第2Q、残り3分06秒。正邦41-37誠凛。
火神と黒子が下がってからも、誠凛は崩れなかった。日向を中心に五人でボールを動かし、守備では伊月が蓮の正面に立ち続ける。正邦が点を取れば返し、離れそうになればまた詰める。去年とは違う。その強さを認めた上で、蓮はスコアボードからコートへ視線を戻した。
『でも、そろそろ離したいな』
【やっとかよ】
『蓮には代わらないよ』
【分かってるっつーの】
『怒ってる?』
【さっきから見ててイラついてんだよ。やれるなら最初からやれ】
別に手を抜いていたわけではない。第1Qからずっと本気で勝つためにプレーしている。ただ、相手が変えるたびにその答えを探し、味方が使えるなら使い、自分が行く必要がなければ行かなかった。それでも4点差まで食らいついてくるのなら、もう一つ先まで見せればいい。蓮は内側の声には返さず、ボールを運んでくる伊月へ視線を定めた。
水戸部がスクリーンへ上がり、小金井が右へ流れ、土田が岩村を引きつけるように中へ入る。その後ろでは日向が一度ベースライン側へ沈んでいた。ここ数分、誠凛が繰り返してきた形だったが、蓮は伊月だけを見てはいない。水戸部がスクリーンを置く位置、小金井が走る角度、日向が坂本との距離を測る視線まで、一つの流れとして《天瞰眼》の中へ収めていた。
伊月がスクリーンを使おうと動き、蓮も身体をずらして抜ける。その向こうで日向が走り出した瞬間、まだパスが出るより先に蓮は伊月から離れた。
「なっ――」
伊月の腕が止まる。日向へ出せないと判断して小金井へ切り替えようとした時には、津川もすでに一歩寄っていた。水戸部へ戻そうとしても、その一瞬で蓮は伊月の正面へ戻り、正邦の守備も元の形を取り戻している。
「……先に行くの、ずるくね?」
「まだ出してなかったね」
「分かってんなら言うなよ」
攻撃を組み直している間にも時間は削られ、残り6秒。伊月が強引に右へ仕掛けたが、蓮は最初の一歩から正面を外さず、苦しい体勢から出されたパスも坂本が弾いた。こぼれ球を大室が拾った瞬間、正邦の五人が一斉に前へ走る。
蓮もすぐに前へ出た。津川と坂本が左右へ開き、岩村が中央を走る。誠凛も戻っていたが、その配置が完成するより前に蓮には次の形が見えている。大室からボールを受けると、伊月が正面、水戸部は岩村を警戒し、日向は坂本との間にいた。
蓮はそのまま伊月へ向かって踏み込んだ。右へ振れば伊月が反応し、左へ切り返してもついてくる。さらにもう一度右へ戻した瞬間、伊月の腰が僅かに遅れた。その半歩へ肩を入れて抜き去ると、水戸部がゴール下から前へ出る。
蓮がボールを両手へ持ち替えたことで、水戸部の視線が一瞬だけ岩村へ向いた。
パスを警戒した。
その一瞬で蓮は跳んでいた。伸びてきた腕より先に柔らかくボールを浮かせ、リングへ当てて落とす。
43-37。
伊月は振り返りながら息を吐いた。パスを警戒すれば本人が来る。本人を止めようとすれば、抜かれる。ヘルプへ出れば、その動きまで利用される。分かっていたはずなのに、それらを同時に処理され始めると守る側には一つの正解も残らなかった。
誠凛はすぐに日向で返そうとした。伊月からボールを受け、水戸部のスクリーンを使って坂本の外へ開く。僅かにシュートコースが生まれ、日向が構えた時には蓮はまだ伊月の前にいる。
それでも日向がボールを上げるより先に、視界へ銀色が入った。
「っ!?」
蓮が来ていた。
伊月を見失ったわけではない。日向がスクリーンを使い終えた後にシュートへ入ることを読んで、先に動いただけだった。日向は打たずに空いた伊月へ返したが、伊月が受ける頃には津川が寄っている。ならば小金井。そこへ出そうとすれば大室が一歩動く。誠凛が次を選ぶたび、正邦の守備が先に形を変えていった。
「伊月、時間!」
日向の声が飛んだ時には残り5秒。伊月は水戸部とのピックから強引に中へ入り、岩村の前で苦しいフローターを放つしかなかった。ボールはリングに弾かれ、大室がリバウンドを取る。
「走れ!」
岩村の声と同時に正邦が前へ出る。蓮がボールを受けると、伊月は必死に戻りながら今度は最初からパスコースを切るように両腕を広げた。
蓮は速度を落とさず、その正面へ突っ込んだ。
「マジかよ……!」
接触する直前で左へ切り、伊月が身体を合わせたところで背中側へボールを回して右へ抜ける。水戸部が前へ出ても止まらず、そのまま身体を寄せられる寸前でボールを右手へ移した。接触を避けるように歩幅を変えてリングの反対側まで入り込み、バックボードへ当てたリバースを沈める。
45-37。
誠凛ベンチで火神が立ち上がりかけ、隣の黒子もコート上の蓮をじっと見つめた。さっきまでと違う。そう感じたものの、別の選手になったわけではない。ドリブルもシュートも第1Qから見せているし、伊月を抜けることも自分で決められることも知っていた。ただ、必要な時だけ使っていた個人技を、今は躊躇なく選択肢へ入れている。
「銀城君……」
黒子が目を細める。《天瞰眼》は消えていない。むしろ先ほど以上にコート全体を見たまま、その上で自分でも守備を壊し始めていた。
第2Q、残り1分52秒。正邦47-39誠凛。
誠凛も日向のミドルで返したが、点差は8点まで広がっていた。伊月はボールを運びながら蓮を見る。呼吸はまだ乱れておらず、表情にも追い詰められた様子はない。第1Qからずっとコートに立っているのに、無理をして急に出力を上げたようには見えなかった。
必要になったから、自分で点を取り始めただけ。
「……最初からそれやれたのか?」
「何が?」
「いや、何でもねえ」
伊月は水戸部を使って蓮を外し、小金井から日向へボールを繋いだ。だが坂本が離れず、土田が中へ入れば大室が身体を当て、岩村もゴール下を閉じる。最後は再び伊月へ戻ったが、その時には残り4秒しかない。
蓮が正面にいる。
「くそっ!」
伊月が右へ仕掛けても、蓮は最初の一歩を止め、切り返しにも遅れなかった。背中側へボールを回した瞬間に手を差し込み、そのまま前へ転がったボールを拾う。
正邦の全員が走った。
坂本が右、津川が左、岩村が中央。大室は少し遅れ、誠凛は日向と小金井が戻る。その数秒後にどう並ぶかまで見えていた蓮は、左を走る津川へ迷わずパスを送った。
まだ津川は空いていない。
近くには小金井がいる。
それでもボールは飛ぶ。
「えっ」
津川が受けた瞬間、小金井は中央を走る蓮を警戒して一歩だけ内側へ寄っていた。その一歩で津川の前から守備が消える。
「うわ、ほんとに空いた!」
「打って!」
「分かってるって!」
津川のシュートがネットを揺らした。
49-39。10点差。
誠凛ベンチでリコが腕を組み直した。第1Qから銀城のパスが、空いた選手へ出すものではないことは分かっている。空く選手へ先に出す。その能力を持つ選手自身が伊月を抜けることこそが問題だった。
パスを止めるために守備を広げれば本人が来る。本人を止めるために狭めれば、まだ空いていない場所へパスを通される。そして今、その二つを銀城がほとんど迷いなく切り替え始めている。
「……厄介なんてもんじゃないわね」
その視線の先で、蓮はすでに守備へ戻っていた。
第2Q、残り1分を切り、正邦51-40誠凛。誠凛はフリースローで1点を返したものの、点差は11点まで広がっていた。
【やりゃできんじゃねえか】
『褒めてる?』
【調子乗んな】
『でもさっきより機嫌いいよね』
【うるせえ。……まあ、さっきよりはマシだ】
『ありがと』
【褒めてねえ】
蓮は笑いそうになるのを堪えながら、伊月の前で腰を落とした。誠凛はまだ諦めていない。日向が声を出し、小金井が走り、水戸部がスクリーンを作る。火神と黒子がいなくても最後まで五人で正邦の守備を崩そうとしているからこそ、蓮も最後までその全員を見る。
伊月から日向へ渡り、坂本が追う。日向がシュートフェイクから水戸部へ落とせば岩村が出て、その後ろを土田が切る。大室がそこにつき、最後に伊月が空く。
そこまで見えた。
日向のパスが伊月へ戻るより先に、蓮がコースへ入る。
「またかよ!」
ボールを奪ってそのまま速攻へ出ると、追ってきたのは伊月と日向だった。右には津川、左には坂本、中央を蓮が運ぶ。伊月がパスコースを切り、日向が蓮へ寄ったのを見て、その間を一気に抜いた。
伊月が慌てて戻る。リングまで残り数歩。今度こそ自分で行くと二人が判断した瞬間、蓮の手からボールが消えた。
背後から遅れて走ってきた岩村へ、ノールックでパスが通る。
「岩村さん!」
「おう!」
岩村が両手で叩き込み、53-40。伊月はゴール下で立ち止まった。銀城なら自分で決められた。それでも、より確実な場所へ岩村が来ることまで見えていたから出した。ただそれだけの判断に、迷いがない。
誠凛も最後の攻撃で日向が意地のスリーポイントを沈め、53-43。残り12秒で正邦のボールとなった。
蓮は急がず運び、伊月が正面へ立つ。
「最後くらい止めるぞ」
「うん」
「そこは嫌がれよ」
「止められたくはないよ」
残り7秒で蓮が動く。伊月がつき、水戸部はヘルプへ出ずにパスを警戒した。
なら、自分で行く。
蓮は一度右へ振ってから左へ切り返し、伊月の肩を抜いた。水戸部が最後に一歩だけ寄るが、その手が届くより先にフリースローライン付近で跳ぶ。
残り2秒。
放たれたボールが高く弧を描き、ブザーの直後にネットが鳴った。
55-43。
第2Q終了。正邦が12点をリードして前半を終えた。
火神と黒子が下がった直後、誠凛は4点差まで食らいついていた。そこから約3分。正邦は14点を積み、誠凛を6点に抑えた。その中心にいたのは銀城蓮だった。
ベンチへ戻りながら、伊月は一度だけ振り返る。パスだけではない。眼だけでもない。自分で点を取る力も、守る力もある。それらを全部持った上で、銀城は一番確率の高い選択を迷わず選び続けている。
「……キツすぎんだろ」
伊月の呟きは歓声に紛れた。
正邦ベンチでは春日が蓮を見ながら小さく息を吐く。練習試合で見た、もう一人のような銀城ではない。今コートにいるのは、いつもの銀城だ。それでも十分すぎるほど異常だった。
《天瞰眼》で十人の次を捉え、味方が空く前にボールを届ける。その眼を警戒されれば、自分で守備を破り、守備では相手の次の形へ先回りする。これが銀城蓮の本来のバスケットだった。
誰か一人で勝つのではない。
五人で勝つために、五人全員を自分の視界の中で動かす。
【……まあ、悪くねえ】
『また褒めた』
【だから褒めてねえっつってんだろ】
蓮は笑いながらベンチへ戻った。
55-43。12点差。
ようやく、正邦が誠凛を引き離した。
そして誠凛はまだ知らない。前半、自分たちの前に立っていた銀城蓮が、この少年のすべてではないことを。