第3Q、残り1分42秒
スコアは101対79
前半終了時には39点あった正邦のリードは、22点まで削られていた。
それでも正邦が崩れたわけではない。岩村が若松と身体をぶつけながらゴール下を守り、津川も桜井へのチェックを緩めていない。攻撃でも春日と坂本が走り、空いた場所があれば蓮以外からも点を取れている。ただ、それ以上の速度で青峰が試合を削っていた。
今吉からボールを受けた青峰が左へ踏み込む。蓮は一歩目で遅れながらもすぐに軸を戻し、二歩目で距離を詰めた。青峰が急停止すれば同じように速度を殺し、再加速にも食らいつく。百パーセントの出力は落としていない。
それでも《野性》を剥き出しにした青峰は、蓮が追いつくことまで含めて次の動作へ繋げてくる。肩が並んだ瞬間に身体を蓮側へ預けるように傾け、その反動でリングとは逆方向へ跳ぶ。蓮も《身体操作》で姿勢を戻して跳んだが僅かに遅く、青峰の右手から放たれたボールは高い軌道を描き、バックボードの上部へ当たってリングへ落ちた。
101対81。
「またあれ入れんのかよ……」
岩村がすぐにボールを拾う。蓮は何も言わず、自陣からパスを受けて前を向いた。
『どうする?』
表の問いかけの意味は分かっている。百パーセントまで出した。それでも今は青峰の方が上にいる。このまま殴り合っても点差はさらに削られる。
【……さすがにこのままじゃ無理だな】
『うん』
【ちょっと集中すんぞ】
『あぁ。あれやんのね』
【久々だけどな】
それだけだった。何かを新しく掴んだわけでも、追い詰められて突然目覚めた力でもない
蓮はドリブルを続けながら一度だけ大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。肩から余計な力が抜け、指先で弾かれていたボールの音が一定の間隔へ変わっていく。
「……?」
正面に立っていた青峰の笑みが僅かに薄れた。
さっきまでとは違う。百パーセントへ上げた時とも違った。速くなったわけでも構えが変わったわけでもない。それなのに、目の前にいる銀城蓮から感じるものだけが明らかに変わっている。
青峰に煽られて笑い、挑発を返していた表情から感情が薄れていた。身体から余計な力が抜け、視線だけが静かに青峰を捉えている。
異様なほど、静かだった。
ベンチの桃井もすぐに違和感を覚えた。五十から百へ上がった時は動作そのものが激しくなり、減速も加速も、接触したあとの修正も目に見えて鋭くなった。だが今は逆だった。何かが増えたようには見えない。むしろ、銀城の動きから余計なものだけが消えている。
《
身体能力を百パーセントより上へ引き上げるものではない。筋力も最高速度も跳躍力も変わらない。ただ、自分の身体を動かす際に生まれる僅かなズレ、遅延、無駄。その全てを限りなく零へ近づける。
蓮が右へ動いた瞬間、青峰の《野性》が反応して進路を塞いだ。だが青峰がそこへ入った時には、蓮の身体はすでに次の動作へ移っている。右への加速を殺すために使った力をそのまま左への一歩へ繋げ、床へ触れた左脚から膝、腰、肩へと動きを途切れさせることなく流していく。
「……!」
青峰も即座に反応して追いついた。それでも蓮は青峰を見てから次を選ぶのではなく、追いつかれることまで含めて身体を動かし続ける。二度目の切り返しで僅かな半歩を作ると、その差が消えるより先に踏み切りまで終えていた。
青峰が後ろから跳ぶ。蓮は空中で腕を伸ばしながら、追ってきた指先が通る位置だけを外してボールを放った。
ネットが鳴る。
103対81。
着地した青峰はすぐに振り返った。
「……何だ、今の。おい、銀城」
蓮は一度無視した。
「シカトかよ」
「集中してんだよ。黙ってろ」
一瞬の沈黙のあと、青峰が笑った。
「はっ。まだ隠してやがったのか」
「別に隠してねえよ。使う必要がなかっただけだ」
蓮が守備へ戻ると、青峰の笑みはさらに深くなった。
今吉からボールを受けた青峰は、すぐに蓮へ向かった。《野性》による反応はそのままに、一気に右へ抜く。純粋な初速では変わらず青峰が上で、最初の一歩だけなら蓮の肩を完全に置き去りにしていた。
だが次の瞬間には、青峰の視界の端へ銀色が戻ってきた。蓮は抜かれた姿勢を一度立て直してから追っているのではない。右脚が流れている途中で足首の角度を変え、腰が正面へ戻り切るより先に左脚で床を捉え、その力をそのまま追走へ変えている。
青峰が切り返せば蓮もついてくる。さらに身体を崩しながらボールを左へ流しても離れない。ゴール下で青峰が先に跳び、右腕を伸ばしたところへ蓮も追いついた。
青峰は空中で一度ボールを引く。蓮は腕だけを追わず、肩を落として腰を僅かに回しながら滞空姿勢そのものを変えた。青峰がもう一度リングへボールを伸ばした瞬間、その軌道へ蓮の指が入り、ボールが大きく弾かれる。
「っ……!」
岩村がこぼれ球を掴む。
「走れ!」
残り47秒。蓮が一気に前へ出ると青峰もすぐに追い、他の選手たちを置いて二人が先に桐皇のゴールへ向かった。
蓮はスリーポイントラインの手前で速度を落とし、そのまま青峰を見ながら時間を使う。
「来ねえのかよ」
「焦んなよ」
残り34秒で蓮が仕掛けた。右へ一歩入ったところで青峰が同時に反応すると、蓮は身体をぶつけるように距離を詰め、接触した瞬間だけ上半身から力を抜いた。青峰の力を受けながら腰だけを先にリング方向へ入れ、身体が流れるのと同時にボールを左手へ移す。
青峰はすぐに追いついたが、蓮は崩れた姿勢を立て直さない。その状態から次の一歩を作り、そのままリングへ向かう。横から青峰の腕が伸びると、踏み切る直前に歩幅だけを変えてタイミングをずらし、青峰を先に跳ばせてからその横を浮いた。
ボールがバックボードへ当たり、リングを通る。
105対81。
残り21秒。桐皇はタイムアウトを取らず、今吉がすぐに青峰へ渡した。
「一本返すで、青峰」
「分かってる」
青峰が走り、蓮が待つ。残り時間など関係ないように二人は正面からぶつかった。
青峰が右へ抜けば蓮が戻り、急停止から身体を反転させても食らいつく。もう一度青峰が加速すると、今度は僅かに蓮より前へ出た。
残り6秒。フリースローライン付近から青峰が跳び、蓮も後ろから追う。青峰は空中で身体を傾け、蓮の腕を避けながらリングへボールを放った。
今度は届かない。
シュートが決まり、105対83。残り2.4秒で正邦は無理に攻めず、岩村から受けた蓮がボールを保持したままブザーを迎えた。
第3Q終了。
105対83。
22点差。
《野性》を剥き出しにした青峰によって一気に削られていた点差を、最後の1分42秒ではそれ以上縮めさせなかった。
蓮がボールを審判へ渡してベンチへ向かおうとすると、後ろから青峰に呼び止められた。
「銀城。それ、何だ?」
蓮は少しだけ考えてから振り返る。
「《
「ゼロ……?」
「説明すんの面倒くせえ。第4Qで分かるだろ」
それだけ言って正邦ベンチへ戻っていく蓮の背中を、青峰はしばらく見ていた。
「……最高じゃねえか」
第3Qは終わった。
それでも二人の勝負は、まだ終わっていなかった。