『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
ドルガでは、朝から町のあちこちで槌の音が響いていた。
崩れた家屋から使える木材が運び出され、通りを塞いでいた瓦礫が片づけられている。西側の城壁では足場が組まれ、見張り台の増設も始まっていた。
ガルベルトは城壁の上から、しばらくその様子を見ていた。
「西門の前、もう少し開けろ」
隣にいた副官が頷く。
「建物を撤去しますか?」
「使ってないのだけでいい。近づいてくる奴が見えれば十分だ」
「分かりました」
「石工は西壁を優先。北と南は傷んでるところだけ先に塞げ」
「東は?」
ガルベルトの視線が、町の反対側へ向いた。
そこには、まだ門と呼べるものがなかった。大きく抉れた城壁には撤去しきれていない瓦礫が残り、その前には仮の柵が組まれている。
ガルベルトは一瞬だけ見て、
「……仮柵でいい」
目を逸らした。
副官も東門跡を見る。
「ですが、あのままでは――」
「東から人間軍が来るのか?」
「いえ」
「なら後だ。先に西を固めろ」
「承知しました」
副官が階段を下りていく。
入れ替わるようにヴェルナーが上がってきた。
「順調ですか」
「見れば分かるだろ」
「ええ。思ったより早いですね」
ガルベルトがヴェルナーの手元を見ると、紙束を抱えていた。
「それ、まだやってるのか」
「まとめ終わりました」
ヴェルナーは一番上の紙を軽く叩いた。
「魔王様へ送ります」
「何か分かったか?」
「増えたのは、分からないことだけですね」
ガルベルトが鼻を鳴らした。
「役に立たんな」
「ガルベルト様も同じ場所にいましたが」
「俺は戦う方だ」
「知っています」
ヴェルナーは西側へ視線を移した。
訓練場として使われていた場所には、今日は荷車が何台も並んでいた。
資材が積み上げられ、兵士たちが忙しく行き来している。
「訓練は通常通りに戻します」
「そうしろ」
「巡回や演習で妙なことがあれば、記録だけこちらへ」
「それで拾えるのか?」
「起きれば」
ガルベルトは少し考えた。
「起きなかったら?」
「町が直ります」
「そっちの方がいいな」
「私もそう思います」
ヴェルナーが階段へ向かう。
ガルベルトはもう一度だけ東門跡へ目を向けた。
すぐに西へ向き直る。
「おい!」
下にいた兵士が顔を上げた。
「はい!」
「西の巡回、昨日より先まで見ろ。森際もだ」
「了解!」
ガルベルトも階段を下りていった。
◇
数日後、魔王都。
魔王城の一室で、グラディオはドルガから届いた報告書を読んでいた。
一通はガルベルトからで、占領後の町の状態や修復の進み、兵の配置、物資の残量がまとめられている。もう一通には、ヴェルナーの細かな記録が添えられていた。
グラディオは最後まで目を通すと、二通を机の上へ重ねた。
「入れ」
扉が開いた。
「失礼するわ」
入ってきた女は、そのまま迷いなく机まで歩いてきた。
短く切った赤い髪の間から、二本の黒い角が頭の左右から前方へ向かって緩く湾曲している。細身の身体を包む鎧もガルベルトのものとはまるで違い、黒を基調に赤と金の装飾が施されていた。胸や肩、腰の急所は守っているが、腕や脚の動きを妨げるような重い装甲はほとんどない。腰には細身の短剣が下がっている。
赤金の瞳がグラディオを見たあと、すぐに机の上へ移った。
「ドルガ?」
「ああ」
「二通?」
「ガルベルトとヴェルナーだ」
女――ミゼリアは机の端に手をついた。魔王軍四天王の一人で、水と風の魔法を操り、自分や周囲の動きを補助しながら戦うことを得意としている。
「見てもいい?」
グラディオが一通を差し出した。
ミゼリアは立ったまま読み始めた。最初の数枚は速かったが、途中で少し速度が落ちる。最後まで読み終えると、紙を戻した。
「駄目だったのね」
「何がだ」
「再現」
「らしいな」
ミゼリアはヴェルナーの報告をもう一度見る。
「人数を変えても、場所を変えても出ない」
グラディオは何も言わない。
ミゼリアが顔を上げた。
「ガルベルト、悔しがってる?」
「町を直す方が忙しい」
「あら」
少し笑う。
「ちゃんと直してるのね」
「自分で壊した分もある」
「それは働いてもらわないと」
グラディオが地図を広げた。
ミゼリアの表情が変わる。
先ほどまでの軽い笑みは残っているが、視線は地図へ落ちていた。
「それで?」
グラディオがドルガの西を指す。
「見てきてくれ」
「カレナ?」
「そこだけなら、ドルガの斥候でも見られる」
指先がさらに西へ動く。
ミゼリアもその先を見る。
「後ろまで?」
「ああ」
「兵?」
「人も物も」
ミゼリアの指が、カレナから西へ伸びる街道をなぞり、途中から北へ分かれる道で止まった。
「止まってる間に何をしてるか、ってことね」
グラディオが頷く。
「急がなくていい」
「範囲は?」
「お前が見て必要だと思うところまで」
ミゼリアが少しだけ眉を上げた。
「ずいぶん任せるのね」
「細かく決めるなら、お前を呼ぶ必要はない」
「それもそうね」
地図を見ながら考える。
「斥候はこっちで選んでいい?」
「ああ」
「足の遅いのは置いていくわよ」
「好きにしろ」
ミゼリアは北へ伸びる道を指先で軽く叩いた。
「こっちも見る」
「任せる」
「ガルベルトには?」
「伝えておく」
「なら、ドルガを通る時に顔くらい出そうかしら」
グラディオがミゼリアを見る。
「余計なことを吹き込むな」
「何を?」
「お前が今考えていることだ」
ミゼリアが笑った。
「何も考えてないわよ」
「ならいい」
「信用ないわね」
ミゼリアはヴェルナーの報告書へ目を移した。
「でも、これ」
指先で紙を軽く押さえる。
「面白いわ」
グラディオは黙っている。
「ガルベルトの魔法だけなら、まだ本人の問題で済んだでしょうけど」
「一般兵にも出ている」
「そう」
ミゼリアの赤金の目が細くなる。
「それなのに、今は出ない」
しばらく報告書を見ていた。
「私も何か見つけたら持って帰るわ」
「探しに行くな」
ミゼリアが顔を上げる。
「分かってる」
「お前の仕事は西を見ることだ」
「はいはい」
「ミゼリア」
「分かってるって」
彼女は地図から離れた。
「見て、覚えて、戻ってくる。それでいいんでしょう?」
「ああ」
扉へ向かう。
手を掛けたところで止まった。
「戦闘は?」
「避けられるなら避けろ」
「避けられなかったら?」
「任せる」
ミゼリアは振り返った。
「そっちは任せるのね」
「逃げ足は速いだろう」
一瞬、ミゼリアが目を丸くする。
それから笑った。
「よく分かってるじゃない」
扉が閉じた。
グラディオは地図へ視線を戻した。
しばらくして、机の端に置いていた別の書類を手に取った。
◇
カレナでは、町の外側に新しい土塁が増えていた。
以前はまとまっていた兵舎前の荷車も、今は何か所かに分けて置かれている。
街道沿いの見張りも増えた。
ロディオはギルドから出ると、向かいの通りを見た。
「また場所変わってる」
エイルも見る。
昨日まで空いていた場所に、小さな詰め所ができている。
「兵も散らしてるな」
メルディアが言った。
「一か所に集まってたら、またあれを撃たれた時にまとめてやられるもの」
ルシエラは東を見た。
城壁の向こうにドルガは見えない。
それでも、あの時の爆発はよく覚えている。
「来ないですね」
クラウスが答える。
「今のところは」
カレナに戻ってから、何日か経っていた。
その間、五人は周辺の依頼をいくつか受けた。魔物を討伐し、荷を護衛し、街道近くの見回りにも出た。
だが、東から魔王軍が来たという報告は一度もなかった。
王国軍がドルガへ向かったという話もない。
ある日の夕食後。
エイルが言った。
「明日、リゼルに戻ろうと思う」
ロディオがパンをちぎる手を止める。
「戻る?」
「ああ」
「ここ、離れていいの?」
ルシエラもエイルを見る。
エイルは少し考えてから答えた。
「すぐ戦いになるなら残るつもりだった」
クラウスが頷く。
「今は双方とも動いていませんからね」
「俺たち、兵士じゃないしな」
エイルは続ける。
「何かあれば戻ってくればいい」
メルディアが水を飲む。
「リゼルなら依頼もあるでしょ」
ロディオも頷いた。
「ここ最近、同じ辺りばっかり回ってたし」
ルシエラが聞く。
「リゼルに戻ってから、次を決めるんですか?」
「ああ」
エイルが答える。
「何かいい仕事があれば、それでもいい」
「分かりました」
ルシエラは少し嬉しそうに頷いた。
戦争が終わったわけではない。
それでも、明日すぐにまた誰かが戦うような様子でもなかった。
翌朝、五人はカレナを出た。
◇
リゼルへ戻り、冒険者ギルドへ入ると、ロディオが真っ先に掲示板へ向かった。
「変わってないなあ」
「何が?」
ルシエラが聞く。
「雰囲気」
カレナのギルドでは、ここしばらく魔王軍や街道警備の話ばかり聞いていた。
こちらにも戦争の影響は届いている。それでも掲示板には、討伐、護衛、採取、探索といった普段の依頼が並んでいた。
エイルは受付へ向かった。
「この辺で、しばらく腰を据えて戦える場所ってありますか?」
受付の女性が顔を上げる。
「討伐依頼ではなく?」
「何日か続けて入れるところがあれば」
「それなら」
女性は少し考え、横に置いてあった周辺図を広げた。
指がリゼルから北へ動く。
「リューベルは知っていますか?」
エイルが首を振る。
「名前だけ」
「ここから北にある町です」
ロディオたちも集まってくる。
「この近くにダンジョンがあります」
ロディオが地図を覗き込んだ。
「大きい?」
「浅いところだけなら、そこまでではありません」
「奥は?」
女性は少し笑った。
「奥まで行くような人には、わざわざ説明する必要もありませんよね」
ロディオがエイルを見る。
「強いって」
「そういう意味だろうな」
メルディアが聞く。
「今も冒険者は入ってる?」
「いますよ。リューベルのギルドで情報をまとめています」
「魔物は?」
「階層や場所で変わります。こちらにある情報より、現地で聞いた方がいいですね」
クラウスが地図を見る。
「補給もリューベルで?」
「その方が楽です」
ルシエラも横から地図を見る。
「ダンジョン……」
ロディオが笑う。
「前のところ以来だな」
エイルが五人を見る。
「どうする?」
メルディアはすぐ答えた。
「私はいい」
「僕も」
クラウスが続く。
ロディオはもうリューベルの位置を見ている。
ルシエラも頷いた。
「行ってみたいです」
「決まりだな」
エイルが受付へ向き直る。
「リューベルまでの道、教えてもらえますか」
「もちろんです」
女性が地図を引き寄せる。
五人はそのまま、道と途中で必要になる物を確認し始めた。
◇
魔王都の西門。
ミゼリアは集まった魔族たちを一度見渡した。
軽装の者ばかり。
斥候として動ける者を、自分で選んでいた。
「荷物、重くしてないでしょうね?」
一人が答える。
「必要分だけです」
「ならいいわ」
ミゼリアが髪をかき上げる。
黒い角の先が朝日に光った。
「遅れたら?」
別の兵が聞く。
ミゼリアは振り返る。
「待たない」
何人かが苦笑した。
「冗談よ」
少し間を置く。
「たぶん」
「ミゼリア様」
「出るわよ」
門を抜ける。
その足元を、一筋の風が走った。
彼女たちは西へ向かった。
同じ頃。
リゼルでは、五人の冒険者が北へ向かう準備をしていた。