正邦のキセキ   作:lalaland

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青峰無双



ゾーン

 

 

 第4Q開始。

 

 105対83。

 

 正邦が22点をリードした状態から最後の10分が始まり、桐皇の最初の攻撃で今吉は迷わず青峰へボールを渡した。第3Qから続く《野性》は消えておらず、ボールを受けた青峰が楽しそうに腰を落とす一方、その正面に立つ蓮は静かな表情を崩さない。

 

「最初からそれで来んだろ?」

 

「ああ」

 

「じゃねえと面白くねえ」

 

 青峰が右へ弾ける。最初の一歩はやはり速く、《野性》による反応と青峰本来の敏捷性が重なった踏み込みによって肩が先に出た。それでも蓮は無理に止めようとせず、抜かれかけた姿勢のまま次の足を床へ置く。身体を戻すだけの動作を挟まず追走へ繋げると、青峰が急停止から身体を反転させた時にはすでに肩を並べ、もう一度加速されても離されない。

 

 青峰は構わずゴール下まで入り、蓮を引きつけたまま跳んだ。空中で身体をリングとは逆へ傾けて右手からボールを放つが、同じように姿勢を変えた蓮の指先が僅かに触れる。軌道を変えられたボールはリングの手前に弾かれ、若松を背負った岩村がそのままリバウンドを掴んだ。

 

「走れ!」

 

 春日が前へ運び、中央を走った蓮へボールを渡す。青峰もすぐに戻って正面へ立った。

 

「やっぱうぜえな、それ」

 

「お互い様だろ」

 

 蓮が右へ踏み込めば、《野性》は即座に反応して進路を塞ぐ。そこから左へ切り返しても青峰はついてきたが、蓮の動きには一度として途切れがない。右への加速を殺す力をそのまま左への一歩へ変え、追いつかれればさらに次の動作へ繋げる。二度、三度と青峰に進路を塞がれながら、最後の切り返しで作った僅かな半歩を消されるより先に踏み切った。

 

 青峰の腕が伸びてくる。それでも蓮は空中で指先の位置だけを外し、バックボードへボールを当てた。

 

 107対83。

 

 第3Qでは《野性》を剥き出しにした青峰が百パーセントの蓮を上回った。しかし《零域(ゼロ・レンジ)》へ入った今は、その関係が再び逆転していた。青峰が最初に反応し、純粋な初速でも先へ出る。それでも蓮は反応されたあとの動作から無駄を消し、青峰が一歩先へ出れば二歩目で距離を戻し、守備でも攻撃でも僅かな差を積み重ねていく。

 

 もちろん青峰も止まらない。次の攻撃では蓮を引きつけたまま身体を大きく傾け、ほとんど横向きの体勢からシュートをねじ込んだ。正邦もすぐに返し、今度は蓮が青峰を抜いたところへ寄ってきた若松を見て岩村へ落とす。岩村が決めれば、次の守備では蓮が青峰のシュートへ触れてリバウンドを奪う。

 

 《野性》が弱くなったわけではない。青峰の異常な敏捷性も、どんな体勢からでもリングへ届かせる得点力も変わっていない。それでも一つ一つの攻防を拾っていく回数は、僅かに蓮の方が多かった。

 

 第4Q開始から2分弱。残り8分46秒となったところで、スコアは113対87。正邦はリードを26点まで広げていた。

 

「青峰!」

 

 今吉から飛んできたパスを受け、青峰はまた蓮を見る。目の前には、変わらず静かな銀城がいる。

 

 楽しかった。自分が本気で動いても追いついてくる。抜いても戻ってくる。守っても、そのさらに先へ行こうとする。だから青峰は点差も残り時間もほとんど気にせず、目の前の相手とやり合うことだけを楽しんでいた。

 

 だが電光掲示板へ一瞬だけ視線を向けた時、嫌でも数字が目に入った。113対87、残り8分46秒。このままでは負ける。その事実が初めて現実味を持って青峰の中へ落ちてきた。

 

 中学時代の途中から、自分の試合でそんなことを考えた記憶はほとんどない。誰が来ても止められず、どれだけ点を取っても相手が先に諦めていった。全力を出す必要すらなくなり、いつしか自分より強い相手がいることそのものを信じなくなった。

 

 俺に勝てるのは俺だけ。

 

 ずっとそう思っていた。

 

 青峰は目の前の蓮を見て、小さく息を吐いた。

 

「銀城」

 

「何だ」

 

「お前、最高だわ」

 

 その言葉と同時に青峰の空気が変わり、コートの外から見ていた桃井が息を呑んだ。青峰が一度だけ深く腰を落としてゆっくりと顔を上げると、その両眼から伸びた光が残像となって後方へ尾を引く。

 

「……大ちゃん」

 

 蓮の目が僅かに細くなる。

 

『……来たね』

 

【ああ】

 

 極限まで集中した選手だけが踏み込む領域。《ゾーン》。

 

「ここから全部取る」

 

「やってみろよ」

 

 蓮が構えた次の瞬間、青峰が動いた。それまでとは明らかに違う速さだった。反応が遅れたわけでも、《零域(ゼロ・レンジ)》が崩れたわけでもない。それでも青峰の一歩目が蓮の横を抜け、そのまま二歩目へ繋がった時、さっきまでなら消せていた距離が残っている。蓮も最短の動きで追走へ移ったが、その差を詰め切る前に青峰はゴール下へ到達し、後ろから蓮が跳んでくることすら見ずにリングの裏側からボールを放った。

 

 113対89。

 

 正邦の次の攻撃では春日から蓮へボールが渡る。蓮が右へ仕掛けた瞬間には青峰が進路へ入り、左へ切り返しても離れない。接触から逆へ抜けようとしたところで青峰の手がボールを弾き、そのまま自分で拾って一気に走り切った。ダンクがリングを揺らし、113対91となる。

 

 会場の空気が一変した。

 

 それでも蓮は次の攻撃で青峰の正面から切り込み、《零域(ゼロ・レンジ)》の精度を使って二度の切り返しから僅かな隙間を作った。完全には抜けないまま高く浮かせたボールが青峰の指先を越えてリングへ落ち、115対91。

 

「入れんのかよ」

 

「当たり前だ」

 

 蓮が返しても青峰は笑っていた。次の攻撃では蓮が最後までついているにもかかわらず、フリースローラインの外から身体を大きく傾けてシュートを放つ。蓮の指先が顔の前を通っても軌道は乱れず、ボールはリングへ吸い込まれた。

 

 そこから試合の速度が一気に上がった。正邦は22点のリードを利用して時間を使おうとするが、青峰がそれを許さない。蓮が持てば前から圧力をかけ、他の選手へ渡ればパスコースへ飛び込み、攻撃ではボールを受けた瞬間に仕掛けてくる。《零域(ゼロ・レンジ)》の蓮が最短の動きで追いつこうとしても、その最短距離そのものをゾーンへ入った青峰が速度で上回っていく。

 

 正邦も簡単には崩れなかった。岩村がゴール下で一本を押し込み、津川も桜井を振り切ってミドルを決める。蓮自身も青峰から一本を奪い返し、正邦が得点できない時間を長く作らせない。それでも青峰は一本決めた直後の守備でボールを奪い、そのままもう一本を叩き込むほどの勢いで点差を削り、残り7分12秒で117対99、さらに残り6分31秒には119対105と14点差まで詰め寄った。

 

「落ち着け! まだこっちがリードしてる!」

 

 正邦ベンチから松元の声が飛ぶ。蓮はそれを聞きながらも青峰から視線を外さなかった。

 

『すごいね』

 

【ああ】

 

『どうする?』

 

【決まってる。止める】

 

 眼から伸びる光の残像を引きながら青峰が右へ抜くと見せて左へ身体を振り、蓮がついた瞬間には再び右へ加速した。蓮も《零域(ゼロ・レンジ)》によって最短の動作で追うが、ゾーンへ入った青峰はその最短をさらに速さで上回る。それでも最後まで離されず、ゴール下で青峰が跳べば蓮も横から跳んだ。

 

 空中で二人の身体がぶつかり、青峰がボールを引けば蓮の腕が追い、さらに身体を捻れば蓮も姿勢を変える。最後はほとんど背中をリングへ向けた状態になりながら青峰が片手で放ったボールが、バックボードからリングを回ってそのまま落ちた。

 

 残り5分03秒、121対116。第4Q序盤には26点まで広がっていた差が、わずか数分で5点まで消えた。

 

「あと5点」

 

 眼から光の残像を引いたまま青峰が笑う。蓮は何も答えず、エンドラインへ転がったボールを拾おうとしたが、その直前に松元がタイムアウトを要求する笛が鳴った。

 

「銀城、戻れ!」

 

 蓮はボールを審判へ渡し、青峰の横を通って正邦ベンチへ向かう。すれ違いざまに「逃げんなよ」と笑われても足は止めず、「誰が逃げるか」とだけ返した。

 

 残り5分03秒、121対116。

 

 26点まで広がっていたリードを5点まで削られ、正邦はタイムアウトへ入った。

 

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