『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
グランデル山脈の戦いが終わって、間もなくのことだった。
帰還用の魔道具が放った光が消えると、ロザリアの足元には見慣れた石床があった。魔王城だ。山中の崩れた道とは違い、床も壁も元の形を保っている。
「……帰ってこられましたね」
ロザリアは息を吐いた。袖の下の火傷がひりつき、岩に打ちつけた肩もまだ痛む。額の傷も塞がってはいない。ディモスの蘇生で残っていたSPを使い切ったため、自分に回復魔法を使う余裕もなかった。
隣では、長い緑髪の少女が興味深そうに周囲を見回していた。
「むう。久しぶりに戻った気がするな」
「出発してから、そう何年も経っていませんよ」
「それは分かっておる。しかし、なんだか床が広い」
ディモスは自分の足元を見た。歩くたびに、慣れない長さの髪が肩から滑り落ちてくる。大きすぎる旅装の袖も、少し動くたびにずり下がった。
「やはり、身体の大きさが違うと勝手も違うな」
「……だから、帰ったら診察を受けると約束したでしょう」
「覚えておる」
「その前に何かを試そうとしてはいけませんからね」
「むう。まだ何も言っておらんぞ」
二人の声に気づいた衛兵たちが、廊下の向こうから駆け寄ってきた。
「ロザリア様! お戻りでしたか」
先頭の衛兵はそう言って頭を下げたが、すぐに顔を上げた。
「……あの、ディモス様は?」
「ここだ」
少女が答えた。
衛兵は一度その声の主を見て、それからロザリアを見た。
「……ご同行のお嬢さんは?」
「俺だと言っておろう」
「……はい?」
「ディモスだ」
衛兵たちの視線が、少女とロザリアの間を往復する。
「……ロザリア様?」
「信じられないと思いますが、本人です」
「本人……ですか」
「詳しくは陛下にご報告します。まず、二人が帰還したことをお伝えください」
衛兵は返事をしかけて、もう一度少女を見た。
「……ディモス様が、そちらに?」
「そうです」
「……承知、しました」
衛兵は敬礼したまま、もう一度少女の角を見た。
ディモスは平然と腕を組んだ。
「ずいぶん驚いておるな。俺も最初は驚いたぞ」
「……そうでしょうね」
ロザリアは小さく答えた。
「ところで、訓練場は使えるか?」
衛兵が顔を上げた。
「く、訓練場ですか?」
「うむ。この身体で斧を振る場合、間合いを調整する必要がある。手頃な場所を――」
「駄目です」
ロザリアが遮った。
「まず診察と報告です。訓練場はその後です」
「……その後ならよいのか?」
「そういう意味ではありません!」
衛兵たちの間に、妙な沈黙が落ちた。
一人が訓練場の方をちらりと見た。
◇
帰還の知らせを受けたグラディオは、執務室で二人を待っていた。
ディモスとロザリアには、グランデル山脈に古代遺跡が実在するのか調べるよう命じていた。遺跡に関する噂と、メルクで確認された剣聖の異常な斬撃。その双方が気に掛かっていたからだ。
命令では、身分を隠し、余計な戦闘は避けることになっていた。
扉が開き、ロザリアが入ってくる。
「陛下。帰還しました」
「ご苦労。……怪我をしているのか」
グラディオの目が、彼女の額と焼けた袖へ向いた。
「はい。ですが、動けないほどではありません。あとで治療を受けます」
「無理はするな。座って報告してくれ」
「ありがとうございます」
グラディオは彼女の後ろへ視線を移した。
そこには、長い緑髪と二本の角を持つ小柄な少女が立っていた。余った袖を邪魔そうにまくり、まるで自分の部屋へ帰ってきたかのような顔をしている。
「……ディモスはどうした?」
「俺ならここにいるぞ、陛下!」
グラディオは少女を見た。
「…………」
それから、ロザリアを見た。
「……ロザリア」
「はい」
「この子は誰だ?」
「ディモスです」
「……そうか」
グラディオは一度頷いた。
そして、もう一度少女を見た。
「……今、何と言った?」
「ディモスです」
「うむ! 俺だ!」
少女は得意げに胸を張った。
「……声まで違うぞ」
「俺にもそれは分かる。だが、どうやらこの身体になってしまったらしい」
「……身体になってしまった?」
「はい。そこから説明しなければなりません」
ロザリアは椅子へ腰を下ろした。肩をかばう動きに気づいたグラディオが、すぐに衛兵へ治療の手配を命じる。
「報告は短くてよい。何があった?」
ロザリアは小さく息を整えた。
「……ディモスが、一度死亡しました」
「……何?」
「その後、私が蘇生しました。目の前にいるのが、そのディモスです」
グラディオは今度こそ黙り込んだ。
「……待て。最初から話してくれ」
「はい」
「なぜ、遺跡の調査へ行った者が死んだ?」
「それは……」
ロザリアが言いよどむ。
ディモスが代わりに答えた。
「実に見事な戦士と出会ってな!」
「……戦士?」
「巨大な身体を持つ、素晴らしい使い手だった。どうしても一度、腕を試したくなったのだ」
「……お前に命じたのは、遺跡の調査だったはずだが」
「無論、覚えておる」
「戦闘は避けろとも言ったはずだ」
「……むう」
ディモスは考え込んだ。
「だが、あれほどの相手を前にして、何もせず帰るのは惜しかった」
「惜しいかどうかで任務を変えるな」
グラディオは額に手を当てた。
「ロザリア。続きを頼む」
「はい……」
ロザリアは、山中で五人の冒険者と巨大な存在に出会ったことを説明した。五人は古い建造物のある場所から下りてきたらしく、巨人をグランと呼んでいた。二人は遺跡の正確な位置を突き止められないまま、ディモスがグランの戦闘能力に興味を持ち、戦いを始めてしまった。
「止めようとはしたのですが……」
「ロザリアは何度も止めた。俺が聞かなかった」
ディモスが口を挟んだ。
「戦いを始めたのは俺だ。そこは俺の落ち度だな」
グラディオは、ロザリアの焼けた袖へ目をやった。
「……分かった。ロザリア、続きを聞かせてくれ」
「はい」
「戦闘の途中、ディモスが《アースアーマー》をまとったまま、身動きが取れなくなりました。岩の装甲に、ひどく重さがかかっていたのです」
「……相手に足止めされたのか?」
「うむ。あの巨人が、俺の鎧に重力制御魔法をかけたのだ。鎧を解除したら動けるようになった」
「……重力制御魔法か。相手が術を使うところを見たのか?」
「それは見ておらん。だが、あの重さなら間違いあるまい」
ロザリアは何か言いかけ、口を閉じた。
「そして最後に、《天地断砕》を使いました」
グラディオが顔を上げる。
「……あの技を?」
「はい」
「なぜだ」
「全力の一撃なら、あの巨人へ届くと思ったからだ」
ディモスは平然と答えた。
ロザリアは静かに続けた。
「巨人は倒れました。ですが、攻撃が周囲へ広がり、山道も岩壁も大きく崩れました。私は障壁で大半を防げたものの、この有様です」
グラディオは彼女の傷を見た。
「……それで、お前は?」
「俺も巻き込まれた」
ディモスが答える。
「一撃を放った時には、こんなふうに周囲へ広がると思っておらなんだ。熱と衝撃に呑まれてな」
「……お前ほどの耐久でも、耐えられなかったのか」
「うむ。気づいたら、こうなっていた」
ディモスは小さな手を広げた。
「いや、正確には一度死んだらしいが」
「……らしい、ではないでしょう」
ロザリアが言った。
「生命反応がありませんでした。私が《パーフェクトリザレクション》を使い、蘇生したんです」
「……それで、その姿に?」
「はい。術式が異常なほど強く反応しましたが、なぜ肉体まで変わったのかは分かりません」
「……お前でも分からんのか」
「分かりません。私が知っている蘇生は、こんなものではありません」
グラディオは少女のディモスを見た。
かつての巨漢の面影はない。だが、話し方も、戦いへの執着も、実戦で得た感覚を当然のように語るところも、間違いなくディモスだった。
「……本人であることは、疑う必要がなさそうだな」
「ようやく分かってくれたか!」
「喜ぶところではない」
グラディオは机の上に置かれた調査命令書を見た。
「……整理するぞ。お前たちは遺跡の確認へ行った。場所は特定できず、途中で出会った巨人と戦い、山を破壊し、ディモスは死んだ。ロザリアが蘇生した結果、少女になった。そういうことか」
「はい」
「概ね、その通りだ」
「……そうか」
グラディオはしばらく返事をしなかった。
「……せめて、遺跡そのものについて何か分かったことはないのか」
「古い建造物があるという話は、五人から聞きました。彼らはそこにいた巨大な存在を連れて下山していたようです。ただ、内部の構造や用途までは聞き出せませんでした」
「……そうか」
「あの巨人は、あの巨体でこちらの間合いを読んでいた。ただ力任せに戦う相手ではなかったぞ」
「……戦闘中に判断を変えることができたのか」
「うむ。少なくとも、俺の動きを見ていた」
グラディオは巨人についての証言にも印を付けた。遺跡の場所は分からなくても、そこで何に遭遇したかは記録しておける。
◇
ロザリアが水を一口飲む間に、グラディオは別の記録を机へ出した。
ドルガで、ガルベルトの火炎魔法が想定をはるかに超える威力を示した件だ。
「……今回も、魔法の出力がおかしくなったと言ったな」
「《天地断砕》はディモスの知る威力を超え、私の蘇生魔法も普段とは違う反応を示しました。《アースアーマー》の重さが変わった理由は、分かりません」
「ディモスだけではなく、お前の魔法にも異常が起きたのか」
「はい。術式が動き始めた時点から、魔力の膨らみ方が違いました」
グラディオはドルガの記録へ目を落とした。
「ガルベルトの火炎魔法も、本人が威力を上げたつもりはないという。兵たちまで身体が軽くなったと報告している。だが、その後は繰り返し試しても再現しなかった」
「……私も、場所に何か条件があるのではないかと考えています。遺跡の噂がある地域ですし」
「古戦場や遺構の影響か」
「可能性はあります。ただ、私たちは遺跡の場所さえ特定できませんでした」
グラディオはドルガの記録を指で叩いた。
「ドルガではガルベルトと兵たち。山脈ではディモスとロザリア。術も使い手も違うのに、普段と違うことが起きている」
「そうですね……」
「場所だけを比べても足りんな。異常が起きた時、その場に何があったか、誰がいたかも見なければ」
メルクの剣聖の一撃も、頭の片隅にあった。ただ、剣聖が誰といたのか、何をきっかけにあれほどの破壊が起きたのか、手元の報告からは読み取れない。
「……五人の冒険者と言ったな」
「はい」
「何か特徴はあったか?」
「若い五人組です。戦いの間、一人が非常に強力な防御領域を使っていました。攻撃を受けても、その中の者たちは傷つかなかったようです」
グラディオの指が止まった。
「……防御領域?」
「はい。それから、帰る前に名前を聞きました。エイル、クラウス、ロディオ、メルディア……そして、ルシエラです」
「……ルシエラ?」
グラディオは以前の報告を思い出した。
ミゼリアがリューベルで遭遇したという、聖女を含む五人組。攻撃が通用しない奇妙な防御領域を持ち、ミゼリアは自分が遠くへ飛ばされた原因を転移魔法だと考えていた。
「ミゼリアが報告した聖女も、その名だったはずだ」
「ええ。私もそれは覚えています。山で名を聞いた時から気になっていました。防御領域の様子も、ミゼリアの話に似ています」
「……同じ一行の可能性があるな」
「そう思います。ですが、ミゼリアが疑っていた『転移魔法』のようなものは、私たちは見ていません」
「それはそれだ。……ロザリア、鎧が重くなった時、五人はどこにいた?」
「近くにいました。ですが、私は彼らと交戦していたので、全員の動きまでは追えていません」
「《天地断砕》の直前は?」
「巨人を助けようとしていました。聖女の防御領域は見ましたが、五人が使った術をすべて覚えているわけでは……」
「ディモスは?」
「俺はグランを見ておった!」
「だろうな」
ディモスが満足げに頷く。グラディオは机に指を置いた。
「見ていないなら仕方ない。ただ、誰がどんな術を使っていたか、順番まで分かれば、今よりは絞り込める」
「……五人が何かしたとお考えですか?」
「まだ分からん。同じ名前が出てきた以上、無視はできないというだけだ」
「その五人は、どうなった?」
「山に残りました。巨人を失い、ひどく悲しんでいました。私たちが撤退した時には、生きていました」
「……そうか」
ディモスが腕を組んだ。
「あの巨人はグランと呼ばれていた。あの娘が大事にしておったのも分かる。……俺の一撃で死なせた以上、恨まれても仕方あるまい」
グラディオはディモスを見た。
「……それほど大切にされていた相手へ、お前から戦いを仕掛けたのか」
「強い相手だったのでな」
「もうよい」
グラディオはロザリアの傷へ視線を戻した。
「とにかく、二人とも今は休め。ロザリアは治療を受けろ。ディモスの身体も調べさせる。勝手に訓練場へ行くことも許さん」
「承知しました」
ロザリアがほっと息をついた横で、ディモスは自分の小さな手を見つめていた。
「陛下、一つだけ気づいたことがある」
「……何だ」
「以前と腕の長さが違う。斧を振るなら、足の位置と柄を握る場所を――」
ぺしっ。
ロザリアが、痛む肩をかばいながら片手を伸ばし、ディモスの頭を軽くはたいた。
「……何をする、ロザリア」
「……すみません。言葉だけでは止まらないので、つい」
「今はまだ、考えを口にしただけだぞ」
「では、そこで止めてください」
ディモスが口を閉じる。グラディオは二人を見比べ、ふと気づいた。
「……そうか。今なら、ロザリアの手がディモスの頭に届くのか」
「……私も、今気づきました」
「陛下まで何を感心しておる!」
ディモスの抗議を聞きながら、グラディオは扉の方を指さした。
「二人とも治療室へ。今度こそ、先に診察だ」
◇
二人を下がらせた後も、グラディオはしばらく机の前に座っていた。
机の上には、山脈で使われた三つの技能名が残っていた。
《アースアーマー》。《天地断砕》。《パーフェクトリザレクション》。
重くなった鎧、強すぎた一撃、姿まで変わった蘇生。その前後に五人の冒険者が何をしていたのか、報告だけでは追い切れない。
グラディオはドルガの資料を隣へ寄せた。そこには、異常な威力を示した火炎魔法と、身体が軽くなったという兵の証言が並んでいる。再現試験は不成功。
「……ヴェルナーなら、何を比べる」
返事はなかった。
グラディオは執務室の扉へ向かって声を掛けた。
「誰かいるか」
衛兵が入ってくる。
「はい、陛下」
「ドルガへ伝令を出せ。ガルベルトとヴェルナーを、魔王城へ呼び戻す」
「お二人とも、ですか?」
「ああ。ガルベルトには、異常が起きた時の配置と行動を直接聞く。ヴェルナーには再現できなかった試験も含めて、記録をすべて持参させろ」
「承知しました」
衛兵が一礼し、退出する。
グラディオは机の上の記録を閉じた。
廊下の向こうから、聞き覚えのある声がした。
「診察が済んだら、訓練場だな!」
「まだ診察も始まっていません!」
グラディオは額を押さえた。
「……会議まで城が無事ならいいが」