眷属なき魔王、独りの玉座 作:一般通過アクシズ教徒
さらに百年の時をかけた月の民の巨大プロジェクトは、ついにその完成の刻を迎えていた。
地上に生きる人類の文明都市の最深部。天を突くようにそびえ立つ巨大な宇宙船の周囲では、数千の民が慌ただしく乗り込みを開始していた。高度な技術の結晶が、清浄なる月の世界へと遷都するための光を放ち、カウントダウンの火を灯そうとしている。
「各ブロックの推進炉、同調率98%……。誘導システム、問題なし。よし、これなら予定通りにいけそうね」
管制センターの最前線で、無数の画面を滑らかに操作しながら、八意は静かに指示を飛ばしていた。
白髪の髪をなびかせ、最高責任者としての賢者の仮面を被る彼女の姿に、周囲の技術員たちは絶対的な信頼を寄せていた。だが、冷徹に任務をこなす彼女の心の中には、昨夜、あの森の庵で別れた仮面の魔法使い――モモンガの動向が、ずっと残り火のように燻っていた。
(彼、こんな時になっても仮面を取ってくれなかったわね。あの人の顔の傷を実際にみれたら、もう少し治療の目途がたつのに…)
八意が小さく唇を噛んだ、その時だった。
ビーーーーーッ!! ビーーーーーッ!!
けたたましい深紅のアラートが、管制センターの静寂を暴力的に引き裂いた。都市の防衛システムが、かつてない異常事態を検知したのだ。
『警告、警告。都市防衛障壁、外部より強大なエネルギー干渉を感知。……感知数、増大。……計測不能!』
「何事!? レーダーを回しなさい!」
八意の鋭い一喝に、怯えた技師が操作盤へ飛びつく。次の瞬間、メインモニターに映し出された外の世界の光景に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「……うそ、でしょ」
近未来都市を取り囲む、はるか地平線の向こう。そこから押し寄せていたのは、黒い、文字通りの津波だった。
恐竜のような巨躯を持つ原生生物、異形な肉体を持つ怪物、山をも跨がんばかりの巨躯を誇る巨鬼――地上を跋扈していた名もなき古代の妖怪たちの軍勢。その数は数万、あるいは数十万。彼らは怒り、狂い、誠実な生存への執念を燃やして咆哮していた。
月の民が地球を捨てて月へ遷都すれば、地上から彼らを敬う、あるいは恐れる知性体が激減する。それは、人々の恐れや信仰によって存在の強度を保っている妖怪たちにとって、文字通りの死、もしくは大きな弱体化を意味していた。
生き残るために星を捨てる人間と、生き残るためにそれを阻止せんとする妖怪。文字通りの、絶対的な生存競争の火蓋が切って落とされたのだ。
ズガァァァァァァンッッッッ!!!!
都市が誇る近未来の超科学防衛障壁に、大妖怪たちの放つ規格外の妖気や肉体攻撃が激突する。ガラスが軋むような悲鳴をあげて、白い障壁にピキピキと決定的な亀裂が走り始めた。
「防衛ドローン全機起動! 迎撃システム、最大出力! 移住船のカウントダウンを急がせて!」
八意は冷徹に叫んだが、内心の焦燥は隠せなかった。超文明の兵器が妖怪たちを塵に変えていくが、それ以上の数の暴力が、防衛線を文字通り食い破りながら都市へと突き進んでくる。このままでは、移住船が飛び立つ前に、全員が有象無象の妖怪の胃袋に収まることになる。
同じ頃、都市から遠く離れた森の隠れ家。
モモンガは、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に、庵の外へと飛び出していた。地響きのような大妖怪たちの足音が、数十キロ離れたこの場所まで明確に伝わってくる。
彼が張り巡らせていた探知魔術の網には、都市を完全に包囲するようにして蠢く、無数の圧倒的な魔力反応の塊が引っかかっていた。
(何なんだ、あの数は……!? かつてギルドの防衛戦で経験した大侵攻を思い起こさせるが、あの時よりもなお、生命としての不気味な質量を感じる)
中身の鈴木悟は、あまりの異常事態に激しい焦燥を抱いていた。
(あまりにも危険すぎる。私一人の身を守るだけであれば、今すぐ転移魔法を使い、この国から完全に離脱すべきだ。ナザリック大墳墓の防衛機構もなければ、私の指示に従う配下も一人としていないのだ。これほどの未知の大軍勢と正面から交戦するなど、合理的な判断とは到底言えない)
引き返そうと、モモンガは足を動かしかけた。
だが、その瞬間。彼の脳裏を過ったのは、昨日、庵の椅子に座って自分の語るギルドの名を『大好きよ』と言って微笑んでくれた、八意の横顔だった。
100年間、自分をただの一人の人間として、対等に扱ってくれた世界で唯一の友人。
(……逃げるのか、鈴木悟。ここで彼女を見捨てて生き延びたとして、私はこの先、かつての仲間たちが残してくれたこの名を胸を張って名乗れるのか?)
ドクン、と精神が揺らぎ、緑の光が身体を包む。強制的精神安定の冷たい光が、沸騰しかけた焦りを凪の境地へと沈めていく。
冷徹な絶対者としての思考の底で、モモンガは、自分の骨の手を強く握りしめた。
この100年の交流で、彼の中には、大切な者を絶対に裏切らないという、確固たる意志が深く根を張っていた。
「……フッ。世界の境界を越えて迷い込んだあの夜から、私の身の振り方など、とっくに決まっていたはずだな」
モモンガは自嘲気味に呟くと、顔を隠していたフードの紐を、力強く結び直した。そして、スタッフを高々と掲げ、飛行魔術を発動する。
「待っていろ、八意――!」
漆黒のローブを翻し、孤高の魔法使いは、この世界でできた、ただ一人の友を救うため、地獄と化した都市のの戦場へと向かってまっすぐに飛び立った。
◇
森の隠れ家を飛び立ち、飛行魔術で空を滑空するモモンガの視界には、すでに異常な光景が広がっていた。
地平線の彼方、月の民の都市を全方位から埋め尽くすようにして蠢く、黒い妖怪たちの群れ。それは数万、数十万という生命の濁流であり、大気そのものが彼らの放つ狂暴な妖気によって赤黒く濁り、激しく震えていた。
(何という数だ。都市の防衛障壁に到達する前に、まずはこの上空を制圧している飛行妖怪の群れを排除せねば、八意の元へ辿り着くことすらままならん。……一刻の猶予もないな)
モモンガの接近を察知したのか、都市の包囲網の外縁を形成していた、翼幅十メートルを超える数千の有翼の大妖怪たちが、一斉に鋭い鳴き声をあげて反転した。鋭利な爪と、大気を引き裂く風の刃が、上空のモモンガを圧殺せんと一斉に襲いかかってくる。
「我が飛行の邪魔をするか、羽虫どもが。――『上位魔法盾』」
モモンガがスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを横に一閃すると、彼の周囲の空間に、魔力の防壁が瞬時に展開された。
ズガガガガガガガンッッッッ!!
押し寄せた有翼の妖怪たちが防壁に激突し、自らの速度と質量によって勝手に肉体を砕かれ、血煙をあげて墜落していく。しかし、後続の群れは死を恐れることなく、なおも雲を覆い尽くすほどの黒い壁となって迫る。
「無駄なことを。数の優位だけで、この私を止められると思案したか。――『最強化・千本骨槍』」
モモンガの骨の指先が虚空をなぞると、上空の至る所に歪んだ空間の裂け目が現れた。そこから突き出したのは、大気そのものを鋭利な刃に変えた骨の槍。
それらが意思を持つかのように飛行妖怪の群れを自動的に追尾し、その肉質な翼や頑強な甲殻を容赦なく貫いていく。空中に、絶叫と黒い鮮血の雨が凄絶に吹き荒れた。
「さらに、これで消し飛ぶがいい。――『三連最強化・極大流星雨』」
スタッフの先端の宝石たちが一斉に不気味な輝きを放ち、夜空のさらに彼方から、超高熱を帯びた魔力の隕石群が召喚された。
光の豪雨が上空の戦場を真横に薙ぎ払うようにして炸裂する。一発一発が地形を変えるほどの威力を秘めた極大魔法の連射により、空を埋め尽くしていた数万の有翼の妖怪たちは、悲鳴をあげる暇さえ与えられず、その圧倒的な光と熱の濁流のなかで分子レベルで融解され、影すら残さず蒸発していった。
上空の包囲網を一瞬にして力づくで消滅させ、赤黒い妖気の霧を真っ二つに切り裂きながら、漆黒のローブを翻した魔法使いは、白い都市の中心部――まさに崩壊の危機に瀕している発射台の直上へと、急降下を開始した。
◇
近未来都市の誇る、清浄なる白い外壁が、耳を聾する爆音と共に内側へと爆ぜた。
迎撃ドローンは、生存競争に狂った名もなき妖怪たちの放つ、狂暴な妖気によってことごとく叩き落とされ、火花を散らす電子の残骸となって地表を転がっていく。地響きを立てて雪崩れ込んできていたのは、数万、数十万という異形の黒い津波。それは、私たちの希望の象徴である移住宇宙船のそびえ立つ中心部へと、確実に迫っていた。
「第二防衛線突破されました! ……もう、持ちません!」
「避難民の誘導が間に合わない! 結界の出力が低下しています!」
管制センターから飛び出した私は、退路の断たれた発射台の前で、必死に声を張り上げていた。
長く美しい白髪が、戦火の熱風に激しくなびく。
これまで私は、都市の大人たちから天才、神童と持て囃され、自分でもすべてをコントロールできるつもりでいた。百年間、感情を殺して賢者の仮面を被り、この遷都計画を完璧に進めてきたはずだった。
けれど、眼前に迫る圧倒的な暴力の前で、その仮面はあまりにも脆く、粉々に砕け散った。
私のすぐ目の前には、山のごとき巨躯を誇る一本角の巨鬼が、不気味な刺のある棍棒を振り上げて迫っている。周囲の大人たちは腰を抜かし、涙と鼻水に塗れて逃げ惑うことすら忘れている。
(ここまで、なの……? 私が、百年間かけて築き上げた全てが……ここで、ただの餌として終わるというの?)
棍棒が振り下ろされる。死の風圧が私の肌を叩く。
その刹那、恐怖で麻痺していく脳裏を過ったのは、あの静かな森の庵だった。
周囲の大人たちが誰も私の言葉を聞いてくれなかった頃、私の知性を対等に扱い、優しくあやしてくれた、あの仮面の魔法使い。
なぜ彼は、何百年経っても決してあの顔の布地を取ろうとしなかったのだろう。なぜ、いつもあんなに頑なに素顔を隠していたのだろう。
(モモンガさん……貴方に、最後にもう一度だけ、会いたかったな――)
私が静かに死を受け入れ、目をつぶったその瞬間だった。
上空の赤黒い雲が真っ二つに裂け、世界そのものを切り裂いて、ガラスが粉々に割れるような冷徹な世界の声が、空間を激しく震わせた。
「――『広域最強化・生気吸収』」
ドガァァァァァァァンッッッッ!!!!
私の目の前に迫っていた巨鬼を含め、発射台の周囲に雪崩れ込んでいた数百、数千の大妖怪たちの肉体が、一瞬にしてどす黒い負のエネルギーの渦に呑み込まれた。悲鳴をあげる暇さえなく、彼らは水分を失った泥人形のように急速に干からび、そのまま塵となって夜風に消滅していく。
「え……?」
驚愕に目を開けた私の視界。
戦火の煙を真っ二つに割って、上空からゆっくりと降臨してきたのは、あの巨大な男――モモンガさんだった。
その手に握られた、見たこともない神々しい杖が、世界を捻じ曲げるほどの極大の魔力を放っている。
だが、安堵したのも束の間、信じられない光景が私の目を射抜いた。
魔法発動の時の微細な衝撃波によって、彼の顔を百年間隠し続けていた焦げた木の皮の仮面がパキパキと音を立てて砕け散り、頭部に巻かれていた布地が、戦火の熱風に煽られて一気に吹き飛んだのだ。
露わになったのは、人間の肉を一切持たない、冷徹で、凶悪なまでの威容を誇る生ける骸骨の頭骨だった。
「あ……、あ……っ」
その眼窩の奥で、ルビーのような禍々しい赤光がゆらゆらと燃え盛っている。彼の全身から立ち上っているのは、生命ある者を根こそぎ拒絶する、圧倒的な死の波動。都市の倫理観が最も忌むべきとする、絶対的な不浄――穢れそのものの化身が、そこに立っていた。
(モモンガさん、貴方は……人間では、なかったの……? 昔、私をあやしてくれたあの冷たい手の理由は、本当に、死そのものだったの……?)
恐怖と、それ以上の衝撃に、私の身体は完全に硬直していた。周囲の技術員たちも、妖怪を瞬殺した救世主が放つ絶対的な不浄の気配に、ガタガタと歯を鳴らして絶望の声を漏らしている。
仮面と布地が完全に吹き飛んだことを自覚しながらも、アインズ――中身の鈴木悟は、すでにその事実を割り切っていた。
内心では八意に正体が見られたことに凄まじい焦燥を抱きつつも、彼の心に焦りはない。正体が露見するリスクなど、彼女の命を失う損失に比べれば取るに足らない。
「我が名はモモンガ! いや、今この瞬間より私は、かつて私が愛した全ての象徴の名を背負う! 我が真の名は、アインズ・ウール・ゴウン!! 命を惜しまぬ羽虫どもよ、至高の王の前に平伏するがいい!!」
その絶対的な威厳に満ちた声と共に、アインズの肉体から『絶望のオーラⅢ』が解放された。戦場全体に狂気と戦慄の波動が駆け巡り、押し寄せていた数万の妖怪たちの進軍がピタリと停止する。骸骨の魔王の威容を前に、地上の妖怪たちも月の民の技術員たちも、等しく恐怖で息を止めていた。
「行くぞ。――『中位アンデッド作成:デス・ナイト』『中位アンデッド作成:ジャック・ザ・リッパー』」
アインズが魔力を解放するたび、戦場に転がる妖怪たちの死体から、漆黒の巨大な盾を持つ不死者の騎士、 そして凶悪な鉤爪を持つ暗殺者が次々と立ち上がった。その数、数十。一瞬にして即席の魔王の防壁が形成され、妖怪たちの軍勢を力づくで押し留めていく。
防壁の構築を確認したアインズは、驚愕に震える八意へ向けて、威厳に満ちた声音を響かせた。
「八意! ぼんやりするな、戦況を動かすぞ! 君の宇宙船の離陸準備、あと何分かかる!?」
「え……あ、あと、あと15分よ! でも、貴方は一体……!」
「15分だな、了解した。ならば私がこの前線を完全に封鎖しよう。君は速やかに離陸のプロセスを進めろ。……行くぞ、羽虫ども! 『千本骨槍』!」
アインズがスタッフを鋭く一振りすると、前方の空間が歪み、骨の刃が地中から一斉に突き出して前衛の妖怪たちを串刺しにした。さらに彼は間髪入れずに追撃の術式を展開していく。
「――『最強化・重力渦』」
中衛に控えていた数万の異形の群れの真上に、局所的な超重力の球体が現れた。目に見えない巨大な鉄槌が天から容赦なく振り下ろされたかのように、妖怪たちの肉体が骨の砕ける音を立てて地面の底へと叩きつけられ、広大なクレーター状に陥没していく。
超科学でも止められなかった妖怪の群れが、アインズ・ウール・ゴウンというたった一人の絶対的な魔法使いの力によって、完全に圧倒され、文字通り一網打尽に蹂躙されていく。
「よし、前衛の足止めは完璧だ。このままアンデッドの壁を維持しつつ、後衛を高位階魔法で削りきる!」
絶対的な強者がもたらした、確かな防衛戦術。八意の瞳にも、彼への畏怖と同時に、確かな救いの光が灯りかけていた。
――だが、その希望が最高潮に達した、まさにその瞬間だった。
ドゴォォォォォォォンッッッッ !!!
天地を揺るがすような凄まじい衝撃音と共に、デス・ナイトたちが築いていた防壁のど真ん中に、上空の闇の底から何かが超高速で突き刺さった。質量波によって、頑強なはずのデス・ナイト数体が、一瞬で木っ端微塵に吹き飛ぶ。
もうもうと立ち込める不気味な黒い土煙。アインズは即座にスタッフを構え、眼窩の赤光を鋭く細めた。
大穴の中心に佇んでいたのは、禍々しい化け物ではなかった。金色の美しい髪を夜風に揺らし、夜の闇そのものをドレスのように身に纏った、一人の少女。
彼女は、ルビーのように妖艶に輝く瞳でアインズを見つめると、小首を傾げ、鈴を転がすような声で、くすくすと笑った。
「貴方、少し暴れすぎね。」
その声が響いた瞬間、アインズの脳内で、過去最大級の危険信号が鳴り響いた。