第4Q残り1分18秒、116-117。
岩村からボールを受けた蓮の正面には高尾が立ち、その後ろでは宮地と大坪が突破に備えている。さらに緑間まで蓮の動きを追っており、秀徳はもう誰一人として銀城を一対一で止められるとは考えていなかった。
『蓮』
【あ?】
『勝とう』
表から届いた言葉に、蓮は一瞬だけ黙ってから口元を上げた。
【最初からそのつもりだ】
残り時間を使い切るような真似はせず、蓮は高尾へ向かって仕掛けた。最大出力まで引き上げた一歩目に高尾も食らいついたが、右へ抜けると見せて急激に減速されると完全には身体を止め切れず、その僅かなずれへ蓮が肩を入れる。抜かれることを予測していた宮地もすぐに進路へ入り、さらにその奥から大坪まで動いたことで、秀徳は三人を使って蓮のリングまでの道を塞いだ。
ここまでなら、蓮は何度もそのまま突っ込んでいる。三人に囲まれても身体を操ってシュートまで持っていけることは、既に秀徳も知っていた。
だからこそ、三人とも蓮を見た。
大坪がゴール下から前へ出たことで、その背後へ岩村が入り込んでいることに気づいたのは高尾が最初だったが、その時にはもう蓮の右手からボールが離れていた。
「岩村さん!」
守備の間を抜けたパスを受けた岩村が、そのまま両手でリングへ叩き込む。
118-117。
正邦が逆転した。
「よし!」
正邦ベンチが沸き上がる中、蓮は得点を確認した時にはもう自陣へ向かって走っていた。残り時間は1分を切っているうえ、秀徳には一度のシュートで点差をひっくり返せる緑間がいる。喜んでいる時間などなかった。
「津川!」
「分かってる!」
秀徳もタイムアウトを取らず、すぐに攻撃へ移った。高尾が素早くボールを運び、大坪と木村が中央で正邦の守備を動かす間に、緑間は津川を連れながら大きく外へ回っていく。
蓮は高尾の正面を守りながら、緑間の位置も確認した。
『緑間君、右』
【見えてる】
高尾が一度宮地へ預けたところで緑間が動き、津川もその後を追う。蓮もシュートを警戒して一歩だけそちらへ寄ったが、高尾はその動きを見逃さなかった。
宮地から返されたボールを受けると同時に中央へ入り、蓮が戻るより先に岩村を引きつける。そこで空いた大坪へ落とし、岩村が反応すれば大坪も無理には打たず、再び外へ展開した。
ボールが戻った先には緑間がいる。
津川がすぐに詰め、蓮も反対側から距離を潰した。二人に挟まれながら受けた緑間は一度シュートへ入ろうとしたものの、先ほどリリースを叩かれた距離まで蓮が迫っていることを確認すると、今度は無理に撃たず高尾へ返した。
第4Q残り34秒。
高尾が受けた瞬間、緑間はもう一度動き直した。津川も離れなかったが、その進路へ大坪が身体を入れたことで僅かに遅れる。
高尾から再びパスが飛ぶ。
今度の蓮は最初から緑間を見ていた。ボールが届くより先に走り出し、緑間が受けて構えた時には既に横から距離を潰している。
「来いよ!」
蓮の声に、緑間は止まらなかった。
津川が前から跳び、蓮も横から床を蹴る。二人の腕がシュートへ迫る中でも緑間のフォームは崩れず、最高到達点から放たれたボールは蓮の指先の僅か先を抜けていった。
長い放物線がリングへ向かい、そのままネットを鳴らす。
118-120。
第4Q残り24秒。秀徳が再び逆転した。
着地した蓮はリングを見上げたまま荒く息を吐き、それから緑間へ視線を戻した。
「……マジで落ちねえな」
「当然なのだよ」
緑間も肩で息をしている。それでも眼鏡の奥の目に迷いはなかった。
「俺のシュートは落ちない」
「知ってるよ。嫌ってほど見た」
蓮はそう言って笑うと、得点板を一度だけ見た。
「だから次で終わりだ」
そこで松元がタイムアウトを取った。
残り24秒、118-120。2点を取れば同点、3点なら逆転。まだ一度の攻撃を組み立てるだけの時間は残っている。
ベンチへ戻った選手たちを前に、松元はボードを出した。
「無理に3Pへ行く必要はない。まず一本取る。時間はあるんだから焦るな」
岩村たちが頷く中、松元は最後に蓮を見た。
「銀城」
「あ?」
「どうする?」
蓮はすぐには答えず、得点板から秀徳のベンチへ視線を移した。高尾たちの中心には緑間がおり、向こうもこちらを見ている。
「勝つ」
「それは分かってる」
「ならそれでいいだろ」
松元は数秒だけ蓮を見たあと、小さく息を吐いた。
「……好きにやれ。ただし、五人でだ」
「分かってるよ」
コートへ戻る途中、表の声が聞こえた。
『最後、自分で行く?』
【さあな】
『決めてないの?』
【今決めてどうすんだよ。相手が何してくるか見てから、一番入るやつ選ぶ】
その答えに、表が少し笑った。
『僕と同じこと言ってる』
【うるせえ】
タイムアウトが終わり、正邦最後の攻撃が始まった。
岩村から受けた蓮を高尾が正面で待ち、その後ろには宮地と大坪がいる。緑間も最初から蓮へ意識を向けており、秀徳が最後まで一人で止めようとしていないことは明らかだった。
「来いよ、銀城」
高尾が腰を落とす。
「これで最後だ」
「ああ。終わらせようぜ」
時計が動き始めても、蓮はすぐには仕掛けなかった。トップ付近でドリブルしながら高尾の重心、宮地が寄れる距離、大坪の位置、そして緑間がどこまで自分へ意識を向けているかを確認する。
表のように未来の配置が見えているわけではない。それでも、これまでの試合で何度もぶつかってきた秀徳が自分をどう止めようとしているのかは、もう十分に分かっていた。
残り15秒を切ったところで、蓮が高尾の右へ一気に踏み込んだ。
高尾は最初から抜かれることを想定して身体を寄せ、蓮の進路を内側へ限定する。その先へ宮地が入り、二人の間を抜けようとした瞬間には大坪までゴール下から前へ出てきた。
三人が蓮へ集まる。
それでも蓮が速度を落とさなかったことで、緑間まで一歩内側へ入った。
逆サイドでは津川が空いている。大室にも出せる。大坪が前へ出たことで岩村もゴール下へ入れる状態になっており、秀徳が蓮へ人数をかけた分だけ、正邦の他の四人にはそれぞれ僅かな空間が生まれていた。
蓮は大坪へ向かってさらに踏み込み、右手でボールを持ち上げる。
「来るぞ!」
高尾の声に大坪が跳び、宮地も後ろから腕を伸ばす。緑間までゴール下へ寄ったところで蓮も床を蹴り、四人の視線が完全に自分へ集まった瞬間、初めてリングから目を切った。
「津川!」
「っ!」
空中から振り抜いたパスが、大坪と緑間の間を抜けて逆サイドへ飛んだ。
津川は既に構えていた。受けると同時に膝を沈め、迷わず跳ぶ。
緑間が反応した。
「させないのだよ!」
ゴール下へ寄っていた身体を強引に切り返し、長いストライドで津川へ向かう。蓮ほどではなくとも、その脚力と長い腕ならまだ届く可能性がある。
それでも津川は止まらなかった。
「僕だって――」
緑間の手が迫る。
「シューターなんだけど!」
指先が届く直前に、津川の手からボールが離れた。
高く上がったシュートを、蓮は着地しながら見上げる。緑間も振り返り、その視線の先でボールがリングへ落ちた。
ネットが鳴る。
121-120。
「っしゃあ!」
津川が拳を握り、正邦ベンチから歓声が上がる。
だが、時計にはまだ4.6秒残っていた。
「戻れ!」
岩村の声で全員が動く。
秀徳もタイムアウトを取らない。大坪がすぐにボールを拾い、高尾へ渡そうとする。正邦が最も警戒すべき相手など考えるまでもなく、津川は得点を喜ぶより先に緑間へ向かって走っていた。
緑間も既に自陣側へ下がっている。
高尾が残り4.1秒でボールを受けると、その正面へ蓮が入った。
「どけ!」
「嫌だね」
時間がない以上、高尾も抜き切る必要はなかった。緑間がシュートを撃てる場所までボールを届ければいい。そして緑間にとっては、コートのどこにいるかなど関係ない。
津川が緑間へ張りつく中、高尾はその位置を確認すると蓮の横からパスを通そうとした。蓮の手が伸びたことで途中で止めたものの、逆方向へドリブルを一つ入れて身体を僅かにずらす。
「まだだ!」
その間にも緑間は津川を振り切ろうと動き続け、大坪が一瞬だけ津川の進路へ身体を入れた。
緑間と津川の間に、半歩の空間ができる。
高尾には見えていた。
第4Q残り2.3秒。
そこへボールを通す。
パスが蓮の横を抜け、津川が緑間へ向かって追う。その先で緑間が両手を伸ばした瞬間、横から銀色の髪が視界へ入った。
「――っ!」
蓮だった。
高尾のパスが自分を抜けた瞬間には振り返り、最大まで床を蹴っている。表のようにパスが出る前から未来を見ていたわけではない。出されたあとに見て、そこから追った。
緑間の指先へ届く寸前、蓮の右手がボールへ触れた。
完全には奪えない。
それでも軌道が変わった。
緑間の手から僅かに外れたボールが、そのままサイドライン方向へ弾かれる。緑間と津川、高尾が一斉に追う中、蓮は触れた勢いのまま床へ倒れた。
残り0.8秒。
緑間が先にボールへ追いついた。
身体を起こして構えるだけの時間などない。それでも拾った勢いのまま片手でボールを持ち上げ、リングへ向かって放とうとする。
その直前、第4Q終了を告げるブザーが鳴った。
緑間の手からボールが離れたのは、その直後だった。
シュートは長い軌道を描いてリングへ向かい、そのまま中央を通り抜ける。
ネットが鳴った。
だが、得点板は動かなかった。
121-120。
審判が両腕を振り、ノーカウントを示したところで、会場の音が一気に戻った。
「っしゃあああ!」
岩村の声が響き、大室と坂本も拳を上げる。ベンチでは春日たちが飛び出しかけ、松元に止められながら歓声を上げていた。
津川はその場で両手を膝につき、大きく息を吐く。
「……危なっ」
高尾はしばらく得点板を見上げていたが、やがて頭を掻きながら笑った。
「マジかよ……最後の最後で、そこ触るか」
床へ倒れたままだった蓮は、ゆっくりと上半身を起こした。
「触っただろ」
「見りゃ分かるわ」
その少し先で、緑間はまだ動いていなかった。
ブザーのあとに放ったシュートは入った。
だが、遅かった。
試合を通して緑間真太郎が放ったシュートは、一度も外れていない。
それでも――秀徳は負けた。
緑間がゆっくりと眼鏡を押し上げる。
「……最後まで、撃たせないつもりだったのか」
蓮は立ち上がりながら肩を回した。
「お前、撃ったら入るじゃん」
「当然なのだよ」
「だったら撃たせなきゃいいだろ」
あまりにも簡単に返され、緑間は黙った。
それは第1Qから正邦が出していた答えだった。緑間のシュートを落とさせるのではなく、射程距離の外を探すのでもない。撃たれる前に止める。
表は《天瞰眼》によって、そのための場所を先に見つけた。裏には同じ眼などない。それでも相手が動いてから追いつき、最後の一本だけは緑間の手へ届く前に触った。
方法はまるで違う。
それでも二人が辿り着いた答えは同じだった。
『勝ったね』
表の声が聞こえる。
蓮は得点板を見る。
121-120。
【ああ】
『楽しかった?』
裏は少しだけ黙り、それから緑間と高尾、その後ろにいる秀徳の選手たちへ視線を向けた。
【……まあな】
整列の声がかかり、両校がコート中央へ集まった。
「121対120。正邦高校の勝利!」
「ありがとうございました!」
頭を下げたあと、高尾がすぐに蓮へ寄ってきた。
「いやー、負けた。つーかお前、前半と後半でマジで別人みたいだな」
「よく言われる」
「それだけ?」
「他に何があんだよ」
「絶対なんかあるだろ」
「ねえよ」
高尾が疑わしそうに見ている横を、緑間が通り過ぎようとする。
「緑頭」
「緑間なのだよ」
足を止めた緑間へ、蓮が笑った。
「次やったら、もっと早く止める」
「次は触らせないのだよ」
「言ってろ」
「お前こそなのだよ」
緑間はそれだけ言うと、今度こそ秀徳の仲間たちの方へ歩いていった。
蓮はその背中を見送りながら、少しだけ笑う。
『強かったね』
【ああ】
今度は、すぐに答えた。
【《キセキの世代》ってのも、悪くねえな】
121-120。
正邦高校、Aブロック決勝突破。
緑間真太郎は、最後まで一本もシュートを外さなかった。
それでも最後に勝ったのは――正邦だった。