眷属なき魔王、独りの玉座 作:一般通過アクシズ教徒
第11話
月の民を乗せた巨大な宇宙船が、地球を不浄として清浄なる夜空へ捨て去ってから、この大和の地上では千年という、人間にとっては果てしない歳月が流れていた。
かつて高度な科学の粋を集めて築かれていた白い都市の遺構。その広大な跡地は今や、ユグドラシルの最上位魔術と創造の種を幾重にも重ね合わせた、漆黒の結晶からなる巨大な要塞へと完全に変貌を遂げていた。外見は誰も近づけぬ不気味な禁忌の地、しかしその最深部には、かつてのナザリック地下大墳墓の執務室を模した、静謐な部屋が設けられている。
仮面を被る必要のなくなった生ける骸骨の王――アインズ・ウール・ゴウンは、豪奢なローブの裾を揺らしながら、魔法で空間に投影した調査報告書を静かにめくっていた。
「……ふむ。この大和の地における霊気の流動、および神々の勢力圏の変遷、大方のデータは揃ってきたな」
アインズの眼窩の奥で、ルビーのような赤光が冷徹に明滅する。
この千年間、彼は生真面目な習慣を決して絶やすことなく、自身が今立っているこの土地の時の流れを見続けていた。
月の民という絶対的な抑止力が消え去った地上は、かつての安定を失い、国盗りの時代へと突入していた。大気中に満ちる神代の豊かな霊気から生まれた数多の土着の神々、そして生存競争のなかで強力な力を得た大妖怪たちが、各地で血みどろの国盗り合戦を繰り繰り広げているのだ。
特に最近、この大和の地において、新興の勢力である大和の神々の拡大スピードには目を見張るものがあった。
洗練された組織戦術と圧倒的な武力を以て、地上の土着神たちの王国を次々と踏み潰し、その信仰を強引に塗り替えている。アインズの作成したデータ上でも、いくつかの古い神々の系譜が、ここ数十年で完全に消滅しているのが観測されていた。
「アインズ様、外周の索敵網に、大和の進軍勢力と思われる魔力反応が引っかかりました。数は数千の軍勢です」
部屋の影から音もなく姿を現したのは、アインズのスキルによって生み出された上位アンデッド、ジャック・ザ・リッパーだった。その鋭い鉤爪を胸に当て、主君へと恭しく頭を垂れる。
アインズはスタッフを片手で軽く叩き、深く息を吐くように眼窩の光を細めた。
(やれやれ……。この1000年、私は周囲のいかなる抗争にも介入せず、この遺構の中に引きこもって中立を維持してきたというのに。やはり、大和の国盗りの勢いが加速したことで、この不気味な空白地帯をいつまでも放置しておくわけにはいかなくなったか)
アインズ自身は、ただの平和主義な引きこもりとして情報収集をしていただけだったが、周囲の神々からすれば、大妖怪ルーミアを蒸発させた超位魔法のクレーターが残るこの漆黒の要塞は、触れてはならない絶対的な禁忌、あるいは手柄を立てるための格好の標的に映っているのだろう。
「相手の進軍速度、および構成は?」
「自らの神格の誇示にご執心な、ひどく高慢な気配を放つ神が総大将のようです。先兵として送り込まれた他国の偵察隊が誰一人として帰ってこない不気味な場所だと知りながら……我らならば容易く踏み潰せると、ひどく息巻いております」
「……愚かな。他国が手を引いている案件に、根拠のない自信だけで首を突っ込むとは。リスク管理の概念が致命的に欠落しているな。……よし、迎撃の準備をしろ」
アインズは静かに玉座から立ち上がり、漆黒のローブを翻した。
物語が動きだす。魔王の檻を叩く愚者の足音が、静かに要塞の外縁へと響き渡ろうとしていた。
◇
大和の地を驚異的なスピードで席巻し、数多の土着神を平伏させてきた大和の神々の精鋭部隊。その先陣を任された傲慢な神の軍勢は、漆黒の結晶に覆われた不気味な要塞の外縁へと、大波の如く押し寄せていた。
「ハハハ! どこの国も偵察隊が誰一人として帰ってこないなどと怯えていたが、蓋を開けてみればただの不気味な遺構ではないか! 我らの神威を以てすれば、このような呪われた土地など一揉みで消し飛ばせるわ!」
黄金の鎧に身を包んだ総大将の神は、自らの地位と武力を誇示するように高笑いをあげていた。
彼らの周囲に張り巡らされているのは、アインズが千年をかけて病的なまでに構築した、最高位の認知阻害と自動迎撃の魔導。
しかし、大和の神々から見てもトップクラスの戦闘力を持つと自負していたその神は、先兵たちの全滅を単なる不運と片付け、己の勝利を微塵も疑っていなかった。
「全軍、突撃せよ! この地に眠る不浄を根こそぎにし、我らの不滅の武勲を大和の空へ轟かせるのだ!」
数千の神兵たちが武器を掲げ、漆黒の結晶のゲートへと雪崩れ込んだ、まさにその瞬間だった。
ボォォォォォォォォォッッッッ!!!!
大気が悲鳴を上げたのではない。世界そのものが、生命ある者を拒絶する圧倒的な不浄の気配――死の波動によって、一瞬にして真っ黒に塗り潰されたのだ。
突撃していた前衛の神兵たちの足元から、文字通り漆黒の巨大な盾を持つ、禍々しい不死者の騎士――デス・ナイトの群れが、数十、数百という質量となって音もなく湧き上がってきた。
「な、何だこの化け物どもは……!? 妖怪とも違う、神気すら通じぬこの悍ましい気配は……!」
神兵たちの放つ強力な光の斬撃が、デス・ナイトの漆黒の盾に激突する。だが、どれほど凄絶な神威を叩き込もうとも、アインズのスキルによって限界まで強化された魔王の防壁は、かすかな火花を散らすだけでミリ単位も揺らがない。完璧な、なすすべのない絶対的な拒絶。
次の瞬間、デス・ナイトたちの巨大な大刀が一閃され、大和の精鋭たちは鎧ごと一瞬にして肉片へと変えられ、戦場へと撒き散らされた。
「うわぁぁぁぁ!!」 「ぎゃぁぁ!」
「ひっ、あ、あり得ん……! 我らは数多の国を瞬く間に滅ぼしてきた、無敵の軍勢なのだぞ……! どうして、どうしてこうなったんだ!!」
後方に控えていた総大将の神は、自慢の軍勢が、要塞の主の姿を見るどころか、門を潜った瞬間に無機質な作業の如く屠られていく光景に、完全に腰を抜かしていた。
周囲の空間が歪み、上空から降り注いだのは、第5階位の龍雷。
一本一柱が神の肉体すら容易く融解させる神罰の如き大雷が、逃げ惑う神兵たちを容赦なく焼き尽くし、跡形もなく蒸発させていく。
「五穀豊穣の神は……確かに言っていたはずだ! あそこは月の民が去った後の、ただの空き殻に過ぎないと……! 我らの実力なら、容易く手柄にできると、彼女が裏でそう誘導したはずなのに……っ!」
死の恐怖のなかで、傲慢だった神の脳裏に、冷徹な大和の知将の横顔が過る。
自分たちは、最初からあの恐ろしい遺構に潜む主の力量を測るため、あの大和の知将によって都合よく操られた、ただの使い捨ての捨て駒に過ぎなかったのだ。その冷酷な事実に気付いた時には、すでに手遅れだった。
「ぎ、ギャアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」
空間を切り裂く不可視の刃が、総大将の神の肉体をその誇りと共に直線的に切り取り、世界から完全に消滅させた。
数千の精鋭部隊が、要塞の防衛システムによって一瞬にして無機質に処理され、クレーターには再び完全な静寂が戻る。
執務室の窓から、塵となって消えゆく愚者たちの残渣を見下ろしながら、アインズは静かにスタッフを傍らに立てかけた。
(ふぅ……。突然の襲撃の割には、随分と騒がしい連中だったな。しかし、大和の国盗り軍勢がこれほど近くまで進張出してきたとなると、このエリアの維持トラップも、さらに厳重に再配置せねばならんか……)
中身の鈴木悟が、ゲーマーとしての防衛タスクの更新を考えていたその頃。
要塞の周囲で息を潜めていた神々の隠密の残党が、恐怖にガタガタと全身を震わせながら、この世の終わりを目撃したかのような顔で、それぞれの陣営へと敗走を開始していた。
大和の陣営へ、そして諏訪の陣営へ。
至高の魔王の圧倒的な武力の噂が、地上の国盗り合戦というチェス盤のすべてを引っくり返す、最悪の爆弾として拡散されていく。これが、これから勃発する、神話の決戦――諏訪大戦へ、アインズが最重要存在として強引に巻き込まれていく、決定的な引き金となるのだった。