『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
冒険者ギルドへ入ったところで、エイルは足を止めた。
「……人、多くない?」
いつも混んでいる時間ではある。
だが今日は、明らかに様子が違った。
依頼掲示板の前にいる冒険者より、壁際や床に座っている人の方が多い。
老人。
子供を抱いた女性。
大きな袋を背負った男。
毛布にくるまって眠っている子供もいる。
荷物も多かった。
箱。袋。鍋。毛布。
どう見ても、冒険者の装備ではない。
「何だこれ」
ロディオも辺りを見回した。
メルディアが少し考えてから言う。
「避難してきた人じゃない?」
「避難?」
ルシエラが聞き返す。
その時、受付の奥から声が飛んだ。
「西側の集会所、まだ空きがあります! 次の人たちはそちらへ!」
別の職員が紙束を抱えて走っている。
神殿の服を着た者もいた。
クラウスがそちらを見る。
「怪我人もいるみたいですね」
普段とはまるで違うギルドだった。
エイルたちは人を避けながら受付へ向かった。
いつも依頼を受ける職員も、今日は忙しそうに何枚もの書類を処理している。
それでも五人に気づくと顔を上げた。
「ああ、皆さん」
「何かあったんですか?」
エイルが聞く。
職員は一度、ギルド内を見回した。
「東から避難民が来ています」
「魔物ですか?」
ルシエラが聞く。
「いいえ」
職員は首を振った。
「魔王軍です」
五人とも黙った。
人間と魔族が戦争をしている。
もちろん知っている。
知らない人間の方が珍しい。
けれどエイルにとって、それはずっと遠くの話だった。
国境で兵士が戦っている。
たまに町へ戦況が伝わってくる。
そんなものだった。
少なくとも昨日までは。
「ここまで来たんですか?」
エイルが聞く。
「この町が襲われたわけではありません。ただ、東部で魔王軍の活動が活発になっています。街道沿いの村から逃げてくる人が増えているんです」
ルシエラが、壁際にいる子供を見る。
母親らしい女性に寄りかかって眠っていた。
靴も服も泥だらけだった。
「冒険者も戦うんですか?」
エイルが尋ねた。
「上位の冒険者には軍や領主から協力要請が出ています」
職員が答える。
そして五人を見る。
「皆さんを前線へ送るようなことはしませんよ」
ロディオが小さく息を吐いた。
「ですよね」
「ちょっと安心しましたね」
クラウスが言う。
「そりゃするだろ。俺ら、この前までゴブリンで苦労してたんだぞ」
「オークは倒せるようになった」
メルディアが言った。
「四天王もいける、にはならないだろ」
「言ってない」
そんなやり取りに、受付職員がわずかに笑った。
だが、すぐに表情を戻す。
「ただ、人手は足りません」
一枚の依頼書を取り出した。
「東街道の中継都市まで、避難民向けの物資を運んでもらいたいんです」
「護衛ですか?」
「はい。食料、薬、毛布などを荷馬車二台分。今のところ、そこまでの街道上に魔王軍の部隊が展開しているという報告はありません」
職員はそこで付け加えた。
「もちろん、魔物が出る可能性はあります」
オークを二度倒している。
通常の街道護衛なら、今の五人でも任せられるということらしい。
エイルは仲間を見る。
「俺は受けたい」
「私もです」
ルシエラがすぐに言った。
クラウスも頷く。
「僕も」
「いいよ」
ロディオが言う。
メルディアも依頼書に目を通してから、
「問題ないと思う」
と答えた。
依頼は決まった。
二台の荷馬車が東門を出たのは、それから一時間ほど後だった。
荷台には食料と薬、毛布、水などが積まれている。
五人はその周囲を歩く。
空は晴れていた。
道も乾いている。
鳥の声もする。
魔物の姿もない。
「戦争って感じしないな」
ロディオが言った。
「ここでは戦ってないから」
メルディアが答える。
「それはそうだけど」
エイルも似たようなことを考えていた。
景色だけを見れば、いつもの依頼と大して変わらない。
少し違うのは、すれ違う人間の数だった。
東から西へ歩く人が多い。
荷車を引いている者。
背中に荷物を背負っている者。
子供の手を引いている者。
逆方向へ向かうエイルたちを見る人の中には、不思議そうな顔をする者もいた。
「みんな、あっちから来てるんですね」
ルシエラが言う。
「そうみたいだな」
昼を過ぎた頃。
先頭を歩いていたロディオが手を上げた。
「止まって」
全員が足を止める。
エイルは剣へ手を伸ばしかけたが、ロディオが指した先にいたのは魔物ではなかった。
街道脇に、小さな荷車が傾いている。
その近くに五人ほどの人間がいた。
男。
女性。
子供が二人。
そして老人。
男が荷車の下へ手を入れようとしている。
「車輪か」
ロディオが近づいた。
男は一瞬警戒したが、五人が冒険者だと分かったのか、すぐに頭を下げた。
「すみません。町まで行きたいんですが、車輪がおかしくなってしまって」
ロディオがしゃがむ。
「見てもいい?」
「お願いします」
荷車の下を覗き込む。
「軸がずれてるな。完全には直せないけど、戻すくらいならできるかも」
「本当ですか?」
「エイル、そっち持って」
「ああ」
荷車を持ち上げようとした時だった。
「クラウス」
ルシエラの声がした。
見ると、老人が街道脇に座り込んでいる。
片足に汚れた布が巻かれていた。
血が滲んでいる。
クラウスがすぐにそちらへ向かった。
「傷を見せてもらってもいいですか?」
「ああ……頼む」
布を外す。
クラウスの表情が少し険しくなった。
「切れていますね。いつ怪我を?」
「昨日だ」
「昨日?」
ルシエラが老人の横へしゃがんだ。
男が答える。
「昨日から歩いてるんです」
クラウスが傷を洗い、治療を始める。
エイルは荷車を持ち上げたまま、男を見る。
「どこから来たんです?」
男は、街道の脇へ伸びる細い道を指した。
「この先から少し外れた村です」
「魔王軍ですか?」
一瞬。
男の手が止まった。
「……はい」
子供たちの方を見る。
女性が二人を自分の近くへ寄せた。
男は声を少し落とした。
「朝、魔族の兵が来ました」
誰も口を挟まなかった。
「食料を出せって」
「……それで?」
「持っていかれました。倉の中の物も、家畜も」
男が唇を噛む。
「逆らった人がいたんです」
老人が目を伏せた。
「三人、殺された」
ルシエラが息を飲んだ。
男は続けた。
「家にも火をつけられました」
「全部?」
エイルが聞く。
「全部じゃありません。抵抗した家と、その周りです」
「何のために……」
ルシエラが小さく言った。
男は答えなかった。
答えられないのかもしれない。
「俺たちは逃げました」
男が言う。
「残っても、また来るかもしれない。次は食料だけで済むかも分からない」
女性が子供の肩を抱く。
「とにかく、この子たちを連れて逃げようって」
ルシエラは何も言わなかった。
クラウスも黙ったまま治療を続ける。
「……これで大丈夫です」
やがてクラウスが言った。
「傷は塞ぎました。でも無理はしないでください」
老人が自分の足を見る。
「すまんな」
「いえ」
その間にロディオが車輪を戻した。
「エイル、もうちょい上」
「これくらい?」
「そこで止めて」
金具をはめる。
何度か回して確認した。
「町までは持つと思う。ただ、着いたらちゃんと修理した方がいい」
男が深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「俺たちもあの町へ向かっています」
エイルが言う。
「途中まで一緒に行きましょう」
「いいんですか?」
「この状態でまた止まったら困るだろ」
エイルたちの荷馬車二台に、小さな荷車が加わった。
再び東へ進む。
ルシエラはしばらく黙っていた。
普段なら困っている人を助けられれば、少し嬉しそうにする。
今日は違った。
エイルは隣へ並んだ。
「大丈夫?」
「……はい」
答えたが、あまり大丈夫そうではなかった。
少し歩いてから、ルシエラが言う。
「魔王軍って、本当にあんなことするんですね」
エイルは答えなかった。
「怖いです」
「うん」
「でも……」
ルシエラが杖を握る。
「腹が立ちます」
エイルは彼女を見る。
「何もしてない人たちなのに」
「……そうだな」
「食べ物を取られて、家まで焼かれて」
声は大きくない。
それでも、はっきり怒っていた。
「子供まで逃げないといけないなんて」
エイルには、うまい返事が思いつかなかった。
だから、
「うん」
とだけ答えた。
さらに一時間ほど進んだ頃。
街道の先に、黒く焼けた木が見えた。
最初は何か分からなかった。
近づくにつれて、それが家の柱だったと分かった。
小さな集落だったらしい。
街道沿いに十数軒の家が並んでいた。
半分ほどは残っている。
残りは焼けていた。
屋根が落ちた家。
黒く焦げた壁。
壊された柵。
空になった家畜小屋。
誰も住んでいない。
荷馬車の御者が速度を落とした。
「ここもですか」
クラウスが聞く。
御者が頷いた。
「数日前に襲われたらしい」
道の脇に、新しく土を盛った場所があった。
木の板が何本か立っている。
文字までは読めなかった。
だが、それが何なのかは分かった。
誰も何も言わなかった。
ロディオも辺りを警戒しているだけだった。
メルディアも黙っている。
ルシエラは焼けた家を見ていた。
エイルは、朝まで自分が戦争についてどう思っていたのかを考えた。
魔王軍。
人間軍。
国境。
戦況。
全部、言葉だった。
けれどここには、つい数日前まで誰かが住んでいた。
食事をして。
寝て。
朝になれば仕事をして。
それがなくなっていた。
「行こう」
御者が言った。
荷馬車が再び動き始める。
夕方。
ようやく目的地の町が見えてきた。
高い石壁に囲まれた、エイルたちの町より一回り大きな都市だった。
だが、門の外にまで人の列が伸びている。
「全部、避難してきた人?」
ルシエラが言う。
「たぶん」
エイルたちと同行していた一家も列へ入ることになった。
兵士に事情を話すと、老人の怪我を見て先に中へ案内してくれた。
別れ際。
男が何度も頭を下げる。
「本当に助かりました」
「気をつけてください」
エイルが答える。
子供の一人がルシエラへ手を振った。
ルシエラも手を振り返す。
その姿が門の向こうへ消えるまで見送った。
エイルたちは荷馬車を指定された倉庫へ運んだ。
食料や毛布が次々に下ろされていく。
「これで依頼完了ですね」
クラウスが言った。
「だな」
エイルが依頼書を確認する。
その時だった。
蹄の音が響いた。
「開けろ!」
東門の方から兵士の声が上がる。
一騎の馬が、土埃を上げながら町へ飛び込んできた。
乗っていた男は兵士らしい。
馬から降りるより早く、近くの兵へ叫ぶ。
「指揮官はどこだ!」
「詰所です!」
「東部から緊急報告だ!」
周囲の兵士たちの空気が変わった。
伝令はそのまま走っていく。
エイルたちは顔を見合わせた。
「何だ?」
ロディオが言う。
ほどなくして、町のあちこちで兵士が動き始めた。
門へ向かう者。
詰所へ走る者。
避難民の列を整理する者。
近くの兵士が別の兵士へ声を上げる。
「門外の避難民を急いで入れろ!」
「何かあったんですか?」
エイルが聞いた。
兵士は一瞬迷ったようだったが、エイルたちの冒険者証を見て答えた。
「魔王軍がさらに西へ進んでる」
ルシエラの顔が強張る。
「ここへ来るんですか?」
「まだ分からない」
兵士が言う。
「だが、国境を越えた部隊の中に四天王がいる」
「四天王……」
クラウスが呟いた。
エイルでも知っている。
魔王軍の中でも特に強い者たち。
新人冒険者がどうこうする相手ではない。
「誰ですか?」
メルディアが聞いた。
兵士が答える。
「ガルベルトだ」
その名を聞いても、エイルには実感が湧かなかった。
ただ、兵士の顔を見れば分かる。
良い知らせではない。
「ガルベルトの部隊が、この方面へ進んでいる」
ルシエラが東を見る。
高い城壁の向こうは見えない。
それでも今日一日で見たものが頭に浮かんでいるのだろう。
避難してきた家族。
怪我をした老人。
焼けた集落。
新しい墓。
エイルも同じだった。
朝までは、戦争は遠くにあった。
今はもう、そう思えない。
その夜。
依頼完了の手続きのため、五人は町の冒険者ギルドへ向かった。
こちらのギルドも混雑していた。
掲示板には、護衛、輸送、街道警戒の依頼が大量に張り出されている。
「明日、どうする?」
ロディオが聞いた。
「一度帰る?」
「もう遅いし、今日は泊まるしかないと思う」
エイルが答える。
受付で報告を済ませると、職員が五人の冒険者証を見る。
「オーク討伐の経験もあるんですね」
「はい」
「それなら、明日も仕事を探すなら紹介できるものがありますよ」
エイルは掲示板を見る。
「護衛ですか?」
「護衛もあります。ただ、そちらには今かなり人手が回っています」
職員が別の掲示板を指した。
「ダンジョン関係の依頼が少し滞まっているんです」
ロディオが振り返った。
「ダンジョン?」
「この町の近くにあるんですか?」
ルシエラが聞く。
「ええ。昔から冒険者が利用しているダンジョンがあります」
メルディアが興味を示した。
「どれくらいの難易度?」
「浅い階層なら、オークを討伐できるパーティーなら問題ないと思います」
職員は掲示板を見る。
「普段ならもう少し上の冒険者が処理する依頼もあるんですが、今は街道警戒や軍の仕事に人を取られていまして」
「なるほど」
ロディオが依頼票を見る。
「ダンジョンか」
エイルも見る。
今まで一度も入ったことがない。
今日見たものを思えば、浮かれていい状況ではない。
それでも、自分たちは兵士ではない。
四天王と戦う力もない。
できる仕事をするしかなかった。
「今日は休もう」
エイルが言った。
「明日、みんなで決めよう」
四人が頷いた。
ギルドの外へ出る。
東の空はもう暗かった。
その向こうで何が起きているのか、ここからは見えない。
ただ、もう遠い話ではなかった。