前半終了。正邦55-43誠凛。
ブザーが鳴り、両校の選手がそれぞれのベンチへ戻っていく。第2Qの残り3分までは4点しかなかった差が、前半終了時には12点まで広がっていた。正邦の選手たちに浮ついた様子はないが、ベンチへ戻ってくる足取りには確かな手応えがある。
「最後、完全に銀城のペースだったな」
坂本がタオルで顔を拭きながら言うと、岩村も頷いた。
「ああ。だが12点だ。まだ終わってない」
「分かってますって」
津川もドリンクを受け取りながら蓮の横へ座る。
「でも銀城、最後すごかったよね。最初からあれやってたらもっと離れてたんじゃない?」
「津川までそれ言うの?」
「だってそうじゃん」
「必要なかったからやらなかっただけだよ」
蓮が苦笑すると、少し離れたところにいた春日がこちらを見た。第2Q終盤、蓮が急に別人になったわけではないことを春日は分かっている。練習試合で見た、あの攻撃的な銀城とも違う。いつもの穏やかな銀城が、自分で点を取る選択を増やしただけだった。
それだけで誠凛との点差を一気に広げた。
「全員、聞け」
松元の声で正邦の選手たちが集まる。
「前半は悪くない。特に最後の3分は守備から流れを作れていた。ただし、誠凛は火神と黒子を下げた状態でも簡単には崩れなかった。12点差を安全圏だと思うな」
「はい」
「後半も基本は今の形で――」
松元の言葉を聞きながら、蓮はタオルを首へかけた。
『このままでいいよね』
【よくねえ】
即答だった。
『まだ怒ってるの?』
【火神がいねえ】
『4つだからね』
【だからだよ】
蓮は僅かに視線を落とした。火神は第2Q途中で4つ目のファウルを取られ、そのままベンチへ下がっている。後半もすぐに戻すとは限らない。むしろ普通に考えれば、できるだけ長く温存したいところだった。
『しょうがないでしょ』
【しょうがなくねえ】
『僕に言われても困るよ』
【だったら引きずり出す】
『どうやって?』
返事はなかった。代わりに、蓮の内側から強い意志が押し上がってくる。試合中に何度も感じてきた感覚だった。身体の奥からもう一つの意思が前へ出てきて、指先から肩、首、視線までを奪おうとする。
『……え? ちょっと待って。今?』
【どけ】
『嫌だよ』
【用がある】
『誰に?』
【監督】
『何する気――』
蓮が抵抗する。それでも今回は裏の意志が強かった。
一度、目を閉じる。
ほんの数秒。松元が後半の指示を続けている間に、蓮の肩から余計な力が抜けた。背もたれへ預けていた身体が起き、僅かに顎が上がる。
目が開く。
春日が最初に気づいた。
「……銀城?」
声に反応して、蓮が春日を見る。
「あ?」
その一言で岩村も大室もこちらへ視線を向けた。津川だけが何が起きたのか分からず、蓮と春日を交互に見る。
「何? どうしたの?」
「いや……」
春日は答えず、銀城の目を見る。同じ顔。同じ銀色の髪。同じ灰銀の瞳。それでも違う。
練習試合で見た銀城だった。
「監督」
蓮が松元を呼ぶ。先ほどまでの柔らかな声ではない。松元もその変化に気づいたのか、話を止めて蓮へ視線を向けた。
「どうした」
「3Q、俺をPFにしろ」
一瞬、ベンチが静かになった。
津川が目を丸くする。
「え、PF?」
大室も眉を寄せた。185センチの蓮をPFへ置く布陣は、練習試合ですでに一度使っている。春日をPGへ入れ、蓮を得点に集中させるための形だった。しかし、あの時とは状況が違う。今は蓮がPGとして誠凛を崩し、12点のリードを作った直後だった。
松元もすぐには頷かなかった。
「理由は?」
「春日さんを出せ」
「それは理由になっていない」
「俺がボール運ぶ必要ねえからだよ」
蓮は立ち上がると、誠凛側のベンチへ一度だけ視線を向けた。
「春日さんにPGやらせろ。俺は前で点取る」
「銀城」
岩村の声にも、蓮は視線を戻さない。
「今の形で点差は広がっている。わざわざ変える必要があるのか」
松元の問いに、蓮はようやく正邦ベンチへ顔を戻した。
「ある」
「なぜだ」
蓮の口元が僅かに上がる。
「次の3Qで試合決める」
津川が黙った。坂本も、大室も何も言わない。春日だけが小さく息を吐いた。
やはり、あの時の銀城だ。
「それと火神に何の関係がある」
松元は誠凛ベンチへ向けられた蓮の視線を見逃していなかった。
「出てくんだろ」
「何?」
「このまま点差広げりゃ、あいつらも火神を座らせてられねえ」
4ファウル。普通なら第3Qの頭から出したくない。残り20分近くを一つのファウルだけで戦わせることになる。誠凛が火神を温存したいのは、正邦側から見ても明らかだった。
だからこそ、温存できない点差にする。
「俺が潰す」
蓮は笑う。
「3Qの最初で、あいつらが火神出すしかねえとこまで持ってく」
春日の目が僅かに細くなる。練習試合でこの銀城がコートへ出た時、正邦のバスケットは大きく変わった。自分がゲームを作り、銀城が前で暴れる。あの時ですら相手は止められなかった。
そして今の銀城が狙っているのは、ただ点差を広げることではない。
火神大我を引きずり出すこと。
「……お前、それが目的か」
岩村が呆れたように言う。
「勝つのが目的だ」
蓮は即答した。
「火神出てきた方が面白えけどな」
「どっちなんだよ」
坂本が思わず笑う。
松元だけは笑わなかった。銀城の要求を採用するかどうかは別として、その狙い自体には筋が通っている。12点差で始まる第3Q。ここからさらに一気に差を広げれば、誠凛は何かを変えざるを得ない。その選択肢の中で最も大きいものが火神なのは間違いなかった。
松元は数秒考え、春日を見る。
「春日」
「はい」
「準備しておけ」
春日の口元が僅かに上がる。
「分かりました」
「銀城」
「あ?」
「お前の要求を通す以上、結果は出せ」
蓮は迷わず答えた。
「当たり前だろ」
その横で津川がまだ状況についていけていない顔をしている。
「え、じゃあ誰が下がるの?」
大室が津川を見る。
「俺だろ」
「大室さん?」
「前にやった時と同じだ」
春日がPGへ入り、津川がSG、坂本がSF、蓮がPF、岩村がC。練習試合で一度だけ使った形だった。
「銀城がPF……」
津川が蓮を見る。
「大丈夫なの?」
「何が」
「いや、身長とか」
「関係ねえよ」
蓮は短く答え、再び誠凛ベンチへ目を向けた。自分の要求で大室がベンチへ下がることになる。勝つために必要だと思ったから要求した。それを取り下げるつもりはない。
それでも少しして、蓮は大室へ顔を向けた。
「大室さん」
「ん?」
「すまん」
大室は一瞬だけ目を丸くした。今の銀城からそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのだろう。だが、すぐに小さく笑う。
「気にすんな。その代わり――」
大室は蓮の肩を軽く叩いた。
「言ったからには、決めてこい」
蓮の口元が上がる。
「おう」
それだけ答えると、もう一度誠凛ベンチへ目を向けた。
狙っているのは一人。
火神大我。
座っていられるなら、座っていればいい。
その余裕ごと、次の3Qで消す。
その頃、誠凛のベンチでは前半の20分を整理する作業が始まっていた。
55-43。12点差。
リコはボードへ数字を書き込みながら、選手たちを見渡した。
「まず前提として、まだ終わってないわ。12点なら十分ひっくり返せる」
「おう」
日向が答え、伊月も頷く。火神はベンチに座ったまま不満そうに腕を組んでいたが、4つのファウルを抱えている以上、自分から何を言っても簡単に出してもらえないことは分かっていた。
「問題は銀城君ね」
リコが名前を出すと、伊月が露骨に嫌そうな顔をした。
「やっぱそこか」
「実際に一番長くついてたあんたから見てどう?」
「どうって言われてもな……」
伊月は少し考えてから、前半最後の3分を思い返す。
「パスだけ止めようとしても無理だ。俺一人なら普通に抜いてくる。だから中が寄ると、今度は寄った瞬間に空く奴へ出される」
「空いてからではないんですよね」
黒子が続ける。
「はい。銀城君は、味方が空く前にパスを出しています」
「そうなんだよ。だから見てからカバーじゃ遅い。しかも最後の方、守備でもこっちがやろうとしてることを先に潰してきた」
リコは黙って聞いている。第1Qでは黒子の存在感の薄さを利用して、銀城の視界へ負荷をかけた。それは一時的に機能した。しかし銀城は試合中に対応し、黒子一人を追うのではなく誠凛全体の動きの中へ組み込んだ。
そして黒子と火神を下げた後、今度は自分で点を取り始めた。
「つまり、あの眼だけ何とかすればいいって話じゃないのよね」
「はい」
黒子が頷く。
「銀城君自身が強いです」
火神が顔を上げる。
「だったら俺を出せよ」
「ダメ」
「なんでだよ!」
「自分のファウルの数、忘れた?」
「4つだろ。分かってる」
「分かってる人間の言い方じゃないわよ」
リコに即答され、火神が舌打ちする。
「でもこのままじゃ――」
「だから考えてるの」
日向が火神を制した。
「お前が出て5つ目取られたら、それこそ終わりだ。少し黙ってろ」
「……くそ」
火神は背もたれへ身体を預ける。
黒子はその横で、正邦ベンチへ視線を向けていた。銀城が立っている。前半終了直後までとは、少し立ち方が違うように見えた。
「黒子?」
「いえ」
日向に呼ばれ、黒子は視線を戻す。
「何でもありません」
銀城蓮への対策。《天瞰眼》による予測。空く前に届くパス。そして、それを警戒した相手を自分で破るだけの個人技。
誠凛はようやく、前半20分を使って銀城という選手の輪郭を掴み始めていた。その分析を基に、第3Qの戦い方を組み立てようとしている。
だが正邦ベンチでは、すでに前半とは違う銀城蓮がコートへ戻る準備を始めていた。
春日がPG。
銀城がPF。
そして銀城自身が宣言した。
次の3Qで、試合を決める。
その狙いが自分たちのエースをコートへ引きずり出すことだとは、誠凛はまだ知らなかった。