俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】   作:冷凍シャケ

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第六話 俺のことは詮索するな

日が沈み、住宅街を薄暗い闇が包み始めていた。

 

阿笠博士に頼まれた買い物を終えた灰原哀は、小さな袋を片手に、一人で博士の家へと戻っていた。

 

昼間なら人通りのある道も、この時間になると静かで、聞こえるのは遠くを走る車の音と、自分の足音くらいだった。

 

灰原はいつものように淡々と歩いていた。

 

だが、ある角を曲がったところで足取りがわずかに変わった。

 

「……」

 

背後に誰かいる。

 

最初は偶然、同じ方向へ歩いているだけかと思った。だが、一度曲がってもまだいる。さらに道を変えても、足音は離れなかった。

 

(……つけられてる)

 

灰原は振り返らず、顔にも出さないまま歩く速度を少し上げる。

 

黒ずくめの組織――。

 

一瞬、最悪の可能性が頭をよぎったが、すぐに否定する。

 

あの独特の恐怖。組織の人間が近くにいる時に感じる、身体の奥から這い上がってくるような感覚がない。

 

(組織じゃない……)

 

だからといって、安全という意味ではなかった。

 

相手が何者なのかは分からない。ただ、自分を追っていることだけは確かだった。

 

灰原は人通りのある大通りへ出ようとする。

 

しかし、その手前の細い路地へ差しかかった時、前方から男が一人現れた。

 

「……」

 

灰原が足を止める。

 

背後にも、もう一人。

 

挟まれた。

 

二人とも、明らかに善意で近づいてきた顔ではない。

 

「よう、お嬢ちゃん」

 

前にいる男が笑った。

 

「ちょっと付き合ってもらおうか」

 

灰原は黙ったまま周囲を見る。

 

助けを呼べる距離に人はいない。携帯電話へ手を伸ばそうにも、相手との距離が近すぎる。

 

(まずいわね……)

 

本来の自分なら、もう少し選択肢はあったかもしれない。

 

だが今の身体は小学生。力で大人の男二人をどうにかできるはずもない。

 

それでも、灰原は表情を崩さなかった。

 

「小学生一人を二人がかりで囲んで、ずいぶん立派な大人ね」

 

「……あ?」

 

「褒めてないわよ」

 

男の顔が歪む。

 

「ガキが……!」

 

腕が伸び、灰原は咄嗟に後ろへ下がった。

 

だが、背中が壁に触れる。

 

逃げ場がない。

 

男の手が灰原の腕を掴もうとした、その瞬間だった。

 

「――やめろ」

 

低い声。

 

男の手が止まり、灰原も顔を上げる。

 

路地の入り口、街灯の光が届かない場所に誰か立っている。

 

黒い服に長身。

 

ゆっくりと闇の中から歩いてくるその顔を見た瞬間、灰原の瞳が僅かに見開かれた。

 

(……水篠旬)

 

何度か事件現場で見かけた男。

 

コナンがずっと気にしている人物であり、灰原自身も初めて会った時から、どうしても警戒心を拭えなかった相手。

 

男たちが旬を睨む。

 

「あぁ? なんだテメェ」

 

旬は答えず、ただ男たちを見る。

 

「関係ねぇ奴は消えろ!」

 

それでも旬は動かない。

 

「聞こえなかったのか?」

 

旬が言った。

 

「その子から離れろ」

 

声は大きくない。怒鳴ってすらいない。

 

なのに、灰原はぞくりとした。

 

先ほどまで感じていた男たちへの恐怖とは、まるで種類が違う。

 

静かだった。

 

あまりにも静かで、だからこそ恐ろしい。

 

男の一人も何かを感じ取ったらしく、一瞬怯んだ。

 

だが、仲間の前で引けなくなったのか。

 

「舐めてんじゃねぇぞ!」

 

旬へ殴りかかる。

 

灰原は反射的に目を見開いた。

 

次の瞬間――男が倒れていた。

 

「……え?」

 

何をしたのか、ほとんど見えなかった。

 

旬はほんの僅かに身体を動かしただけだった。

 

殴りかかってきた腕を避け、手首を取り、そのまま一度、男の身体を崩した。

 

それだけに見えた。

 

だが男は地面に倒れ、苦痛に顔を歪めながら起き上がれない。

 

「て、テメェ!」

 

もう一人が懐からナイフを取り出した。

 

「……!」

 

灰原の表情が変わる。

 

だが旬は、ナイフを見ても眉一つ動かさなかった。

 

むしろ、その瞬間だった。

 

空気が変わった。

 

ほんの僅か、旬が殺気を滲ませる。

 

それだけなのに、ナイフを持った男の顔から血の気が引いた。

 

「……っ」

 

握っている手が震えている。

 

まるで、目の前にいる相手が自分とはまったく違う何かだと、身体だけが先に理解してしまったかのように。

 

旬が一歩進む。

 

男は一歩下がった。

 

さらに旬が進む。

 

「ひ……」

 

ナイフが地面へ落ち、金属音が静かな路地に響く。

 

「ひぃっ……!」

 

男は踵を返し、そのまま走り去った。

 

倒れていた仲間すら置き去りにして。

 

旬は追わず、ただ逃げていく男の背中を無表情に見ていた。

 

その横顔を見て、灰原は言葉を失っていた。

 

強い。

 

そんな言葉だけでは説明できない。

 

空手が強いとか、格闘技が得意とか、そういうものとは何かが違う。

 

相手は旬とまともに戦う前に、恐怖だけで逃げ出した。

 

(何なの……この人)

 

路地が静かになる。

 

旬はようやく灰原へ視線を向けた。

 

さっきまでの、人を凍りつかせるような気配は既に消えている。

 

「怪我は?」

 

それだけだった。

 

灰原は一瞬遅れて答える。

 

「……ないわ」

 

「そうか」

 

旬はそれ以上何も言わず、倒れている男の様子を確認する。

 

死んではいない。意識もある。

 

ただ、しばらくまともには動けないだろう。

 

旬はそのまま立ち去ろうとした。

 

「待って」

 

灰原が呼び止める。

 

旬の足が止まった。

 

灰原はその背中を見つめ、迷った末に口を開く。

 

「……あなた」

 

旬は振り向かない。

 

「何?」

 

「何者なの?」

 

沈黙。

 

灰原は続ける。

 

「普通じゃないわよね。今の動きもそう。あの男、あなたに何もされていないのに怯えて逃げた」

 

旬が僅かに横顔を向ける。

 

その目を見た瞬間、灰原は無意識に息を止めた。

 

暗い。

 

だが、ただ冷たいだけではない。

 

もっと深い場所に、何かがいる。

 

そんな錯覚。

 

「知らない方がいい」

 

旬はそれだけ言った。

 

「……」

 

「俺のことは詮索するな」

 

静かな声だった。

 

脅しているわけではない。

 

だが、冗談でもないことはすぐに分かった。

 

灰原は旬を見つめた。

 

普通なら、そこで引いたかもしれない。

 

だが彼女自身、普通とは言い難い人生を送ってきた。

 

本来の名は宮野志保。

 

かつて黒ずくめの組織で、シェリーというコードネームを与えられていた科学者。

 

APTX4869。

 

工藤新一と、自分自身の身体を幼児化させた薬を研究していた人間でもある。

 

だからこそ灰原は、人が隠し事をしている時の空気をよく知っていた。

 

「……私たちに危害を加えるつもりはある?」

 

旬の視線が灰原へ向く。

 

少しだけ間があった。

 

「ない」

 

短い。

 

迷いもない。

 

それだけで、不思議と嘘には聞こえなかった。

 

「そう」

 

灰原は僅かに目を伏せる。

 

「なら……今日のところは信じてあげる」

 

旬は特に反応しない。

 

灰原は少しだけ皮肉っぽく笑った。

 

「助けてもらった人間が言う台詞じゃないかもしれないけど」

 

「別にいい」

 

旬は再び歩き始める。

 

「待って」

 

また止まる。

 

「水篠旬……だったわね」

 

「ああ」

 

「一つだけ聞いていい?」

 

返事はない。

 

それを許可だと解釈して、灰原は言った。

 

「どうして助けたの?」

 

旬はしばらく何も言わなかった。

 

やがて。

 

「目の前にいたからだ」

 

それだけ。

 

灰原が少し驚いた顔をする。

 

「……それだけ?」

 

「ああ」

 

そして今度こそ、旬は歩き出した。

 

数歩、闇の中へ進む。

 

「……!」

 

灰原が瞬きをした。

 

その瞬間、旬の姿が消えた。

 

「え……?」

 

足音もない。

 

気配もない。

 

ほんの一瞬前まで確かにそこにいたのに、今は最初から誰もいなかったかのように、路地には灰原と動けずにいる男だけが残されている。

 

「……消えた?」

 

灰原はしばらく、旬がいた場所を見つめ続けた。

 

コナンから聞いたことがある。

 

初めて水篠旬と会った時、目の前から突然姿が消えた、と。

 

その時は、コナンが見失っただけではないかと心のどこかで考えていた。

 

だが今、自分も見た。

 

見失ったのではない。

 

隠れたのでもない。

 

突然、存在そのものが消えた。

 

(……何なのよ)

 

灰原は自分の腕を抱く。

 

怖くない。

 

そう言えば、嘘になる。

 

あの男は怖い。

 

黒ずくめの組織とは違う意味で。

 

何を考えているのか、どこから来たのか、どんな力を持っているのか、何一つ分からない。

 

そして、それだけの力がありながら、なぜ何度も事件に現れ、人を助けるのかも分からない。

 

ただ、確かなことが一つだけあった。

 

水篠旬は自分を助けた。

 

見返りも求めず、名前すら聞かず、ただ『目の前にいたから』という、それだけの理由で。

 

(組織の人間じゃない……)

 

それだけは、なぜか強く思えた。

 

ジンたちとは違う。

 

組織の人間が持つ、冷たく粘つくような悪意とはまるで違う。

 

旬から感じたものは、もっと得体が知れず、もっと大きい。

 

まるで、人間の形をしているだけの何か。

 

そんな不吉な想像すら頭をよぎる。

 

それでも。

 

「……助けられちゃったわね」

 

灰原は小さく呟いた。

 

恐怖、警戒、疑念。

 

そして、ほんの僅かな安心。

 

矛盾した感情が胸の中に残っている。

 

水篠旬。

 

彼が何者なのか、灰原にはまだ分からない。

 

ただ、これまでのように単純に『危険な存在』とだけ見ることは、もうできそうになかった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
まだまだ物語は続きます。
水篠旬とコナンたちが、これからどう関わっていくのか――ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。
感想や気になったところなどあれば、ぜひ聞かせてください!
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