『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
人間軍と魔王軍が、広い平原を挟んで向かい合っていた。
人間側には、何列にもわたって兵士たちが並んでいる。
剣を持つ者。
槍を構える者。
杖を握る魔術師。
前方には、一般兵とは明らかに違う装備をした戦士たちの姿もあった。
向かい側には魔族の軍勢。
黒い鎧をまとった兵士。
人間よりひと回りも大きな魔族。
空を飛ぶ者までいる。
そのさらに奥には四天王。
そして魔王グラディオ。
人間軍の後列にいた一人の兵士が、ごくりと唾を飲んだ。
これほどの軍勢を見るのは初めてだった。
なのに。
何も起きない。
「……?」
誰も動かなかった。
剣を構えているのに、斬りかからない。
弓を持っているのに、射ない。
魔術師たちも杖を握ったまま、魔法を使おうとしない。
向こうの魔族たちも同じだった。
「なんで攻撃しないんだ……?」
兵士が小さく呟く。
隣にいた年上の兵士が、ちらりとこちらを見た。
「お前、新入りか?」
「あ、はい」
「なら余計なことはするな」
「余計なことって?」
「何もするなってことだ」
意味が分からなかった。
ここは戦場だ。
目の前には魔族がいる。
何もしないのなら、何のためにこれだけの兵を集めたのか。
その時、魔王軍の前方を一体の魔族が横切った。
頭には角。
身につけているのは黒い鎧。
それを見た瞬間、兵士の頭に別の光景が浮かんだ。
燃える家。
崩れた村。
二度と帰ってこなかった家族。
「……魔族」
杖を握る手に力が入った。
「おい」
隣の兵士が気づいた。
「待て。お前、何を――」
「家族の仇だ!」
「やめろ!」
「《ファイヤーボール》!」
杖の先から火球が飛び出した。
初級の攻撃魔法。
魔術師なら最初に覚えるような、ごく一般的な魔法だった。
火球は魔族へ向かって飛んでいく。
だが、狙いは少し上にずれていた。
「あっ」
魔族の頭上を越えた。
そのまま魔王軍の上を通り過ぎ、さらに遠くへ飛んでいく。
見る間に小さくなり、やがて光の点ほどになった。
「……外れた」
兵士が呟いた。
遠くで、白い光が瞬いた。
「え?」
一拍遅れて、大地が揺れた。
凄まじい轟音が平原を走り抜ける。
地平線近くから炎と土煙が一気に噴き上がった。
遅れて届いた風が、兵士たちの髪や服を激しく揺らす。
何人かが反射的に身を屈めた。
兵士は杖を構えたまま固まっていた。
遠くの巨大な土煙を見る。
次に、自分の杖を見る。
もう一度、土煙を見る。
「…………ファイヤーボール?」
「誰だ今撃ったのは!」
怒号が飛んできた。
兵士が肩を跳ねさせる。
「誰だ! 勝手に魔法を使った奴は!」
「撃つなと言われていただろう!」
人間軍のあちこちから声が上がる。
「え……」
命令を無視したことを怒られるのは分かる。
だが、周囲の反応はそれだけではなかった。
「人間ども!」
今度は正面から大声が響いた。
魔王軍だった。
「何をしている!」
「攻撃を止めろ!」
「魔法を使うな!」
兵士の口が開いた。
「なんであいつらまで怒ってるんだ……?」
答えてくれる者はいなかった。
周囲では何人もの兵士が慌ただしく動き始めている。
ただし、攻撃の準備ではない。
「聖女様は!?」
「後方だ!」
「今の爆発を見たか!?」
「見ている!」
「誰かそばにいろ!」
兵士は人の間から後方を見た。
白を基調とした衣装をまとった女性が、遠く立ち上る土煙を見つめている。
ルシエラ。
兵士でも名前くらいは知っていた。
人間軍に同行している聖女だ。
「あんなに大きな爆発……」
ルシエラの表情が曇った。
「あの辺りに、人はいませんでしたか?」
近くにいた者たちの動きが止まる。
「だ、大丈夫です!」
誰かが答えた。
ルシエラがそちらを見る。
「本当ですか?」
「はい!」
「でも、確認した方が――」
「ルシエラ」
若い剣士が彼女のそばへ向かった。
「エイル」
「今はここにいて」
「でも……あんな爆発が起きたんですよ?」
エイルも遠くの土煙を見る。
「分かってる」
「怪我をしている人がいるかもしれません」
「それも分かってるから」
「なら――」
「確認は他の人に任せよう」
ルシエラはまだ心配そうに土煙を見つめていた。
その頃、魔王軍側でも声が飛び交っていた。
「聖女が今のを見たぞ!」
「分かっている!」
「これ以上騒ぎを起こすなと全軍に伝えろ!」
「人間側の聖女だぞ!?」
「だからどうした!」
魔王軍の中央。
グラディオは遠くの人間軍を見ながら、片手で眉間を押さえた。
「全軍に通達」
そばにいた部下が姿勢を正す。
「はっ」
「攻撃禁止だ」
「……人間側が先に撃ってきましたが」
「見ていた」
「反撃は?」
「するな」
部下が一瞬黙った。
グラディオがそちらを見る。
「撃ち返したら次が飛んでくるだろう」
「……はっ」
人間軍側でも命令が飛び始めた。
「魔法使用禁止!」
「弓も使うな!」
「勝手に攻撃するな!」
「聖女様の近くで余計な騒ぎを起こすな!」
最初に《ファイヤーボール》を撃った兵士は、ゆっくり杖を下ろした。
正面を見る。
魔族は攻撃してこない。
横を見る。
味方も攻撃しようとしない。
そして遠くでは、自分が撃ったはずの初級魔法が、まだ巨大な土煙を上げている。
「……何なんだよ、これ」
◇ ◇ ◇
――数年前。
十六歳を迎えたルシエラは、職業授与の日を迎えていた。
神から職業を授けられる。
同年代の者なら、誰もが迎える日だった。
《ファイター》。
《メイジ》。
《プリースト》。
《スカウト》。
どんな職業になるのかは、授けられてみなければ分からない。
ルシエラも、自分の番を待ちながら少し緊張していた。
その頃。
人間からは見ることのできない場所で、一柱の女神が職業授与を進めていた。
「次ですね」
オルディナは、目の前に表示された情報へ目を通す。
適性を確認し、職業を授ける。
いつも通りの仕事だった。
「こちらは……」
別の知らせが入った。
オルディナはそちらへ目を向ける。
「少し確認してきますか」
席を外した。
その直後。
「ん?」
別の女神がやってきた。
フィルネラだった。
目に入った情報を覗き込む。
そこには、一人の少女の姿が映っていた。
フィルネラは少し眺めた。
「この子、聖女向きなんだ」
手を伸ばす。
「じゃあ、これ」
ひとつの職業が少女へ与えられた。
間もなくオルディナが戻ってきた。
「さて、続きを――」
止まる。
ひとつ、処理が終わっている。
目の前にはフィルネラ。
オルディナは処理結果を見る。
フィルネラを見る。
もう一度、処理結果を見る。
「……フィルネラ」
「なに?」
「何をしました?」
「職業をあげた」
「なぜですか」
「聖女向きだったから」
「私の担当なのですが」
「そうなの?」
「そうですよ」
オルディナはため息をつきながら、与えられた職業を確認した。
《光と闇の聖女》。
「これは?」
「私の聖女」
「あなたの職業ですか?」
「うん」
「勝手に授けないでください」
「もうあげちゃったよ?」
「見れば分かります」
オルディナは能力の一覧を開いた。
「《光と闇の祝福》……」
少し変わった名前だった。
能力の説明にも目を通す。
「一定範囲に祝福を与えて、能力を強化する……」
聖女の祝福としては、特に珍しい効果ではない。
ただ、フィルネラが作った職業である以上、一応確認しておいた方がいい。
オルディナは小さな観測器を取り出した。
神力の出力を測るための道具だ。
「念のため、出力も見ておきましょう」
《光と闇の祝福》を測定する。
観測器に数字が表示された。
「一・一倍ですね」
「どう?」
「普通の《祝福》より少し弱いくらいです」
「普通だね」
「ええ。こちらは特に問題なさそうです」
オルディナは観測器を置き、次の能力を見る。
「それより……」
指が止まった。
「《絶対防御領域》?」
「便利だよ」
オルディナは能力の説明を確認する。
「……ずいぶん強い防御能力ですね」
「聖女だから」
「それでこの性能ですか?」
「守れるよ?」
「それはそうでしょうけれど」
オルディナはもう一度内容を見る。
「範囲は狭いですね」
「うん」
「本人を守る能力としては、かなり強力ですが……」
フィルネラは首を傾げた。
「だめ?」
オルディナは少し考える。
聖女は前衛職ではない。
危険な場所で治療を行うこともある。
本人を守る手段があること自体は悪くなかった。
「駄目とは言いませんが、普通の聖女とはずいぶん違いますね」
「私の聖女だから」
「そうですか……」
オルディナは能力一覧を閉じた。
「とにかく、次からは勝手に職業を授けないでください」
「分かった」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶんでは困ります」
オルディナはため息をつき、止まっていた仕事へ戻った。
こうしてルシエラは、《光と闇の聖女》の職業を授かった。