試合終了を告げるブザーが鳴ってからも、体育館の熱はなかなか冷めなかった。
135対130。
電光掲示板に残された数字を見上げながら、正邦の選手たちがゆっくりとコート中央へ集まっていく。最後まで張り詰めていた緊張が解けたのか、岩村は大きく息を吐きながら額の汗を拭い、津川は何度もスコアを見返していた。
「勝ったんだよな、俺ら」
「見りゃ分かるだろ」
春日に返されても、津川はまだ実感が追いついていないようだった。それも無理はない。前半には39点まで広げたリードを第4Qで一度ひっくり返され、それでも最後はもう一度奪い返した。相手は《キセキの世代》の青峰大輝。最後の数分にコートで起きていたことまで含めれば、すぐに頭を切り替えられるような試合ではなかった。
蓮も列へ向かった。《ゾーン》と《
その肩を、横から岩村が強く叩いた。
「よくやった」
「……痛えっすよ」
「それだけ元気なら大丈夫だな」
岩村は笑って先へ行った。蓮は叩かれた肩を一度回し、その背中を追う。
『勝ったね』
【ああ】
『最後はさすがに凄かったな、青峰君』
蓮は少し離れた場所にいる青峰へ目を向けた。ゾーンまで入った青峰を相手に、《
【……まあ、強かったな】
『素直じゃん』
【うるせえ】
反対側から桐皇の選手たちも集まってくる。今吉は普段と変わらないように見えて、その表情には僅かな硬さが残っていた。若松は悔しさを隠そうともせず、桜井も俯き気味に列へ入る。
最後に青峰が来た。
さっきまで眼から伸びていた光はもうない。呼吸は荒く、ユニフォームは汗で身体に張りついている。それでも俯いてはいなかった。
列を挟んで、蓮と青峰の位置が近くなる。
「ありがとうございました!」
両校の声が重なった。
頭を下げ、顔を上げる。
それで試合は終わった。
握手を交わしながら列が崩れていく。岩村たちがベンチへ戻り始める中、蓮もそちらへ足を向けたが、数歩進んだところで背後から声が飛んできた。
「おい」
振り返る。
青峰が立っていた。
周囲では両校の選手が行き交い、スタッフが片づけを始めている。その中で青峰は蓮の前まで来ると、少しの間何も言わずその顔を見た。
「……お前、最初からあれできたのか」
何を指しているのか聞き返す必要はなかった。
「できるけど」
青峰の眉が僅かに動く。
「じゃあなんで最初から使わなかった」
「必要なかったからな」
青峰の目が細くなった。
前半は青峰がいなかった。第3Qに入ってからも、蓮はすぐに全力を出したわけではない。100%まで上げ、《野性》を出した青峰に《
挑発するために言ったわけではない。ただ事実を答えただけだった。
それが余計に青峰の癇に障ったらしい。
「……ムカつくなお前」
「負けたからだろ」
「ぶっ飛ばすぞ」
「コートでやれよ」
蓮が即座に返すと、青峰は一瞬黙った。
試合前なら、そのまま本当に険悪になっていたかもしれない。だが今は互いに、コートの上で出せるものをほとんど出し切ったあとだった。
青峰が小さく舌打ちする。
「次は勝つ」
蓮は鼻で息を吐いた。
「無理だろ」
「あ?」
「今日より強くなってんなら、分かんねえけど」
青峰の表情が止まる。
蓮はそれ以上続けなかった。今日の青峰に勝った。それだけで、次に戦う青峰まで同じだとは思っていない。
そもそも、同じままなら面白くない。
「次もやるなら相手してやるよ」
「……言ったな」
「ああ」
青峰はしばらく蓮を睨んでいたが、やがて背を向けた。
蓮も正邦のベンチへ戻る。
『なんだかんだ気に入ったでしょ』
【誰を】
『青峰君』
【別に】
『またやる気満々じゃん』
【強え奴とやる方が面白いだろ】
返ってきた答えに、表はそれ以上何も言わなかった。
蓮にとっても、今日の試合は特別だった。緑間とは違う。緑間のシュートは最後まで異常だったが、青峰との勝負はもっと直接的だった。速さで抜かれ、守備で止められ、自分も抜き返し、止め返す。最後には互いに《ゾーン》へ入り、真正面から身体能力と技術をぶつけ合った。
だからこそ、勝った今も不思議な満足感が残っていた。
桐皇のベンチでは、誰もすぐには口を開かなかった。
若松はタオルを頭から被り、桜井は膝の上で両手を握っている。今吉は椅子へ腰を下ろしたままコートを眺め、桃井も何も言わず選手たちの様子を見ていた。
青峰が戻ってくる。
桃井は声をかけようとして、やめた。
青峰は自分の荷物が置かれた場所まで来ると、椅子へ腰を下ろした。誰かへ当たり散らすこともなければ、悔しさを誤魔化すようなこともしない。ただ両手を組み、しばらく床を見ていた。
負けた。
その事実は、もう十分に理解している。
ただ負けたことだけが悔しいわけではなかった。第4Qでは一度逆転した。《ゾーン》にも入った。途中からは今の自分に出せるものを本当に全部使った。
それでも最後には届かなかった。
その事実を考えるたび、青峰の頭には別のものまで浮かんでくる。
もっと練習しておけばよかった。
試合中に一度浮かんだその思いは、ブザーが鳴ったあとも消えていなかった。
もっと走っていれば、最後まで脚は動いたかもしれない。もっとボールに触っていれば、あの一本を別の形で打てたかもしれない。もっと自分を磨き続けていれば、《ゾーン》へ入った蓮にも届く何かがあったかもしれない。
もちろん、今さら考えても結果は変わらない。
それでも青峰は、練習しなかった過去を初めて惜しいと思っていた。
かつては練習が好きだった。昨日より速くなり、昨日できなかったことができるようになる。それだけでバスケは面白かった。
けれど、強くなればなるほど相手との差が広がった。
本気を出せば試合にならない。追いついてくると思っていた相手も、いつまでも追いついてこない。努力を重ねた先に待っているものが分かりきってしまい、いつしか練習する意味そのものを見失った。
今日、それが変わった。
全力でも勝てない相手がいた。
なら、強くなる意味がある。
青峰はゆっくりと顔を上げた。
少し離れたところに桃井がいる。
「さつき」
「なに?」
呼ばれた桃井が振り返る。
青峰は一度口を開きかけて止めた。自分からこんなことを聞くのがあまりにも久しぶりで、妙な引っかかりがあった。
「……明日、体育館使えんのか」
桃井の目が見開かれた。
「使えるけど……」
そこで言葉が止まる。
理由を聞く必要はなかった。
青峰は面倒そうに頭を掻き、まだ正邦の選手たちが残っているコートへ目を向けた。その中心には、銀色の髪が見える。
「ちょっと練習する」
桃井は青峰を見たまま、すぐには返事をしなかった。
驚いているのだろう。
それも当然だった。
青峰自身でさえ、いつ以来なのか思い出せない。
「……そっか」
やがて返ってきた声は、それだけだった。
青峰はもう一度コートを見る。
負けたことは悔しい。
今すぐもう一度やったところで、勝てる保証もない。
それでも以前とは違った。
自分より先にいる奴がいる。
だったら、追えばいい。
次に戦う時までに、今日の自分より強くなる。
そんな当たり前のことを、青峰大輝は久しぶりに考えていた。