『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
ゴゴゴゴゴ――。
低い音が、静かになった広間へ響いた。
「……何?」
ルシエラが立ち上がる。
その隣では、ロディオがもっと早く短剣を抜いていた。
「また何か来るのか?」
「やめてくれ」
エイルも座っていた床から立ち上がり、剣へ手をかける。
ついさっきまで、もう動きたくないと思っていた。
それでも、音を聞けば身体が勝手に構えてしまう。
五人の視線の先で、広間奥の石壁がゆっくりと横へ動いていた。
石が擦れ合う音。
やがて、人が通れるほどの隙間が開く。
その向こうは、小さな部屋になっていた。
「……部屋?」
エイルが少し近づく。
ロディオが腕を出して止めた。
「待って。俺が見る」
「分かった」
エイルは素直に止まった。
今のロディオに先回りする気にはなれない。
ランタンを持ち、ロディオが慎重に中を覗く。
しばらく動かない。
「何かいる?」
ルシエラが聞く。
「魔物はいない」
「じゃあ何があるんだ?」
「箱」
沈黙。
エイルが聞き返した。
「箱?」
ロディオが振り返る。
「宝箱」
五人とも、すぐには喜ばなかった。
ルシエラが少し困ったような顔になる。
「……またですね」
「ああ。まただ」
エイルも頷く。
ロディオは何も言わず、部屋へ入った。
中央には石の台座。
その上に、一つの宝箱が置かれている。
さっき見つけた古びた木箱とはまるで違う。
濃い色の木材。
銀色の金具。
蓋には細かな模様まで彫られている。
見るからに上等だった。
だがロディオは、宝箱へ近づかなかった。
まず入口の床を見る。
壁を見る。
天井を見る。
床を叩く。
部屋の隅まで歩く。
再び天井を見る。
エイルたちも部屋へ入り、その様子を眺めていた。
「……ずいぶん慎重になったな」
エイルが言う。
「慎重で悪い?」
「悪くない」
ロディオは台座の周囲を一周した。
しゃがむ。
床へ顔を近づける。
「ここ、色が違う」
「何かあった?」
ルシエラが覗き込む。
「シミがある」
エイルも横から見る。
確かに、石床の一部だけ少し黒ずんでいる。
「……シミ?」
「液体が垂れた跡かもしれない」
ロディオは指先で軽く触った。
匂いまで確かめる。
メルディアが隣にしゃがんだ。
「ただの水じゃない?」
「本当に?」
「石に染みた水に見える」
ロディオはまだシミを見ている。
エイルが腕を組んだ。
「さすがに床のシミまで疑うのは、警戒しすぎじゃないか?」
ロディオが勢いよく顔を上げた。
「床が開いたんだぞ!」
「まあ、そうだけど」
「次はシミから何か出てきても俺は驚かないからな!」
ルシエラが反射的に一歩シミから離れた。
ロディオがそれを見る。
「ルシエラまで離れなくていいと思う」
「今、何か出るかもしれないって言ったじゃないですか」
「例えだよ!」
クラウスが天井を見上げる。
「上は大丈夫ですか?」
「三回見た」
「そんなに」
「前回は下だった。今回は上かもしれないだろ」
エイルが宝箱を見る。
「箱は?」
「最後」
「普通そこが最初じゃないのか?」
「前回それで失敗した!」
「箱には罠なかっただろ」
「それが余計に嫌なんだよ!」
それからしばらく。
ロディオは床、壁、天井、台座、宝箱の下側、蓋、錠前、周囲の隙間まで確認した。
ようやく立ち上がる。
「……たぶん大丈夫」
エイルが眉を上げる。
「たぶん?」
「絶対って言ったら、また何か起きそうだから言わない」
「気持ちは分かります」
クラウスが妙に納得している。
ロディオが錠前へ工具を入れた。
数度、小さな金属音。
カチ。
「開いた」
だが蓋には触れない。
一度後ろへ下がる。
エイルが聞いた。
「開けないのか?」
「開けるよ」
「じゃあ何で下がった?」
「一応」
「もう好きにしてくれ」
ロディオが横から手を伸ばし、ゆっくり蓋を持ち上げた。
ギィ――。
蓋が開く。
何も起きなかった。
全員が待つ。
五秒。
十秒。
やはり何も起きない。
ロディオが眉を寄せた。
「……本当に何もない」
「よかったじゃないか」
エイルが言う。
「何もないと逆に不安になってきた」
「面倒くさいな、お前」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」
「誰のせいだ?」
「分からないから困ってるんだよ」
ようやく五人が宝箱を覗き込んだ。
中には一本の剣が収められていた。
濃紺の鞘。
黒に近い革を巻いた柄。
派手な宝石などはついていない。
だが、今までエイルが使ってきた剣とは、造りそのものが違って見えた。
ルシエラが思わず身を乗り出す。
「綺麗ですね」
「剣だな」
ロディオが言う。
「見れば分かる」
メルディアが返した。
ロディオが少し傷ついた顔をする。
「前にも誰か似たこと言ってなかった?」
エイルが剣を手に取る。
意外に軽い。
鞘からゆっくり抜いた。
澄んだ金属音。
銀色の刃。
中央には、薄く青みがかった一本の筋が走っている。
ランタンの光を受けると、その部分だけ淡く光った。
エイルは何度か握り直した。
「すごく持ちやすい」
「使えそう?」
ルシエラが聞く。
「たぶん。今の剣より軽いのに、変に軽すぎない」
ロディオが広間の方を見る。
「さっきのでかいやつの皮、残ってるよな」
エイルもそちらを見る。
崩落で剥がれた黒い外皮が、岩の間に落ちている。
「試してみるか」
クラウスが少し嫌そうな顔をした。
「もう何も起きませんよね?」
「皮を斬るだけだ」
「今日、その言葉を信用していいのか迷います」
広間へ戻る。
エイルはまず、今まで使っていた剣を抜いた。
落ちていた外皮へ振り下ろす。
ガキン。
硬い。
傷はついたが、浅い。
あの巨大な魔物と戦っていた時と同じ感触だった。
次に、新しい剣を構える。
軽く息を吐く。
振り下ろした。
ザッ。
手応えが違った。
刃が黒い外皮へ半ばまで食い込んでいる。
エイル自身が一番驚いた。
「……入った」
ロディオが目を丸くする。
「今の、そんなに力入れてなかったよな?」
「入れてない」
エイルが剣を引き抜く。
刃こぼれも見当たらない。
もう一度、少し角度を変えて振った。
今度は外皮の端が切れた。
床へ黒い破片が落ちる。
ルシエラの顔が明るくなった。
「すごいじゃないですか!」
エイルは自分の古い剣を見る。
新しい剣を見る。
「全然違うな……」
メルディアも刃を観察する。
「詳しい性能は分からないけど、少なくとも今の剣より切れる」
「これ、もらっていいのかな」
エイルが言う。
ロディオが倒れた巨大な魔物を指差した。
「ここまでやって駄目って言われたら怒っていいと思う」
「誰に?」
「ダンジョンに」
「どうやって怒るんだよ」
正式な名前も、どんな力を持つ剣なのかも分からない。
それでも、強い武器であることだけは十分に分かった。
エイルは剣を鞘へ戻した。
「町に戻ったら鑑定してもらおう」
「戻れたらな」
ロディオが言う。
全員が黙る。
「……先に帰り道探そう」
「そうですね」
宝箱の部屋をもう一度確認すると、奥に細い通路が続いていた。
床は緩やかに上っている。
ロディオが少し先まで確認して戻ってくる。
「上に続いてる」
ルシエラの表情が明るくなった。
「帰れそうですね!」
「まだ出口とは限らないけど、下に行くよりはいい」
その前に。
五人は倒した巨大な魔物のところへ戻った。
ロディオがその巨体を見上げる。
「これ、何か持って帰った方がいいよな」
「素材?」
エイルが聞く。
「この皮だけでも普通じゃないだろ。牙もでかいし」
メルディアは崩れた外皮を拾い上げる。
「全部は無理」
「全部持って帰ろうとは思ってないよ」
「思ってそうな顔してた」
「俺を何だと思ってるの?」
持ち帰れそうなものを確認する。
硬い外皮。
折れた牙。
爪。
そして、身体の奥から見つかった大きな魔石。
魔石を取り出した時だけは、五人とも少し黙った。
両手で抱えるほど大きい。
内部に白い光がゆっくり揺れている。
ルシエラが覗き込む。
「これ、あの光を出してたのと関係あるんでしょうか」
メルディアも見る。
「分からない。でも普通の魔石よりずっと大きい」
ロディオの目が輝く。
「高そう」
クラウスがため息をつく。
「最初に出る感想がそれなんですね」
「大事だろ。俺たち、装備ずっと最初のままだぞ」
エイルが自分の防具を見る。
あちこち傷が増えている。
「それは確かに」
ルシエラも自分のローブを見る。
「私のも汚れました」
メルディアがすぐに言う。
「それは洗えばいい」
「そういう話ですか?」
持ち運べる量には限界がある。
価値がありそうな外皮を何枚か。
牙。
爪。
大きな魔石。
それ以外にも、小さく切り取れる部分をいくつか。
全部を荷物へまとめると、かなりの重量になった。
ロディオが背負った袋を持ち上げる。
「重いけど、これ置いて帰るのも嫌だな」
エイルも素材を背負う。
「交代で持とう」
「新しい剣持ってるやつが一番元気そうだしな」
「お前さっき俺が吹き飛ばされたの見てたよな?」
「見てたから元気そうって言ってる」
「理屈がおかしい」
五人は上りの通路へ入った。
しばらく歩く。
途中に何度か分かれ道があったが、ロディオが地面の傾斜を見ながら上へ向かう道を選んでいく。
やがて。
前方から声が聞こえた。
ロディオが手を上げる。
「この先に三体いる」
「何が?」
エイルが聞く。
「ホブゴブリン」
全員が一瞬だけ黙った。
ついさっきまでなら、別の道を探していただろう。
メルディアが尋ねる。
「気づかれてる?」
「もう気づかれた」
曲がり角の先から足音が近づく。
エイルが新しい剣の柄へ手をかけた。
「じゃあ戦おう」
ロディオがエイルを見る。
「ずいぶん軽く言うな」
「三体だろ?」
「さっきは三体で結構苦労したぞ」
「その時は、今よりずっと弱かっただろ」
エイルは鞘から剣を抜いた。
ホブゴブリンが姿を現す。
一体目が盾を構えた。
エイルが踏み込む。
剣が振り下ろされる。
ホブゴブリンの盾が上がった。
金属音。
――ではなかった。
ザン。
刃が盾の縁へ食い込んだ。
そのまま深く裂く。
「え?」
エイル自身が一瞬止まりそうになる。
ホブゴブリンも同じだった。
ロディオが横から叫ぶ。
「止まるな!」
「分かってる!」
エイルは剣を引き戻す。
再び振る。
今度は盾を避けて肩。
刃が通った。
ホブゴブリンが倒れる。
「切れすぎないか、これ!」
「いいから使え!」
二体目がロディオへ向かう。
ロディオは剣をかわし、そのまま懐へ入り込んだ。
短剣を脇腹へ。
すぐ離れる。
「こっちも前より遅く見える!」
三体目へメルディアが杖を向けた。
「《ファイヤーボール》」
火球が胸へ直撃した。
ホブゴブリンの身体が大きく後ろへ飛ぶ。
壁へぶつかる。
立ち上がろうとしたところへ、エイルが距離を詰めた。
一撃。
終わった。
残っていた一体も、ロディオとの連携で間もなく倒れる。
静かになる。
五人が顔を見合わせた。
エイルが剣を見る。
「……早かったな」
メルディアが答える。
「前とは違う」
「剣だけじゃないな」
ロディオが自分の手を見る。
「身体も軽い」
クラウスも頷いた。
「明らかに余裕がありましたね」
ルシエラが嬉しそうに笑った。
「強くなってますね、私たち」
その言葉が、一番しっくりきた。
レベルが上がったことは、表示を見れば分かる。
だが、今は数字ではなく身体で分かった。
さっきまで苦戦した相手が、もう同じ強さには感じられない。
エイルが剣を鞘へ戻す。
「これなら、無理に全部避けなくてもよさそうだな」
ロディオが笑う。
「俺も今それ言おうと思った」
クラウスが二人を見る。
「帰るんですよね?」
「もちろん」
「魔物を探しに行くわけではありませんよね?」
「探さない」
エイルが答える。
ロディオも頷く。
「帰り道にいたら倒すだけ」
「ならいいです」
少し進む。
しばらくして、右の横道から鳴き声が聞こえた。
ロディオが足を止める。
「……いる」
クラウスが言う。
「帰り道ですか?」
ロディオが横道を見る。
「ちょっとだけ横」
メルディアが無言でロディオを見る。
「素材もありそうなんだよ」
「帰るんじゃなかったの?」
「帰りながら取る」
エイルが笑った。
「それ、帰りながらじゃないだろ」
「ちょっとだけだから」
ルシエラがロディオを見る。
「少し調子に乗ってませんか?」
ロディオが答える前に、エイルが頷いた。
「俺もそう思う」
「エイルまで!?」
結局、横道へは入らなかった。
だが、帰路で出会った魔物とは戦った。
甲殻を持つ大きな虫型魔物が二体。
エイルの新しい剣は、その甲殻にも深く食い込んだ。
一体が突進してきたところをエイルが受け流し、ロディオが脚を狙う。
体勢が崩れたところへメルディアの火球。
短い戦闘で終わった。
その次は狼型の魔物が四体。
以前なら囲まれないよう警戒していた相手だった。
今はロディオが先に一体へ回り込み、エイルが二体を正面で受ける。
クラウスが後方から声を飛ばす。
「右からもう一体来ます!」
「見えてる!」
エイルが一歩下がる。
狼が飛び込む。
その瞬間、前へ踏み込み、剣を振った。
一体。
次。
ロディオが追い込んだ相手を仕留める。
最後の一体が逃げようとした。
「追う?」
ロディオが聞く。
エイルは少し考えた。
「いや、いい。帰ろう」
「それでいいと思います」
クラウスが安心したように言った。
さらに上へ。
空気が少し変わった。
湿った地下の匂いに、わずかに外気が混ざる。
ルシエラが顔を上げる。
「風があります」
ロディオも感じたらしい。
「近いかも」
歩調が少し速くなった。
その途中。
メルディアがふと立ち止まった。
「どうした?」
エイルが聞く。
「確認してなかった」
自分の状態を開く。
少しして。
「二十」
全員の足が止まった。
ロディオが振り返る。
「もう?」
エイルも自分の状態を見る。
肉体レベル。
二十。
職業レベル。
二十。
「本当だ」
ルシエラも確認する。
「私も二十です」
クラウスも同じだった。
ロディオが笑う。
「今朝は七だったよな」
「七だった」
エイルも思わず笑った。
「一日で十三上がった?」
メルディアがすぐに言う。
「戦った相手と数を考えて」
「分かってるけどさ。それでもすごいだろ」
ルシエラは自分の表示をしばらく眺めていた。
「二十……」
今朝、ダンジョンへ入った時は七だった。
それが、もう二十になっている。
数字を見ているだけなのに、朝よりずっと遠いところまで来たような気がした。
エイルが表示を閉じる。
「帰ったら装備も見直したいな」
ロディオが背中の素材を揺らす。
「そのためにこれ持ってるんだろ」
「売れるか分からないだろ」
「売れなかったら泣く」
「その時は一緒に泣きましょう」
ルシエラが真顔で言った。
「そこは励ましてくれよ」
やがて。
前方が明るくなった。
見覚えのある石壁。
人の足跡。
浅い階層でつけられている目印。
ロディオが壁を見る。
「知ってる場所だ」
エイルも周囲を見る。
「本当に?」
「間違いない。ここ、入口からそんなに遠くない」
ルシエラが大きく息を吐いた。
「帰れますね」
「ああ」
今度こそ。
誰も疑わなかった。
しばらくして、外の光が見えた。
五人がダンジョンの入口から出る。
空はもう赤く染まり始めていた。
入口の小屋にいた係員がこちらを見る。
最初は普通だった。
次に、五人の服を見る。
埃。
傷。
背負っている大きな素材。
そしてエイルの腰にある、入った時にはなかった濃紺の鞘。
係員の表情が変わる。
「……浅層の依頼でしたよね?」
五人が止まった。
エイルが答える。
「そのはずだったんですけど」
ロディオが付け足す。
「ちょっと下に行きまして」
クラウスが言う。
「ちょっと、ではないと思います」
「俺たちも好きで行ったわけじゃないだろ」
メルディアが言った。
「床が開いたから」
係員が黙る。
ルシエラが困ったように笑った。
「説明すると、少し長いんです」
町へ戻る頃には、すっかり夕方になっていた。
冒険者ギルドへ入る。
受付の職員が顔を上げた。
「お帰りなさい。ダンジョンはいかが――」
そこで言葉が止まる。
職員の視線が、五人の荷物へ移った。
黒い外皮。
大きな牙。
爪。
布で包んだ巨大な魔石。
そして見慣れない剣。
「……何をしてきたんですか?」
エイルは仲間を見る。
ロディオを見る。
メルディアを見る。
クラウスを見る。
最後にルシエラを見る。
誰も、簡単に説明できそうな顔をしていなかった。
エイルは少し考えてから答えた。
「俺たちも、どこから説明すればいいのか分からなくて」
受付の職員は、もう一度大量の素材を見た。
「最初からお願いします」
エイルは小さく息を吐いた。
「長くなりますよ」