『味方全員を最強にする聖女、敵まで強化していたことが判明しました』 作:深空 律
古い石室の中央。
ロディオは宝箱の前にしゃがみ込み、錠前へ細い工具を差し込んでいた。
エイルたち四人は、少し離れたところからその手元を見ている。
カチ、と小さな音がした。
「開いた」
ロディオが工具を抜いた。
だが、すぐには蓋を開けない。
錠前をもう一度確認し、箱の側面へ目を移す。
最後に箱の周囲の床まで見回した。
エイルが尋ねる。
「まだ何かあるのか?」
「念のため。ここまで調べて最後に引っかかったら格好悪いだろ」
「格好の問題なんですか?」
ルシエラが聞く。
「命の問題でもある」
「先にそっちを言ってください」
ロディオは宝箱から少し身体を離した。
そのまま慎重に蓋へ手をかける。
ギィ、と古い蝶番が鳴った。
四人が身構える。
蓋が開ききる。
何も起きない。
数秒待ってみても、やはり変化はなかった。
ロディオが振り返る。
「ほら。大丈夫だっただろ」
エイルも剣から手を離した。
「疑って悪かった」
「本当に何もありませんでしたね」
クラウスも宝箱へ近づく。
ロディオは少し得意そうだった。
「ちゃんと調べたからな」
「まだ中身を見てない」
メルディアが言う。
「ちょっとくらい褒めてくれてもいいだろ」
五人で箱の中を覗き込む。
布袋が二つ。
古い銀貨が何枚か。
小さな魔石。
それから、封のされた薬瓶が三本。
ルシエラの表情が明るくなった。
「本当に宝箱ですね」
エイルが笑う。
「だから何だと思ってたんだ?」
「宝箱だとは思ってましたよ。でも、実際に開けるところを見るのは初めてですから」
「私も初めて」
メルディアは魔石を一つ手に取った。
しばらく眺めてから箱へ戻す。
「これは普通の魔石だと思う。薬はここで開けない方がいい」
「ギルドで見てもらうか」
エイルが言うと、クラウスも頷いた。
ロディオは銀貨の入った袋を持ち上げる。
「これ、依頼の報酬より高かったりしないかな」
「まだ価値が分からないでしょう」
「そういう時くらい夢を見てもいいだろ」
中身を荷物へ移していく。
空になったところで、ロディオが箱の底を軽く叩いた。
「二重底はなさそうだな」
エイルが呆れた顔をする。
「まだ探すのか?」
「せっかくだから最後まで調べる。箱の下に何かあるかもしれないし」
ロディオが宝箱の横へ回る。
両手をかけ、少し持ち上げた。
「重っ……」
「手伝おうか?」
「いや、ちょっとずらすだけだから」
箱の底が石床を擦った。
ゴゴ、と低い音がする。
その直後。
カチッ。
五人の動きが止まった。
エイルがロディオを見る。
「今の音、何だ?」
「……俺も聞こえた」
ロディオは持ち上げていた箱をその場へ下ろした。
まず宝箱を見る。
次に足元を見る。
メルディアも床へ視線を落とした。
「箱から鳴った感じじゃなかった」
「じゃあ、どこから――」
ルシエラが言いかけた時だった。
ゴゴゴゴゴゴ――。
今度は石室全体に、重い音が響いた。
「何か動いてます!」
クラウスが周囲を見る。
床に細い隙間が走った。
エイルの顔色が変わる。
「まずい、下がれ!」
五人が動くより早く、隙間が広がった。
床が左右へ分かれていく。
「うわっ!」
足元が消えた。
身体が落ちる。
すぐに固いものへぶつかった。
「痛っ!」
そのまま身体が下へ滑り始める。
穴の底ではなかった。
急角度の石の斜面が、暗闇の中へ続いている。
「何だこれええええ!」
ロディオの声が響いた。
エイルも手をつこうとするが、止まれない。
「滑る! 何か掴め!」
「何もありません!」
ルシエラも必死に身体を起こそうとしている。
斜面はさらに急になった。
速度が上がる。
前方の壁に、小さな穴がいくつも見えた。
メルディアが気づく。
「壁!」
次の瞬間。
穴から石の矢が飛び出した。
「危ない!」
ルシエラが叫ぶ。
「《絶対防御領域》!」
白い光が広がった。
飛んできた石の矢が、そのまま五人のいる範囲へ入ってくる。
ルシエラは身を縮めた。
だが、痛みはない。
次の矢も。
その次も。
誰にも傷をつけなかった。
今度は斜面の脇から刃が飛び出す。
エイルが顔を引きつらせた。
「これ、落とすだけじゃないのかよ!」
「大丈夫です! 領域の中にいてください!」
「それは助かってる!」
ロディオが斜面を滑りながら叫んだ。
「でもこれ、どうやって止まるんだ!?」
ルシエラも前を見たまま答える。
「私にも分かりません!」
「絶対防御で何とかならないの!?」
「攻撃を防ぐ技能ですよ!」
「そうだった!」
急な曲がり角。
五人の身体がまとめて外側へ寄せられた。
エイルの肩が壁へぶつかる。
「痛っ!」
クラウスも額を押さえた。
「こういうのは普通に痛いんですね……」
「今それを確認してる場合ですか!?」
ルシエラの声が返ってくる。
斜面の先に開けた場所が見えた。
「あそこ、終わりかも!」
エイルが叫ぶ。
次の瞬間。
五人まとめて斜面から放り出された。
「うわあっ!」
石床を何度か転がる。
ようやく止まった。
しばらく誰も立ち上がらなかった。
最初に顔を上げたのはロディオだった。
髪も服も埃だらけになっている。
「……宝箱に罠、なかったよな?」
エイルも身体を起こした。
「なかったな」
「じゃあ俺、間違ってなかったよな?」
メルディアが服についた埃を払う。
「宝箱には」
ロディオが眉を寄せた。
「その言い方、やめてくれない?」
ルシエラも起き上がった。
「でも、箱を動かしたら床が開きましたよね」
「そうなんだよな……」
クラウスは落ちてきた方向を見上げる。
「箱を動かしたことと、床が開いたことは関係ありそうですね」
ロディオも上を見た。
「じゃあ、結局あの宝箱を動かしたのが駄目だったのか」
エイルが肩を回す。
「少なくとも、もう一回動かすのはやめた方がいいな」
「もう上にあるけどな」
「そうだった」
全員の怪我を確認する。
擦り傷や軽い打ち身はあるが、大きな怪我はない。
クラウスが必要なところだけ簡単に治療した。
ロディオは斜面の方へ近づいた。
数歩入ってみる。
すぐ戻ってきた。
「無理だな。ここから登るには急すぎる」
エイルも覗き込む。
「途中に刃もあったしな」
その時、上の方から石の擦れる音がした。
五人が見上げる。
しばらくすると、さっきまで見えていた上方の明かりが消えた。
ロディオが息を吐く。
「戻る道まで閉じた」
メルディアは周囲を見回した。
「他の道を探すしかない」
今いる場所には、前方へ続く通路が一本。
壁にはひび割れや苔が目立つ。
浅い階層で歩いていた通路より広く、石組みの形も少し違っていた。
ロディオが地図を取り出す。
現在地を探す。
少しして地図を下ろした。
「分からない。少なくとも、この辺りは載ってない」
エイルが通路を見る。
「上へ戻れそうな道を探そう」
「なるべく上りになってる方を選ぶ。分かれ道があったら印も残す」
ロディオが言う。
クラウスも頷いた。
「それがいいと思います。無理に戦う必要もありません」
ルシエラが少し困った顔をする。
「宝箱、見つけない方がよかったんでしょうか」
エイルが首を振った。
「見つけたのは、あの壁が壊れたからだろ」
ロディオも続ける。
「箱を動かしたのは俺だし」
メルディアが言う。
「壁を壊したのはストーンリザード」
ルシエラは少し考える。
「じゃあ、誰のせいなんでしょう?」
四人とも答えなかった。
ロディオだけが口を開く。
「考えない方がいい気がする」
五人は通路を進んだ。
十分ほど歩いたところで、ロディオが片手を上げた。
「この先にいる」
エイルが剣へ手を伸ばす。
「何体?」
「三体。ゴブリンに似てるけど、かなり大きい」
ロディオが曲がり角から少しだけ先を見る。
エイルもその後ろから覗いた。
ゴブリンより一回り以上大きな魔物が三体。
身体つきも太い。
手には剣や盾を持っている。
メルディアが小声で言った。
「ホブゴブリンだと思う」
「強いのか?」
「ゴブリンよりはかなり強いはず」
エイルが周囲を見る。
後ろへ戻っても、さっき落ちてきた場所まで行くだけ。
他に道は見当たらない。
「通るなら倒すしかないな」
全員が武器を構えた。
ルシエラが杖を握る。
「《光と闇の祝福》」
淡い光が広がった。
ホブゴブリンたちもこちらに気づいた。
一体が盾を構え、二体が左右へ広がる。
「ゴブリンよりちゃんとしてるな!」
エイルが剣を受ける。
重い。
すぐに押し返した。
横から別の一体が来る。
ロディオが割って入った。
「こっちは俺が見る!」
メルディアが杖を向ける。
「エイル、少し右」
「分かった!」
エイルが身体をずらす。
空いたところへ火球が飛んだ。
ホブゴブリンの肩へ直撃する。
それでも倒れない。
「やっぱり硬い!」
戦いは長引いた。
三体とも、最初に戦ったゴブリンとは明らかに違う。
それでも、最初にゴブリンと戦った頃のようには崩れなかった。
エイルが正面を支える。
ロディオが死角へ回る。
メルディアは前衛の隙間から魔法を通す。
クラウスは怪我をした時だけ治療へ回る。
ルシエラは全員の位置を見ながら祝福を維持する。
やがて一体目が倒れた。
そこからは早かった。
数分後。
三体すべてが床へ倒れていた。
エイルが剣を下ろし、息を整える。
「勝てるけど、毎回これだときついな」
ロディオも壁へ手をついた。
「浅いところにいたやつらより、かなり強い」
メルディアは自分の状態を確認する。
「SPも使った。避けられる相手なら避けたい」
「俺もそう思う」
エイルが頷いた。
クラウスも反対しなかった。
「帰り道が分からない以上、余力は残しておきましょう」
少し休んでから、再び歩き始める。
次の曲がり角。
ロディオが先を確認する。
しばらくして戻ってきた。
「今度は四体いる。まだこっちには気づいてない」
エイルが聞く。
「他に道は?」
「少し戻ったところに右へ入る道があった。そっちへ行ける」
「じゃあ避けよう」
音を立てないように引き返す。
右の通路へ入る。
しばらく進んでも、後ろから追ってくる気配はなかった。
ロディオが少し得意そうに言った。
「こういうのがスカウトの仕事なんだよ」
ルシエラが笑う。
「さっきの宝箱の分、取り返しましたね」
「まだそれ言うの?」
さらに先へ進む。
今度は、曲がり角の向こうから二体の虫型魔物が現れた。
人の胴ほどもある大きさだ。
エイルが剣を抜く。
「二体なら倒した方が早そうだな」
ロディオも短剣を構えた。
「後ろに戻るよりはな」
戦闘は長くかからなかった。
最後の一体が倒れる。
エイルが剣についた汚れを払う。
「このくらいならまだ――」
後方から声が響いた。
低い唸り声。
一つではない。
ロディオが振り返る。
表情が変わった。
「さっきの四体かもしれない」
「気づかれた?」
「分からない。でも、こっちへ来てる」
エイルは少し考えた。
「だったら走ろう。わざわざ戦う必要ない」
五人は走り出した。
距離はある。
そのまま離れればいい。
ロディオが先頭に立つ。
一つ目の曲がり角を曲がる。
その先。
通路の脇で、狼に似た三体の魔物が身体を丸めていた。
一体が顔を上げる。
エイルたちを見る。
立ち上がる。
「ロディオ!」
「左!」
五人が左の通路へ飛び込んだ。
背後から狼の吠える声がする。
エイルが走りながら振り返る。
「今のも来てるぞ!」
「見えてる!」
「後ろのやつらもまだいる!」
「それも聞こえてる!」
足音が増えた。
五人はさらに走る。
前方に分かれ道が見える。
ロディオが一瞬だけ左右を確認した。
「右! 少し上ってる!」
全員が右へ曲がる。
確かに通路は緩やかな上り坂になっていた。
ルシエラの顔が少し明るくなる。
「上に戻れるかもしれません!」
「そうだといいけど――」
エイルが言い終える前に。
天井から黒い影が落ちてきた。
一体。
二体。
さらに三体、四体。
大型の蝙蝠だった。
ロディオが身を屈める。
「うわっ!」
エイルが剣を振り、目の前の一体を追い払う。
ルシエラが杖を構えた。
「戦いますか?」
エイルは後ろから迫る足音を聞いた。
「止まってる方がまずい! このまま行こう!」
五人が蝙蝠の間を抜ける。
羽音が後ろについてきた。
ロディオが走りながら振り返った。
「……まずいな」
エイルが聞く。
「どうした?」
「さっきより増えてる」
メルディアも後ろを見る。
「ホブゴブリンと狼と蝙蝠。まだ他にもいる」
ルシエラも見ようとする。
「どのくらいですか?」
「前見て走って!」
ロディオが叫ぶ。
「そんなに多いんですか!?」
「数えてる余裕ない!」
また曲がる。
通路の端にいた小型の魔物が、五人へ顔を向けた。
直後。
その後ろから迫る大量の足音にも反応した。
魔物が跳ねるように動き出す。
エイルが嫌な顔をする。
「また増えた!」
「止まったら追いつかれるから、そのまま行って!」
ロディオが前方を探す。
右。
行き止まり。
左。
細い通路。
「左!」
全員が飛び込む。
しばらく走る。
後ろの音が消えない。
むしろ大きくなっている。
クラウスが息を切らしながら言った。
「これ、どこかで振り切れませんか?」
「広いところだと追いつかれる!」
ロディオが答える。
「曲がり角を使って距離を取ってるけど、全然諦めない!」
ルシエラが杖を握り直す。
「《絶対防御領域》を使えば――」
エイルも一瞬考えた。
後ろを見る。
通路いっぱいに魔物がいる。
「今止まったら、周りを全部囲まれる!」
ロディオも頷く。
「領域が消えた後に逃げ道なくなる!」
「じゃあ、まだ走るんですね!」
「悪いけど頼む!」
「分かりました!」
走る。
さらに曲がる。
また別の魔物がいた。
だが、もう戦うどころではない。
横を抜ける。
その魔物まで追ってくる。
エイルは前を向いたまま叫んだ。
「なんで通るたびに増えるんだよ!」
「俺たちがダンジョン中を走り回ってるからだろ!」
ロディオが返す。
「それは分かってる!」
「じゃあ聞くなよ!」
前方が広くなった。
ロディオが目を凝らす。
「何かある!」
巨大な石の門。
いや、門だったものが見えた。
片側が崩れ、人が何人も通れるほど大きく開いている。
その向こうは暗い。
だが、今いる通路より遥かに広い空間が続いていた。
ロディオが門の向こうを見る。
後ろも見る。
「中へ入るしかない!」
「行こう!」
エイルが答える。
五人が崩れた門を抜ける。
広い石床へ飛び出した。
直後。
後ろから魔物たちが次々と門を抜けてくる。
エイルが振り返る。
「門、閉められないのか!?」
ロディオも一瞬見る。
「無理! 片方なくなってる!」
「じゃあ前へ!」
五人はさらに奥へ走る。
ルシエラが前を見た。
足が少し鈍る。
「エイル」
「どうした?」
「前にも、何かいます」
エイルも前を見る。
暗闇の奥。
何かが動いた。
大きい。
ストーンリザードより遥かに大きな影だった。
岩のような外皮。
四本の太い脚。
床を這う長い尾。
巨体がゆっくりと持ち上がる。
二つの目が開いた。
こちらを向いた。
エイルの足が止まる。
その横にロディオが並ぶ。
後ろを見る。
大量の魔物が迫っている。
前を見る。
巨大な魔物が立ち上がっている。
ロディオが息を整えながら聞いた。
「……前と後ろ、どっち行く?」
エイルは剣を握り直した。
「どっちも行きたくない」
次の瞬間。
広間を揺らすほどの咆哮が響いた。