正邦のキセキ   作:lalaland

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本日3話目


別人

 

 

「遅えよ」

 

 蓮の声がコートを越えて入口に立つ青峰へ届いたが、青峰はすぐには答えなかった。数日前に見た顔と同じはずなのに、目の前にいる銀城蓮から受ける印象がまるで違う。それ以上に、視界の上にあるスコアが現状を嫌でも伝えていた。

 

 74―35。

 

 自分が来るまで桐皇が負けている可能性くらいは考えていた。今吉たちだけで簡単に負けるとも思っていなかったが、相手は秀徳を倒したチームなのだから多少競ることはあるかもしれない。それでも三十九点差など、青峰の想像にはなかった。

 

「大ちゃん!」

 

 ベンチから桃井に呼ばれ、青峰はようやく入口から動いた。その間にも試合は続いており、残り三十秒から今吉が若松を使って中へ入り、正邦の守備を寄せたところで桜井へ展開する。津川の追走より僅かに早く放たれたシュートが決まり74―38。残り時間を確認した蓮は急がず岩村からボールを受け、今吉が前へ入ってもすぐには仕掛けず時間を使った。

 

 残り八秒で動く。今吉の右へ踏み込み、反応させてから左へ切り返すと、若松が前へ出た。蓮はそのまま二人の間へ身体を入れ、若松との接触を肩で流す。そこへ諏佐まで寄り、三人が自分へ集まった瞬間、リングへ向いていたはずのボールだけが逆方向へ飛んだ。

 

「津川!」

 

 右コーナーで完全に空いた津川が受け、迷わずシュートへ入る。放たれたボールはブザーとほぼ同時にネットを通り、77―38。正邦が三十九点のリードを持ったまま前半を終えた。

 

「何やってんだよ」

 

 ベンチへ戻ってきた今吉たちに青峰が最初に言ったのはそれだった。

 

「見りゃ分かるやろ。ボコボコや」

 

 今吉はタオルを頭から被りながら答える。

 

「お前が遅れてきたせいでもあるけどな」

 

「俺いなくても、こんな点差つけられるメンツじゃねえだろ」

 

「せやから困っとるんや」

 

 青峰が反対側のベンチを見ると、銀城は立ったまま松元と話していた。今吉たちは汗だくで、若松は座って呼吸を整え、桜井もタオルで顔を拭っている。それに対して銀城は肩すらほとんど上下しておらず、額にも汗が見えない。

 

「……あいつがやったのか?」

 

「だいたいな。自分で点取るだけやない。ワシらが二人つけたらパス、三人寄ったらもっと早くパス。守備でもあっちこっち顔出してきよる」

 

 今吉はそこで銀城から青峰へ視線を戻した。

 

「しかも、あれで全力かどうか分からん」

 

「は?」

 

「見てみい。二十分やって汗一つかいとらん」

 

 青峰はもう一度銀城を見る。水を飲みながら津川と話している姿は、試合を二十分戦った選手には見えなかった。

 

「……何だよ、それ」

 

 その口元が僅かに上がる。

 

 桃井はすぐに気づいた。

 

「大ちゃん。私も、まだ銀城君のこと分からない」

 

「お前、あいつ調べたんじゃなかったのか」

 

「調べたよ。秀徳戦も、その前の試合も。でも今日の銀城君は、私が直接見た時とも全然違うの」

 

 桃井は正邦側を見ながら続ける。

 

「この前、大ちゃんと1on1した時はもっと周りを見るような目をしてた。動く前に相手を見て、先を読もうとしてた。でも今日は自分から動いて相手を反応させてる。それに普通なら無理な体勢になっても、そこからすぐ次の動きへ繋げてくる。秀徳戦の終盤に普段とは違うプレーをしたって情報はあったけど、記録だけじゃここまで分からなかった」

 

「……へえ」

 

 桃井はさらに何か言いかけたが、そこで止めた。全力ではないのかもしれない。そう思っても、まだ確証まではなかった。

 

 それでも青峰には十分だった。

 

「面白えじゃん」

 

 今吉が横目で見る。

 

「この点差見てもそれ言えるんは、お前ぐらいやろな」

 

「だってよ。あいつ、この前と全然違えんだろ?」

 

 数日前の公園で感じた失望はもう消えていた。自分が圧倒した相手が数日でここまで強くなったとは考えにくい。なら、あの時は今の力を見せていなかった。その答えの方が青峰には自然だった。

 

「最初からこっち出せよ」

 

 そう呟いた青峰は、もう退屈そうな顔をしていなかった。

 

 正邦側でも話題は青峰だった。津川が桐皇ベンチへ目を向け、遅れてきた青峰を確認する。

 

「来たね」

 

「ああ」

 

「銀城、このまま行くんでしょ?」

 

「そのために出てきたんだよ」

 

 蓮が笑うと、岩村が横から口を挟んだ。

 

「三十九点差だ。焦る必要はないぞ。相手が青峰だからって、急に一人で勝負し続けるなよ」

 

「分かってます。勝つために一番いいことやりますよ」

 

 答えながらも、蓮の視線は桐皇ベンチから離れなかった。

 

【やっと来たね】

 

『ああ』

 

【どうするの? 五十パーセント』

 

 裏は少しだけ考えた。数日前の1on1は内側からすべて見ている。青峰の一歩目が速いことも、表が一度抜いたあとから追いつかれたことも、普通ならシュートを打てない体勢から平然と決めていたことも知っていた。普通の選手と同じ感覚で相手をすれば止められないことくらい、最初から分かっている。

 

『……まだこれでいい』

 

【上げないんだ】

 

『まずやってみりゃ分かるだろ。あいつがどれぐらいなのか』

 

 松元も選手たちを集め、前半の出来を評価したうえで青峰が出てくる可能性を伝えた。三十九点のリードがあるからこそ相手に合わせて崩れる必要はなく、これまで通り守って、これまで通り取る。最後に蓮へ視線を向ける。

 

「銀城。さっきも言ったが、自分だけで試合を変えようとするな」

 

「しません」

 

「ならいい」

 

 松元はそれ以上言わなかった。裏が表とは違うことなど知るはずもない。それでも誠凛戦と秀徳戦を通して、この状態の銀城がただ好き勝手に得点する選手ではないことは分かっている。勝つためなら味方を使う。その一点だけは、普段の銀城と変わらなかった。

 

 ハーフタイムが終わり、両校の選手が再びコートへ出る。桐皇側から青峰が入った瞬間、観客席の空気が変わった。

 

 帝光中《キセキの世代》のエース、青峰大輝。その名前を知る者ほど、三十九点差があっても試合が終わったとは思わない。正邦の選手たちも警戒を強め、津川の表情からいつもの軽さが少し消えた。

 

 その中で蓮だけが笑っていた。

 

 青峰も同じだった。

 

「よう」

 

「やっと来たな」

 

「悪ぃ悪ぃ」

 

「俺に謝ってどうすんだよ。自分のチームに謝れ」

 

「別にいいだろ。ここから勝ちゃ」

 

「三十九点差だぞ」

 

「だから?」

 

 青峰は即答した。

 

「そんぐらいじゃねえと面白くねえよ」

 

 そのまま腰を落とした青峰を見て、蓮の目が僅かに細くなる。今吉とも若松とも違う。構えを見ただけで分かるほど、身体の力が抜けていた。

 

【来るよ】

 

『分かってる』

 

 第3Q開始の笛が鳴った。

 

 桐皇ボール。今吉が運び、青峰が左側からゆっくり動き出す。津川がつこうとしたところで蓮が声をかけた。

 

「津川。そいつ、俺がやる」

 

「最初から?」

 

「ああ」

 

「分かった」

 

 マークが入れ替わり、青峰の正面へ蓮が立つ。

 

「この前は随分大人しかったじゃねえか」

 

「そうか?」

 

「今日は目つきまで違え」

 

「よく見てんじゃん」

 

「そりゃ見るだろ。今度はちょっと期待できそうだからな」

 

 今吉からボールが入る。青峰が受けた瞬間、蓮は距離を詰めすぎず腰を落とした。

 

 右へ来る。

 

 そう捉えた瞬間には、青峰の身体が既に動いていた。

 

 蓮も右脚を引き、腰を回して追う。それでも一歩目では青峰が前へ出た。今吉までとは明らかに違う速度だったが、蓮はそこで諦めず、遅れた身体の軸を走りながら組み直す。次の一歩で加速し直し、抜かれたはずの位置から青峰の横へ戻った。

 

「……!」

 

 青峰の目が僅かに開く。

 

 確実に抜いたはずだった。それでも銀城が追いついてくる。

 

 青峰は止まらずリングへ跳び、蓮もその横から跳んだ。空中で二人が並んだところで青峰は身体を大きく傾け、通常ならシュートへ移れない姿勢から腕だけを伸ばす。蓮の手の外側を通ったボールがバックボードへ当たり、そのままリングへ落ちた。

 

 77―40。

 

 二人がほぼ同時に着地する。

 

「やっぱ速えな」

 

「お前もな」

 

 青峰の顔から、もう退屈そうな表情は消えていた。

 

 続く正邦の攻撃では蓮がボールを受け、その正面へ今度は青峰が入った。数日前の1on1では表が青峰を抜こうとし、青峰がそれを止めている。今は同じ身体を使っていても、中にいるのは別の人格だった。

 

「来いよ」

 

「ああ」

 

 蓮が右へ踏み込むと青峰も遅れずついてくる。ならばと右へ向けた軸を左へ組み替えたが、それにも反応された。さらに左から右へ戻す。通常なら切り返しを重ねるほど身体が流れていくところを、蓮は一度ごとに重心を足元へ戻しながら方向だけを変えていく。

 

 三度目で青峰の足が僅かに遅れた。

 

 蓮がその隙間を抜く。

 

 だが、後ろからすぐに足音が迫った。

 

【速い!】

 

『分かってるよ』

 

 リングへ入る直前には青峰の手が追いついていた。蓮はそのままレイアップへ行かず、跳ぶ直前にボールを左へ流す。青峰の手が直前までボールのあった場所を通り過ぎ、その間に蓮は身体をリングの裏側へ移しながら左手で拾い直した。

 

 逆側から置く。

 

 入った。

 

 79―40。

 

 着地した蓮が振り返ると、青峰もこちらを見ていた。数日前、自分が一度追いつけばそこで終わっていた銀城とは違う。今の銀城は追いつかれたところから、さらに身体を変えて得点まで持っていった。

 

「……はは」

 

 青峰が笑う。

 

「何だよお前」

 

「何が?」

 

「全然違えじゃねえか」

 

 蓮は答えず、ただ笑った。

 

 まだ五十パーセント。

 

 青峰大輝との勝負は、ここからだった。

 

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