第1Q残り6分12秒、10-19。
9点差をつけられてなお、蓮の表情に焦りはなかった。岩村からボールを受けて前を向くと、正面には高尾、その奥では緑間が津川を視界に入れながら守備位置へ戻り、秀徳の五人が既に形を整えている。ここまで正邦の攻撃が通用していないわけではない。《天瞰眼》で秀徳の守備を動かせば得点する場所は見つけられる。問題は、その次だった。
『3点と2点じゃ、追いつかないね』
【だったらあいつ止めりゃいいだろ】
『うん。だから考えてる。緑間君を止める方法』
高尾が蓮のドリブルへ合わせて重心を落とす。
「なんか企んでる?」
「別に」
「その顔で?」
蓮は小さく笑うと、右へ一歩踏み込んだ。高尾が反応した瞬間に鋭く左へ切り返し、半歩のずれを作って守備を崩す。高尾の《鷹の眼》はコート全体を見るための眼であって、一対一で蓮の突破力そのものを消せるわけではない。宮地がヘルプへ寄り、坂本の前が空くより早く蓮の手からパスが離れ、そのままミドルが沈んだ。
12-19。
秀徳の攻撃へ変わった瞬間、蓮は自陣へ戻りながら津川へ声を飛ばした。
「津川、ずっとついて」
「ずっと?」
「ボール見なくていい。緑間だけ」
「オッケー」
高尾がセンターラインを越える頃には、津川は既に緑間へ密着していた。ボールがどこにあろうと離れず、スクリーンが来れば身体をねじ込ませて抜け、緑間が速度を変えれば同じだけ合わせる。その意図を察した高尾が「へえ、そう来るか」と笑ったが、蓮が狙っているのは単純な二人がかりではない。
緑間一人へ津川を固定し、残る四人を四人で守る。宮地が右から切り込めば大室を寄せ、木村が動けば坂本を合わせる。高尾の視線と身体の向きから次のパスコースを読み、《天瞰眼》で生まれるずれを蓮が埋めていく。
「なるほどな。真ちゃんにボール入れさせないつもりか」
シュートを止めるのではない。撃たせない。先ほど緑間自身が口にした言葉を、そのまま正邦が実行し始めていた。
それでも秀徳は止まらない。高尾が緑間へのパスを諦めて大坪へボールを入れると、岩村との力比べから押し込み、フックを決める。
12-21。
『これなら』
【失点してんぞ】
『でも2点だよ』
蓮はすぐに攻撃へ移った。高尾がパスを警戒して僅かに距離を取った瞬間、一気に踏み込んで肩を並べる。そのまま抜き去って大坪の待つペイントエリアへ進入すると、シュートへ行くと見せて腕を上げさせ、逆側から入ってきた大室へボールを落とした。
「大室さん!」
「おう!」
大室が決めて14-21。次の秀徳の攻撃でも津川は緑間から離れず、高尾が一度狙ったパスコースには蓮が先回りする。秀徳はすぐに宮地へ切り替え、今度はそちらから2点を取った。
14-23。
得点板を見た蓮は、差が縮まっていないことを確認しながらも手応えを感じていた。緑間の3Pを連続で浴びていた序盤とは違い、一度の攻撃で奪われるのは2点。正邦側が無理に3Pを狙わなくても、どこかで一つ守備を成功させれば流れは変えられる。
その機会はすぐに来た。高尾が宮地へ出したパスを蓮が途中で弾き、こぼれ球を拾った津川がそのまま前へ走る。緑間も追ったが、先ほどまでとは逆に津川が一歩前を取っていた。
「津川!」
レイアップが決まり、16-23。岩村の声とともに正邦ベンチも沸き、高尾はボールを受けながら緑間に張りつく津川と、中央で全体を見ている蓮を交互に確認した。
「めんどくせーなあ」
口ではそう言いながら、高尾は笑っている。正邦が対応したのなら、次は秀徳がその対応を崩すだけだった。
高尾が右へ動くと大坪が上がり、緑間も津川を連れて反対側へ走る。蓮の《天瞰眼》には全員の位置が見えていたからこそ、その動きが緑間へボールを渡すためのものではないことにも気づいた。
『違う』
「岩村さん!」
蓮が声を上げた時には、高尾が大坪とのピックから中へ入っていた。岩村が止めに出た背後へ木村が入り、高尾から鋭いパスが通る。
16-25。
「くそっ」
岩村が戻りながら舌打ちする。
緑間を封じようとすれば、秀徳の残る四人が動く。それも弱い四人ではない。東京三大王者は、《キセキの世代》一人を止めれば終わるようなチームではなかった。
『やっぱり強いね』
【だから面白えんだろ】
それでも正邦も止まらない。《天瞰眼》が秀徳の守備のずれを拾い続け、蓮自身も高尾との一対一で優位を作る。坂本が決め、岩村が大坪との競り合いから押し込み、津川も走る。一方の秀徳も大坪と宮地を中心に得点を重ねたが、緑間には撃たせない。その一点だけは正邦が維持していた。
第1Q残り2分を切ったところで、24-31。9点あった差は7点まで縮まっている。
高尾がゆっくりボールを運ぶ横を緑間が走り、津川がぴったりとついていく。
「ほんとしつこいな」
「守るの好きだからね」
津川は笑っていたが、次の瞬間、大坪がその進路へ入った。津川がスクリーンを避けたところへ木村が続き、二枚目によって僅かに足が遅れる。
蓮にはその先が見えていた。緑間が空き、高尾からパスが出る。すぐに走り出した蓮は、緑間が受けた瞬間には正面へ飛び込んでいた。
「撃たせない!」
まだシュートモーションへ入る前。間に合ったと判断した蓮の前で、緑間は構えることなく高尾へボールを戻した。
「え?」
蓮が緑間へ寄ったことで中央が空いている。そこへ高尾が入り、岩村を引きつけて大坪へ落とすと、そのままリングへ叩き込んだ。
24-33。
着地した蓮が振り返ると、緑間は既に次の守備へ戻っている。
【……あいつ、普通にパスすんじゃねえか】
『するでしょ。勝つためなら』
【お前みてえなこと言うな】
『でも、そういうことでしょ?』
蓮は少し笑った。緑間だけではなく、高尾だけでもない。秀徳というチームそのものが強い。残り時間が少なくなる中でも正邦は蓮が高尾を抜いて岩村へ通し、秀徳は宮地が返す。さらに津川が速攻から2点を取り、スコアは28-35まで動いた。
残り十数秒。秀徳の最後の攻撃でも津川は当然のように緑間へ張りつき、蓮も高尾の視線から次のパスを読んでいた。大坪がスクリーンへ入り、その先へ緑間が走る。津川も離れない。
その緑間が、突然足を止めた。
津川も即座に止まったが、その一瞬前には高尾からボールが出ている。
『速い――』
緑間が受けた時には津川が正面、蓮も斜めから寄っていた。それでもボールを持ってからシュートへ移るまでに迷いがない。長い身体が真っ直ぐ伸び、二人の手の上から高い弧が放たれる。
ブザーが鳴った。
全員が見上げる中、ボールはリングへ落ち、ネットだけを揺らした。
28-38。
第1Q終了。途中からほとんどシュートを撃たせなかったにもかかわらず、最後には僅かな隙を一度だけ使われた。蓮が得点板を見上げる横で、緑間は歓声の中でも表情を変えずにベンチへ戻っていく。
『すごいな』
【……ああ】
今度は裏も、素直に答えた。
正邦のベンチへ戻ると、松元は選手たちが座るのを待たずに口を開いた。
「狙いは悪くない。緑間に撃たせない守りは続ける。ただし津川一人に全部任せるな。秀徳も今のままでは来ない。二枚スクリーンも使ってきた。銀城、お前が全体を見て指示を出せ」
「はい」
「それと緑間を見すぎるな。大坪、宮地、高尾。あいつらだけでも十分点を取れる」
岩村が大きく息を吐きながら頷いた。
「分かってます」
松元はそこで蓮へ視線を移した。
「攻撃は?」
「いけます」
「何が見えてる」
蓮はタオルで顔を拭きながら少し考えた。
「高尾は広く見えてます。でも、僕がパスを出す場所までは見えてないです」
「つまり?」
春日が横から聞くと、蓮は迷わず答えた。
「もっと崩せます」
高尾の《鷹の眼》は厄介だ。それでも《天瞰眼》とは違う。蓮が見ているのは現在の空間だけではなく、その次に生まれる空間まで含めたコートだった。
「だったらやれ」
松元は短く言い切る。
「10点差だ。相手が《キセキの世代》だろうが関係ない。ここは決勝だ。勝って全国へ行くぞ」
「はい!」
正邦の声が揃った。
反対側の秀徳ベンチでも、話題の中心は銀城だった。
「やっぱ厄介だな、あの眼。俺が見えてないわけじゃないんだけどさ、出すの早えんだよ。空いてからじゃなくて、空く前に出してくる」
水を飲みながら話す高尾に、大坪がすぐ返す。
「なら先に潰せ」
「簡単に言いますねえ」
「できないのか?」
「やりますよ」
高尾は笑って答えたが、その目は既に第2Qを考えている。隣では緑間が黙って左手のテーピングを確認していた。
「真ちゃんも随分張りつかれてたな」
「問題ないのだよ」
「撃ててなかったじゃん」
「撃つ必要がなかっただけだ。俺を止めるために津川を固定し、銀城まで意識を割いている。その時点で他の四人が動きやすくなる。俺が撃たなくても秀徳が得点できるなら、それでいいのだよ」
高尾が一瞬黙ったあと、面白そうに笑う。
「真ちゃんがそれ言うと、なんか怖えな」
「何がだ」
「別に」
緑間は気にすることなく正邦ベンチへ視線を向けた。その先では銀城が松元の話を聞いている。
「それに、あいつはまだ俺のシュートを止めてはいない」
撃たせないようにしているだけで、一度放たれたシュートはまだ一本も落ちていない。その事実は緑間にとって何も変わっていなかった。
インターバル終了を告げるブザーが鳴ると、蓮は津川とほぼ同時に立ち上がった。
「次も緑間?」
「うん」
「了解」
いつもの調子で笑う津川とともにコートへ向かいながら、蓮は内側へ意識を向ける。
『まだ僕でいい?』
【好きにしろよ】
『出たいんじゃないの?』
【出てえよ。でもまだ、お前が何すんのか見てる方がおもしれえ】
蓮の足が一瞬だけ止まり、すぐにまた動き出した。
『そっか』
【それに、あの緑頭、まだもっとあるだろ】
蓮も緑間を見る。同じタイミングで、緑間が秀徳のベンチからコートへ入ってきた。
第1Q、28-38。10点を追う正邦は、まだ銀城を替えない。
《キセキの世代》No.1シューターを相手に、表の蓮がどこまで秀徳を崩せるのか。その答えを出すための第2Qが、始まろうとしていた。