第1Q終了。
正邦25-20誠凛。
ブザーが鳴り終わっても、体育館に残った熱はすぐには引かなかった。両校の選手たちがそれぞれのベンチへ戻り、正邦の選手たちもタオルとドリンクを受け取る。
5点差。ここまでの公式戦を考えれば、正邦にとって決して大きなリードではない。むしろ第1Qを丸々戦って、誠凛を5点しか離せていないという見方もできた。
それでも、松元の表情に焦りはなかった。
「銀城」
「はい」
「黒子への対応、途中から変えたな」
「本人を追うのをやめました」
蓮はタオルで汗を拭きながら、向かい側のベンチへ一度だけ目を向けた。
「黒子君だけ見てると、他を使われるので。黒子君がどこにいるかより、誰が黒子君を使おうとしてるかと、その先を見た方が追いやすいです」
松元が僅かに目を細める。
第1Qの中だけで、銀城は黒子への対応を何度も変えていた。最初は認識から外され、次には意識して追い、その意識を伊月に利用されると、今度は黒子本人から視線を外した。最後には、黒子が触れたボールの行き先へ先回りしている。
「それでいい。ただし、止めたと思うな」
「はい」
「向こうも同じことを考える。お前が対応したことは、もう相手にも見られている」
蓮は素直に頷いた。それは本人が一番感じている。
誠凛は一度通らなくなった形を、何度も繰り返してこない。こちらが一つ答えを出せば、その答えまで使って別の場所を空けてくる。
だから楽しい。
【だから俺に代われっつってんだろ】
『まだ嫌だよ』
【一人で楽しんでんじゃねえよ】
『同じコート見てるじゃん』
【見てんのとやんのは違えんだろ】
内側から返ってくる声は、第1Qの途中からずっと機嫌が悪い。原因が黒子ではなく火神なのも、蓮には分かっていた。
津川がドリンクを置き、悔しそうに息を吐く。
「火神、やっぱ跳ぶなあ」
「まだ上がりそうだね」
「うわ、それ嫌だな」
蓮の言葉に津川が顔をしかめた。岩村も火神の跳躍を実際にゴール下で受けている。簡単に抜かれているわけではない。津川が前で削り、その先に自分がいる。それでも火神はリングへ向かってくる。
「高さだけじゃない。あいつ、止められてもまた来るぞ」
岩村の言葉に、松元も頷いた。
「津川。一人で全部止めようとするな。お前が前にいるだけで意味はある。抜かれても後ろには岩村がいる」
「はい」
「坂本と大室も黒子に引っ張られすぎるな。見失うことを怖がって全員の意識が一人に向けば、誠凛の狙い通りだ」
二人が返事をする。その横で春日は黙って蓮を見ていた。
第1Qを最初から最後まで銀城がPGとして作った。パスだけではない。伊月を自分で抜き、火神が寄らなければそのまま得点し、守備では黒子への対応まで試合中に変えている。
練習試合で見た、あの銀城ではない。今の銀城はいつもの銀城だ。声も、目つきも、立ち方も変わっていない。
それでも十分すぎるほど強い。
「春日」
松元に呼ばれ、春日が顔を上げる。
「どう見える」
何を聞かれているのかは分かった。春日は少しだけ考えてから答えた。
「伊月は銀城に慣れ始めてます。止めてはいないですけど、最初より一歩目についてきてる。黒子も銀城が追い方を変えたのは分かってると思います」
「ああ」
「たぶん第2Q、同じ守り方はしてこないです」
松元が頷く。
「銀城」
「はい」
「聞いた通りだ。第1Qでできたことを、そのままやろうとするな」
「分かりました」
蓮の返事を聞いて、春日はまた黙った。
気になることは別にある。
銀城は楽しそうだった。相手に対応されるたび、困るどころか次を探している。第1Qの終盤には、普段より明らかに表情が柔らかくなっていた。
なら、どこまで相手が強くなれば、あの銀城が出てくる。
練習試合で見た、目つきも話し方もプレースタイルもまるで違う銀城。
春日はその疑問を口にはしなかった。
誠凛ベンチでは、リコがホワイトボードへ25-20と書いていた。
「まず5点差」
戻ってきた選手たちの呼吸が整うのを待ちながら、リコはコートを挟んだ向こう側を見る。
「去年負けた相手だからって考えれば悪くない、なんて言うつもりはないわよ。今年の正邦は去年と違う。こっちも違う」
日向がタオルで顔を拭きながら頷く。
「問題はやっぱ銀城か」
「銀城君だけじゃない。そこ間違えないで」
リコはすぐに否定した。
「正邦の古武術を使った動きは去年と変わらず厄介。津川君も火神についてきてるし、岩村さんも中にいる。その上で銀城君がゲームを作ってる」
誰か一人を止めれば崩れるチームではない。だからこそ銀城だけへ人数を使えば、他の四人に使われる。
「伊月君。実際やってみてどう?」
「広く見えてるってだけなら、俺の《鷲の眼》と近いと思ってたんだけどな」
伊月はドリンクを握ったまま、少し考える。
「やっぱ違う。あいつ、今いる場所に出してない」
「未来の位置?」
「ああ。何秒も先が見えてるとか、そういう感じじゃない。次の一歩とか、次に空く場所とか……たぶんそういうのを全員分まとめて読んでる」
だから守備側がパスを見てから動いた時には遅い。受け手自身が走り込むより先に、銀城の中ではその場所がパスコースとして完成している。
「しかもパスだけ警戒すると、自分で来る」
火神が口を挟んだ。
「普通に一対一も強えぞ、あいつ」
「見れば分かるわよ」
「いや、外から見るよりやりにくいっすよ」
珍しく真面目な声だった。リコが火神を見る。
「どういう意味?」
「パス出す感じのまま来るっつーか……どっちか分かんねえ。伊月先輩抜いた後も、オレが寄ったら出せるし、寄らなかったらそのまま行ける感じっす」
火神なりの説明に、伊月も頷いた。
「たぶん最初から決めてないんだ。自分で行くか、パスか。こっちが動いた後で一番いい方を選んでる」
日向が嫌そうな顔をする。
「PGとして一番めんどくせえタイプじゃねえか」
「それだけじゃないです」
静かな声が入った。
黒子だった。
「銀城君は、第1Qの途中から僕の見方を変えました」
黒子は淡々と続ける。
「最初は僕を見失いました。その後は意識して追っていました。でも、それを伊月先輩に利用されてからは、僕自身を追わなくなりました」
「最後の火神君へのパスね」
「はい」
黒子が頷く。
「あの時、銀城君は僕を見ていませんでした。でも、僕がパスを出す先には先に動いていました」
リコの目が細くなる。
黒子の存在感が薄いこと自体を消したわけではない。黒子を常に見続けられるようになったわけでもない。
見なくていい方法を選んだ。
「……試合中に対応してきたってことね」
「はい」
「なら次は、その対応を利用する」
リコがホワイトボードへ線を引いた。
「銀城君が黒子君本人じゃなく、その前後を見るなら、黒子君が必ずボールに触る必要はない。第1Qでも一度やったけど、もっと使える」
黒子を囮にする。
銀城が黒子から繋がる先を読もうとするなら、あえてその線を作り、別の場所を使う。
「それと銀城君へのヘルプ。寄りすぎない」
リコは火神を見る。
「火神。銀城君が伊月君を抜いたからって毎回飛びつかないで。あんたが動けば、その瞬間に大室さんが空く」
「でも行かなきゃ、あいつ自分で決めますよ」
「分かってる。だから全部止めようとしないの。一人で五人は守れない。銀城君に2点取られることと、銀城君一人に守備を崩されて正邦全体が動き出すこと。どっちが嫌か考えて」
火神が口を閉じる。
「伊月君。銀城君を簡単に中へ入れないで」
「うわ、結局そこ俺か」
「止められるでしょ?」
「簡単に言うなよな……」
伊月が苦笑する。その横で、火神だけは正邦ベンチを見ていた。
銀城がいる。
タオルを首へ掛け、津川たちと話している。
第1Qで実際に相手をして、強いことは分かった。パスも、一対一も、守備も強い。
それでも火神には、まだ小さな違和感が残っていた。
「……なあ、黒子」
「はい」
「あいつ、なんか変じゃねえか?」
「銀城君ですか?」
「ああ」
黒子も正邦ベンチを見る。
「どう変なんですか?」
「それが分かんねえんだよ」
「分からないのに聞いたんですか」
「うるせえな!」
黒子は少しだけ考えたが、やがて首を横に振った。
「僕には、今のところ分かりません」
「だよな……」
火神自身にも説明できない。
アメリカ帰りだと聞き、試合前に話した時から感じていたもの。コートで一対一をした時にも、確かに向こうでバスケットをしていた人間らしい間合いはあった。
なのに、何かが足りない。
まるで銀城蓮という選手の一部分だけを相手にしているような、妙な感覚。
もちろん火神は、その理由を知らない。黒子も、伊月も、リコも知らない。
誠凛が第1Qの10分間を使って分析した銀城蓮は、紛れもなく本物だった。《天瞰眼》を持ち、味方を使い、自分でも点を取り、試合の中で相手へ適応していく正邦の1年生PG。それだけでも、十分に厄介な選手だった。
ただ、誠凛はまだ知らない。
その銀城の内側で、第1Qの途中からずっと、もう一人が火神を見ていることを。
第2Q開始を告げるブザーが近づく。
両校の選手たちが立ち上がった。
正邦は5点のリードをどう広げるか。誠凛は5点の差をどう消すか。同じ10分間を戦った二つのベンチで、それぞれが第1Qへの答えを出していた。
蓮もタオルを外し、コートへ向かう。
【今度こそ代われ】
『嫌だよ』
【まだ言うか】
『だって、向こうもまた変えてくるんでしょ』
蓮は誠凛の選手たちを見る。
伊月。黒子。そして火神。
『だったら、その次を見る』
内側で、短い舌打ちが聞こえた。
【……好きにしろ】
それでも声が消えたわけではない。蓮には分かっている。
もう一人もまた、この試合を楽しみ始めている。
第1Q、25-20。
その5点差を挟んで、正邦と誠凛は再びコートへ向かった。