『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
第46話 帰り道
山肌のどこかで、石が転がる音がした。
エイルは顔を上げ、周囲を見回した。
先ほどまで山道だった場所には巨大な岩が転がり、地面には深い亀裂が走っている。少し離れた斜面は黒く焼け焦げ、木々もほとんど残っていなかった。
あれほど激しい戦いだったのだから、無事で済むとは思っていなかった。
それでも、改めて周囲を見渡すと、よく自分たちが生き残れたものだと思う。
「……これ、帰れるのか?」
隣でロディオが呟いた。
エイルも、来た道があったはずの方向を見た。
大きく崩れた岩盤が、道を塞いでいる。
「……どうだろうな」
「いや、そこはもうちょっと頼もしいこと言ってくれよ」
「お前が聞いたんだろ」
「そうだけどさ」
ロディオは頭を掻いた。
「まあ、下りる方向は分かる。少し調べてくるわ」
「一人で大丈夫か?」
「近くを見るだけだよ。まだ崩れそうな場所もあるし、先に通れるか確かめないとな」
ロディオはそう言って、足場を確かめながら岩場へ歩いていった。
エイルはその背中を見送ってから、仲間たちへ目を向けた。
クラウスとルシエラは、グランのそばにいた。
メルディアはその足元に座り、大きな手に触れている。
戦いが終わってから、ほとんど動いていなかった。
エイルは少し迷ったが、メルディアの隣まで歩いていった。
「メルディア」
「……うん」
「ロディオが帰り道を探してくれてる。道が見つかったら、ここを離れようと思う」
メルディアはグランを見上げたまま、小さく頷いた。
しばらくして、ぽつりと言った。
「……グラン、連れて帰れないかな」
エイルは返事に詰まった。
目の前に横たわる身体は、あまりにも大きい。
戦闘で損傷しているうえに、ここへ来るまでの山道もほとんど崩れてしまっている。
自分たちだけで運ぶのは、まず無理だろう。
「……難しいと思う」
メルディアは何も言わなかった。
「道もこんな状態だし、グランを運べる場所があるかも分からない」
「……そっか」
メルディアはグランの手から、ゆっくりと自分の手を離した。
「そうだよね」
エイルも、その場にしゃがんだ。
何か言ってやりたかったが、うまく言葉が出てこなかった。
グランを連れて帰れない。
メルディアも、それは分かっていたのだろう。
それでも、ここに置いていくと決めることは、簡単ではない。
しばらくすると、メルディアが立ち上がった。
周囲を見回し、少し離れた場所に転がっていた平たい岩へ歩いていく。
「……メルディア?」
「これ、動かせるかな」
岩に両手を掛け、力を込める。
かなりの大きさだったが、少しずつ地面の上を動いた。
エイルも立ち上がった。
「何に使うんだ?」
「……グランのところに置きたい」
メルディアは岩を見つめた。
「ちゃんと埋めるのは無理だけど……お墓くらい、作ってあげたい」
エイルはグランの方へ目を向けた。
それから、岩の反対側へ回る。
「分かった。こっち持つよ」
二人で岩を持ち上げた。
◇
グランの身体はあまりに大きく、普通の人間のように埋葬することはできなかった。
周囲の地面も崩れている。無理に穴を掘れば、さらに岩盤が崩れるかもしれない。
そこで、近くに転がっている岩を利用し、グランの周囲を整えることにした。
メルディアが置く場所を決め、エイルが石を運ぶ。
大きな岩をいくつか並べたところで、上に積んだ石がぐらりと動いた。
「あ、危ないな」
エイルが慌てて支える。
「これ、下の方を固めた方がいいか」
メルディアは岩の積み方を確認した。
「……うん。こっちの小さい石、間に入れてみよう」
二人が石を動かし直していると、クラウスも作業に加わった。
ルシエラは近くで拾った小石を運び、積み上げた岩の隙間へ置いていく。
しばらくすると、崩れていた岩の一部が、少しずつ整った形になっていった。
もっとも、グランの身体をすべて覆うには、まだまだ石が足りない。
エイルが少し離れた場所の岩を見ていると、メルディアが声を掛けた。
「そこは、もういいよ」
「え?」
「……あんまり遠くまで取りに行くと、危ないから」
エイルは周囲の斜面を見た。
確かに、あちこちに亀裂が走っている。まだ崩れる可能性もあった。
「そうだな。今あるもので何とかしよう」
メルディアは頷き、手元の石を一つ置いた。
少しすると、ロディオが戻ってきた。
「おーい、道なんだけど――」
四人がグランの周囲に石を積んでいるのを見て、言葉を止める。
「……墓、作ってんのか」
「ああ」
エイルが答えた。
ロディオはグランと積まれた岩を見比べ、それから近くに落ちていた大きな石を拾った。
「これ、どこに置けばいい?」
メルディアが顔を上げる。
「……そっち。エイルの隣」
「了解」
言われた場所へ石を運ぶと、ロディオはもう一度周囲を見回した。
「ただ、あっちの斜面には近づかない方がいいぞ。さっき見た時、まだ岩が動いてた」
「分かった。こっちにある石だけ使うよ」
エイルが答えた。
ロディオはそのまま作業を続け、道の話は後回しになった。
五人で岩を運び、積み直す。
グランの身体を完全に覆うことはできなかったが、周囲を囲むように石が積まれ、簡素ながら墓と分かる形になっていった。
やがて、メルディアが手を止めた。
「……これくらいかな」
エイルも周囲を見た。
「そうだな。あとは墓標か」
最初に運んだ平たい岩を、グランの傍らに立てることにした。
エイルとロディオが岩を起こし、クラウスが足元へ石を詰める。
メルディアは少し離れた場所から位置を確かめていた。
「……もう少し右」
「これくらい?」
「うん、そこ」
岩が動かなくなったのを確認して、エイルたちは手を離した。
メルディアは墓標の前へ歩いていった。
しばらく表面を見つめてから、近くに落ちていた尖った石片を拾う。
そして、岩に文字を刻み始めた。
最初はほとんど傷がつかなかった。
何度も同じところをなぞり、少しずつ線を深くしていく。
一文字目を書き終え、二文字目に取り掛かる。
途中で手を止め、削った部分を指でなぞった。
そして、また石片を動かした。
最後の文字を刻み終えるまで、誰も声を掛けなかった。
グラン。
少し不揃いだったが、ちゃんと名前が読めた。
「……できた」
メルディアは石片を置き、一歩下がった。
エイルたちも墓標へ目を向ける。
たった三文字だった。
それでも、グランの名前が刻まれたことで、そこは確かに彼の墓になった。
メルディアは、もう一度墓標の前に立った。
「……グラン」
名前を呼ぶ。
返事はない。
分かっていたはずなのに、少しだけ待ってしまった。
メルディアは墓標に手を置いた。
「……ありがとう」
それから、少し間を置いて続けた。
「一緒に来てくれて」
ルシエラも隣に立ったが、何も言わなかった。
クラウスは静かに目を閉じ、エイルとロディオもその場で頭を下げた。
山肌を吹き抜ける風が、積んだ岩の間を通り抜けていく。
しばらくして、メルディアが手を離した。
「……もう、行こう」
エイルが頷く。
「ああ」
メルディアは墓標をもう一度見た。
そして、自分から歩き出した。
◇
出発する前に、グランが運んでいた荷物を回収しなければならなかった。
五人は周囲に残っている袋や道具を集め、使えるものを確認した。
岩に押し潰されてしまったものもあったが、幸い、必要な道具の多くは残っていた。
「……結構あるな」
ロディオが荷物を並べながら言った。
「これ、全部あいつが持ってたのか」
エイルも、集まった荷物を見た。
グランが一緒に歩いていた間は、荷物の重さをほとんど気にする必要がなかった。
そのありがたさを、今になって感じる。
「全部は持てないだろうし、必要なものから分けよう」
「だな。帰り道もあの有様だし」
五人は食料や水、探索に必要な道具などを手分けして持つことにした。
メルディアも袋を一つ肩へ掛けた。
それまでグランが運んでくれていたものだった。
準備を終えると、ロディオが地図を取り出した。
「それじゃ、帰るか」
「道は見つかったのか?」
エイルが尋ねる。
「一応な。元の道は潰れてるけど、少し下ったところに通れそうな尾根があった」
ロディオは地図の上で指を動かした。
「そこから回り込めば、下へ抜けられると思う」
「思う、か」
「仕方ねえだろ。地形が変わりすぎて、地図と全然合ってないんだから」
「まあ、それもそうだな」
エイルは苦笑した。
今の状況では、ロディオの判断を頼りに進むしかない。
「じゃあ、先導を頼む」
「任せとけ。危なそうな場所は避けていくからな」
ロディオは地図を畳み、歩き出した。
エイルたちも荷物を背負い、その後へ続く。
少し進んだところで、メルディアが足を止めた。
振り返ると、グランの墓が見えた。
崩れた岩に囲まれた場所に、小さな墓標が立っている。
メルディアはしばらくそれを見つめていたが、やがて前を向いた。
ルシエラが少し先で待っていた。
「……行こう」
メルディアが言うと、ルシエラは頷いた。
二人は並んで歩き始めた。
◇
元の山道が失われていたため、下山は思うように進まなかった。
遠くから見ると通れそうな場所でも、近づけば地面に大きな亀裂が走っていることがある。
何とか通れる場所を見つけても、その先が崩れていることもあった。
ロディオはそのたびに足を止め、周囲を確かめながら別の経路を探した。
しばらく進んだところで、一行は大きく崩れた斜面に行き当たった。
「……こりゃ駄目だな」
ロディオが下を覗き込んだ。
目の前の岩場は途中で途切れ、その先が急な崖になっている。
エイルも隣から覗いた。
「戻るしかないか」
「だな。あっち側へ回り込めば、下りられるかもしれない」
「さっき通り過ぎた岩場か?」
「ああ。少し遠回りになるけど」
ロディオは地図を広げ直した。
「まったく、ここまで山が壊れるとはな」
「地図を作った人も、こんなことになるとは思わなかっただろうな」
エイルが言うと、ロディオは肩をすくめた。
「そりゃそうだろ。山が丸ごと壊れる前提で地図なんて作るかよ」
二人は来た道を少し戻り、別の斜面へ向かった。
その後ろを、クラウスたちが続く。
足場を確かめながら歩いているうちに、メルディアは背負っていた袋が少しずり落ちていることに気づいた。
肩紐を直そうとすると、隣を歩いていたルシエラが声を掛けた。
「持とうか?」
「……大丈夫」
メルディアは袋を持ち直した。
「これくらいなら平気だよ」
「そっか」
ルシエラはそれ以上何も言わなかった。
二人はしばらく黙って歩いた。
少し先では、ロディオが岩の隙間を通れるか確かめている。
「おーい、こっち行けそうだぞ!」
声が届くと、エイルが振り返った。
「二人とも、来られるか?」
「うん!」
ルシエラが答えた。
メルディアも足を速める。
二人が追いつくのを待って、エイルたちは再び歩き出した。
そこからさらにいくつかの岩場を越えると、ようやく比較的安定した場所へ出た。
周囲には大きな亀裂もなく、少し離れたところには木々の姿も残っている。
ロディオは地面を確かめると、荷物を下ろした。
「……ここで一回休まねえ?」
「そうだな。少し休もうか」
エイルも頷いた。
五人は岩場の端に腰を下ろした。
荷物を下ろし、水を飲む。
さすがに歩き続けていたので、少し休憩したかった。
エイルは荷物の紐を締め直してから、ふと思い出してステータスを開いた。
遺跡で魔導兵と戦い、その後もあれほどの魔族と戦った。
まだ成長を確認していなかったことが気になったのだ。
そして、表示された数字に目を止めた。
肉体Lv63。
《ガーディアン》職Lv34。
「……六十三か」
前に確認した時は四十八だった。
そこから十五も上がっている。
「何が?」
隣にいたロディオが尋ねた。
「レベルだよ。六十三になってる」
「六十三?」
ロディオもステータスを開いた。
「おお、本当だ。ずいぶん上がったな」
ほかの三人も確認すると、肉体レベルは五人とも六十三になっていた。
職業レベルも上昇しており、ルシエラは六十三、上級職の四人は三十四になっている。
「一気に十五か。今回も相当なもんだな」
ロディオは表示を眺めた。
これまでにも、魔族との戦闘後に予想以上のレベル上昇を経験している。
それでも、今回の伸び方はかなり大きかった。
「やっぱり、ディモスってやつが強かったからか?」
「かもしれないな」
エイルも考えた。
ディモスは、自ら放った最後の攻撃が生んだ衝撃に巻き込まれて死亡していた。
その後、ロザリアが蘇生したとはいえ、あの戦闘が経験値に大きく影響した可能性はある。
「でも、あいつ生き返ったんだよな」
ロディオが言った。
「一度死んでから生き返った場合、経験値ってどうなるんだろうな?」
「さあ……そこまでは分からないな」
エイルは首を傾げた。
そもそも、どの相手からどれほどの経験値を得たのか、正確な内訳を確認できるわけではない。
考えても答えが出そうになかった。
「まあ、レベルが上がったのは確かだしな」
ロディオは表示を閉じた。
「これなら、帰りの荷物も少しは楽に運べるか」
「元々持てない重さじゃなかったけどな」
「気分の問題だよ、気分の」
エイルは少し笑った。
自分の表示へ目を戻すと、職業技能の一覧にも新しい項目が増えていた。
上級職のレベルが三十を超えたためだろう。
「新しい技能も覚えてるな」
エイルが言うと、ロディオはもう一度ステータスを開いた。
「お、ほんとだ」
少し説明を読んでから、頷く。
「これ、結構使えそうだな」
「俺のも、試してみたいところだけど……」
エイルは周囲の岩場を見た。
「ここではやめておこう」
「分かってるって。これ以上山を壊してどうすんだよ」
「お前なら試しかねないだろ」
「ひでえな!」
ロディオは笑いながら表示を閉じた。
少し離れたところでは、クラウスも新しい技能の内容を確かめている。
メルディアも自分のステータスを見ていた。
新しい技能が増えている。
普段なら、すぐにでも試したくなっていただろう。
しかし、今は説明を読んでも、あまり頭に入ってこなかった。
メルディアはしばらく表示を眺めた後、静かに閉じた。
帰ってから、落ち着いて確認すればいい。
そう思って顔を上げると、ルシエラが自分のステータスを見つめていた。
「……また強くなったんだね」
その声に、メルディアは少し顔を向けた。
「……うん」
ルシエラは技能一覧を見ていた。
今回の戦いでは、《絶対防御領域》のおかげで五人が無事だった。
それは確かだった。
でも、グランを守ることはできなかった。
「……もっと上手に使えるようになりたいな」
ルシエラが呟いた。
メルディアは、その横顔を見た。
ルシエラはいつも、誰かが困っていると助けようとする。
グランが倒れた時も、最後まで何とかしようとしてくれた。
ロザリアに蘇生を頼んだのも、ルシエラだった。
「……そうだね」
メルディアは小さく答えた。
「私も、もっと上手く魔法を使えるようになりたい」
ルシエラが顔を上げる。
「メルディアなら、きっとできるよ」
「……うん」
メルディアは頷いた。
今までなら、新しい魔法を覚えたことが嬉しくて、すぐに何ができるか考えていた。
けれど、今日ばかりは、強くなったという実感があまりなかった。
◇
少し休んでから、五人は再び荷物を背負った。
ロディオが確かめたところ、この先は大きな崩落も少なく、下へ続く道が残っているようだった。
もっとも、まだ山を抜けたわけではない。
日が暮れる前にどこまで下りられるかも分からなかった。
「とりあえず、行けるところまで行こうぜ」
ロディオが立ち上がる。
「そうだな」
エイルも荷物を背負った。
岩場を抜けると、道は少しずつ歩きやすくなっていった。
崩れた斜面の間に細い道が残り、その先には木々の姿も見えている。
「……ようやく普通の山道っぽくなってきたな」
ロディオが言った。
「まあ、普通の山道ならこんなに岩は転がってないだろうけど」
エイルが返す。
「そこは気にすんなよ。さっきまでよりはずっとましだろ」
「それはそうだな」
二人が話している間も、足元の道は少しずつ下っていた。
クラウスは後ろから全員の様子を確かめ、ルシエラとメルディアも少し離れずについてきている。
しばらくすると、木々が増え、遠くの斜面も緑色に見えるようになった。
焼け焦げた山肌は、いつの間にか随分後ろへ遠ざかっている。
メルディアは歩きながら、ふと振り返った。
グランの墓は、もう見えない。
あの場所に戻ろうと思えば、いつか戻れるのかもしれない。
道を探し直せば、また墓標の前に立つこともできるだろう。
けれど、戻ったところで、グランが起き上がることはない。
「……メルディア?」
隣を歩いていたルシエラが声を掛けた。
メルディアは少しだけ山の方を見つめ、それから前を向いた。
「……ううん。何でもない」
そして、足を速める。
ルシエラもその隣を歩いた。
少し先では、ロディオが次の道を確かめている。
エイルとクラウスも、二人が追いつくのを待っていた。
メルディアはもう一度だけ振り返ろうとして、やめた。
今までなら、後ろから大きな足音が聞こえていた。
グランはいつも、荷物を背負ってみんなの後を歩いていた。
けれど、もうその音はしない。
メルディアは肩の荷物を持ち直し、仲間たちの方へ歩いていった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もし作品を楽しんでいただけていましたら、お気に入り登録や評価をしていただけると、今後の執筆の大きな励みになります。
これからも『聖女は敵にもバフを掛ける』をよろしくお願いいたします。