第3Q終了。
ブザーが鳴った時、得点板には正邦99-54誠凛の数字が並んでいた。45点差。前半を終えた時には12点だった差が、わずか10分でここまで広がった。第3Qだけなら44-11。しかも誠凛は途中から火神と黒子をコートへ戻している。それでも正邦の勢いを止めることはできなかった。
ベンチへ戻った火神は、誰とも目を合わせず椅子へ腰を落とした。荒い呼吸を整えながらタオルを頭から被る。その隣では黒子が渡されたボトルを持ったまま、しばらく口をつけようともしない。日向も伊月も言葉を発さず、静まり返った誠凛ベンチの中央で、リコだけが得点板を見上げていた。
「……顔上げなさい」
返事はなかった。
「火神」
「……分かってる」
「何が?」
タオルの下から火神が顔を上げる。
「まだ終わってねえ」
「そう。だったらそんな顔しない」
「してねえよ」
「してるわよ」
火神は舌打ちしそうになって、それを飲み込んだ。負けているからではない。45点離されたからでもない。自分が全力でぶつかった相手に、まだ余裕がある。そのことが頭から離れなかった。
「……監督」
黒子が口を開いた。
「第4Qも、僕と火神君を出してください」
「もちろん、そのつもりよ」
「ありがとうございます」
黒子はそれだけ答えたが、その表情はいつもより僅かに硬かった。
第3Qの間、ずっと銀城をどう止めるか考えていた。一人なら抜かれる。人数をかければパスを出される。銀城へ守備を集中させれば正邦の残り四人が使われ、広げれば銀城自身が来る。何より苦しいのは、その戦い方が間違っていると思えないことだった。
圧倒的な力を持っていても、一人で戦わない。仲間を使い、五人で勝つ。それは黒子自身が信じてきたバスケットボールであり、いつか《キセキの世代》にも取り戻してほしいと願っているものだった。その理想を敵として突きつけられたまま、黒子にはまだ答えが見つかっていない。
「黒子」
火神の声に、黒子が顔を上げた。
「考えすぎんな」
「……火神君に言われるとは思いませんでした」
「どういう意味だよ!」
久しぶりに二人らしいやり取りが聞こえ、日向が小さく息を吐いた。
「まだそれだけ言えるなら大丈夫そうだな。45点差だろうが何だろうが、第4Qは残ってる。全部一気に返せるわけじゃねえんだ。一点ずつやるしかねえ」
「そうだな。まず一本止めて、一本返す。それを繰り返すしかない」
伊月も続き、リコが全員を見回す。
「銀城君一人を止めることだけ考えない。第3Qはそこに意識を持っていかれすぎた。あの子は自分でも決められるし、周りも使う。だったら正邦全体を相手にするしかない」
簡単なことを言っているわけではない。それができなかったから45点離された。それでも、やるしかなかった。
「第4Q、最初から飛ばすわよ」
「はい!」
誠凛ベンチに声が戻る。火神も立ち上がり、もう一度99-54の得点板を見てから、その視線を反対側へ移した。
正邦ベンチでは、銀城が笑っていた。
正邦側に、45点差をつけたチームとは思えないほど大きな歓声はなかった。
「よくやった」
松元が選手たちを迎える。春日が息を吐きながらベンチへ座り、津川はタオルで顔を拭う。岩村と坂本もボトルを受け取り、大室が空いた席を作ったが、その中で蓮だけは座ろうとしなかった。
「銀城」
「はい」
「第4Qは一度下がれ」
蓮の眉が動いた。
「は?」
「45点差だ。お前の役目は十分果たした」
「まだ10分ありますけど」
「あるからだ」
松元は蓮の顔を見た。第3Qだけで44点。銀城が流れを完全に支配し、相手のエースを引きずり出すという本人の狙いも達成している。これ以上、45点差の試合で主力を出し続ける理由は薄い。
「お前だけじゃない。状況を見て岩村たちも順番に下げる」
「……俺はまだやれますよ」
「やれるかどうかの話じゃない。大会は今日で終わりじゃない」
蓮が黙ったところで、内側から声がする。
『監督の言う通りだと思うよ』
【うるせえ】
『火神君とは十分やったでしょ』
【まだ足りねえ】
『八割まで上げたのに?』
【だからだよ】
蓮の視線が誠凛ベンチへ向いた。火神はもう立っている。45点差をつけられた後でも悔しさを隠そうともせず、それでもまだコートへ出るつもりでいる。その姿を見た瞬間、蓮の口元が僅かに上がった。
【あいつ、まだ折れてねえじゃん】
『それはいいことじゃない?』
【だからもうちょいやりてえんだよ】
表の蓮が呆れたように黙る。
「監督」
「何だ」
「あとちょっとだけ出してくださいよ」
「却下だ」
「即答?」
「お前の『ちょっと』は信用してない」
春日が横で小さく笑った。
「それは監督が正しいな。第3Q、ずっと楽しそうだっただろ」
「まあ」
否定すらしない蓮に岩村も苦笑した。
「目的は果たしたんだろ? 火神を出させるために第3Qで決めるって言った。実際に出てきたし、点差も45点だ。なら一回座れ」
「……そうっすね」
監督だけでなくキャプテンにまで言われ、蓮は露骨に不満そうな顔をしながらも、それ以上は反論しなかった。
「分かりましたよ」
ようやく椅子へ腰を落とす。
『意外と素直だね』
【先輩に言われたからな】
『監督にも言われてたけど』
【うるせえ】
表の蓮が笑う気配がした。
松元はボードを手に取り、第4Qのメンバーを伝えていく。蓮も話は聞いていたが、視線だけは向かいのベンチから離れない。やがて誠凛の選手たちが立ち上がり、火神と黒子もコートへ向かい始めた。
その途中で、火神が正邦ベンチを見る。銀城が座っていることに気づいた瞬間、足が止まった。
「……なんであいつ出ねえんだよ」
蓮もその視線に気づき、座ったまま笑う。
「休憩だってよ」
「ふざけんな! 出てこい!」
「俺に言うなよ」
「火神君、行きますよ」
黒子に呼ばれ、火神は苛立ちを隠さないままコートへ向かっていった。蓮はその背中を眺めながら、ゆっくり背もたれへ身体を預ける。
【……まあいいか】
『何が?』
【まだ終わってねえんだろ】
45点差をつけられても、火神はまだ折れていない。黒子もまた、答えが見つからないままコートへ戻っていく。
【だったら、見せてもらおうぜ】
第4Q。
45点差を背負った誠凛が、もう一度コートへ立った。