『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
最初に戻ってきたのは、痛みだった。
「……っ」
ミゼリアが目を開ける。
空が見えた。
雲がゆっくり流れている。
身体を起こそうとした瞬間、肩と脇腹に鋭い痛みが走った。
「痛……」
左手を地面につく。
一度、力が抜けた。
少し待ってから、ゆっくり身体を起こす。
黒と赤の服は何か所も裂けていた。
腕には擦り傷。
脚にも血が滲んでいる。
背中も痛む。
右肩を動かすと、さらに強い痛みが走った。
「なに……これ……」
座ったまま、周囲を見る。
低い草。
疎らな木々。
遠くに続く丘。
見覚えがない。
「……ここ、どこ?」
しばらく景色を眺めた。
それから、途切れた記憶を辿る。
旧放牧地。
五人の冒険者。
《絶対防御領域》。
水刃と風刃を周囲へ並べた。
自分にも強化を重ねた。
最後に使ったのは――
《風走》。
そして。
ルシエラの胸元で、淡い緑色の石が光った。
その直後。
身体を叩き潰されたような衝撃。
そこから先の記憶がない。
ミゼリアは自分の腕を見る。
裂けた服の下にも傷がある。
もう一度、知らない景色を見る。
「……転移された?」
誰も答えない。
胸元の光。
直後の衝撃。
意識を取り戻した時には、知らない場所にいた。
しかも全身が傷だらけだ。
「攻撃も一緒……?」
ミゼリアの表情から、いつもの笑みが消えた。
少し黙る。
「あの聖女……危ないな」
その時、三人の顔が浮かんだ。
ミゼリアが立とうとする。
左脚に力をかけたところで、膝が揺れた。
「っ……」
それでも立ち上がる。
「三人……」
旧放牧地へ戻らなければならない。
◇
ミゼリアは風と水の魔法を最低限だけ使い、身体を支えながら進んだ。
《風走》は使わない。
今の身体では、普段の移動すら痛みが響く。
しばらく進む。
丘を一つ越えたところで、足が止まった。
「……あ」
見覚えのある地形だった。
遠くに街道が見える。
さらにその向こう。
リューベル周辺の地形を頭の中で重ねる。
方角が分かった。
ミゼリアは来た方向を振り返った。
しばらく考える。
「……二十キロくらい?」
正確な距離までは分からない。
それでも、旧放牧地からかなり離れている。
意識を失う前にいたのは、確かにあの場所だった。
それが、気づけばここまで離れていた。
「転移……だよね」
脇腹を押さえる。
そこにも強い痛みが残っている。
移動させられたうえに、身体にもこれだけの傷を負った。
ミゼリアの顔が険しくなる。
「あれ、まともに食らったらまずいな」
そして再び歩き始めた。
◇
その頃、旧放牧地では風が少しずつ収まっていた。
折れた柵と大きく抉れた地面。一方向へ倒れた草の中に、三人の魔族が倒れている。
ミゼリアの姿だけがなかった。
ロディオが少し離れたところまで見て回った。
戻ってくる。
「いない」
エイルが聞く。
「どこにも?」
「見える範囲には」
メルディアは、ミゼリアがいた場所から周囲へ視線を動かしていた。
「消えた」
「どこに行ったんでしょう……」
ルシエラが胸元へ手を置く。
《地護りのペンダント》。
淡い緑色の石は、もう光っていない。
「これ、さっき光ってましたよね」
「うん」
ロディオが答える。
「前にも光ってた。風とか衝撃が来た時」
「はい」
メルディアがペンダントを見る。
「関係は分からない」
ルシエラも小さく頷いた。
エイルは剣を下ろした。
その視線が、近くに倒れている一人へ向く。
数日前、ギルドで笑いながら話していた三人のうちの一人だった。
ロディオも同じ方を見る。
「……あの三人、普通に喋ってたんだよな」
エイルが答える。
「ああ」
「噂の話して」
「素材を買ってるって言われたな」
ロディオが少しだけ顔をしかめる。
「それは覚えてなくていい」
いつもなら、そこで誰かが笑っていた。
今回は誰も笑わなかった。
ルシエラが三人を見る。
「本当に……死んだんですか?」
クラウスは最初の男、次の男、最後の男と一人ずつ確認し、少しして立ち上がった。
「はい」
ルシエラは何も言わなかった。
ロディオも視線を外す。
ほんの少し前まで同じギルドにいて、人間の姿で普通に話し、笑っていた三人が、もう動かない。
エイルは自分の肩を押さえた。
浅い傷はすでにクラウスが治療している。
服だけが裂けたままだ。
「ミゼリアも、戻ってくるかもしれない」
クラウスが頷く。
「長くいるのは危険です」
「そうだな」
ロディオが右脚を確かめる。
傷は塞がっているが、動かした時に少し違和感が残っていた。
「次も同じことが起きるとは限らないし」
メルディアが抉れた地面を見る。
「何が起きたかも分かってない」
エイルが全員を見る。
「戻ろう」
誰も反対しなかった。
五人は現場の位置を確認する。
三人の遺体は、その場に残した。
歩き出す前に、ルシエラだけがもう一度振り返った。
白い粉で角を見つけた日のことを思い出す。
あの時は、逃げていく三人の背中を見ていた。
今は誰も動かない。
ルシエラは前を向いた。
五人はリューベルへ戻った。
◇
ギルドへ着いた頃には、かなり時間が経っていた。
受付にいた職員が五人を見るなり立ち上がった。
「戻られたんですね!」
すぐに奥の部屋へ案内された。
話を聞く職員は二人。
五人は、偽の人質と幻影、先日の三人、そして赤い髪と角を持つ女について順番に説明した。
「……ミゼリア?」
職員の一人が手を止める。
クラウスが頷いた。
「三人がそう呼んでいました」
「四天王のミゼリア……」
部屋の空気が変わった。
もう一人の職員がエイルを見る。
「そのミゼリアは?」
エイルたちは一度顔を見合わせた。
「分かりません」
「分からない?」
「戦っている途中で、突然いなくなりました」
ロディオが続ける。
「本気で攻撃してくるみたいな準備をしてたんです。水とか風とか、いっぱい出して」
「それから本人も、すごく速くなる魔法を使って」
「《風走》」
メルディアが補足した。
「本人は、普段の三倍くらいで動けると言ってた」
職員が記録する。
ロディオが続けた。
「それで突っ込んできたと思ったら、消えました」
「消えた……」
「はい」
エイルが言う。
「その直後、ものすごい衝撃が来ました」
「三人の魔族は?」
「それで、ほとんど動けなくなりました」
エイルの声が少し止まる。
「その場で倒しました」
職員の手が止まった。
「三人とも?」
「はい」
しばらく紙へ視線を落としていた職員が、もう一度五人を見る。
「それで……どうやって四天王から逃げたんですか?」
誰もすぐには答えなかった。
ロディオが椅子の背へ少し寄りかかる。
「それが分かれば、こっちも知りたいです」
「勝った、ということでは?」
エイルが首を振る。
「全然」
メルディアも答える。
「攻撃はほとんど当たってない」
「ほとんど?」
ロディオがそちらを見る。
「一発もじゃない?」
メルディアが少し考える。
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「確認する余裕なかった」
エイルが苦笑した。
「俺は一回も当てられてないです」
職員は黙って記録へ書き込む。
クラウスが続けた。
「こちらは何度も攻撃されています。《絶対防御領域》がなければ、かなり危険でした」
職員がルシエラを見る。
ルシエラは膝の上で手を重ねていた。
「私も、何が起きたのかは分かりません」
「ミゼリアが消えた原因も?」
「はい」
「その直前、何か変わったことは?」
ルシエラは少し考える。
「ペンダントが光りました」
「ペンダント?」
淡い緑色の石を見せる。
「強い風とか衝撃が来た時に光るものです。前にも光ったことがあります」
メルディアが言う。
「関係があるかは分からない」
職員はそれも記録した。
「現場は?」
「そのままです。遺体もあります」
二人の職員が顔を見合わせる。
「すぐに調査隊を出します」
その言葉を聞いて、エイルたちはようやく席を立った。
◇
宿へ戻り、部屋へ入った瞬間、ロディオが椅子へ沈み込んだ。
「疲れた……」
エイルもベッドの端へ座る。
誰もすぐには次の話をしなかった。
クラウスが荷物を置く。
「エイル、肩をもう一度見せてください」
「もう痛くないよ」
「見せてください」
「はい」
エイルは素直に上着を脱いだ。
肩の傷は塞がっている。
代わりに、服には短剣で裂かれた跡が残っていた。
エイルがそこをつまむ。
「これ、直るかな」
ロディオが自分の右脚を見る。
「俺のも破れてる」
「そっちは服より脚だろ」
「脚は治ってきてる。服は勝手に治らない」
クラウスがロディオを見る。
「次はあなたです」
「もう見たじゃん」
「さっき歩いている時、少し庇っていました」
ロディオが黙る。
エイルが笑う。
「見られてるぞ」
「……はい」
ロディオが椅子へ座り直す。
クラウスが傷の具合を確認している横で、メルディアは杖を壁へ立てかけた。
ルシエラは首から《地護りのペンダント》を外す。
机の上へ置く。
淡い緑色の石は、いつも通りだった。
ロディオが裂けた服をもう一度見る。
「でも俺、あれだけ飛ばされてこれで済んだんだな」
エイルが聞く。
「投げられた時?」
「そう。あいつ、俺を投げてからもう俺のこと見てなかっただろ」
メルディアが答えた。
「見てなかった」
「だよな」
ロディオが少し笑う。
「結構ひどくない?」
「私も目の前まで来られた」
「ああ。『遅い』って言われてたな」
メルディアがロディオを見る。
「聞こえてた?」
「聞こえてた」
「助けて」
「その前に俺が投げられてたんだよ」
エイルが吹き出した。
ルシエラも少し笑った。
その笑いが残っているうちに、メルディアが言った。
「でも、あの時まだ本気じゃなかった」
ロディオの笑いが止まった。
エイルも黙る。
「……あれだけやられて?」
誰も答えない。
今までのは試しだったから。
最後にミゼリアが笑いながら言った言葉を、全員が覚えていた。
ロディオが椅子へ深く座り直す。
ルシエラが自分の手首へ触れた。
エイルがそれに気づく。
「まだ痛い?」
「痛くはないです」
少し間を置く。
「でも、掴まれた時は……びっくりしました」
「俺、止められると思ったんだけどな」
エイルが自分の手を見る。
「普通に引っ張られた」
ロディオも言う。
「三人で押さえて、やっとだったし」
また静かになった。
最後に見たのは、周囲を埋める水と風の刃。
その正面にいたミゼリア。
ロディオが小さく息を吐いた。
「……よく生きてるな、俺たち」
エイルが顔を上げた。
ロディオ。
メルディア。
クラウス。
ルシエラ。
全員いる。
「本当だな」
ルシエラが四人を見て、ようやく表情を緩めた。
「はい」
ロディオが少しして笑った。
今度の笑いは、さっきまでとは違っていた。
「四天王まで出てきて、五人とも帰ってきたんだぞ」
「三人も倒した」
メルディアが言う。
ロディオがそちらを見る。
「そう。それ」
エイルも笑う。
「じゃあ、勝ったってことでいいのか?」
メルディアは少し考えた。
「結果だけなら」
「今日はそれでいいだろ」
「うん」
ロディオが背もたれへ倒れ込む。
「……なんか急に嬉しくなってきた」
クラウスが治療を終えて手を離した。
「では、その嬉しい気分のまま今日は大人しくしてください」
「そこは一緒に喜ぶところじゃない?」
「喜んでいますよ」
「全然そう見えない」
「あなたが動くと傷が開きそうなので」
「そっちが先かよ」
エイルが笑った。
しばらくして、ロディオが何か思いついたように顔を上げる。
「そういえば」
「何?」
「あいつら倒したなら、レベル上がってない?」
メルディアも少し反応する。
「最近見てなかった」
「俺も」
ロディオが自分の状態を開く。
そして、動きが止まった。
「……四十三?」
エイルが顔を向ける。
「え?」
「俺、四十三になってる」
「三十六だったよな?」
「ああ」
ロディオが指を折る。
「……七つ?」
「そんなに上がったんだ」
エイルも驚いていた。
今日戦った三人の魔族は強かった。
それでも、一度に七つというのは予想していなかった。
ロディオが表示を眺めていると、別の項目が目に入った。
「あれ?」
「今度は何?」
「上級職への転職条件を満たしました、だって」
エイルが顔を上げる。
「上級職?」
「うん。そう書いてある」
メルディアが言った。
「私たちも条件を満たしてるかもしれない」
「そうだな。今までは同じくらいのレベルだったし」
エイルも頷く。
クラウスが少し考えてから言った。
「転職するなら、神殿で確認するのがよさそうですね」
「そういえば、ルシエラはどうなるんだ?」
エイルが聞く。
ルシエラは少し考えた。
「私は最初から《光と闇の聖女》ですから……どうなんでしょう?」
「特殊職だから、四人とは違うと思う」
メルディアが答えた。
ロディオが言う。
「まあ、ルシエラは最初から変なのだし」
ルシエラがすぐに見る。
「変なのって言わないでください」
「職業の話」
「分かってます」
「ならいいだろ」
「よくないです」
エイルが笑う。
「光と闇の聖女って、最初からかなり珍しかったしな」
「珍しいと変は違います」
「そこは大事なんだ」
「大事です」
クラウスも笑った。
「それなら、一度ベルハルトへ戻ることになりますね」
ロディオが表示を閉じる。
「じゃあ、ベルハルト戻る?」
メルディアが答える。
「ここで予定してた探索はかなり進んだ」
「魔族にも見つかったしな」
エイルが言う。
ルシエラが少し考える。
「ギルドの調査結果は聞いてからにしたいです」
クラウスも頷いた。
「僕もその方がいいと思います」
ロディオが伸びをしようとして、途中で止まった。
クラウスが見ていた。
「……何もしてない」
「そうですね」
ロディオはそのまま腕を下ろした。
エイルが笑う。
「じゃあ、それ聞いたら帰るか」
「うん」
メルディアが答える。
ルシエラも頷いた。
「久しぶりですね。ベルハルト」
◇
日が傾き始めた頃。
ミゼリアはようやく旧放牧地へ戻った。
足取りは遅い。
身体を支える魔法を使っていても、傷は消えない。
最初に見えたのは、折れた柵だった。
その先には抉れた地面があり、広い範囲で草が倒れている。
ミゼリアが足を止める。
「……ひどいな」
さらに進む。
そして。
三人を見つけた。
ミゼリアは、その場で止まった。
すぐには近づかなかった。
やがて一人目の前へしゃがむ。
隊長。
身体には、強い衝撃を受けた跡が残っている。
それとは別に、大きな剣傷。
二人目。
双短剣を使っていた男。
こちらも全身に強い打撲。
脚の損傷が大きい。
最後に受けた傷は短剣によるもの。
三人目。
少し離れた場所に杖が落ちている。
近くには、壊れた魔法障壁の痕跡が残っていた。
最後に受けたのは炎。
ミゼリアは立ち上がる。
三人を順番に見る。
自分が意識を失い、あの大きな衝撃を受けたあとも三人は生きていて、それでも五人と戦った。
そして。
「……負けたんだ」
返事はない。
ミゼリアは周囲を見る。
聖女たちがいた辺りは、他の場所に比べて損傷が少ない。
《絶対防御領域》。
その周囲には大きな衝撃の跡が残っている。
ミゼリアは脇腹を押さえた。
自分の傷。
三人の傷。
そして、最後に見た緑色の光。
「あの首飾り……」
もう少し調べようと歩き出す。
その時。
遠くから音が聞こえた。
馬。
一頭ではない。
人の声も混じっている。
ミゼリアが顔を上げる。
リューベルの方角。
「……もう来たか」
しばらく耳を澄ます。
近づいてくる。
今の身体で人間側の調査隊と鉢合わせするのは避けたい。
ミゼリアは三人を見る。
本当なら、戦場をもっと調べたい。
衝撃の中心。
魔力の残り方。
聖女たちの立っていた位置。
確認したいことはいくらでもある。
馬の音がさらに近づく。
「仕方ないか」
最後に、ルシエラが立っていた場所を見る。
思い出す。
淡い緑色の光。
「あの聖女……やっぱり危ないね」
ミゼリアは三人に背を向けた。
傷ついた身体へ最低限の風をまとわせる。
そして、人間たちが姿を見せる前に草原を離れた。
◇
しばらくして。
リューベルのギルドから派遣された調査隊が旧放牧地へ入った。
先頭の男が馬を止める。
誰もすぐには声を出さなかった。
折れた柵、抉れた地面、一方向へ大きく倒れた草、水と風で切り裂かれた跡。その中に、三人の魔族の遺体が残されていた。
「……ここで、何があったんだ」
答えられる者は、もうそこにはいなかった。