第2Q開始の笛が鳴った。
28-38。10点を追う正邦のボールから始まる。蓮はゆっくりとドリブルしながらセンターラインを越え、正面に入った高尾の向こうへ視線を広げた。右には津川、左には坂本。インサイドでは岩村と大坪が身体をぶつけ、その少し外側で大室と木村が位置を取り合っている。第1Qと同じ十人がコートに立っているはずなのに、蓮の中に映る景色は既に違っていた。
『いける』
【何が?】
『もっと速くできる』
高尾も蓮の視線を追っていた。《鷹の眼》を持つ彼には、正邦の五人がどこにいるのかが見えている。だからこそ、蓮がどこへボールを出そうとしても対応できるつもりだった。
「さあ、どこ使う?」
「まだないよ」
「は?」
高尾が眉を動かした時には、蓮の手からボールが離れていた。パスの先にはまだ誰もいない。しかし次の瞬間、宮地の背後から坂本が走り込み、何もなかったはずの空間でボールを受ける。そのままレイアップを沈めた坂本を見て、高尾はすぐに蓮へ視線を戻した。
30-38。
「……それだよ」
坂本が空いたから出したのではない。銀城がボールを離した時点では、まだそこにパスコースは存在していなかった。坂本が次にどこへ入り、宮地がどちらへ重心を動かし、その結果どこが空くのかを先に読んでいたからこそ、選手より先にボールを送ることができる。
秀徳の攻撃へ変わると、津川は第1Qと同じように緑間へ張りついた。高尾は一度そちらを確認したものの無理には通さず、大坪とのピックから中へ入ろうとする。その進路を見た蓮は岩村を動かさず、自分が高尾の前へ回り込んだ。
「岩村さん、そのまま!」
高尾はすぐに宮地へ切り替えようとしたが、そこには坂本が一歩内側へ寄っている。木村にも大室がつき、緑間には津川がいる。僅かにドリブルが止まった瞬間を逃さず蓮が手を伸ばすと、弾かれたボールが前へ転がった。
「津川、走って!」
拾った蓮がそのまま速攻へ入る。高尾と宮地も必死に戻ったが、蓮自身がリングまで行く必要はなかった。右から津川が走ってくることは、振り返らなくても《天瞰眼》の中に入っている。背中側へ流したボールを受けた津川が、そのままレイアップを決めた。
32-38。
第2Qが始まってまだ1分も経っていない。10点あった差が6点まで縮まり、正邦ベンチから大きな声が飛ぶ。大坪が「落ち着け!」と声を上げる中、高尾は返事をしながらも蓮から目を離せなかった。
銀城の足が急に速くなったわけではない。パスそのものが別物になったわけでもない。それなのに、第1Qより正邦の攻守が明らかに早く感じる。
「判断する前に……分かってんのか?」
高尾の呟きに、近くを走っていた緑間が反応した。
「何がだ」
「あいつだよ。俺らが動いてから見てるんじゃねえ。たぶん、動く前から次の形を見てやがる」
緑間の視線が蓮へ向く。
秀徳は次の攻撃で大坪を使った。岩村との一対一から押し込んで32-40とすると、正邦も蓮が坂本との連係から崩して34-40。宮地が返せば蓮自身が高尾との一対一からフローターを沈め、36-42とする。互いに得点を重ねているため点差そのものは大きく動かないが、第1Qとは試合の感触が違っていた。
緑間には津川が張りつき、その津川がスクリーンで外されそうになれば蓮が先に指示を出す。高尾が緑間を囮に別の場所を使おうとしても、《天瞰眼》は残る四人の動きまで同時に拾っていた。緑間を警戒しながら秀徳全体を守るという難題に、正邦が少しずつ形を与え始めている。
第2Q残り7分04秒、36-42。
高尾はボールを運びながら正面の蓮を見た。
「なあ銀城。お前の眼、どこまで見えてんの?」
「全部」
「そういうカッコいい答えいらねーんだけど」
「ほんとだよ」
蓮の声に冗談めいた調子はなかった。視線は高尾へ向いているのに、その意識は一人へ集中していない。緑間と津川、大坪と岩村、宮地、木村、坂本、大室まで、十人全員が同じ視界の中に存在している。
広い視野を武器にしている高尾だからこそ、その異常さは誰より理解できた。
「……そりゃ厄介だわ」
高尾が大坪のスクリーンを使って右へ入る。蓮は無理に追わず、その先へ岩村が出ることも、大坪が空いた背後へ潜り込もうとすることも見ていた。高尾から大坪へパスが通った瞬間、大室が横から寄り、岩村もすぐに戻る。挟まれる前に外へ逃がそうとした大坪のパスを、今度は蓮が途中で奪った。
正邦が一斉に走る。坂本には宮地、津川には緑間、大室には木村が戻り、高尾はボールを持つ蓮の前へ入った。パスコースを消せば自分で来る。そう判断した高尾は一対一へ集中したが、蓮は右への踏み込みから鋭く切り返し、それにも食らいついた高尾の身体より最後には半歩だけ前へ出た。
表の蓮はパスだけの選手ではない。ドリブルもシュートも守備も無冠の五将級にあり、《天瞰眼》を抜きにしても全国上位の相手を一対一で破れる。戻り切れていない大坪を確認した蓮は、そのままリングまで運んでレイアップを沈めた。
38-42。
4点差まで詰まったところで、秀徳がタイムアウトを取った。
「いやー、キツいわ」
ベンチへ戻った高尾が水を口にしながら言うと、大坪がすぐに睨んだ。
「笑ってる場合か」
「笑ってねえとやってらんないっすよ。俺の《鷹の眼》と、あいつの眼は相性悪すぎる」
「眼のせいにするな」
緑間に言われ、高尾は苦笑しながら首を振った。
「してねえよ。俺だって見えてるんだ。ただ、あいつの方が一つ先なんだって。今ある場所を見る俺と、次にできる場所まで見てる銀城。たぶんそういう違いだ」
大坪たちの表情が僅かに変わる。高尾ほどの視野を持つ選手が、自分より先を見られていると認めた意味は軽くない。それでも緑間だけは表情を変えず、左手のテーピングを確認していた。
「なら、その前提ごと崩せばいいのだよ」
「どうやって?」
「俺に寄越せ」
「津川ついてるぞ。しかも銀城までパスコース読んでる。普通に回したって、さっきみたいに――」
「高尾」
緑間が言葉を遮った。
「なにも、3Pラインの近くで受ける必要はないのだよ」
高尾の表情が止まる。
緑間は顔を上げ、コートを見た。3Pラインではない。そのさらに後ろ、センターラインを越えた先まで視線が下がっていく。
「……真ちゃん」
「俺の射程距離を、勝手に決めるな」
高尾の口元がゆっくり上がった。
「なるほどね」
正邦は緑間へボールを入れさせないため、津川を密着させ、銀城がその先のパスコースまで潰している。それなら、その守備が想定している場所そのものを広げればいい。リングから離れれば離れるほど守備側には「そこからは撃たない」という常識が生まれるが、緑間真太郎を相手に、その常識は意味を持たない。
「どこまで下がる?」
高尾が聞く。
緑間は眼鏡を押し上げた。
「必要なところまでだ」
「オッケー。じゃあ次、試してみるか」
「試すのではない」
緑間は立ち上がった。
「決めるのだよ」
タイムアウトが終わっても、正邦の守備は変わらなかった。津川が緑間へ張りつき、蓮が全体を見ながらその後ろを調整する。ただ、秀徳も同じ攻め方を繰り返すつもりはない。
高尾は緑間を見ないままボールを運び、大坪を津川の進路へ入れた。津川がそれをかわした先には木村、さらに宮地が横切ることで一瞬だけ視界と進路が重なる。蓮には緑間がどこへ抜けるのか見えており、高尾のパスが出るより先にその場所へ走った。
『間に合う』
緑間が受けた瞬間には、既に蓮が正面へ入っている。津川もすぐ後ろから戻ってきた。それでも緑間は止まらず、ボールを受ける動きからほとんど淀みなくシュートへ移る。蓮が跳んだ時には長い身体が真っ直ぐ伸びており、指先が近づいてもリリースポイントには僅かに届かなかった。
高く放たれたボールが長い滞空のあとネットへ吸い込まれる。
38-45。
「……ほんとに外さないね」
蓮が呟くと、守備へ戻り始めた緑間が振り返りもせず答えた。
「当然なのだよ」
7点差へ戻されたが、蓮の表情に落胆はない。むしろ今の一本で、やるべきことがさらに明確になっていた。
『やっぱり、撃たれたら駄目だね』
【だったらどうすんだ?】
『もっと前で止める』
次の正邦の攻撃で、高尾はいつもより一歩深く蓮へ入った。パスを自由に出させないための距離だったが、それなら蓮は自分で崩せばいい。高尾の重心が僅かに前へ出た瞬間に逆を取り、宮地が寄るより早く坂本へ通して40-45。続く秀徳の攻撃では、緑間へ渡る前に蓮が高尾のパスコースを消し、大坪へ切り替えたところを岩村が守り切った。
そこから正邦が速攻へ移ると、高尾には走る五人の位置が見えていた。右を津川、左を坂本、大室が中央から遅れて入ってくる。その全てを把握しているにもかかわらず、蓮がどこへボールを出すのかだけが最後まで絞れない。右へ視線を向けた蓮につられて意識が動いた瞬間、パスは逆側の坂本へ通り、宮地が寄ったところで再び蓮へ戻ってくる。高尾との距離が一歩空いたところから放ったミドルが沈み、42-45まで差が縮まった。
そこから秀徳が大坪で42-47とすれば、正邦は岩村で44-47。宮地が決めて44-49となっても、蓮が大室へ通して46-49と返す。秀徳が得点しても正邦が止まらず、第2Q残り4分を切っても差は3点のままだった。
さらに正邦の守備は時間が進むほど緑間へのパスを削っていった。津川が張りつき、高尾がスクリーンを使って外そうとする動きまで蓮が読む。緑間へ通す線が生まれるより先に銀城がそこへ入り込むため、秀徳は最大の得点源を持ちながら簡単には使えない。
「真ちゃん!」
高尾がようやく一本を通した時にも、緑間が受けた瞬間には津川が正面、蓮も斜めから距離を詰めていた。緑間が構えると二人が反応し、その動きを見た緑間はシュートへ固執せず大坪へ通す。大坪が決めて46-51となったが、蓮もすぐに岩村へ通して48-51と返した。
【またパスかよ】
『だから勝つためならするって』
撃てば入る緑間から、撃つ回数そのものを奪う。第1Qの途中から始めた守りがようやく形になり、第2Q残り2分21秒になっても差は3点しかなかった。
高尾はボールを運びながら、初めて苛立ちを隠さずに蓮を見る。
「めちゃくちゃやりづれえ……!」
蓮は答えなかった。《天瞰眼》の中では既に次の配置が動き始めている。高尾が右へ入り、それに合わせて宮地が切り、大坪が上がる。逆側へ流れる緑間を使おうと高尾がパスを出した瞬間、その線上へ先に入っていた蓮がボールを奪い、すぐに速攻へ転じた。
追ってきた高尾を引きつけて右を走る津川へ送ると、そのままレイアップが決まる。
50-51。
1点差まで迫った会場が大きく沸き、正邦ベンチでは春日も立ち上がっていた。
『追いつける』
【追いつくだけか?】
裏の声に、蓮は走りながら僅かに笑った。
『抜くよ』
第2Q残り1分43秒。秀徳は高尾が時間を使いながらボールを運んだ。ここで慌てて緑間へ集めれば正邦の狙い通りになるため、大坪と宮地を動かしながら守備を広げ、緑間には津川を連れたまま逆サイドを走らせる。
蓮は高尾を見ながらその全てを捉えていた。宮地が切り込めば坂本が追い、大坪が岩村を押さえた脇へ高尾が入ろうとする。蓮はその進路へ半歩だけ下がり、高尾が中へ踏み込んだ瞬間に伸ばした手でボールを弾いた。完全には奪えなかったものの、こぼれ球を坂本が拾って蓮へ返す。
正邦が速攻へ移ると、秀徳も全員が戻った。高尾は蓮へ、宮地は坂本へ、木村は大室へ入り、大坪もリング下へ戻る。蓮は速度を落とさず高尾へ仕掛け、左へ身体を振って守備を引きつけたところから岩村へ通した。大坪が岩村へ戻った瞬間にはボールが再び外へ返されており、受け直した蓮が高尾の戻りより先にミドルを放つ。
ボールがリングに触れ、そのまま落ちた。
52-51。第2Q残り58秒で、正邦が初めて秀徳を逆転した。
歓声の中でも高尾はすぐにボールを受け取り、緑間も何も言わず前へ走る。たった1点の差ではある。それでも、第1Qに10点のリードを作った秀徳が、表の銀城を中心とした正邦に試合を組み替えられた結果だった。
「真ちゃん」
「ああ」
高尾の短い呼びかけだけで、緑間には意図が伝わった。
津川は緑間から離れず、蓮も最初からそちらへのパスを警戒している。大坪と木村が津川の進路を塞ぐことまで蓮は読み、自分が緑間側へ寄ってパスの出口を先に潰した。
だが、高尾にも蓮の動きは見えていた。緑間へ意識が寄った瞬間、自ら中央へ踏み込み、岩村を前へ引き出す。そのまま攻めると見せたところで初めて高くボールを浮かせると、津川の頭上を越えたパスが、蓮の戻りより僅かに早く緑間の手へ収まった。
受けた位置は3Pラインより遥かに遠い。それでも緑間は距離を確認することなくシュートへ入り、追いついた津川と蓮の二人が距離を詰める中、崩れないフォームから高い放物線を描いた。
ネットが鳴り、52-54。秀徳が再び前へ出した時、時計は残り12秒を示していた。
正邦はタイムアウトを取らない。岩村からボールを受けた蓮がそのまま前へ運び、高尾が正面で腰を落とす。秀徳も無理に奪いには来ず、最後の一本を守り切ってリードしたまま前半を終える構えだった。
時計が残り4秒へ近づいたところで、蓮が仕掛ける。高尾の右へ踏み込んですぐに切り返し、抜き切るのではなく高尾と宮地の意識を自分へ集めた。その瞬間、空いた場所へ坂本が入り込む。
ボールは、坂本が空き切るより先に出ていた。
受けた坂本がブザー直前に放ったシュートはバックボードを叩き、そのままリングへ落ちる。
54-54。
直後に前半終了のブザーが鳴った。
第1Q終了時にあった10点差は、20分を終えた時点で完全に消えていた。
選手たちがベンチへ引き上げる中、高尾は得点板を一度振り返った。54-54。第2Qだけなら正邦が26-16と上回っている。
緑間のシュートは一本も外れていない。それでも秀徳のリードがなくなった理由は、高尾にも分かっていた。外したのではなく、撃たせてもらえなかった。津川が張りつき、その後ろから銀城がパスコースと秀徳全体の動きを同時に潰したことで、緑間の得点機会そのものを削られている。
「真ちゃん」
「何なのだよ」
「銀城、やべーな。こっちが普通に組み立ててたら、後半も同じことされるぞ」
緑間はすぐには答えず、正邦ベンチへ戻っていく蓮を見ていた。誠凛戦の第3Qで見せた攻撃的な姿ではない。前半20分、銀城は最初から最後まで司令塔として戦い、そのまま10点差を消している。
やがて緑間が口を開いた。
「高尾。後半は、もっと俺にボールを寄越せ」
「だからさ、普通の位置じゃ銀城に読まれるって」
「分かっている」
緑間は眼鏡を押し上げると、コートの奥へ視線を向けた。その目は3Pラインを越え、ハーフラインさえ越えて、自陣側まで続く床を見ている。
「前半と同じ場所で受ける必要はないのだよ」
高尾がその視線を追い、数秒して意味を理解した。
「……マジ?」
「何がだ」
「いや、真ちゃんがそこまでやる気なんだなと思って」
「勝つために必要ならやる。それだけなのだよ」
高尾はしばらく緑間を見たあと、楽しそうに口元を上げた。
「了解。じゃあ後半は、コート全部使おうぜ」
緑間は否定しなかった。
正邦が緑間へ届く道を塞いだのなら、その道の外側から撃てばいい。銀城の《天瞰眼》が十人の配置をどれだけ正確に捉えようと、守らなければならない範囲そのものがコート全域へ広がれば話は変わる。
「何度でも撃つ」
緑間は静かに言った。
「どこからだろうと、俺のシュートは落ちないのだよ」
一方、正邦のベンチへ戻った蓮は椅子へ腰を下ろし、首に掛けたタオルで汗を拭った。前半終了時点で54-54。第1Qで作られた10点差を表のまま消したことに達成感はあったが、蓮の意識は既に後半へ向いている。
『同点だね』
【見りゃ分かる】
『どうだった、《キセキの世代》』
問いかけると、内側からの返事まで僅かに間が空いた。
【強えよ】
『素直だね』
【うるせえ】
蓮は小さく笑いながら、コートの反対側へ目を向けた。秀徳のベンチでは高尾と緑間が何かを話している。内容までは聞こえないが、緑間がこちらを見ていないことが妙に気になった。その視線はもっと遠く、コートの奥へ向けられている。
『出たくなった?』
【とっくにな。でも――】
裏の声には、いつもの苛立ちとは少し違う楽しさが混じっていた。
【やっぱお前もやる気だせば結構やるじゃねえか】
蓮はその言葉に目を細めたあと、もう一度秀徳ベンチを見る。緑間は一本も外していない。それでも前半は同点で終わった。だからこそ、後半も同じ試合になるとは思えなかった。
前半終了、54-54。
正邦は《キセキの世代》No.1シューターからシュートを奪うことで、10点差を消した。
そして秀徳は、その守り方そのものを壊す準備を始めていた。