『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
「そういえば、先ほどグランさんと戦ったことがあるとおっしゃっていましたね」
女性が穏やかな声で尋ねた。
「ええ。仲間になる前のことですけど」
エイルが答えると、女性はグランの大きな身体へ顔を向けた。
「これほど大きな相手と戦って、皆さん無事だったんですか?」
「無事というか……結構大変でしたね」
エイルは苦笑した。あの時、グランがメルディアの言葉を聞き入れてくれなかったら、どうなっていたか分からない。
「口から光線まで撃ってきましたからね。あれには驚きました」
ロディオが言うと、女性は少し首を傾げた。
「光線、ですか。それは恐ろしいですね。どうやって防いだんです?」
「それは、まあ……みんなで何とか」
ロディオが曖昧に答える。
「ええ。仲間のおかげです」
エイルもそれに合わせた。女性は二人の返答を聞き、それ以上は追及しなかった。
「そうでしたか。皆さん、ずいぶん信頼し合っていらっしゃるんですね」
「付き合いも長いですから」
「ふふ。羨ましいですね」
女性は微笑んだ。それから、ごく自然な調子でルシエラへ話を振った。
「ルシエラさんは、どんなことが得意なんですか?」
「私ですか?」
ルシエラは少し考える。
「回復魔法が得意です。あとは、みんなを守る魔法も使います」
「そうなんですね。五人で冒険するなら、そういう方がいると安心できますね」
「はい。みんなが怪我をした時に、少しでも役に立てたらと思って」
「……守る魔法も、お得意なんですか?」
「えっと――」
ルシエラが答えようとしたところで、エイルが会話に加わった。
「うちはそれぞれ得意なことが違うんです。前に出る奴もいれば、後ろから支える奴もいる。そうやって何とかやってます」
「なるほど。よく考えられたパーティーですね」
女性はすんなりと頷いた。その受け答えは自然だったが、エイルには少し気になることがあった。女性は最初、遺跡やグランについて聞いていたはずなのに、いつの間にか五人の能力について質問するようになっている。
ただ、向こうも冒険者の話に興味を持っただけかもしれない。初対面の相手が何かを尋ねてくること自体は、不思議でも何でもなかった。
◇
「おい、ちょっと見てくれ」
そんな会話をしていると、男が突然声を上げた。視線の先では、グランが大きな掌に載せた荷物を持ち直していた。
「どうかしました?」
メルディアが尋ねる。
「あいつ、荷物を持ち直す時に、身体の軸がほとんどぶれなかったな」
「え?」
「普通、あれだけ大きな身体で腕を動かせば、重心も大きく動く。だが、あいつは腰と足を先に使って、きれいに釣り合いを取っている」
男はグランを見上げたまま続けた。
「それに、さっきから立っている時の足の置き方もいい。あの巨体で、あれだけ素早く動けるなら厄介だぞ」
メルディアは少し驚いた。グランの動きが以前より滑らかになっていることには気づいていたが、そんなところまで見ていたわけではない。
「よく分かりますね」
「まあな。大きい相手と戦う時は、足を見るのが一番手っ取り早い」
「足、ですか?」
「ああ。腕がどれほど強くても、身体を支えられなければまともに攻撃できん。逆に足運びがしっかりしている奴は、見た目以上に速く動く」
ロディオが感心したように頷いた。
「へえ……お兄さん、本当に戦いには詳しいんですね」
「当然だろう。そこは俺の専門だ」
男は少し得意そうだった。
「だったら、グラン相手にはどう戦うんです?」
ロディオが尋ねると、男は一度グランの全身を眺めてから答えた。
「まず正面から仕掛けて反応を見る。あの腕の長さなら間合いは広いが、懐に入れれば話は別だ」
「でも、足も大きいですよ?」
「だから無闇に近づかん。相手が動いた瞬間に踏み込む。身体の大きさを利用してくるなら、こちらもそれを利用するまでだ」
男の答えには迷いがなかった。ロディオは少し考え込む。これまでの会話では、とにかく戦うことが好きな変わり者という印象だった。しかし、今の話は実にまともだった。むしろ、相当に実戦を経験していなければ、こんな答えは出てこないだろう。
「……お兄さん、どこかの有名な冒険者だったりします?」
「いや、俺は――」
「以前、護衛の仕事などもしていたんです」
女性が答えた。男は少し口を閉じた。
「……ああ。まあ、そんなところだ」
ロディオは思わず苦笑する。やはり、そこは女性が答えるらしい。しかし、今度は少し違った印象を持った。この男は、会話が下手なだけで、戦うことに関しては本物なのかもしれない。
◇
「それにしても、惜しいな」
男が呟いた。
「何がですか?」
メルディアが尋ねる。
「これだけの相手を前にして、強さを確かめられんことだ」
男はグランを眺め、腕を組んだ。
「一度手合わせしてみたいものだ」
「またその話ですか?」
ロディオが笑う。しかし、男は今度は笑わなかった。
「ああ。本気で言っている」
メルディアは少し困った顔になった。
「でも、グランはまだ怪我が治りきっていませんし、わざわざ戦わせたくないです」
「そうなのか?」
「はい。前より元気にはなっていますけど、まだ治療している途中なので」
「ふむ……」
男はグランをもう一度見上げた。確かに、身体の何か所かには傷の痕が残っていた。だが、動きに大きな支障があるようには見えない。むしろ、この状態であれだけ安定して動けることに、ますます興味を引かれた。
「なら、一撃だけでいい」
「え?」
「ちょっと力を確かめるだけだ。大怪我をさせるつもりはない」
メルディアは首を横に振った。
「いえ、やっぱりやめておきます。グランも戦いたがっているわけじゃないですから」
「そうか……」
男は残念そうだった。女性はほっとしたように口を開いた。
「そうですよ。せっかく仲良くなったのですから、無理に戦う必要はありません」
「まあ、そうだな」
「それに、私たちは調査の途中でしょう?」
「分かっている」
男は素直に頷いた。ロディオはその様子を見て、少し安心した。さすがに無理やり戦おうとはしないらしい。しかし、その安心は長く続かなかった。
「……一撃くらいなら、問題なかろう」
男が小さく呟いた。
「え?」
ロディオが聞き返す。男はグランを見上げた。
「本当に一撃だけだ。強さが分かれば、それでいい」
「いや、だから――」
「おい、お前さん」
男がグランへ声を掛ける。
「少しだけ、俺の相手をしてみんか?」
グランは反応しなかった。ただ、メルディアのそばに立ったまま、男を見下ろしている。
「ほう。誘いには乗らんか」
「そりゃそうですよ。グランはそういうの、よく分からないと思いますし」
ロディオが答える。
「なるほど。なら、こちらから動いてみるか」
「……はい?」
次の瞬間、男の身体が沈んだ。
◇
最初に反応したのはエイルだった。
「待て!」
男が地面を蹴る。その動きは、それまでののんびりした態度からは想像できないほど速かった。一瞬でグランとの距離が縮まる。
「あなた、何を――!」
女性の声が上がった時には、男はすでに巨人の間合いへ踏み込んでいた。振り抜かれた拳が、グランの胴へ向かう。しかし、グランも棒立ちのままではなかった。迫る男に反応し、巨大な腕を動かす。
「グラン!」
メルディアが叫んだ。巨人の拳と、男の拳がぶつかった。轟音。足元の地面が大きく揺れ、周囲の岩が跳ね上がった。
「うわっ!」
ロディオが咄嗟に身を低くする。エイルはルシエラの前に出て、飛んできた小石を盾で受け止めた。衝撃が収まった時、男は数歩後ろへ下がっていた。グランも大きな腕を引き、男を見下ろしている。
二人の拳がぶつかった場所では、地面に亀裂が走っていた。
「……嘘だろ」
ロディオが呟いた。目の前で起こったことが、すぐには信じられなかった。あのグランの拳を、人間が真正面から受け止めたのだ。しかも、男は倒れるどころか、両足でしっかり立っていた。
「……ほう」
男は自分の拳を見た。それから、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「いいな」
声が弾んでいた。
「思った以上だ!」
「いやいやいや! 何やってるんですか、あんた!」
ロディオが叫んだ。男は不思議そうに顔を向ける。
「何って、一撃だけ試したんだが」
「一撃だけならいいって話じゃないでしょう!」
「ちゃんと一撃で止めたぞ?」
「そういう問題じゃない!」
ロディオは頭を抱えた。この人、本当に何を考えているんだ。メルディアはすぐにグランの方へ駆け寄ろうとしたが、エイルが腕を伸ばして止めた。
「待て、まだ近づくな」
「でも、グランが!」
「分かってる。まず相手の様子を見よう」
男はまだ戦う気を失っていない。それどころか、先ほどより明らかに楽しそうだった。グランも男から視線を外さず、いつでも腕を振るえるように構えている。メルディアは声を張り上げた。
「グラン! 今は動かないで!」
グランの腕が止まる。しかし、男が再び踏み込めば、どう反応するか分からない。
「……こりゃ、なかなかの相手だな」
男は感心したように頷いていた。
「手加減していたとはいえ、あれだけ受け止めるとは。しかも、まだ身体が万全じゃないんだろう?」
「だから戦わせたくないって言ったじゃないですか!」
メルディアが怒った。男は少し驚いたように彼女を見た。
「ああ、そうだったな」
「そうだったな、じゃないですよ!」
「悪かった。だが――」
男は再びグランを見上げた。
「ここまでの相手とは、そうそう出会えん」
その顔には、もはや先ほどまでの旅人らしい気安さはなかった。強敵を前にした戦士の、隠しようもない高揚が浮かんでいた。
◇
「あなた!」
女性が男のそばへ歩み寄った。
「何を考えているんですか! 戦わないと約束したでしょう?」
「一撃だけだと言ったぞ」
「その一撃をやめてくださいとお願いしたんです!」
「……そうだったか?」
「そうです!」
珍しく女性の声が強くなった。ロディオは思わず頷いた。
「そうですよね! お姉さん、もっと言ってください!」
「あなたも少し黙っていてください!」
「……はい」
思わぬ勢いに、ロディオまで口を閉じた。女性は小さく息を整えると、再び男へ向き直った。
「私たちは調査に来ているんですよ。こんなところで騒ぎを起こして、どうするんですか?」
「分かっている。だが、あいつはただの大きな魔物じゃない。あの身体の動きも、今の拳も、普通ではないぞ」
「それは分かりました。だからこそ、危険でしょう?」
「だから確かめる価値がある」
「……まったく、あなたという人は」
女性は額に手を当てた。男は悪びれた様子もなく続ける。
「それに、ここまで強い相手なら、こちらも少し本気を出さねば失礼だろう」
「……え?」
女性の声が止まった。
「待ってください。今、何と?」
「本気を出すと言ったんだ」
「出さなくて結構です!」
しかし、男はすでに自分の考えを決めているようだった。グランの前へ進み出る。
「お前さん、なかなかやるな。久しぶりに楽しめそうだ」
男は肩を回し、軽く首を鳴らした。
「……さて、いつまでもこんな格好をしていても仕方あるまい」
「あなた、まさか――」
女性が止めようとした。だが、それより早く男は口を開いた。
「《幻装》、解除」
その瞬間、男の姿を覆っていた偽りの外見が揺らいだ。輪郭が一瞬ぼやけ、まとっていた旅人の姿が薄れていく。
そして、そこに現れたのは、先ほどまでとはまるで違う姿だった。黒い短髪。上方へ伸びる二本の黒い角。筋肉質な身体を覆う鎧は最小限で、その姿は、鍛え上げられた肉体そのものを武器にしているかのようだった。
「……え?」
メルディアが言葉を失った。ロディオも目を見開いている。
「……角?」
エイルはすぐに盾を構え直した。
「全員、下がれ!」
その声に、クラウスがルシエラとメルディアの前へ出る。男はそんな五人を見ても、特に気にした様子はなかった。むしろ、ようやく窮屈なものを脱いだように、気持ちよさそうに肩を動かしている。
「やはり、こっちの方が落ち着くな」
「……どうして今、解除するんですか?」
女性が低い声で尋ねた。
「どうしてって、もう隠す必要もなかろう」
「あります! 大いにあります!」
「だが、ここまでの相手と戦える機会を逃すのは惜しい」
「ですから、その戦い自体をやめてくださいと言っているんです!」
男は少し考えた。
「……しかし、もう始まってしまったぞ?」
女性はしばらく何も言わなかった。ロディオは思わず彼女を見た。これまでずっと穏やかに笑っていた女性が、今は本当に困り果てているように見えた。しかし、もはや同情している場合ではなかった。二本の角。偽装を解いた姿。
そして、あれほどの力。
「……魔族、なのか?」
エイルが低く呟いた。女性はその言葉を聞き、静かに息をついた。
「……本当に、困った人ですね」
そう言うと、彼女もまた、自分に掛けていた術を解いた。
「《幻装》、解除」
女性の外見が揺らぎ、旅装の偽りが消えていく。長い金髪に、黒と白、深紅を基調としたローブ。
そして、額から上方へ伸びる一本の角。彼女は目を閉じたまま、静かに杖を持ち直した。
「……お姉さんまで?」
メルディアが呟く。ロディオは半ば呆然としていた。あれだけ会話をしていた二人が、二人とも魔族だった。それも、ただの魔族ではない。少なくとも、目の前の男がとんでもない実力を持っていることは、先ほどの一撃で嫌というほど分かっていた。
「……おいおい、冗談だろ」
ロディオが小さく息を吐く。エイルは盾を前に出し、二人から目を離さなかった。
「ルシエラ、準備を。クラウスも頼む」
「うん!」
「分かりました」
ルシエラは仲間を守るため、防御魔法の詠唱を始める。メルディアはグランのそばへ寄りたい気持ちを抑えながら、男の動きを見つめていた。男は楽しそうに笑っていた。
「ああ、ようやく面白くなってきた!」
その声には、先ほどまでの軽い調子とは違う迫力があった。女性はそんな男の隣で、小さく息をつく。
「……本当に、どうしてこうなるんでしょう」
誰にともなく呟いたその言葉に、答える者はいなかった。グランがゆっくりと腕を持ち上げる。男もまた、巨人へ向き直った。先ほどまで山道で笑い合っていた二組の旅人は、今や互いに武器を向け合う相手となっていた。
そして五人は、まだ知らなかった。目の前の二人が、ただの魔族ではないということを。