眷属なき魔王、独りの玉座 作:一般通過アクシズ教徒
陥没した地下の穴から這い上がり、つがいのドラゴンを『三重最強化・爆裂』で塵に変えた後。
モモンガは、焦げた大木の樹皮と手持ちの布地を顔にぐるぐると巻きつけ、フードを目深に被るという、ひどく不格好で怪しい即席の変装を完了させていた。
「よし……これで、一応の体裁は整ったな」
バリトンの効いた重低音でそう呟き、モモンガは隣に佇む八意の少女を見下ろした。
衣服は泥と爆風の煤で汚れ、小さな身体はまだ先ほどの戦闘の余波でかすかに震えている。しかし、彼女の瞳にあるのは、モモンガの不審な姿への疑念ではなく、純粋な好奇心と、かすかな安堵の光だった。
「モモンガさん、顔……本当に大丈夫? 私、都市に戻ったら、お医者様を呼んであげることもできるけれど……」
「いや、必要ない。私のこの傷は、君たちの医療で治せるような生易しいものではなくてね。気にせず、君の街へ歩を進めよう。夜の荒野は野生動物が多い」
モモンガは営業用の重厚な声で遮りながら、内心では、
(うわあああ気遣いが痛い! 優しい子だなあ! でも医療班なんか呼ばれたら、フード外しただけで骨丸見えで即座にバケモノ認定されてしまうわ! 営業スマイル、営業スマイル……あ、骨だから笑えないんだった!)
と、激しい冷や汗を流していた。
パチパチ、と脳内で緑の光が灯り、パニックがスン……と凪ぐ。
「……八意。君の街は、どちらの方向だ?」
「あっちよ。あの、一番高くて青い光が昇っているタワーの方向」
彼女が小さな指で指し示したのは、遥か地平線の先、夜空を鋭く切り裂くように細い光の束を天へと放っている場所だった。
二人は、月明かりだけが頼りの超古代の荒野を、ゆっくりと歩き始めた。モモンガは、大人の人間の半分ほどしかない八意の短い歩幅に合わせ、意識して極限まで歩調を緩めていた。
コツ、コツ、とモモンガの硬い足音と、八意のペタペタとした足音が静かな夜に響く。
「ねえ、モモンガさん。貴方は、どこから来たの?」
沈黙に耐えかねたのか、八意がフードの裾をチラチラと見上げながら尋ねてきた。
「私は……遠い、本当に遠い異国から来た、ただの旅の魔法使いさ。世界の境界を越えて、気がついたらこの地に立っていたのだよ」
「世界の境界……。じゃあ、貴方のいた国にも、さっきみたいな大きいドラゴンがたくさんいたの?」
「いや、あんな野生のものは稀だったな。私のいた場所には、もっと規律があり、強大な力を持った……そう、私の大切な仲間たちがたくさんいたのだ。皆で一つの大きな家に住んでいてね」
「仲間……」
八意はその言葉を、どこか羨ましそうに呟いた。
「私の家には、大人はたくさんいるけれど、みんな難しい顔をして数字や機械のことばかり話しているわ。私が新しい薬の配合を見つけても、『子供の分際で危ない真似をするな』って怒るの。私の話を、ちゃんと聞いてくれる人は一人もいない」
少女の寂しげな横顔。モモンガは、その言葉に現実世界の記憶を重ね合わせていた。
(あー……なんか分かるなぁ。自分の子供時代も、周りは公害と企業の利益の話ばかりで、誰も子供の夢なんか聞いてくれなかった。異世界でも、大人の理不尽さは変わらないってことか)
「八意。大人は往々にして、自分の理解を超える知性や才能を恐れるものなのだよ。君のその瑞々しい探求心は、決して間違っていない。少なくとも、私は君のその賢さを、とても素晴らしいと思うがね」
「……っ」
八意が弾かれたように顔を上げ、布の隙間から覗くモモンガの赤く明滅する眼窩を見つめた。
そして、それまでの怯えや緊張が嘘のように消え去り、等身大の子供らしい、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「ありがとう、モモンガさん! 貴方にそう言ってもらえると、なんだかすごく、胸の奥が温かくなるわ」
(うわ、まぶしい……! 営業トークのつもりだったけど、こんなに喜ばれると、こっちの心が洗われる気がするなぁ。やっぱり子供は笑っている方がいい)
そんな他愛のない、しかし二人にとっては初めての「対等な対話」を交わしながら、夜の道中は穏やかに進んでいった。
数時間の歩行を経て、周囲の鬱蒼とした森が開け、視界が一気に広がった。
その瞬間、モモンガは思わず足を止め、布の奥の息を呑んだ。
「……っ、これは」
そこにあったのは、彼が想像していたような原始的な人間の集落や、藁葺き屋根の村などでは断じてなかった。
荒涼とした大地の果てにそびえ立つのは、現実世界の巨大企業の建造物をすら凌駕しかねない、冷徹な幾何学模様を描く巨大な建造物群。無機質で清浄な白い隔壁が都市の周囲を完璧に囲み、天に向かって伸びるタワーからは、未知のエネルギーの奔光が淡い燐光を放って夜空を切り裂いている。
超古代の地球に存在するはずのない、あまりにも高度なレベルの超文明都市。
(近未来都市……!? なんだこれは、ユグドラシルの新マップか? いや、違う。グラフィックの密度や大気の匂いが、ゲームの領域を完全に超えている。……いや、そもそも何だあのテクノロジーは。私のいたリアルの企業都市とも、構造の思想がまるで違うぞ……)
アンデッドとしての鋭敏な知覚が、その都市の周囲に張り巡らされた見えない圧力を察知していた。
高度な自動防衛システム、あるいは未知の強力な結界。もし、ユグドラシルの高レベルモンスターである自分が不用意に近づけば、都市の感知網に引っかかり、大規模な迎撃行動を誘発しかねない。
(危ねえ……! 社畜の直感が告げている。これ以上進むのはリスクがデカすぎる。取引先の重要拠点に、アポなしで作業着のまま突っ込むようなもんだぞ。一発で出禁、訴訟、最悪の場合、全面戦争だ……!)
モモンガは即座に判断を下し、都市の白い光が届く境界線から大きく離れた丘の上で、八意の手をそっと離した。
「八意。私は、ここまでだ」
「え……? 一緒に中には、来てくれないの?」
少女の瞳に、明らかな寂しさと戸惑いの色が浮かぶ。衣服の袖をぎゅっと掴んでくる小さな手に、モモンガはかすかな心苦しさを覚えたが、フードの奥で静かに首を横に振った。
「私のこの姿だ。君たちの……その立派な国の住人たちを、無用に驚かせ、混乱させるわけにはいかない。顔の傷の療養(骨だが)もしなければならないしね。……ここまで来れば、もう一人で帰れるだろう」
「うん。都市の誘導ビーコンの信号を拾えてるから、大丈夫だけど……」
八意は、白い隔壁の向こうに広がる自らの故郷を見つめ、それからもう一度、モモンガの不気味な変装姿を見つめた。
彼女にとって、都市の中にいる冷徹で規律ばかりを重んじる大人たちよりも、この不気味な荒野の底で自分を救い、歩幅を合わせて歩いてくれた異形の魔法使いの方が、ずっと温かく、信頼できる存在に思えていた。
「……モモンガさん。助けてくれて、お話を聞いてくれて、本当にありがとう。私、貴方のこと、絶対に忘れないから」
「ああ。気をつけてな、八意」
少女は何度も、何度もこちらを振り返りながら、近未来都市のゲートへと向かって走っていった。その小さな背中が、白い光の障壁の中に無事に吸い込まれていくのを、モモンガは見届けるまでその場を微動だにしなかった。
一人、静寂の荒野に残されたモモンガは、深く、存在しない息を吐き出した。
(さて……月曜日の出社は、これで完全にバックれちゃったわけだ。あはは、クビ確定だな。まあ、戻る方法もないんだから、仕方ない。まずは、雨風を凌げる安全な拠点を作るところから始めるか……)
こうして、孤独な魔法使いは、完全不可視化の魔法を身に纏い、暗闇の森の奥へと消えていったのだった。