俺だけレベルアップな件 × 名探偵コナン 【 水篠旬は、米花町へと迷い込む 】 作:冷凍シャケ
安室透からも、赤井秀一からも、水篠旬の正体へ繋がる情報はほとんど得られなかった。分かったのは、むしろ「分からない」という事実だけだった。
過去の経歴がほとんど確認できない。何度も事件現場に現れ、そのたびに事件解決へ繋がる手掛かりを見つける。常人離れした身体能力を持ち、さらにコナンと灰原は、彼が目の前から忽然と姿を消すところまで見ている。けれど、今のところ水篠旬が誰かを害したことはない。むしろ逆だった。人質を救い、爆弾を見つけ、灰原まで助けている。それが、コナンには余計に分からなかった。
(何が目的なんだ……?)
黒ずくめの組織のように明確な悪意があるのなら、まだ理解できる。だが旬には、それがない。目立とうともしていない。それなのに、事件が起これば必ずと言っていいほど現れる。
外から調べても分からないのなら、残る方法は一つしかなかった。本人を見る。本人と話す。もちろん、灰原や赤井から言われたことを忘れたわけではない。不用意に刺激するな。深入りするな。それでもコナンは、水篠旬という謎をそのまま放置することができなかった。
数日後、コナンは一人、米花ホテルのロビーに立っていた。
旬がここに滞在していることは、以前の事件で警察が彼へ事情聴取をしていた際に耳にしていた。ただし、部屋番号までは知らない。さすがにホテルのフロントが、見知らぬ小学生へ宿泊客の部屋番号を教えるはずもない。
そこでコナンは、カウンターの前に立つと、いかにも子供らしい顔を作った。
「すみませーん!」
「はい。どうされました?」
「あの、水篠旬さんっていう人に会いたいんだけど……」
受付係が少し困った顔をする。
「水篠様とお約束されていますか?」
「ううん。でも前に何度か会ったことがあって、お話したいことがあるんだ」
当然、それだけで部屋へ通してもらえるはずはない。けれど、宿泊しているかどうかを確認できれば十分だった。
ところが受付係は少し考えた後、内線電話を手に取った。
「では、こちらからお客様へ確認いたしますね」
「うん!」
しばらくして、受付係が受話器を置いた。
「お会いになるそうです。こちらのエレベーターをご利用ください」
「ありがとう!」
子供らしく笑いながら、コナンは内心で少し意外に思っていた。
(入れてくれるのか……)
旬なら断る可能性もあると思っていた。それどころか、自分が何のために来たのかくらい察していてもおかしくない。
エレベーターが目的の階へ到着する。教えられた部屋の前まで行き、インターホンを押した。数秒後、静かにドアが開いた。
「……江戸川コナンか」
水篠旬が立っていた。黒いシャツに、黒いパンツ。相変わらず黒一色の格好だった。
「こんにちは、水篠さん!」
コナンは満面の笑みを浮かべる。旬はしばらく黙ってコナンを見下ろしていた。
「何の用だ?」
「えへへ。この近くまで来たから、水篠さんいるかなって思って!」
「……そうか」
明らかに信じていない。それでも旬は追及しなかった。少しだけ身体をずらす。
「入れ」
「いいの?」
「ああ」
「お邪魔しまーす!」
コナンは部屋へ入った。その瞬間から、視線だけを静かに動かす。
広い部屋だった。長期滞在が可能なホテルの客室らしく、小さなリビングスペースとデスクまで備えられている。
だが。
(……やっぱり少ない)
生活感が、妙に薄い。とはいえ何もないわけではなかった。壁際には旅行用のスーツケースが一つ。ハンガーには何着かの服が掛けられ、洗面所にも最低限の生活用品が置かれている。それだけを見れば、長期出張中の人間にも見える。
けれど、それ以上がない。趣味の品も、写真も、本もない。本人を知る手掛かりになりそうな物が、意図的に排除されているようにも感じる。
(まるで、いつでもここからいなくなれるみたいだな……)
コナンが部屋を観察していることなど、旬も当然気づいていた。だが何も言わない。冷蔵庫を開け、水のボトルを一本取り出してテーブルへ置いた。
「飲むか?」
「ありがとう!」
コナンはソファへ座る。旬は向かい側には座らず、窓際の椅子へ腰を下ろした。微妙に距離がある。
「水篠さんって、ずっとこのホテルに泊まってるの?」
「ああ」
「この辺には仕事で来てるの?」
「そんなところだ」
「どんな仕事?」
「色々だ」
短い。あまりにも短い。
(分かってたけど、全然喋らねーな……)
「じゃあ、米花町にはしばらくいるの?」
「用事が済むまではな」
「用事って?」
旬がコナンを見る。
「子供が気にすることじゃない」
「えー、教えてくれてもいいじゃん!」
わざと不満そうな顔をしてみせる。だが旬はそれ以上答えなかった。
(まあ、そう来るよな)
ありきたりな答え。仕事。用事。しばらく滞在している。どれも嘘だと断定できる要素はない。けれど、何一つ具体的ではない。
会話をしながら、コナンはもう一度部屋へ視線を巡らせる。そこで、窓際のデスクに置かれたノートパソコンが目に入った。画面は消えていない。検索サイトが開かれている。
コナンは何気なくソファから降り、部屋を眺めるふりをしながら近づいた。旬は止めない。パソコンに機密情報でもあるのなら、そもそも人目につく状態では置かないだろう。
画面には、いくつかの検索結果が並んでいた。その中で、一つの単語がコナンの目に留まった。
『ダンジョン』
(……ダンジョン?)
関連する検索履歴にも似た言葉がある。
『ダンジョン 意味』
『ダンジョン 現実』
『ゲート 異常現象』
どれも検索結果の大半は、ゲームや小説、オカルト系の記事ばかりだ。
「水篠さん」
「何だ?」
「ダンジョンって調べてたの?」
旬の視線が、わずかにパソコンへ向いた。それだけ。表情は変わらない。
「そうだな」
「ゲーム?」
「似たようなものだ」
さらりと返された。
「似たようなもの?」
「ネットで見かけた話が少し気になった。それだけだ」
「へぇー」
コナンは画面を見る。
(……嘘、か?)
まったく判断できない。普通の人間が『ダンジョン』について検索すること自体は何もおかしくない。ゲーム好きなら当たり前だし、ネットで妙な都市伝説を見つけて調べることだってある。『ゲート』という単語も、それだけなら珍しくない。
旬は、おそらくそれを分かっている。だから隠そうともしなかったのだ。
「水篠さん、ゲームするんだ?」
「たまにはな」
「どんなの?」
「昔やったものを少し思い出しただけだ」
「タイトルは?」
「忘れた」
「……」
見事なまでに、会話が広がらない。
(絶対、俺が何を聞きたいのか分かってるだろ……)
コナンが旬を見る。旬も、こちらを見ている。無表情。何を考えているのか、まるで読めない。ただ、少なくとも、自分が探られていることに気づいていないはずはなかった。
コナンは話題を変える。
「そういえば水篠さんって、家族いるの?」
そこで初めて、旬の視線がごく僅かに動いた。ほんの一瞬だった。けれど、コナンは見逃さない。
「いる」
「一人暮らしじゃないんだ」
「今は離れてるだけだ」
「兄弟とかも?」
少しの間、旬は答えなかった。やがて短く言う。
「妹が一人」
「妹さん?」
「ああ」
それだけ。けれど、今までの受け答えとは、ほんの少し違った。声が柔らかくなった。本当に僅かに、意識して聞いていなければ分からない程度だった。
「仲いいの?」
「普通だ」
「会わないの?」
「今は無理だ」
即答だった。そして、そこで会話を切るように旬が水を一口飲む。コナンも、それ以上は聞かなかった。
(家族の話は本当っぽい……)
少なくとも、全部が作り話という感じではない。自分の過去。仕事。この街へ来た理由。それらについては、何一つ具体的に答えない。
なのに家族の話になった瞬間だけ、ほんの僅かに人間らしい感情が見えた。
旬は、コナンが自分を観察していることに気づいていた。当然だ。最初に会った時から、この少年は普通の子供ではなかった。
質問の順番。視線。会話の間。無邪気なふりをしているが、一つ一つの答えを分析している。
(探偵、か)
旬は内心でそう判断する。
正体までは分からない。なぜ小学生がこれほどの観察力を持っているのかも分からない。だが、自分を調べていることだけは明らかだった。
だからこそ、必要以上のことは話さない。
システム。ハンター。ゲート。ダンジョン。影の君主。異なる世界から来たこと。帰還の羅針盤。
そのどれも、この世界の人間へ説明するつもりはなかった。少なくとも、今は。
「ねえ、水篠さん」
再びコナンの声。
「何だ?」
「前から聞きたかったんだけどさ」
コナンは、少しだけ笑みを薄くした。
「事件の時、どうしていつも大事なものを見つけられるの?」
空気が、ほんの少しだけ変わった。初めて、子供らしい遠回しな質問ではなく、核心に近いところへ踏み込んだ。
旬はしばらく何も言わなかった。コナンも目を逸らさない。
やがて、旬が口を開く。
「運がいいだけだ」
「毎回?」
「ああ」
「爆弾も?」
「たまたま音が聞こえた」
「大学のUSBも?」
「光って見えた」
「密室の金属片も?」
「同じだ」
淡々としている。
「……偶然が多いね」
コナンが言う。旬は表情一つ変えなかった。
「そうだな」
それだけだった。
(認める気はない、か)
コナンも、ここで答えが返ってくるとは思っていなかった。ただ、反応が見たかった。
だが旬は、ほとんど何も見せない。嘘をついている人間特有の焦りもない。追及されて苛立つ様子もない。それどころか、隠そうとしていることを、隠そうとすらしていないような奇妙な感覚。
『俺には話すつもりがない』
ただそれだけを、静かに示されている。
コナンは、小さく息を吐いた。今日はこれ以上聞いても無駄だろう。
「そろそろ帰るね」
「ああ」
「急に来てごめんね、水篠さん」
「別にいい」
コナンは玄関へ向かう。旬がドアを開ける。
廊下へ出ようとして、コナンは一度だけ振り返った。
「また来てもいい?」
旬は数秒だけコナンを見つめた。
「好きにしろ」
「うん。じゃあまたね!」
コナンは笑って手を振り、廊下を歩いていった。
ドアが閉まる。
エレベーターへ向かいながら、コナンは頭の中を整理していた。結局、大きな収穫はない。
仕事については曖昧。米花町にいる理由も曖昧。ダンジョンの検索も、ありふれた理由でかわされた。事件で証拠を見つける理由に至っては、『運がいい』。それだけ。
けれど、一つだけ前よりも少し分かったことがある。
水篠旬は、何も分からない男ではない。家族がいる。妹がいる。その話をした時だけ、ほんの僅かに感情を見せた。
そして少なくとも、コナンがここへ来たことを嫌ってはいない。本気で遠ざけるつもりなら、最初から部屋へ入れなければいい。
(俺が探ってることも、多分分かってる)
それでも、追い返さなかった。怒りもしなかった。
ますます分からなくなった。危険なのか。そうでないのか。味方なのか。敵なのか。そもそも、そんな単純な分類ができる相手なのか。
ホテルの外へ出たコナンは、建物を一度振り返った。
(ダンジョン……ゲート……)
ただのゲームやネットの記事。そう言われれば、それまでだ。
けれど、なぜか妙に引っ掛かる。今はまだ、答えには繋がらない。だから、覚えておくことにした。
いつか、意味が分かる時が来るかもしれない。
◇
一方、部屋へ残った旬は、閉じたドアをしばらく見つめていた。
「……」
江戸川コナン。
やはり、普通の子供ではない。自分が何かを隠していると、ほぼ確信している。そして、諦めるつもりもないらしい。
旬はデスクへ戻り、ノートパソコンの画面を見る。表示されているのは、この世界での『ダンジョン』に関する検索結果。
ゲーム。漫画。小説。都市伝説。
どれだけ調べても、旬が知るものと同じダンジョンは一つも出てこない。ゲートもない。ハンターもいない。モンスターも存在しない。
少なくとも、この世界では。
「……やっぱりないか」
旬は静かに画面を閉じた。
コナンへ話したことの大半は、嘘ではない。ただ、必要な部分を話していないだけだ。
仕事。用事。ゲーム。
ありふれた言葉へ置き換えれば、人は大抵、それ以上踏み込めない。
――普通なら。
「面倒な子供だな」
小さく呟く。
けれど、本気で嫌なら、部屋へ入れることもなかった。
旬自身、江戸川コナンという少年を少しずつ気にし始めていた。この世界へ来て、最初に出会った人間。そして、何度も事件で遭遇する。
システムのクエストが発生する場所には、不自然なほど、あの少年がいる。偶然なのか。それとも、この世界へ来た理由そのものと何か関係があるのか。まだ分からない。
旬はインベントリへ意識を向ける。
そこには、『帰還の羅針盤のレシピ(上)』。元の世界へ帰るための、今のところ唯一の手掛かり。
まずは、残り半分を手に入れる。それが先だ。
この世界の探偵たちが、自分の正体へどこまで近づいてこようと、話すつもりはない。少なくとも、帰る方法が見つかるまでは。
旬は再びパソコンを開く。
その時、まだ知らなかった。次にシステムから与えられるクエストが、帰還への道を大きく進めるものになることを。