79―40。
青峰から一本を奪い返した蓮が守備へ戻る。その正面で青峰は楽しそうに笑っていた。数日前の1on1では見せなかった動き。自分に一度追いつかれても、そこからさらに身体を組み替えてシュートまで持っていく。ようやく期待していた相手を見つけたように、青峰は今吉からボールを受けると、そのまま蓮へ向かった。
「もう一回やろうぜ」
「来いよ」
青峰が右へ動く。先ほどと同じ一歩目に見えたが、次の瞬間にはさらに速度が上がった。蓮も右脚を引いて身体を合わせたものの、その前に青峰の肩が出る。抜かれながらも《身体操作》で軸を組み直し、ゴール下では再び横まで戻ったが、青峰はリングへ正対しないまま腕を伸ばした。身体が流れている方向とは違う角度へ放たれたボールがバックボードへ当たり、そのままリングへ落ちる。
79―42。
正邦は次の攻撃で坂本がミドルを決めた。だが桐皇は組み立て直すことすらせず、今吉から青峰へボールが渡る。今度は左。蓮が最初の加速についてくると青峰は急停止し、蓮も重心を戻したが、青峰の身体は完全には止まっていなかった。上体だけを残した状態からもう一度加速し、僅かに生まれた隙間へ入っていく。
蓮もすぐに追い、ゴール下では指先がボールへ届きかけた。だが青峰は触れられる直前にボールを身体の後ろへ回し、リングを見ないまま腕を振る。津川が思わず「なっ……」と声を漏らした先でシュートが決まり、81―44となった。
【何だこいつ】
『さっきより速くなってる』
【分かってるよ】
そう返しながらも、蓮の口元は笑っていた。
正邦の攻撃では岩村からボールを受け、今度は自分から青峰へ仕掛ける。右へ入り、一度目の切り返しでついてこられると、そのまま身体を沈めて左へ振る。青峰は離れない。さらに右へ戻して三度目で僅かに前へ出たが、ゴールへ入ったところで青峰が横へ戻ってきた。
それでも蓮は止まらず、空中で身体を捻って青峰の腕を避けながらリングの裏側へボールを運んだ。しかしシュートはリングに弾かれ、若松がリバウンドを掴む。今吉の「速攻!」と同時に青峰が走り出し、若松から今吉、そこから前方へ長いパスが飛んだ。蓮も追ったが今度は最後まで距離を詰め切れず、青峰が片手で叩き込んで81―46。桐皇側の歓声が一気に大きくなった。
前半にはなかった流れだった。
続く正邦の攻撃が外れたあとも、桐皇は青峰へ預ける。蓮が正面へ入り、最初の一歩を止めた。青峰は右から左へ切り返し、それにも蓮がつく。二度止められてもボールを離さず、さらに低く身体を沈めたところから蓮の外側へ踏み込んだ。
蓮も反応したが、半歩だけ遅れた。青峰はその半歩だけでシュートへ持ち込み、身体を横へ傾けたまま放って81―48。次の正邦の攻撃でもシュートが落ちると、若松から今吉を経由して再び青峰へ渡った。
また青峰だった。
戻った蓮が正面から身体を当て、今度こそ進路を塞ぐ。青峰の肩が胸へ当たって一度速度が落ちたが、青峰は身体を引かず、接触したままドリブルを一つ挟んだ。蓮が次の動きへ備えて重心を落とした瞬間、その横から一気に抜ける。蓮も軸を戻して追ったものの、青峰はすでに跳んでいた。
81―50。
第3Qが始まってから、青峰はほとんど一人で桐皇の攻撃を成立させていた。正邦も坂本の一本を返している。それでも青峰が入ってからの流れだけを見れば、明らかに桐皇が上だった。
蓮がボールを受けると、青峰が前へ入る。
「何だよ」
「あ?」
「さっき一本取った時は、もうちょいやると思ったんだけどな。その程度か?」
蓮のドリブルが低くなる。
「……何が言いてえんだよ」
「別に。俺から取れねえからって、また味方使うのかと思ってよ」
【……言ったな】
『あ』
【何だよ】
『いや。見事に乗りそうだなって』
【うるせえ】
青峰はその反応まで楽しむように笑った。
「一人じゃ無理なら、別にいいけどな」
蓮が踏み込む。右へ動けば青峰も反応し、左へ切り返してもついてくる。さらに右へ戻しても離れない。
五十パーセント。青峰が来るまでは、それで十分だった。
だが今は違う。
蓮が床を蹴る力を一段上げると、青峰の身体が初めて僅かに遅れた。そのまま加速して肩を入れ、接触した瞬間に身体の軸を内側へ寄せる。青峰を半歩だけ後ろへ置き、その隙間からリングへ入った。
若松が寄り、右側では津川が空いている。蓮にも当然見えていた。それでもボールを出さず、若松へ正面からぶつかると、空中で身体をずらして後ろから伸びてきた青峰の腕まで避ける。右手で置いたボールがリングへ入り、83―50となった。
「へえ。今、速くなったな」
「気のせいじゃねえか?」
「嘘つけ」
青峰は楽しそうに笑い、すぐ今吉へ手を出した。
「ボール」
今吉は何も言わず渡した。
そこから桐皇の攻撃はさらに単純になった。青峰へ渡す。蓮がつく。それでも青峰は戻さない。右から抜けなければ左へ行き、最初を止められれば二度目の加速を使う。蓮が追いつけば、今度は空中でシュートの角度を変える。
蓮も同じだった。青峰が一本決めれば、次の攻撃で自分からボールを要求する。味方が空いていても簡単には渡さず、青峰の正面から抜きにいった。
【六十】
『数字で決めてるわけじゃないでしょ』
【分かりやすいだろ】
さらに出力を上げた蓮は最初の一歩を強くし、減速から次の加速へ移る時間を縮めた。青峰の左を抜いたところですぐに追いつかれたが、跳んだあとに身体を反転させて逆側からシュートを決める。青峰も直後の攻撃で取り返し、蓮が正面へ入って一度止めても、ボールを身体の横へ逃がしてほとんど倒れ込むような姿勢から放った。
それも入った。
【七十】
『早いね』
【足りねえんだよ】
前半には一滴もなかった汗が、蓮の額に浮かび始める。それを見た青峰はさらに笑った。
「やっぱまだあんじゃねえか」
「お前こそ、さっきより速えじゃん」
「だったらもっと来いよ」
「言われなくても」
次の正邦の攻撃で岩村がボールを受けた。右側では津川が空き、坂本も動いている。それでも蓮が手を出す。
「よこせ!」
岩村は一瞬だけ迷ってから渡した。
青峰が前へ入り、二人の速度が上がる。蓮が右へ入れば青峰がつき、左へ変えれば同じように身体を変える。そこからもう一度右へ戻し、青峰の足が僅かに遅れた瞬間に前へ出た。
若松が寄る。
津川が空いた。
『出せるよ』
【知ってる】
それでも出さなかった。蓮は若松へ身体をぶつけ、後ろから追ってきた青峰の腕まで見ながら空中で姿勢を変える。強引に放ったボールがリングへ入り、正邦側から歓声が上がった。
だが青峰はすぐに取り返した。今吉からボールを受けると正邦の守備が整う前に走り出し、蓮も中央で追いついて身体を入れる。青峰は接触しても速度を落とさず、そのまま跳ぶ直前に一度ボールを下げた。蓮の手が反応したあとから持ち直し、そのままリングへ放り込む。
蓮が取れば、青峰が取る。青峰が決めれば、今度は蓮が自分で返しにいく。その繰り返しの中で、前半に三十九点あった差が少しずつ削られていった。
正邦の得点が止まっているわけではない。蓮自身も青峰から点を取っている。それでも前半のように、蓮へ守備が集まった瞬間に空いた味方へ渡して簡単な得点を作る攻撃は減っていた。青峰に一本取られるたび、蓮が自分で取り返そうとする。その蓮へ青峰がつき、また二人で勝負する。桐皇の他の四人も正邦の他の選手から離れなくなっていた。
「完全に乗ったな、銀城」
今吉は二人を見ながら笑っていた。
桐皇にとって都合が悪い形ではない。青峰が一人で攻めることなど最初から珍しくもなく、むしろ青峰が乗れば乗るほど桐皇の得点力は上がる。
だが正邦は違う。前半の強さは銀城が一人で全員を倒していたからではない。銀城を止めようと人数を使えば、その瞬間に他の四人まで生きる。そこが厄介だった。
今は銀城自身が、その武器を捨てかけている。
松元も同じことに気づいていた。
「タイムアウト!」
笛が鳴り、ベンチへ戻った蓮はタオルを受け取って首へ掛けた。呼吸はまだ大きく乱れていない。それでも前半には一滴もなかった汗が額から流れている。
「銀城」
「はい」
「楽しいか?」
最初に声をかけた岩村から予想していなかったことを聞かれ、蓮は少しだけ間を置いた。
「……まあ」
「だろうな。見てりゃ分かる」
岩村は怒っていなかった。津川も坂本も大室も、責めるような顔はしていない。
「お前が青峰とやらなきゃいけないのは分かる。津川が悪いって話じゃない。あいつはたぶん、普通の守り方でどうにかできる相手じゃない」
「僕がついても、たぶん止め切れないね。やってみたい気持ちはあるけど」
津川も素直に認めた。
「でもな」
岩村が続ける。
「これはお前と青峰の1on1じゃない。正邦と桐皇の試合だ」
蓮はすぐには答えなかった。青峰に煽られたことも、自分が見事に乗ったことも分かっている。津川が空いているのに出さなかった場面も覚えていた。
『言われちゃったね』
【……うるせえ】
『間違ってないよ』
【分かってる】
蓮はタオルで汗を拭い、コートの向こうにある桐皇ベンチを見る。その中心には青峰がいた。
「分かってます。でも、あいつは俺がやります」
「銀城」
「緑間より厄介です」
その言葉に周囲が静かになった。
つい数日前、正邦は緑間真太郎と戦った。コートのどこからでもシュートを決め、一度も外さなかった《キセキの世代》。最後まで撃たせないことだけを考え、それでも一点差でようやく勝った相手だった。
その緑間より厄介。
実際に両方と正面から戦った蓮が言うからこそ、その言葉は重かった。
「緑間は撃たせなきゃ止められた。でも青峰は、ボール持ったところから全部止めないといけない。最初を止めても次がある。追いついても、そこからまた打ってくる」
蓮は一度青峰へ視線を向けた。
「たぶん、俺じゃないと相手にならないです」
誰もすぐには否定できなかった。傲慢にも聞こえる言葉だったが、ここまでの数分間が証明している。青峰が入ってから桐皇の攻撃は別物になった。その青峰に抜かれながらも追いつき、何度もシュートへ手を届かせているのも銀城だけだった。
「……あいつ、キセキの世代なんですよね」
「そうだ」
松元が答える。
「じゃあ多分、こういうことなんだと思います。あいつは――こっち側のやつです」
松元は黙って銀城を見る。誠凛戦で火神を圧倒した姿を見た。秀徳戦では緑間と高尾を相手に、普段とはまるで違うバスケットをして勝った。そして今、《キセキの世代》のエースと呼ばれた青峰と正面から殴り合っている。
帝光中の《キセキの世代》ではない。それでも同じ一年生で、同じ時代に存在し、彼らと同じ領域で戦える選手。
正邦にもいる。
松元はもう、それを偶然だとは思っていなかった。
「銀城」
「はい」
「今日はお前のやりたいようにやれ」
蓮が松元を見る。
「……いいんすか?」
「青峰を相手に、お前を縛って勝てるとは思ってない」
岩村たちも松元を見るが、止める者はいなかった。
「好きにやれ。ただし――勝て」
蓮の口元が上がる。
「おう」
同じ頃、桐皇のベンチでも話の中心は二人だった。
「大ちゃん、最初より銀城君の動きがかなり上がってる」
桃井が伝えると、青峰は水を飲みながら当然のように答えた。
「知ってる」
「たぶん、まだ上がるよ」
「それも知ってる」
「だったら――」
「だから面白えんだろ」
青峰はボトルを置き、反対側のベンチを見る。そこにいる銀城もこちらを見ていた。
今吉は二人を交互に見て、小さく息を吐く。
「作戦会議するだけ無駄そうやな」
「今吉さん」
「いや、何もせんいう意味やないで。銀城以外は今まで通りや。守備も戻るし、取れるところは取る」
今吉はそこで青峰を見る。
「ただ攻撃は、お前が行けるなら行け」
「最初からそのつもりだ」
「せやろな」
桃井もそれ以上止めなかった。銀城のデータを更新し続けても、今この瞬間にも動きが変わっている。青峰も同じだった。相手が強くなるほど速度を上げ、普段以上に楽しそうにプレーしている。
そして正邦も桐皇も、結局は同じ場所へ辿り着いていた。
銀城蓮と青峰大輝。
二人を止めるのではなく、二人に託す。
タイムアウト終了を告げるブザーが鳴ると、蓮がタオルを外して立ち上がり、青峰もほぼ同時に立った。二人はコートへ向かい、センターライン付近ですれ違う。
「何言われた?」
青峰が聞く。
「好きにやれってさ」
一瞬のあと、青峰が笑った。
「最高じゃん」
「ああ」
蓮も笑う。
「ここからだ」