第4Q開始を知らせるブザーが鳴ると、両チームの選手たちが再びコートへ散っていった。スコアボードには「78-57」と表示されており、前半には一度縮まりかけていた点差が、第3Qだけで二十一点まで広がっている。
その最大の原因が誰なのかは、相手にも分かっていた。
銀城へボールが渡る前からPFが身体を寄せ、その後方にはもう一人が待っている。第3Qでは一人で守れば抜かれ、二人を送っても突破され、最後には三人で囲んだうえにシュート動作の途中で腕を叩いてなお、バスケットカウントを奪われた。だからといって四人目まで向かわせれば、残る四人を一人で守らなければならなくなる以上、相手に残されている選択肢はほとんどなかった。
春日はボールを運びながら、その配置を一度見ただけで状況を理解した。
「そこまでやるか」
右サイドへ動いた銀城にPFが密着し、さらにウイングの一人が身体をそちらへ向けている。まだボールを持ってすらいない一年生に二人分の意識が向いたことで、反対側では津川についていた守備が半歩内側へ寄り、中央にもわずかな空間が生まれていた。
春日は銀城へパスを出さず、トップから坂本へボールを送った。そこから津川へ渡る間に岩村がゴール下へ入り込み、銀城側を警戒していた守備が戻り切るより先に、津川から低いパスが通る。岩村が身体をぶつけながらリングへ押し込み、正邦は第4Q最初の攻撃でも二点を加えた。
「ナイス、岩村さん!」
津川の声が飛ぶ中、銀城は一度もボールへ触れないまま自陣へ走り出していた。その表情に不満はなく、自分へ二人の意識が向いた結果として正邦が簡単に得点したことを、当然のように受け入れている。
『今の、蓮が二人引っ張ったから空いたんだよ』
【見りゃ分かる】
『自分にはボール来なかったけど』
【だから何だよ。点入っただろ】
あまりにも素っ気ない返答に、表の蓮は少しだけ黙った。
裏の蓮は自分で点を取ることを好む。三人に囲まれれば逃げるのではなく、むしろ三人いることを面白がって突破しようとするほど、その性格は攻撃的だった。
けれど、得点者が自分であることには執着していない。
自分が二人を引きつけるだけで味方が簡単に二点を取れるのなら、それもまた勝つための方法として何の抵抗もなく受け入れる。表の蓮が味方を生かして勝とうとするのとは考え方が違うが、最終的に見ているものは同じだった。
相手の攻撃では、銀城がマークするPFへボールが集められた。身長差こそ大きくないものの、インサイドでの経験と身体の厚みでは相手に分があり、スクリーンを使って銀城を一度外してからローポストへ入ろうとする。
ガードがその動きに合わせてパスを出した瞬間、銀城は遅れて動いた。
パスコースを先読みしたわけではない。相手がボールを放してから一歩目を踏み込み、それでも受け手へ届くより早く身体を滑り込ませる。伸ばした右手がボールを弾き、ルーズボールを拾った津川がそのまま前へ走り出した。
「銀城!」
津川から返されたボールを走りながら受け取った銀城の前には、二人の守備が戻っていた。さらに背後からもう一人が追いつこうとしており、第3Qであれば、その三人すべてを相手にリングまで行っていたとしても不思議ではない。
『また三人来るよ』
【懲りねえな】
銀城は速度を落とさず、一人目へ正面から向かっていった。守備が腰を落としたところでドリブルの高さを一気に下げ、右側から寄ってきた二人目まで銀城へ身体を向けた瞬間、ボールだけが背後へ抜けていく。
そこには、後ろから走ってきた春日がいた。
「おっ」
春日は受け取った瞬間こそ驚いたものの、すぐに前を向いた。銀城へ三人が集まったことで、正邦は残りの場所で完全な数的優位を作っている。中央へ入りながら最後の守備を引きつけ、左へ流すと、待っていた坂本がノーマークからシュートを沈めた。
「ナイス!」
戻りながら坂本が手を上げると、銀城も軽く片手を返した。その隣へ並んだ春日は、今のプレーがどうにも気になったらしい。
「お前、行かなかったな」
「何がすか」
「三人。さっきまでなら抜きに行ってただろ」
「抜けますよ」
「だったら何で出したんだよ」
銀城は質問の意味が分からないというように春日を見た。
「坂本さんが空いてたし、そっちの方が早かったからですけど」
「……それだけ?」
「それ以外に何があんすか」
春日は返事をしないまま、銀城の横顔を見た。
個人で三人を突破できるほどの力がありながら、三人を集めたことで味方が空けば、そこへ何の躊躇もなくボールを出す。自分で決められるから自分で決めるのではなく、自分で決めることが最も早い時だけ自分で行き、それより確実な道があればそちらを選ぶ。
それは、相手にとって厄介という言葉では足りない。
第3Qまでは、銀城をどう止めるかだけを考えればよかった。一人で無理なら二人、二人で無理なら三人と人数を増やし、どこかで突破を止める方法を探すことはできた。
しかし、銀城自身が集まった守備を利用して味方を使うのなら、その考え方そのものが成立しなくなる。
次の正邦の攻撃でも、銀城へ二人目が寄った。
今度はボールを受けた瞬間に一人目の外側へ踏み込み、二人目が完全に身体を向ける直前で岩村へ落とす。岩村がシュートへ入ればセンターが寄り、その背後を津川が走り抜ける。ボールは岩村から津川へ渡り、正邦の得点がまた二点増えた。
スコアは84-59。
銀城自身が第4Qに入ってから決めた得点は、まだ一つもない。それでも点差は広がっていた。
ベンチから見ていた松元は、そこで初めて腕を組み直した。
第3Qまでに見た銀城の個人能力だけでも、十分に想定を超えていた。一人で止められない選手というだけなら、それでもまだ対策の考えようはある。ボールを持たせない、人数をかける、シュートまでに複数人をぶつける。相手が一人で攻める限り、守備側はその一人へ人数を集中させることができる。
だが、銀城はそこに固執しない。
自分に二人来れば一人空くことを理解し、三人来れば二人空くことも当然のように利用する。しかも、前半までの銀城には《天瞰眼》があり、味方を使うことに関しては今よりさらに異常な精度を持っている。
松元は第4Q開始前に考えていた《キセキの世代》のことを、もう一度思い出していた。
あの五人がどのような高校生になっているのか、松元もすべてを知っているわけではない。それでも帝光時代の彼らが、圧倒的な個の才能を持つ選手たちとして知られていたことは知っている。
銀城にも、それに並べて考えたくなるほどの個がある。
しかし、銀城の厄介さはそこだけではなかった。
これほどの個人能力を持ちながら、正邦の五人で戦うことを何とも思っていない。自分へ二人来れば春日を使い、三人来れば坂本を使う。岩村が確実ならインサイドへ入れ、津川が走ればそちらへ出す。自分が囮になることすら、チームが勝つためなら当然の選択肢として受け入れている。
まして、前半までの銀城なら、その判断を《天瞰眼》でコート全体を見ながら行う。
個人で止められないから人数をかければ、その瞬間に正邦全体へ利用される。松元はそこで、ようやく銀城蓮という選手の本当の使いにくさではなく、相手から見た本当の恐ろしさが分かった気がした。
キセキの世代と同じ時代に生まれた怪物が、正邦のバスケットを壊すどころか、その中へ平然と入ってくる。それは、想像していた以上に性質が悪い。
「監督、何か嬉しそうっすね」
ベンチの大室に言われ、松元は僅かに眉を上げた。
「そう見えるか?」
「ちょっとだけ」
「なら気のせいだ」
そう答えながらも、松元の視線はコートから離れなかった。
試合時間が進むにつれて、相手は銀城への寄せ方を変え始めた。早く二人目を送れば正邦に空いた場所を使われるため、今度は最初の守備にできるだけ粘らせ、銀城が突破へ入ってからヘルプを送ろうとする。
その守り方へ変わった最初の攻撃で、銀城は右サイドから一人目を抜いた。低く落としたドリブルから一気に身体を前へ運び、守備が腰を回した時にはすでに肩が横を抜けている。遅れてセンターがリング前へ出たが、銀城は接触する直前に踏み切り、伸びてきた腕の外側へ身体をずらしながらバックボードへボールを当てた。
ネットが揺れ、スコアが88-61へ変わる。
「一人にするな! 早く寄れ!」
相手ベンチから声が飛ぶ。
次の攻撃では、再び銀城へ二人目が早く寄った。
春日はその動きを見ながら、思わず笑った。
「地獄だな、これ」
「何がすか」
「お前守る方」
「知らねえっすよ。向こうの都合でしょ」
銀城は本当に興味がなさそうだった。
相手が一人なら抜く。二人でも必要なら抜く。三人でも抜ける。それでも味方へ出した方が早ければ出すのだから、守備側からすれば正解を選びようがない。
第4Q残り五分を切った時点で、スコアは92-63まで広がっていた。
そこで銀城の内側から、表の蓮が声をかけた。
『もう大丈夫だよね』
【何が】
『試合。ここからひっくり返される点差じゃないよ』
【だから?】
『そろそろ返して』
身体を動かしている蓮は、すぐには答えなかった。試合はまだ終わっていない。点差がどれだけ開いていようと、最後まで自分が出続けても何も問題はないと裏の蓮は考えている。
【俺が最後までやっても勝てるぞ】
『うん。でも、僕もこのチームで最後までやりたい』
返ってきた言葉に迷いはなかった。これまでの表なら、自分では流れを戻せないと思った瞬間に主導権を奪われ、そのまま内側から見ていることしかできなかった。だが今は、すでに勝敗が決まりつつあるからという理由だけではなく、自分自身がコートへ戻りたいという意思をはっきり向けている。
裏の蓮はしばらく黙ったまま、その意思を確かめるように同じコートを見ていた。
【……取れるなら取ってみろよ】
『え?』
【俺に返してほしいんじゃねえだろ。お前が戻りたいんだろ】
譲るとは言わなかった。それでも、これまで一方的に押さえ込まれていた主導権の境目に、わずかな隙間が生まれる。
表の蓮はそこへ自分の意思を押し込んだ。
春日がボールを運ぶ横で、銀城の歩幅が一度だけ小さくなった。近くにいた春日が異変に気づいて顔を向けると、銀城はゆっくりと瞬きをしている。
再び開いた灰銀の瞳からは、一点へ突き刺さるようだった鋭さが薄れていた。僅かに上がっていた顎が戻り、開いていた肩から余計な力が抜ける。同じユニフォームを着た同じ一年生であるはずなのに、立ち姿から受ける印象まで前半の銀城へ戻っていた。
「……銀城?」
「はい?」
返ってきた声を聞いた瞬間、春日はさらに眉を寄せた。
「お前、今……」
「春日さん、前」
銀城の視線はすでにコートへ向いていた。その瞬間、蓮の中で五対五の配置が一つの景色として繋がった。右を走る津川、中央へ入ろうとする岩村、左へ開く坂本、戻りながらそれぞれを探す相手の五人。その全員の身体の向きと重心から、数秒後に生まれる場所が組み上がっていく。
相手のシュートが外れ、岩村がリバウンドを取った。
「銀城!」
受け取った蓮は前を向き、まだ津川自身が走る場所を決め切るより先にボールを放した。
「えっ――」
津川が反射的に前へ踏み出す。その一歩の先へボールが届いた。
津川は勢いを殺さず受け取り、そのままリングへ運んでレイアップを沈める。スコアボードが96-65へ変わる中、戻ってきた津川は銀城へ手を上げた。
「ナイスパス!」
「ナイスです、津川」
銀城も笑って手を返す。その横で、春日だけが笑っていなかった。
第3Q終了間際に聞いた「あいつ」という言葉と、今目の前で起きた変化が頭の中で繋がりかけている。鋭かった目が戻り、荒かった口調が戻り、何より使っていなかった《天瞰眼》が、何事もなかったかのように再び機能している。
「……ほんと、何なんだよお前」
「何か言いました?」
「何でもねえよ」
春日はそれ以上聞かず、次の攻撃へ走った。
残り時間、正邦の攻撃はさらに滑らかになった。表へ戻った銀城は自ら得点を量産するのではなく、相手の配置が完成するより先に次の場所へボールを送っていく。そこへ春日が加わることで、一度目のパスで崩れなければ二度目でずらし、岩村が中で身体を張れば坂本や津川が外と裏を使う。
第3Qとはまったく違う形だったが、それでも相手にとって苦しいことは変わらない。第3Qでは個人で三人を突破する銀城を止められず、第4Q前半ではその銀城が守備を引きつけながら味方を使い、最後には《天瞰眼》を持つPGとして正邦全体を動かし始めた。
試合終了を告げるブザーが鳴った時、スコアボードには最終結果が表示されていた。
104-71。
正邦の勝利だった。前半には一度流れを失いかけた試合が、終わってみれば三十三点差まで開いている。
銀城はスコアボードを見上げながら、静かに息を吐いた。自分がコートへ戻った時にはすでに勝敗の大勢は決していたが、それでも最後の数分を正邦のPGとして終えられたことが、少しだけ嬉しかった。
『勝ったね』
【当たり前だろ】
『ありがとう』
【何が】
『流れ、戻してくれたから』
裏の蓮はすぐには答えなかった。
【勘違いすんな。俺は俺が勝ちたかっただけだ】
『うん。知ってる』
【だったら礼言うな】
『でも、同じじゃん』
【何がだよ】
『僕も、みんなで勝ちたかったから』
返事はなかったが、否定もされなかった。
銀城が整列へ向かうと、春日や岩村たちも同じように並んでいく。やがて両チームが向かい合い、体育館に試合を終える声が響いた。
「ありがとうございました!」
頭を上げた春日は、隣に立つ銀城をもう一度見た。今はいつもの柔らかい目をしている。
第3Qで三人を相手に笑っていた一年生と、試合の最後に味方が動くより先へパスを送り続けていた一年生が、どうしても同じ人間には見えない。それでも一つだけ、春日にも分かったことがあった。
どちらの銀城も、勝つために味方を使うことを嫌がっていない。片方は味方を生かすことから考え、もう片方は自分で壊すことから考える。それほど違うのに、最後には正邦が勝つことを選んでいる。
第3Qの終わりに聞いた言葉が、春日の頭にもう一度浮かんだ。
――あいつがうるせえから。
同じ顔と身体を持ちながら、あまりにも違う二つのバスケット。その間に何があるのかはまだ分からないが、少なくとも「調子が変わった」だけで説明できるものではないように思えた。
春日は聞きたい気持ちを押さえ、その日は口を閉じた。問いかけるには、まだ自分の中でも分からないことが多すぎた。
次も見てね。