練習試合を終えた正邦の選手たちは、相手校への挨拶を済ませると、ベンチへ戻ってそれぞれ荷物をまとめ始めた。スコアボードには104-71という最終結果が残っているが、三十三点差で勝ったこと以上に、選手たちの頭には試合の途中で起きた銀城の変化が残っていた。
前半までの銀城は、入部してから何度も見てきた銀城だった。《天瞰眼》でコート全体を捉え、味方自身がまだ気づいていない場所へボールを送り、正邦の攻撃を組み立てる。個人技も一年生としては明らかに高い水準にあるが、それを前面へ押し出すより、味方を動かして得点へ繋げることを好むPG。それが春日たちの知っている銀城蓮だった。
ところが第2Qの終盤から、同じ一年生がまるで別の選手になった。《天瞰眼》を使わなくなった代わりに、ドリブルもシュートも守備も、それまでとは比較にならないほど攻撃的になり、プレーの中心そのものが「味方をどう動かすか」から「自分がどう相手を壊すか」へ変わった。それだけなら、今まで本気を隠していたと考えることもできる。しかし目つきや姿勢、声の調子、先輩への話し方まで変わり、最後にはまた何事もなかったように元の銀城へ戻って《天瞰眼》を使い始めたとなれば、単純にプレースタイルを使い分けているだけでは説明しにくかった。
「なあ、銀城」
シューズを脱いでいた蓮が顔を上げると、すぐ前に津川が立っていた。
「はい?」
「お前、途中から何だったの?」
何について聞かれているのかは確認するまでもなかった。蓮が返事を考えている間にも、頭の中から面白がるような声が聞こえてくる。
【やっぱ聞かれたな】
『そりゃ聞かれるよ。あんな喋り方するから』
【プレーじゃなくてそこかよ】
『そこもだよ。全部違いすぎるんだって』
内側で言い返しながら、蓮はできるだけ普段どおりの顔を作った。
「何って言われても……試合に集中してただけですけど」
「集中したら性格まで変わるの?」
「変わってました?」
「それ本気で言ってる?」
津川は呆れたように蓮の隣へ腰を下ろした。
「目つきも違うし、喋り方も違うし、動き方まで違ったじゃん。最初のお前って、ずっとコート全体見てたでしょ。でも途中から、目の前の奴ばっか見てたし」
蓮は少し驚いて津川を見た。技術の違いではなく、視線の向け方まで見られていたとは思わなかった。
「それに最後、また戻ったし」
「戻ったって……」
「だから、いつものお前に。最後また俺が動く前にパス飛んできたじゃん。あれ最初のお前だったでしょ」
津川は特別鋭い分析をしているつもりではないらしい。ただ、同じコートに立った選手として感じた違和感を、そのまま口にしているだけだった。
そこへ片づけを終えた坂本も加わった。
「俺もそこが一番気になるな。強いとか速いとかは、まあ隠してたって言われたら終わりだけどさ。途中のお前、《天瞰眼》使ってなかったんだろ?」
「……たぶん」
「たぶんって自分のことだろ」
坂本が笑うと、近くにいた大室も会話へ入ってくる。
「逆に最初と最後は使ってた。だったら普通は、途中のプレーに《天瞰眼》も足せばもっと強くなるって考えるじゃん。でもお前、そうしなかったよな」
そこだった。正邦の選手たちが感じている違和感は、銀城が途中から圧倒的な個人能力を見せたことだけではない。むしろ、それほどの力を見せた銀城が、前半まで最大の武器だったはずの《天瞰眼》を完全に使わなくなったことの方が不自然だった。
普通なら、武器が二つある選手は二つとも使う。視野と予測でコート全体を捉えながら、あのドリブルとシュートで自ら得点できるのなら、わざわざ片方を捨てる理由などない。それなのに銀城は、前半では《天瞰眼》を中心に戦い、途中からはまるでそんな眼など最初から持っていなかったようにプレーし、最後には再び元のスタイルへ戻った。
「使い分けてるって感じでもないんだよな」
坂本が腕を組む。
「そうそう」
津川がすぐに頷いた。
「だって途中のお前、最初のお前のバスケにあのドリブル足した感じじゃなかったもん。全部変わってたじゃん」
蓮は返事に困った。
『どうするの、これ』
【知らねえよ】
『知らねえじゃないよ』
【本当のこと言えばいいだろ。俺がやったって】
『それ言ったら全部説明しなきゃいけなくなるじゃん』
【じゃあ黙っとけ】
あまりにも無責任な答えに、蓮は表情へ出さないよう小さく息を吐いた。
「別に隠してるつもりはないんですけど……昔から、試合に入り込むとああなる時があるんですよ」
嘘ではない。ただし、説明にもなっていない。当然、津川も納得しなかった。
「入り込むだけで《天瞰眼》使えなくなるの?」
「使えなくなるっていうか……」
「じゃあ使わなくなる?」
「まあ、そんな感じです」
「何で?」
「津川、尋問みたいになってるぞ」
坂本が笑いながら止めると、津川は不満そうに口を閉じた。そこへ岩村も歩いてきたが、主将は蓮へ答えを求めるより先に津川の肩を軽く叩いた。
「気になるのは分かるが、本人が今言いたくないなら無理に聞くな。今日の試合で俺たちに迷惑かけたわけでもないんだから」
「でも岩村さんも気になるでしょ?」
「そりゃな。ただ、銀城が途中からどうなってたにせよ、勝つためにやってたことは分かる。そこまで疑う必要はないだろ」
岩村の言葉に、蓮は少しだけ目を伏せた。表の自分と裏の自分では、バスケットの考え方がまるで違う。自分は味方と一緒に勝ちたいと思い、もう一人は自分の力でチームを勝たせようとする。それでも、岩村が外から見て感じ取った部分だけは間違っていなかった。
【ほらな】
『何が?』
【俺もちゃんとチームプレーしてただろ】
『そこ自慢するところ?』
【お前より点取って、お前より守って、パスまでしてやったんだから文句ねえだろ】
『はいはい』
思わず蓮の口元が少し緩んだ。その様子を見た津川が、まだ諦めていない顔で覗き込んでくる。
「何笑ってんの?」
「何でもないです」
「絶対何かあるじゃん」
「津川はしつこいですね」
「だって同じ一年だし、これから三年間一緒にやるかもしれない奴のことぐらい気になるだろ」
何気なく返された言葉に、蓮は少しだけ黙った。アメリカから戻ってきて正邦へ入り、まだ一か月も経っていない。自分にとっては、ここがこれから三年間過ごす場所だという感覚すら完全には馴染んでいなかったが、津川は最初からそのつもりで話している。
「……そのうち話しますよ」
「いつ?」
「そのうちは、そのうちです」
「絶対言わない奴じゃん」
津川が即座に返し、周囲から笑いが起こった。
その輪から少し離れた場所で、春日は一人だけ銀城を見ていた。津川たちが感じている違和感は、春日にも分かる。前半と途中では、技術の選び方だけではなく、バスケットそのものの考え方が違っていた。それでも、春日には他の選手より一つだけ多く知っていることがある。
第3Q終了後、銀城が口にした「あいつ」という言葉だった。
――俺はどこでもいいけど。
――あいつがうるせえから、ずっとここは嫌だけどな。
あの時、春日は「あいつ」が誰なのか聞いた。銀城は一瞬だけ明らかに反応し、その後で知らないと誤魔化した。そして第4Qの途中では、鋭かった目つきが一度の瞬きで元へ戻り、それとほぼ同時に《天瞰眼》まで戻ってきた。
春日は二重人格などという答えに辿り着いてはいない。ただ、銀城自身が意図的に二種類のプレースタイルを切り替えているという説明には、少しずつ無理が出始めているように感じていた。
「春日」
松元に呼ばれ、春日は銀城から視線を外した。体育館の出口近くまで歩いていくと、松元は選手たちへ聞こえない程度に声を落とした。
「一緒に出ていて、どう見えた?」
「銀城ですか?」
「ああ。特に途中からだ」
春日はすぐには答えず、試合の中で感じたことを整理した。
「強さより、別の奴みたいだったのが気になりますね」
「別の奴?」
「前半の銀城って、最初に味方見るじゃないですか。《天瞰眼》で全員見て、一番いいところに出す。でも途中からは、まず自分で行けるか見てたんですよ。行けるなら行くし、パスした方が早ければ出す。最終的にはどっちもチームの得点になるんですけど、そこまでの考え方が逆なんです」
松元は黙って聞いていた。
「それだけなら、プレースタイル変えたって言えるかもしれないです。でも途中の銀城、《天瞰眼》使ってないんですよ。あれだけ便利な眼持ってるのに、自分で攻める時だけ捨てる意味が俺には分かんないです。それで最後は目つきも喋り方も戻って、同時に《天瞰眼》まで戻った」
「お前もそこが気になったか」
「はい。あと……」
春日は一度、銀城の方を見た。津川に何か言われて困ったように笑っている姿は、どう見ても普段の銀城だった。
「第3Qの終わりに、変なこと言ってました」
「何だ?」
「俺が4番向いてるんじゃないかって言ったら、『ずっとここは嫌だ』って言った後に、『あいつがうるせえから』って」
松元の眉が僅かに動いた。
「誰のことだ?」
「分かりません。俺も聞いたんですけど、その瞬間だけ黙って、すぐ誤魔化されました」
松元はしばらく何も言わなかった。銀城が何かを隠していること自体は、おそらく間違いない。しかし今日の試合を見る限り、それが正邦へ害を与えるものだと判断する材料もなかった。むしろ前半の銀城も途中からの銀城も、方法こそ違えど正邦を勝たせようとしていたことだけは一貫している。
「今は聞くな」
「いいんすか?」
「本人が話す気のないことを無理に聞いても仕方ない。それに、あいつが何を隠しているにせよ、今日のところは正邦の選手としてプレーしていた。体調に異常がないなら、しばらく俺が見る」
春日もそれ以上は言わなかった。
松元が選手たちの方へ戻っていくのを見送りながら、春日はもう一度だけ銀城へ視線を向けた。最初に知ったのは、《天瞰眼》を持つ一年生だった。今日、もう一つ知らない銀城を見た。
どちらが本当なのかと考えかけて、春日はすぐにその考えをやめた。少なくとも今のところ、片方が偽物だと決めつける理由もない。
二つとも銀城蓮なのかもしれない。ただ、その意味を春日はまだ知らなかった。
次も見てね。