『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』   作:深空 律

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第10話 そこから動かないで

咆哮が広間を震わせた。

 

空気そのものが腹にぶつかってくるような音だった。

 

ルシエラが思わず杖を胸元へ引き寄せる。

 

広間の奥で、巨大な魔物がゆっくりと立ち上がった。

 

四本の太い脚。

 

岩を何枚も重ねたような黒い外皮。

 

床を引きずる長い尾。

 

頭が持ち上がるにつれて、その大きさが嫌でも分かってくる。

 

「……でかすぎないか?」

 

エイルが剣を構えたまま呟いた。

 

ストーンリザードより大きい、などという程度ではない。

 

自分たち五人が並んでも、その巨体の方がずっと大きかった。

 

「メルディア、あれ知ってるか?」

 

「知らない」

 

「即答かよ」

 

「知らないものは知らない」

 

メルディアの声にも、いつもの余裕はなかった。

 

後ろから足音が押し寄せてくる。

 

エイルが振り返った。

 

崩れた門から、追ってきた魔物たちが次々と広間へ雪崩れ込んでいる。

 

ホブゴブリン。

 

狼に似た魔物。

 

大型の蝙蝠。

 

途中の通路で見かけただけの、小さな魔物まで混ざっている。

 

ルシエラの顔が強張った。

 

「後ろも、もう来てます」

 

「分かってる」

 

ロディオは広間の左右へ目を走らせた。

 

「横に抜けられそうなところがない。戻るのも無理だ」

 

「じゃあ、どうするんですか?」

 

ルシエラが聞く。

 

誰もすぐには答えられなかった。

 

前には巨大な魔物。

 

後ろには数える気にもならないほどの魔物。

 

ルシエラがエイルたちを見る。

 

みんな疲れている。

 

ここまでずっと走ってきた。

 

この数を正面から相手にしたらどうなるか。

 

考えたくなかった。

 

「私が領域を――」

 

低い音が響いた。

 

ルシエラの言葉が止まる。

 

巨大な魔物が口を開いていた。

 

喉の奥に白い光が集まっている。

 

エイルの背筋が冷えた。

 

あの光が何をするのかは分からない。

 

だが、正面から受けていいものではないことだけは分かる。

 

「ルシエラ!」

 

「はい!」

 

ルシエラが杖を上げようとした。

 

その時、ロディオが叫んだ。

 

「待って! 避けなくていい!」

 

エイルが振り返る。

 

「何言ってるんだ!」

 

「後ろ!」

 

ロディオが指差す。

 

大量の魔物。

 

そして正面には、今まさに光を吐こうとしている巨大な魔物。

 

五人は、その一直線上にいる。

 

メルディアが息を呑んだ。

 

「……壁」

 

エイルの頭に、崩れ落ちた石壁が浮かんだ。

 

自分たちは傷一つなかった。

 

だが、自分たちの後ろにあった壁は吹き飛んだ。

 

「そういうことか」

 

エイルがルシエラを見る。

 

「全員入るように領域を張ってくれ!」

 

「分かりました!」

 

巨大な魔物の口から光が溢れた。

 

「《絶対防御領域》!」

 

白い光が五人を包む。

 

直後。

 

視界が消えた。

 

真っ白な光。

 

耳を塞ぎたくなるような轟音。

 

ルシエラは歯を食いしばった。

 

怖い。

 

分かっていても怖い。

 

目の前からあれほどの攻撃が飛んでくれば、身体が勝手に縮こまる。

 

それでも杖を離さなかった。

 

エイルがいる。

 

ロディオも。

 

メルディアも。

 

クラウスも。

 

誰一人、傷つけさせたくない。

 

光が通り過ぎる。

 

ルシエラは恐る恐る目を開けた。

 

「みんな……!」

 

エイルがすぐに答えた。

 

「大丈夫だ!」

 

ロディオも自分の身体を見る。

 

「こっちも何ともない!」

 

メルディアもクラウスも立っている。

 

ルシエラの肩から力が抜けかけた。

 

その直後。

 

背後で爆発が起きた。

 

「うわっ!」

 

ロディオが振り返る。

 

さっきまで五人の後ろへ殺到していた魔物たちが、まとめて吹き飛ばされていた。

 

何体かは床を転がり、そのまま動かない。

 

エイルも振り返った。

 

「当たった……!」

 

ロディオが笑った。

 

「これ、使えるぞ!」

 

ルシエラだけが戸惑っている。

 

「使えるって……後ろの魔物、ものすごく吹き飛びましたけど」

 

「そいつらに俺たちが追いかけられてたんだ!」

 

「あっ」

 

ルシエラも思い出した。

 

「そうでした!」

 

余裕ができたのは、ほんの数秒だった。

 

巨大な魔物が前脚で床を叩いた。

 

重い音が広間へ響く。

 

その音に反応したのか、吹き飛ばされずに残った狼型の魔物が巨大な魔物へ飛びかかった。

 

牙が後ろ脚へ食い込む。

 

巨大な魔物が吠えた。

 

尾が横薙ぎに振られる。

 

狼が宙を舞った。

 

今度はホブゴブリンが二体、横から斬りかかる。

 

一体が前脚に弾き飛ばされる。

 

もう一体は剣を外皮へ叩きつけた。

 

「……あいつら、戦い始めたぞ」

 

エイルが言った。

 

ロディオも目を丸くしている。

 

「俺たち、どうする?」

 

「どうするって……」

 

エイルが剣を握ったまま、目の前を見る。

 

蝙蝠が巨大な魔物の顔へまとわりつく。

 

狼が脚へ噛みつく。

 

別の魔物が横腹へ体当たりする。

 

巨大な魔物はそれらを片端から振り払っていた。

 

クラウスが慎重に言った。

 

「少なくとも、あの中へ入るのはやめた方がいいと思います」

 

「俺もそう思う」

 

エイルたちは少しずつ広間の端へ移動した。

 

ルシエラはまだ杖を構えたままだった。

 

「本当に見てるだけでいいんでしょうか」

 

「今入ったら、どっちからも攻撃される」

 

メルディアが答える。

 

「だから今は待った方がいい」

 

ロディオが戦場を見ながら言った。

 

「じゃあ、どっち応援する?」

 

エイルも巨大な魔物を見る。

 

「今は小さい方だろ」

 

ルシエラが目を丸くした。

 

「さっきまで私たちを追いかけてたんですよ?」

 

「知ってる」

 

「それなのに応援するんですか?」

 

「今だけな」

 

巨大な魔物の前脚が振り下ろされた。

 

ホブゴブリンが盾ごと床へ叩きつけられる。

 

ロディオが思わず声を上げた。

 

「ああっ、そっちじゃない!」

 

ルシエラがロディオを見る。

 

「本当に応援してるじゃないですか!」

 

「だって負けてもらったら困るだろ!」

 

それは確かだった。

 

だが。

 

魔物たちは、次々と倒されていった。

 

巨大な魔物が強すぎる。

 

外皮へ剣が当たっても浅い傷しかつかない。

 

狼が噛みついても振り落とされる。

 

頭上から襲う蝙蝠は、首を振られるだけで壁まで飛ばされた。

 

エイルの表情から笑いが消えた。

 

「これ……まずいな」

 

ロディオも口元を引きつらせる。

 

「俺も今そう思ってた」

 

「全然倒れない」

 

メルディアが呟く。

 

巨大な魔物にも傷は増えている。

 

だが、それ以上の速さで周囲の魔物が減っていく。

 

前脚。

 

尾。

 

牙。

 

時折吐き出される光。

 

一撃ごとに一体、二体と倒される。

 

「このままだと、最後に残るのはあいつだけですよね」

 

ルシエラが言った。

 

エイルは答えなかった。

 

今の勢いなら、最後に残るのはあの巨大な魔物だ。

 

そして次に狙われるのは、自分たちになる。

 

巨大な魔物が狼を踏みつける。

 

ロディオが拳を握った。

 

「頑張れ! そこ噛め!」

 

「ロディオ!」

 

「今だけだから!」

 

戦場の端で、メルディアが目を細めた。

 

「……待って」

 

「何?」

 

エイルが聞く。

 

「右の後ろ脚」

 

巨大な魔物が一歩踏み出す。

 

少しだけ身体が傾いた。

 

すぐに踏ん張る。

 

さらに一歩。

 

今度ははっきりと右脚を引きずった。

 

「怪我した?」

 

ルシエラが聞く。

 

「分からない」

 

メルディアは巨大な魔物から目を離さない。

 

その脚に、一体の小型魔物がしがみついていた。

 

節の多い細長い身体。

 

大きな顎。

 

顎が外皮の隙間へ食い込んでいる。

 

巨大な魔物が脚を振った。

 

小型魔物が床へ叩きつけられる。

 

二度と動かなかった。

 

だが、噛まれた場所は黒ずんでいた。

 

クラウスも気づく。

 

「毒でしょうか」

 

「可能性はある」

 

メルディアが答える。

 

ロディオが嬉しそうに言う。

 

「効いてるなら、そのままもっと効いてくれ」

 

「毒にお願いしても仕方ないでしょう」

 

「今は何にでもお願いしたいんだよ」

 

ルシエラは巨大な魔物を見た。

 

動きは確かに鈍くなっている。

 

それでも強い。

 

一体。

 

また一体。

 

とうとう最後のホブゴブリンが尾で吹き飛ばされた。

 

広間が急に静かになった。

 

残ったのは、荒い呼吸だけ。

 

巨大な魔物が立っている。

 

身体中に無数の傷。

 

片脚を引きずっている。

 

肩で息をしている。

 

それでも。

 

立っている。

 

そしてゆっくりと、五人の方へ顔を向けた。

 

ロディオが乾いた笑いを漏らした。

 

「……やっぱり次は俺たちか」

 

エイルが剣を構える。

 

「でも、さっきよりは弱ってる」

 

「これだけやられて弱ってなかったら困る」

 

メルディアも杖を握った。

 

ルシエラは四人を見た。

 

みんな息が上がっている。

 

ロディオの服には泥と埃がついている。

 

エイルの手にも疲れが見える。

 

それでも全員、前を向いていた。

 

ルシエラも杖を握り直す。

 

「《光と闇の祝福》」

 

淡い光が広がった。

 

エイルの身体に力が戻る。

 

「行くぞ!」

 

巨大な魔物が吠えた。

 

エイルが正面から駆ける。

 

巨体の前脚が振り上げられた。

 

「右!」

 

ロディオの声。

 

エイルが横へ飛ぶ。

 

前脚が石床を叩き割った。

 

破片が頬をかすめる。

 

その隙にロディオが横腹へ回る。

 

短剣を振り下ろした。

 

硬い。

 

刃が滑る。

 

「くそっ!」

 

巨大な魔物が尾を振る。

 

「ロディオ!」

 

ルシエラが叫んだ。

 

ロディオが伏せる。

 

尾が頭上を通過した。

 

風圧だけで髪が大きく揺れる。

 

「危なっ!」

 

「離れて!」

 

メルディアの杖が向けられる。

 

「《ファイヤーボール》!」

 

火球が肩へ直撃した。

 

炎が弾ける。

 

巨大な魔物がよろめいた。

 

「効いた!」

 

ルシエラが声を上げる。

 

だが、魔物は倒れない。

 

すぐに顔を上げた。

 

「まだ!」

 

メルディアが叫ぶ。

 

エイルが踏み込む。

 

傷の多い前脚へ剣を振り下ろした。

 

ガキン!

 

腕に重い衝撃が走った。

 

剣は入った。

 

だが浅い。

 

「硬すぎるだろ!」

 

巨大な魔物が身体を捻った。

 

エイルの視界いっぱいに尾が迫る。

 

避けきれない。

 

「エイル!」

 

鈍い衝撃。

 

エイルの身体が横へ飛んだ。

 

床へ肩から叩きつけられる。

 

「ぐっ……!」

 

「エイル!」

 

ルシエラが駆け出しかける。

 

クラウスが先に走った。

 

「僕が行きます! ルシエラはそこから動かないで!」

 

「でも!」

 

「全員を守れる位置にいてください!」

 

ルシエラの足が止まった。

 

エイルが倒れている。

 

その向こうでは巨大な魔物がこちらを向こうとしている。

 

行きたい。

 

すぐそばへ行って確かめたい。

 

でも、自分が動けば他の三人が領域から外れるかもしれない。

 

杖を握る指が震えた。

 

「エイル……」

 

クラウスがエイルのそばへ滑り込む。

 

「動けますか?」

 

「……腕が痺れてるだけだ」

 

「本当に?」

 

「折れてたらもっと痛い」

 

「その判断は信用しません」

 

クラウスが治療を始める。

 

ロディオが巨大な魔物の注意を引くように横から石を投げた。

 

「こっちだ!」

 

魔物の顔が動く。

 

「本当にこっち来た!」

 

「自分で呼んだんでしょう!」

 

ルシエラが叫ぶ。

 

ロディオが逃げる。

 

巨大な魔物が追う。

 

右脚が遅れている。

 

毒のせいか、傷のせいかは分からない。

 

それでも一歩が大きい。

 

ロディオとの差が縮まる。

 

「メルディア!」

 

「分かってる!」

 

火球が顔の横で弾けた。

 

巨大な魔物が首を振る。

 

ロディオが逃げ切った。

 

エイルも立ち上がる。

 

「もう行ける」

 

クラウスが止めようとする。

 

「まだ――」

 

「止まってたらあいつが来る」

 

剣を握る。

 

手は動く。

 

エイルは巨大な魔物を見た。

 

あれだけ大量の魔物と戦った。

 

毒まで受けている。

 

それなのに、自分たちの攻撃はまともに通らない。

 

「どうやって倒すんだ、これ……」

 

その時。

 

巨大な魔物が口を開いた。

 

白い光。

 

ルシエラの表情が変わる。

 

「みんな、こっちへ!」

 

五人が集まる。

 

「《絶対防御領域》!」

 

轟音。

 

光が五人を飲み込んだ。

 

ルシエラは目を閉じなかった。

 

エイルも。

 

ロディオも。

 

全員、正面を見ていた。

 

光は何も残さず五人を通り過ぎる。

 

その直後。

 

背後で石が砕けた。

 

ドォン!

 

全員が振り返る。

 

広間の壁際。

 

天井まで伸びていた太い柱が、大きく抉れていた。

 

小石がぱらぱらと床へ落ちる。

 

「また壊れた……」

 

エイルが呟いた。

 

メルディアは柱ではなく、その上を見ていた。

 

「エイル」

 

「何だ?」

 

「天井」

 

見上げる。

 

柱と天井の境目。

 

そこから細い亀裂が走っている。

 

ミシ、と小さな音。

 

ルシエラの顔が青くなった。

 

「これ、崩れませんか?」

 

クラウスも上を見る。

 

「可能性はありそうですね」

 

「それ、まずいじゃないですか!」

 

ルシエラが慌てる。

 

巨大な魔物が歩き出した。

 

また戦闘が始まる。

 

エイルたちは距離を取る。

 

ロディオが傷のある脚へ回る。

 

メルディアが魔法を撃つ。

 

それでも倒れない。

 

一撃当てるたびに、自分たちの方が追い詰められていく。

 

そして。

 

巨大な魔物が、もう一度首を持ち上げた。

 

喉の奥に光が集まる。

 

エイルは魔物を見る。

 

崩れかけた柱を見る。

 

もう一度、魔物を見る。

 

「……メルディア」

 

「うん」

 

返事が早かった。

 

ロディオが二人の視線を追う。

 

柱。

 

天井。

 

魔物。

 

「まさか」

 

エイルが言う。

 

「もう一発、あそこに撃たせる」

 

ルシエラが振り返った。

 

「えっ?」

 

クラウスも眉を寄せる。

 

「僕たちまで天井の下に入ることになりますよ」

 

「だからルシエラに守ってもらう」

 

エイルが答えた。

 

ルシエラは天井を見る。

 

亀裂はさっきより長くなっている。

 

怖い。

 

自分たちの頭の上へ、あれが全部落ちてくる。

 

《絶対防御領域》なら守れるはず。

 

今までだって守れた。

 

それでも。

 

「もし、守れなかったら……」

 

声が小さくなる。

 

エイルがルシエラを見る。

 

「無理だと思うならやめる」

 

ルシエラは答えられなかった。

 

エイルの肩には、さっき叩きつけられた汚れが残っている。

 

ロディオも息を切らしている。

 

メルディアも何度も魔法を使っている。

 

このまま戦い続けた方が安全だとは、とても思えなかった。

 

ルシエラは杖を両手で握った。

 

「……やります」

 

「大丈夫か?」

 

「怖いです」

 

正直に答えた。

 

「でも、このままみんなが戦い続ける方が嫌です」

 

エイルが一度だけ頷いた。

 

「頼む」

 

「はい」

 

ロディオが魔物の正面へ出る。

 

「じゃあ、あいつをあの柱の方へ向ければいいんだな?」

 

「無茶するなよ」

 

「エイルに言われたくない」

 

巨大な魔物の光が強くなる。

 

「来る!」

 

ロディオが走った。

 

エイルたちも柱の前へ移動する。

 

メルディアが位置を見る。

 

「もう少し右!」

 

「こっちか!?」

 

「そこ!」

 

巨大な魔物が五人を捉えた。

 

ルシエラの心臓が早鐘のように鳴っている。

 

エイルが叫ぶ。

 

「まだだ!」

 

光が大きくなる。

 

「まだ!」

 

巨大な魔物が口を開いた。

 

「今!」

 

ルシエラが杖を振り上げる。

 

「《絶対防御領域》!」

 

光が広がった。

 

同時に、巨大な一撃が飛んでくる。

 

ルシエラは歯を食いしばった。

 

怖い。

 

でも動かない。

 

絶対に動かない。

 

エイルもロディオもメルディアもクラウスも、自分のすぐそばにいる。

 

守る。

 

それだけを考えた。

 

光が通り抜けた。

 

背後で、世界が割れたような音がした。

 

柱が砕ける。

 

大きな石片が飛び散る。

 

次の瞬間。

 

ミシッ。

 

ミシミシミシ――。

 

全員が上を見た。

 

天井の亀裂が、一気に広がっていく。

 

ロディオの顔色が変わった。

 

「思ったより来るぞ!」

 

「領域から出ないでください!」

 

ルシエラが叫ぶ。

 

最初に小石が落ちた。

 

続いて、人の頭ほどの石。

 

その次。

 

巨大な岩塊が落ちてきた。

 

轟音。

 

床が見えなくなるほどの土煙。

 

エイルの視界から、巨大な魔物の姿が消えた。

 

岩が次々と落ちる。

 

ルシエラは杖を握りしめる。

 

クラウスが隣にいる。

 

メルディアも。

 

ロディオも。

 

エイルも。

 

誰一人倒れていない。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫だ!」

 

エイルの声が返ってきた。

 

それを聞いた瞬間、ルシエラの目に少し涙が滲んだ。

 

「よかった……」

 

崩落の音が、少しずつ小さくなる。

 

やがて。

 

静かになった。

 

土煙だけが広間を漂っている。

 

誰も動かなかった。

 

エイルが剣を握り直す。

 

「あいつは?」

 

目を凝らす。

 

煙の向こう。

 

岩の山。

 

その下で。

 

何かが動いた。

 

ゴッ、と石が押し上げられる。

 

「まだ生きてる!」

 

ロディオが声を上げた。

 

巨大な頭が、ゆっくりと持ち上がる。

 

外皮は大きく砕けていた。

 

後ろ半分は岩に埋まっている。

 

右脚はもう動いていない。

 

それでも前脚で身体を引きずろうとしていた。

 

エイルの喉が鳴る。

 

「……どこまで頑丈なんだよ」

 

巨大な魔物がこちらを見る。

 

低い唸り声。

 

まだ戦うつもりだ。

 

その目を見た途端、エイルは疲れを忘れた。

 

ここまで来た。

 

散々逃げた。

 

魔物の群れに追われた。

 

あいつらをぶつけた。

 

毒まで効いた。

 

天井まで落とした。

 

それでもまだ立とうとしている。

 

なら。

 

「ここで終わらせる」

 

エイルが走った。

 

「エイル!」

 

ルシエラの声が背中から飛んでくる。

 

巨大な魔物が前脚を振り上げる。

 

まだ動く。

 

エイルの頭上へ落ちてくる。

 

「右!」

 

ロディオの声。

 

エイルは踏み込む方向を変えた。

 

前脚が横を叩く。

 

床が砕ける。

 

その隙にロディオが反対側へ回った。

 

「こっちもいるぞ!」

 

短剣を、崩落で割れた外皮の隙間へ突き込む。

 

今度は弾かれない。

 

深く入る。

 

巨大な魔物が吠えた。

 

ロディオが短剣を抜いて飛び退く。

 

「入った!」

 

「メルディア!」

 

エイルが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

杖の先に炎が集まった。

 

巨大な魔物がエイルへ顔を向ける。

 

口を開く。

 

まだ光を撃つつもりなのか。

 

白い光が、喉の奥にわずかに灯る。

 

ルシエラの顔が青ざめた。

 

「エイル、離れて!」

 

エイルは離れなかった。

 

割れた外皮。

 

ロディオが作った傷。

 

そこだけが見えている。

 

「今だ!」

 

「《ファイヤーボール》!」

 

火球が飛んだ。

 

傷口へ直撃する。

 

爆発。

 

巨大な魔物の頭が大きく揺れた。

 

喉に集まりかけていた光が消える。

 

「エイル!」

 

「分かってる!」

 

踏み込む。

 

剣を両手で握る。

 

今まで何度叩いても通らなかった外皮。

 

だが今は、岩で砕けている。

 

炎で焼けている。

 

傷が開いている。

 

そこへ。

 

全力で剣を突き込んだ。

 

硬い外皮を抜けた手応えがあった。

 

そのまま刃が奥へ沈む。

 

巨大な魔物が吠えた。

 

近すぎて耳が痛い。

 

エイルは剣から手を離さない。

 

「倒れろおおおっ!」

 

さらに押し込む。

 

魔物の前脚が上がる。

 

エイルの身体へ向かう。

 

ルシエラが叫んだ。

 

「エイル!」

 

その脚が。

 

途中で止まった。

 

力が抜ける。

 

地面へ落ちる。

 

巨大な頭がゆっくりと傾いた。

 

エイルは剣を握ったまま、息を止めていた。

 

巨体が沈む。

 

ズン――。

 

床が揺れた。

 

今度こそ、動かなかった。

 

エイルも動けなかった。

 

肩で息をする。

 

剣を抜く力さえ残っていない。

 

数秒。

 

誰も声を出さなかった。

 

ロディオが先に近づいてくる。

 

「……倒した?」

 

エイルは答えられない。

 

巨大な魔物を見る。

 

動かない。

 

メルディアも慎重に近づく。

 

クラウスも。

 

ルシエラだけが少し離れたところで立っていた。

 

やがて。

 

巨大な魔物の身体から、完全に力が抜けた。

 

エイルがようやく剣を引き抜いた。

 

その瞬間。

 

膝から力が抜けた。

 

「うわっ」

 

座り込む。

 

ルシエラが駆け寄った。

 

今度は誰も止めなかった。

 

「エイル!」

 

「大丈夫。疲れただけ」

 

「本当に?」

 

「今回は本当」

 

ルシエラがエイルの肩を掴む。

 

怪我を探すように顔や腕を見る。

 

大きな傷がないことを確認して、ようやく息を吐いた。

 

「よかった……」

 

そのまま少し俯く。

 

エイルが見ると、目元が赤い。

 

「そんなに心配した?」

 

「しますよ!」

 

顔を上げた。

 

「さっき飛ばされた時も、最後にあんな近くまで行った時も、ずっと怖かったんですから!」

 

「悪かった」

 

「次からもう少し安全に戦ってください!」

 

ロディオが横から口を挟む。

 

「今日の状況でそれ無理じゃない?」

 

ルシエラがそちらを見る。

 

「ロディオもです!」

 

「俺も!?」

 

「さっき何回危ないところに行ったと思ってるんですか!」

 

「いや、俺は役割が――」

 

「クラウスもです!」

 

「僕もですか?」

 

「みんなです!」

 

メルディアだけが黙っていた。

 

ルシエラが見る。

 

「メルディアもですよ」

 

「分かった」

 

「早いですね」

 

「怒られてる時は反論しない方が早い」

 

ロディオが呟く。

 

「賢いな」

 

「聞こえてます!」

 

一瞬。

 

全員が黙った。

 

それからエイルが笑った。

 

ロディオも。

 

クラウスも小さく笑う。

 

ルシエラはまだ怒った顔をしていたが、最後には自分も笑ってしまった。

 

広間を見回す。

 

大量の魔物。

 

崩れた天井。

 

折れた柱。

 

その中央に倒れている巨大な魔物。

 

ロディオが腰へ手を当てる。

 

「……すごいことになったな」

 

エイルも倒れた魔物を見る。

 

「あれ、俺たちが倒したって言っていいのかな」

 

メルディアが答える。

 

「最後は確実に倒した」

 

「途中は?」

 

「ほとんど他の魔物」

 

クラウスが付け足す。

 

「天井も使いましたね」

 

「使ったというか、本人に壊させたけどな」

 

ロディオが言う。

 

「じゃあ作戦勝ちってことでいいんじゃない?」

 

メルディアが少し考える。

 

「最初から全部考えてたなら」

 

「そこは細かく言わなくてもいいだろ」

 

今度は誰も反論しなかった。

 

全員、もう疲れ切っていた。

 

少し休んでから。

 

メルディアが何気なく自分の状態を確認した。

 

動きが止まる。

 

エイルが気づいた。

 

「どうした?」

 

メルディアは表示を見たまま答える。

 

「……十七」

 

ロディオが聞き返す。

 

「何が?」

 

「レベル」

 

一瞬。

 

意味が伝わらなかった。

 

次の瞬間。

 

「十七!?」

 

ロディオが勢いよく自分の状態を確認する。

 

エイルも開く。

 

肉体レベル。

 

十七。

 

職業レベル。

 

十七。

 

「本当だ……」

 

ルシエラも確認する。

 

同じだった。

 

「私も十七です」

 

クラウスも頷く。

 

「僕もですね」

 

ロディオが指を折り始めた。

 

「最後に見た時、九だったよな?」

 

「九だった」

 

エイルが答える。

 

「じゃあ八つ?」

 

メルディアが首を振った。

 

「途中で確認してないから、いつ上がったのかは分からない。下に落ちてから倒した魔物もいる」

 

「それでも結構上がってないか?」

 

ロディオは周囲を見回した。

 

倒れている大量の魔物。

 

巨大な魔物。

 

エイルも同じものを見る。

 

「……こいつらの分も入った?」

 

クラウスが少し眉を寄せる。

 

「僕たちが直接倒していない魔物も多いですよ」

 

「でも、あのでかいのに攻撃を当てさせたのは俺たちだろ」

 

ロディオが言う。

 

「俺たちを追いかけてきたやつも多かったし」

 

メルディアは少し考えた。

 

「戦闘に関わった扱いになった可能性はあると思う。でも、どこまで入ったのかは分からない」

 

「まあ、何でもいいか」

 

エイルが自分の表示を閉じた。

 

「強くなったのは間違いない」

 

ルシエラが嬉しそうに言う。

 

「ダンジョンに入った時は七だったんですよね」

 

その言葉で全員が黙った。

 

ロディオが指を折る。

 

「七から十七?」

 

「十上がってるな」

 

「一日で?」

 

誰もすぐには答えなかった。

 

エイルは周囲を見る。

 

「あれだけ戦えば……まあ」

 

メルディアも頷く。

 

「下にいた魔物は強かった」

 

クラウスが言う。

 

「少なくとも、楽に上がったわけではありませんね」

 

ロディオはその場へ仰向けに倒れた。

 

「次はもう少し普通に強くなりたい」

 

ルシエラが笑う。

 

「今日は普通じゃなかったんですか?」

 

ロディオが無言で周囲を指差した。

 

崩れた天井。

 

折れた柱。

 

大量の魔物。

 

半分を岩に埋めたまま倒れている巨大な魔物。

 

ルシエラも順番に見る。

 

「……普通ではなかったですね」

 

「だろ?」

 

広間に、ようやく気の抜けた笑い声が響いた。

 

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