視の存在。
そして。
ペナルティ・シークエンス。
全てが偶然とは思えない。
「……俺のせいか」
口に出す。
確証はまだない。
だが。
もしペナルティが原因で、この世界にモンスターが現れたのなら。
責任は自分にある。
そして。
この世界にはハンターがいない。
モンスターと戦う術を持つ者もいない。
旬の目が細くなる。
ならば。
やることは決まっている。
何が来た。
どこから来た。
何体いる。
そして。
どうすれば止められる。
全部調べる。
これ以上。
誰にも手を出させない。
旬の足元で。
影が静かに揺れた。
その頃。
誰にも知られていない山奥では。
この世界に存在するはずのないゲートが。
ゆっくりと。
しかし確実に。
その脈動を強めていた。