第1Q残り5分12秒、正邦13-11誠凛。
蓮がボールを運び始めると、正面には伊月が入り、その少し後方では黒子がいつでもパスコースへ触れられる距離を保っていた。さらに大室を見ている火神も身体を向け切らず、銀城が伊月を抜けばすぐヘルプへ入れる位置にいる。開始から5分足らずで、誠凛の守備は明らかに蓮を中心として形を変えていた。
伊月一人に任せれば、《天瞰眼》から未来の位置へパスを通される。受け手を消そうとすれば銀城自身に突破され、先ほどは伊月を抜いた後に火神と水戸部までかわして得点された。ならば伊月が正面を受け持ち、黒子がパスを狙い、突破された場合には火神が止める。その狙いは蓮にもすぐ分かった。
『三人とも僕を見てる』
【上等じゃねえか。全員抜け】
『なんでそうなるの』
伊月との距離を測りながら、蓮は右手でドリブルを続ける。目の前にいる一人だけを見れば伊月の姿が最も大きいが、《天瞰眼》の中では自分へ意識を向けている三人と同じだけ、その三人から意識を外された場所も鮮明に見えていた。
蓮が一歩右へ動けば伊月も合わせ、火神の身体が僅かに内側へ寄る。黒子まで津川へ伸びるパスコースを消そうと位置を変えたことで、左側では坂本を見る日向が一人で二つの空間を意識しなければならなくなった。
まだ坂本は空いていない。それでも蓮はボールを離した。日向が何もない場所へ向かったパスを見て反応するが、その時には坂本がそこへ走り込んでいる。動いた先へすでにボールが来ているため速度を落とす必要もなく、そのままシュートへ入った坂本の指先から、日向の手が届くより先にボールが放たれた。
ネットが鳴り、正邦が15-11とリードを4点へ広げる。
誠凛が銀城へ三人分の意識を割いた結果、その外側に生まれた僅かなズレを使われた。ベンチから見ていたリコは、得点した坂本ではなく、すでに守備へ戻っている銀城へ視線を向ける。
守り方そのものが間違っているわけではない。伊月一人では突破もパスも止め切れず、火神を寄せなければ本人に得点される。黒子をパスコースへ置くことにも意味はある。それでも三人が銀城を意識した瞬間、本人はその守備を正面から破ろうとせず、薄くなった場所を迷わず使ってきた。
しかも、空いてから探しているわけではない。空く前に出している。
次の攻撃で伊月がボールを運ぶと、蓮の位置は先ほどまでより僅かに黒子へ寄っていた。黒子が完全に認識から外れる前に、周囲との関係ごと追おうとしている。その変化を察した伊月は無理に黒子へ繋がず、まず日向へボールを預けた。
日向から水戸部へ渡ったところで火神が大きく外へ開き、津川も離れずについていく。水戸部から返されたボールを日向がすぐ逆側へ振ると、正邦の守備が横へ動いた。その移動の中で黒子が蓮の死角へ入り込み、蓮もすぐに意識を向ける。
だが、黒子はボールへ触れなかった。
『――そっちか』
黒子を追った蓮の横を伊月が走り抜け、日向から返されたボールを受ける。《鷲の眼》で正邦の守備が黒子へ僅かに引かれたことを確認していた伊月は、そのまま中へ切り込み、岩村が寄る直前に水戸部へ落とした。
水戸部がゴール下で決め、15-13。黒子を追えば、その意識を逆に利用される。かといって追わなければ、今度は黒子の存在感の薄さそのものを使われる。誠凛もまた、銀城が見せた対応へすぐに次の答えを返していた。
戻りながら、黒子が蓮の横を通る。
「僕だけを見ていると、他が空きます」
「うん。さっき分かった。だから次は、もうちょっと違う見方するよ」
あまりにも素直な返答に、黒子が僅かに蓮を見る。最初の一本では自分への認識を外すことができた。二度目には銀城が追い方を変え、三度目にはその追う意識を伊月に利用された。それでも銀城は戸惑うより先に、もう次の方法を考え始めている。
第1Q残り4分を切り、正邦15-13誠凛。二点差のまま試合は進んでいたが、コートの中では一本ごとに相手への理解が更新されていた。
正邦の攻撃で蓮が中央へ入ると、今度の誠凛は簡単に三人の意識を寄せなかった。伊月が正面で守り、黒子はパスコースへ入りながらも銀城だけに集中せず、火神も大室との距離を保っている。
蓮が右へ動いても、火神は来ない。水戸部も岩村を捨てなかった。ならば、行けるところまで行けばいい。
伊月との間合いを一気に詰め、右へ踏み込むと見せてボールを背中側へ回す。伊月が切り返しへ反応した瞬間、蓮は身体を半歩だけずらして隙間へ肩を入れた。伊月もすぐ追ったが、蓮はすでにフリースローライン付近まで入り込んでいる。
火神はまだ大室を捨てず、水戸部も岩村から離れない。追いつこうとする伊月の腕が届くより先に、蓮は前へ流れながらボールを持ち上げた。高く跳ぶ必要もなく、柔らかく放たれたシュートがリングへ落ち、正邦が17-13と再び4点差を作った。
パスを警戒して寄れば、空いた味方へ出される。寄らなければ、本人が伊月との一対一をそのまま得点へ変える。日向が戻りながら思わず舌打ちした。
「どっちかにしろよ、あいつ……」
伊月も簡単に抜かれているつもりはなかった。最初の一歩には反応できているし、銀城が何を狙っているのかもある程度は見える。それでも僅かな重心移動を使われ、半歩だけ先へ出られる。
その半歩で十分なのだ。銀城には、その先に自分で決める技術も、守備を寄せて味方へ出すパスもある。
誠凛も流れを渡さない。次の攻撃で火神へボールが回ると、津川を正面に置いたまま一度腰を落とし、大きく外へ振ってから一気に逆側へ踏み込んだ。津川もすぐ追ったが、火神はさらに速度を上げ、肩一つ分の差ができた瞬間にリングへ向かって跳ぶ。
岩村も中から迎え撃つように跳び、二人の腕がリングの近くで交差した。火神は空中で身体を捻って岩村の手を避け、反対側へ回したボールをバックボードへ当ててねじ込む。17-15まで詰められ、火神の声がコートに響いた。
「よっしゃ!」
津川は悔しそうに眉を寄せたが、蓮は焦ることなくボールを受け取りに向かった。その内側では、別の声が先ほどより明らかに楽しそうになっている。
【やっぱあいついいな】
『強いね』
【代われ】
『それしか言わないね』
【お前が譲らねえからだろ】
火神が得点するたびに裏が騒がしくなるのを感じながら、蓮は次の攻撃で岩村を高い位置まで上げた。スクリーンを見た伊月が岩村を回り込もうとし、誠凛の守備が一瞬だけ中央へ寄る。
蓮は津川へ出すように視線を右へ送りながら、逆側を走る大室へバウンドパスを通した。大室が受けると同時に火神が猛烈な勢いで戻ってくる。その速さを見た大室は無理にリングへ向かわず、すぐに蓮へボールを返した。
「大室さん、返して!」
火神が大室へ寄り、伊月もスクリーンから戻り切っていない。中央にできた一瞬の空間へ蓮が入り込むと、水戸部が前へ出た。その背後では岩村が空いている。
蓮の手首がパスを出すように動き、水戸部の重心が岩村側へ傾く。だがボールは離れない。パスフェイクだった。
水戸部が戻るより早く、蓮は逆側からリングへ入り込んでレイアップを沈める。これで正邦19-15誠凛。未来へ通るパスを本当に持っているからこそ、その視線や手首の動きまで守備を動かす武器になる。
誠凛ベンチでリコが腕を組んだまま眉を寄せた。試合前の映像でも銀城がパスだけの選手ではないことは分かっていたが、実際に対面すると想定より一段面倒だった。《天瞰眼》を警戒すれば、その警戒そのものをフェイクに使われる。そして動かされた守備を、自分で破るだけの技術まで持っている。
第1Q残り2分47秒、正邦19-15誠凛。
4点差まで開いたところで、誠凛は日向が外から一本を返した。坂本の寄せも遅くはなかったが、僅かなスペースから迷わず放たれたシュートがネットを抜け、一気に19-18まで詰まる。
正邦は急がなかった。蓮がボールを運びながら全体を見渡すと、誠凛は日向の得点で勢いを取り戻し、伊月の守備も先ほどより一歩前へ出ている。その後方では黒子が、また蓮の認識から外れる場所を探していた。
蓮は一度だけ黒子を見る。黒子もそれに気づいたが、次の瞬間には蓮の視線が意図的に外された。
黒子一人を追い続ければ、伊月や日向に利用される。ならば本人を常に認識しておく必要はない。黒子がボールへ関与するためには、必ず誰かとの間に一本の線が生まれる。パスを出す選手、黒子が触れる場所、そこからボールが向かう先。その全てを十人の配置の中で読めばいい。
黒子という一人の選手を追うのではなく、コートに生まれる変化の一つとして捉える。その瞬間、蓮の中で《天瞰眼》の使い方が少しだけ変わった。
正邦は次の攻撃で坂本が一本を決め、21-18。続く誠凛の攻撃では伊月から日向へボールが渡り、黒子が再び死角へ入り込んだ。
蓮は黒子を見ない。その代わりに日向の視線を見て、火神の走る方向と津川の位置を捉え、水戸部が岩村を押さえている場所まで含めて次に最も危険になる空間を探す。
日向の手からパスが離れ、黒子が死角から手を伸ばした。その瞬間には、蓮はもう走り始めている。黒子が触れたボールは火神へ向かったが、受けた時にはその前へ蓮が回り込んでいた。
「なっ……!」
黒子の技を完全に破ったわけではない。タップパスを奪ったわけでもなかった。それでも、これまでなら一気にリングまで繋がっていた一本へ、銀城が初めて先回りしている。
【――来た】
内側の声が低く笑った。
『まだ僕だよ』
火神は止まらず、そのまま蓮へ向かった。真正面から身体能力だけで受け止めれば火神に分があるが、進路と踏み切る位置を限定すれば岩村の守備へ繋げられる。蓮は正面を残したまま下がり、火神が右へ振っても離れずについていった。
火神が強引に身体を入れて半歩前へ出る。それでも蓮は切れずに背後から追い、リングへ向かって跳ぼうとした火神の正面には岩村が待っていた。前後から挟まれた火神は空中でシュートを変えたが、ボールはリングの縁を叩いて外れ、大室がリバウンドを確保する。
観客席から声が上がる中、黒子は静かに銀城を見ていた。最初の一本では自分を見失った。それから追い始め、その追う意識を利用されると、今度は自分を見ないことでパスの先へ回った。
完全に攻略されたわけではない。それでも、銀城は試合の中だけで対応の仕方を変えている。
「……早いですね」
黒子の小さな呟きは、歓声に紛れて消えた。
第1Q残り1分31秒、正邦21-18誠凛。
続く正邦の攻撃では、伊月がこれまで以上に蓮との距離を詰めた。未来のパスを自由に選ばせないためには、考える時間そのものを減らすしかない。
蓮が左手へドリブルを移すと伊月もついてくる。坂本が動けば日向が追い、岩村と水戸部が中で身体をぶつけ合う。津川へのパスコースには黒子が意識を向けており、火神だけが大室との距離を少しずつ詰めながら蓮にも注意を向けていた。
『また来る』
【今度こそ代われ】
『嫌だって』
蓮が右へ身体を振ると伊月は耐え、左へ切り返しても離れない。先ほどまでより明らかに粘っており、伊月も試合の中で銀城の動きへ慣れ始めていた。
無理に抜き切る必要はない。半歩だけ作った隙間から蓮がボールを持ち上げると、伊月の手が伸び、火神も一気に飛び出した。二人の守備が自分へ向いた瞬間、シュートへ入ったはずの蓮の手からボールが下へ抜ける。
伊月の脇を通ったバウンドパスが、ゴール下へ走り込んだ岩村の手元へ入った。水戸部が反応した時には遅く、岩村が力強くリングへ叩き込んで23-18。残り1分を切っても誠凛は黒子を使ってすぐに返し、先ほど銀城がタップパスの先へ回ったことで、今度は黒子が火神を囮に使って逆側へ走った日向へボールを流した。
日向が決め、23-20。一本ごとに互いの答えが変わり、その答えを見た次の攻撃では、もう別の形が用意されていた。
残り28秒。正邦は時間を使い、蓮が第1Q最後の攻撃を組み立てる。
伊月が正面に入り、黒子もパスコースを狙っている。火神も銀城の突破へ反応できる位置を保っていたが、蓮は急がず、残り時間と九人の位置を同時に捉えながらドリブルを続けた。
残り10秒。岩村がスクリーンへ上がり、伊月がその動きに合わせて進路を変える。だが蓮は岩村を使わず逆方向へ切り返し、それを見た火神が大室から離れてヘルプへ踏み出した。その瞬間、《天瞰眼》の中では津川の次の位置が開いていた。
蓮は迷わずパスを通す。しかし今度は黒子がコースへ入り、その指先が僅かにボールへ触れた。
『――そこ来るか』
完全には奪われなかったものの、軌道を変えられたボールへ津川が身体を伸ばして追いつく。シュートへ入る時間はない。残り2秒、津川はすぐに蓮へ戻した。
受けた蓮の正面には伊月が戻り、横から火神も迫ってくる。残り1秒。蓮は一歩だけ横へずれ、その場からシュートを放った。二人の指先の間を抜けたボールが高い弧を描き、第1Q終了のブザーが鳴った直後にリングへ落ちる。
正邦25-20誠凛。
歓声の中で蓮はシュートを見届け、そのままベンチへ戻った。5点差という数字だけを見れば、正邦が大きく引き離したわけではない。それでも誠凛ベンチへ戻る伊月の表情は、試合開始前より明らかに険しくなっていた。
《鷲の眼》と同じように広く見えるだけではない。次に生まれる場所へ先にボールを通し、守備がパスへ寄れば自分で抜いて得点する。守備でも相手の次の選択を読み始め、試合の中で黒子のプレーへの対応まで変化させている。
しかも、これだけやっている銀城からは無理をしている様子がほとんど見えない。
火神もまた、正邦ベンチへ戻る蓮の背中を見ていた。アメリカでバスケットをしていたという話を聞いた時から興味はあったが、実際に対峙すれば一対一も強く、間合いの使い方には確かに向こうで身につけたものを感じる。
それでも、何かが引っかかっていた。強い。間違いなく強いし、今まで対峙した一年生の中でも明らかに異質だった。それなのに火神が銀城を初めて見た時に感じたものと、今コートで相手をしている銀城のバスケットには、僅かなズレがある。
その正体を、火神はまだ知らない。
【次は俺だろ】
ベンチへ歩きながら、蓮の内側で声が響いた。
『まだ決めてない』
【1Q丸々やっただろ。十分だ】
『僕、別に疲れてないけど』
【そういう話じゃねえよ】
蓮はタオルを受け取りながら、向かい側のベンチを見る。黒子も伊月も、一度受ければ次の手を出してくる。火神も津川の守備を受けながら、それでも自分の身体能力を得点へ繋げていた。
今までの公式戦とは違う。
『……楽しいから、もうちょっとやりたい』
一瞬だけ内側が静かになり、やがて不満そうな舌打ちが返ってくる。
【チッ】
その反応に蓮は小さく笑った。
第1Q、25-20。正邦が5点をリードして第1Qを終えたが、試合の流れはまだどちらにも傾き切っていなかった。