俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】   作:冷凍シャケ

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第七話 探偵の問い、友の答え

翌日。

 

阿笠博士の家を訪れたコナンは、リビングへ入ってすぐに違和感を覚えた。

 

灰原哀が、ソファに座ったまま考え込んでいる。手元には雑誌が開かれているが、ほとんど読んでいる様子はない。ページも、さっきから一度もめくられていなかった。

 

「……おい、灰原」

 

「何?」

 

返事はいつも通り。だが、視線は雑誌へ向いたままだ。

 

コナンは眉をひそめる。

 

「何かあったのか?」

 

「別に」

 

「別にって顔じゃねーだろ」

 

「失礼ね。いつもこんな顔よ」

 

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 

コナンは灰原の向かいへ座る。阿笠博士は奥の部屋で何やら作業をしているらしく、この場には二人しかいなかった。

 

少しの沈黙の後、コナンは灰原の顔をじっと見る。

 

「昨日、何かあっただろ?」

 

「……」

 

灰原の視線が一瞬だけ止まる。ほんの僅かな変化だったが、それで十分だった。

 

「やっぱりな」

 

「……相変わらず嫌なところばかり鋭いわね」

 

灰原が小さく息を吐く。

 

「誰に会った?」

 

「どうしてそうなるのよ」

 

「お前がこんなふうに考え込む時は、大体ろくなことがねぇからな」

 

コナンは腕を組み、少し迷ってから一つの名前を口にした。

 

「……水篠旬か?」

 

灰原の指が止まった。

 

コナンの目が鋭くなる。

 

「当たりか」

 

「……」

 

「会ったんだな?」

 

灰原はしばらく黙っていた。

 

昨日の夜。薄暗い路地。自分を囲んだ男たち。そして、闇の中から現れた黒い服の男――水篠旬。

 

一人を一瞬で倒し、もう一人をほとんど何もせずに逃げ出させた。あの時の空気を思い出すだけで、今でも僅かに背筋が冷える。

 

「……会ったわ」

 

ようやく灰原が答えた。

 

「やっぱり!」

 

コナンが身を乗り出す。

 

「何があった?」

 

「声が大きい」

 

「あ……」

 

コナンは慌てて声を落とす。

 

「で?」

 

「……帰り道に、少し面倒な連中に絡まれたの」

 

コナンの顔色が変わった。

 

「は?」

 

「大したことにはならなかったわ」

 

「大したことないって、お前――」

 

「水篠旬が来たから」

 

コナンがぴたりと黙る。

 

「……あいつが?」

 

「ええ」

 

灰原は淡々と説明する。

 

「男が二人。私を囲んでた。そこに、いつの間にか現れたのよ」

 

「いつの間にか?」

 

その言葉にコナンが反応した。

 

「それで?」

 

「一人は殴りかかっていったけど……あっという間だったわ」

 

「どうやった?」

 

「よく見えなかった」

 

「お前にも?」

 

「ええ」

 

コナンの表情が変わる。

 

灰原は格闘技の専門家ではない。だが、人の動きを観察する能力は低くない。その灰原が『よく見えなかった』と言う。

 

「もう一人は?」

 

コナンが聞くと、灰原の表情が少しだけ曇った。

 

「……逃げたわ」

 

「水篠さんが倒したのか?」

 

「違う」

 

「じゃあ、なんで?」

 

灰原は答えるまでに少し時間がかかった。

 

「あの人に……見られただけ」

 

「……は?」

 

「正確には分からないわ。ただ、水篠旬が少し近づいただけで、男の方が怯え始めたの。ナイフまで持っていたのに、震えて、武器を落として、そのまま逃げた」

 

「脅したとか?」

 

「少なくとも、私には何も聞こえなかった」

 

灰原は昨日の光景を思い出す。

 

暗い路地。無言で立つ旬。そして、まるで捕食者と向き合ってしまった動物のように怯えていく男。

 

「あの人……何かしたと思う」

 

「何かって?」

 

「分からないから言ってるのよ。でも、普通じゃない」

 

それは断言だった。

 

コナンは無意識に拳を握る。自分も何度もそう感じている。

 

初めて会った日、忽然と姿を消した。宝石店では銃の向きが不自然に変わった。事件現場では誰も見つけられなかった証拠を、まるで最初からそこにあると知っているように発見した。そして今度は、灰原の目の前で大人の男を一瞬で倒した。

 

「灰原」

 

コナンは声を低くする。

 

「お前、あいつのこと……組織の人間だと思うか?」

 

その質問に、灰原はすぐには答えなかった。

 

黒ずくめの組織。自分がシェリーとして所属していた場所。ジン、ウォッカ、ベルモット。

 

組織に属する人間と接した時、灰原は時折、理屈では説明できない独特の恐怖を感じることがある。だが、水篠旬から感じるものはそれとは違った。

 

「……違うと思う」

 

コナンが顔を上げる。

 

「本当か?」

 

「断言はできないわよ。ただ……組織の人間から感じるものとは違う」

 

「違う?」

 

「ええ。あの人から感じるのは……もっと別のもの」

 

「別って?」

 

「上手く説明できない」

 

少し苛立ったように答える。自分でも、うまく言葉にできないのだ。

 

「組織の連中から感じるのは、人間の悪意とか殺意とか……そういうものなのよ。でも、水篠旬は違う」

 

灰原の脳裏に、路地に立っていた旬の姿が浮かぶ。

 

「もっと……冷たい。静かで、深く、底が見えない」

 

そして、灰原は言った。

 

「死の匂いがする」

 

コナンの目が僅かに見開かれた。

 

「死の……匂い?」

 

「比喩よ。でも、他に言い方が思いつかない。何人殺したとか、そういう話をしてるんじゃないわ」

 

灰原はコナンを見る。

 

「もっと根本的に……あの人のすぐ近くに、ずっと『死』があるような感じがするの」

 

ぞっとするような表現。だが、昨夜、旬を目の前にした灰原が本当に感じたものだった。

 

コナンは考え込む。

 

「それじゃあ……組織より危険ってことか?」

 

「さあ」

 

「さあって……」

 

「危険かどうかと、悪人かどうかは別でしょう?」

 

灰原は静かに言う。

 

「昨日、彼は私を助けた。見返りも求めなかったし、私が誰なのかも聞かなかった」

 

それどころか、自分から話をすることさえほとんどなかった。

 

『怪我は?』

『知らない方がいい』

『俺のことは詮索するな』

『目の前にいたからだ』

 

口にした言葉は、その程度。

 

「理由を聞いたら、『目の前にいたから』って」

 

コナンが少しだけ驚く。

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

灰原は僅かに苦笑した。

 

「だから困ってるのよ」

 

「何が?」

 

「分かりやすい悪人なら、警戒するだけで済むでしょう?」

 

だが、水篠旬は違う。

 

怖い。得体が知れない。近づくべきではない。

 

そう思う一方で、彼の行動だけを見るなら、今のところ人を助けている。

 

「少なくとも、理由もなく誰かを傷つける人間には、今のところ見えないわ」

 

「今のところ、か」

 

「当然でしょ。数回会っただけの人間を、全面的に信用するほど私はお人好しじゃないもの」

 

「そりゃそうだな」

 

コナンもそこには同意した。

 

「ああ、そうだ」

 

灰原が何でもないことのように付け加える。

 

「帰り際に、消えたわ」

 

「……」

 

コナンの動きが止まった。

 

「今、何て言った?」

 

「だから、目の前から消えたの」

 

「……!」

 

「あなたが前に言ってたでしょう? 初めて水篠旬と会った時、一瞬で姿が消えたって」

 

灰原は僅かに視線を逸らす。

 

「正直、あなたが見失っただけじゃないかと思ってた」

 

「おい」

 

「でも、昨日、私も見た」

 

灰原の表情から冗談が消える。

 

そこにいた。確かに、数メートル先を歩いていた。それなのに、ほんの一瞬で、姿も足音も気配すら完全に消えた。

 

「隠れたとか?」

 

「隠れる場所なんてなかった」

 

「走って逃げた?」

 

「あなた、私を馬鹿にしてる?」

 

「……だよな」

 

コナンは黙り込んだ。

 

初めて、自分以外の人間が同じものを見た。つまり、あの日、自分が見た現象は気のせいではなかった。

 

(水篠旬……何なんだ、本当に)

 

「それと、一つ忠告されたわ」

 

灰原が言った。

 

「忠告?」

 

「『俺のことは詮索するな』」

 

コナンの表情がさらに険しくなる。

 

「……本人が?」

 

「ええ」

 

「理由は?」

 

「教えてくれると思う?」

 

「……思わねぇ」

 

灰原は小さく息を吐き、コナンを見る。

 

「だから、あなたも深入りしない方がいいわよ」

 

「……」

 

「江戸川君」

 

「分かってるよ」

 

コナンが答えると、灰原の目が細くなる。

 

「嘘ね」

 

「何が」

 

「その顔」

 

「どんな顔だよ」

 

「『余計に気になった』って顔」

 

「……」

 

図星だった。

 

コナンは視線を逸らす。

 

「だってよ……」

 

水篠旬。

 

公的な素性はほとんど分からない。異常な身体能力。説明できない現象。そして、事件のたびに解決へ繋がる何かを示す。

 

「ここまで分からないことだらけで、放っておけるかよ」

 

「ほらね。悪い癖」

 

灰原が呆れたように言う。

 

「探偵の性ってやつだ」

 

「便利な言葉ね」

 

「でも、無茶はしねぇよ」

 

コナンは真剣な顔に戻る。

 

「信用できない台詞ランキングがあったら、上位に入りそうね」

 

「うるせぇ」

 

灰原はほんの少しだけ笑ったが、すぐにその表情が戻った。

 

「本当に気をつけて」

 

「……」

 

「私にも分からないのよ。あの人が、何なのか」

 

人間なのか、そうでないのか。そこまで口にするのは、さすがに馬鹿げている。そう思う。

 

なのに、昨夜、闇の中に立っていた旬を思い出すと、その考えを完全には否定できなかった。

 

「分かった」

 

コナンは今度は少し真面目に頷く。

 

だが、調べるなとは言わなかった。灰原もそれ以上は言わなかった。彼の性格をよく知っているからだ。

 

謎を見つけた。答えがない。だから、調べる。それが工藤新一という人間だった。

 

そして今、その探偵の前に、今まで出会ったどんな事件とも違う一つの巨大な謎がある。

 

――水篠旬。

 

どこから来たのか。何を目的としているのか。なぜ事件の鍵を知っているのか。そして、人間には説明できないような力を、なぜ持っているのか。

 

分からない。何も分からない。

 

だからこそ、江戸川コナンは知りたくなった。

 

灰原の警告が正しいと理解していても、その好奇心を止めることはできなかった。

 

一方、灰原もまた同じ男のことを考えていた。ただ、コナンとは少し違う。

 

真実を暴きたいわけではない。むしろ、触れない方がいい。そう思っている。

 

それでも、頭から離れない。

 

あれほど恐ろしい存在なのに、なぜ自分を助けたのか。そして、あの一言。

 

『目の前にいたからだ』

 

何の含みもなく、当然のことのようにそう言った。

 

灰原は静かに目を伏せた。

 

水篠旬。

 

彼に対する印象は、昨日までとは少しだけ変わっていた。

 

恐ろしい。危険。得体が知れない。

 

それは今も変わらない。

 

ただ、そこに一つだけ別の言葉が加わっていた。

 

――少なくとも、自分の敵ではないのかもしれない。

 

今は、まだ、それだけだった。




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