第4Q開始までの短い休憩に入っても、松元郁憲の意識は完全には次の十分間へ向いていなかった。
選手たちへ指示を出しながらも、その視界には何度も銀城蓮の姿が入ってくる。ベンチの端に腰を下ろし、春日や津川と言葉を交わしている一年生は、普段より口調も態度も随分と荒い。それだけなら試合の中で気持ちが昂っていると考えることもできたが、第3Qで見せたバスケットまで含めれば、そんな単純な変化では片づけられなかった。
前半までの銀城は、PGとして正邦の攻撃を組み立てていた。
コート全体を捉え、味方がまだ動き切る前から次に生まれる場所へボールを送り込む。その異常な視野と予測は、入部して間もない頃から松元も何度となく目にしてきた。アメリカで《天瞰眼》と呼ばれていたというその眼だけでも、高校一年生が持っている武器としては明らかに常識から外れている。
だが、第3Qの銀城はその眼に頼っていなかった。
春日にPGを任せ、自分はゴールに近い位置へ入り、目の前にいる相手を抜いて得点する。相手が一人では止められないと判断して二人へ増やしても突破し、最後には三人を寄せられながら最初の二人を抜き去った。三人目にシュート動作の途中で腕を叩かれても、空中で崩れた身体を立て直してボールをリングへ沈め、追加のフリースローまで当然のように決めている。
守備でも同じだった。体格で上回るPFに押し込まれ、一度は身体を流され、さらにフェイクへ反応してからでも追いついた。普通なら守備が終わっているはずの状態から身体を戻し、後から跳んでシュートを叩き落としている。
何より松元が気になっているのは、それだけのプレーを続けた銀城に疲労の色がほとんど見えないことだった。
無理をして三人を抜いたようには見えない。偶然難しいシュートが入ったわけでもない。本人の態度まで含めれば、むしろ三人程度なら抜けて当然だと思っているようにすら見える。
松元は選手たちへ指示を続けながら、胸の内で小さく息を吐いた。
高校バスケの指導者として、今年の一年生が特別な世代であることは嫌でも意識していた。
帝光中学校を三連覇へ導いた五人の天才、《キセキの世代》。
同じ中学校、同じ学年に十年に一人と言われる才能が五人同時に存在し、その全員が高校進学と同時に別々の道を選んだ。高校バスケの勢力図そのものを変えかねない選手たちであり、全国を狙う学校にとって、その進路は無視できるものではなかった。
正邦には、その五人の誰も来なかった。
もちろん、それだけで今年を悲観したことはない。岩村を中心とする三年生には、長い時間をかけて磨いてきた正邦のバスケットがある。春日は試合を組み立てられ、坂本や大室も自分の役割を理解しているうえ、一年には相手のエースを食い止められる可能性を持つ津川も入った。
キセキの世代を獲得できなかったのなら、正邦のバスケットで彼らを倒せばいい。
松元は春を迎えるまで、そう考えていた。
そして、その考え自体は今も変わっていない。
ただし、一つだけ大きく変わったものがある。
銀城蓮という一年生が、正邦の体育館へやって来た。
アメリカから帰国したばかりで、日本の中学バスケではほとんど名前を知られていない選手だった。帝光中学校の出身でもなければ、全国大会で目立った実績を残してきたわけでもない。最初から特別な期待を背負って正邦へ入ってきた選手ではなかった。
だからこそ、《天瞰眼》を初めて見た時点で松元にとっては十分すぎるほどの想定外だった。
あれほど広くコートを捉えながら、現在の配置だけではなく次に生まれる空間まで読む。さらに、そこへ味方が到達するより先にパスを送ることができる。春日とはまったく違う形で試合を組み立てられるPGが、一年から正邦に加わっただけでも大きい。
それなのに今日、その一年生がもう一つの顔を見せた。
眼を使わなくても、止められない。
松元はそこまで考えてから、ベンチに座る銀城を改めて見た。
銀城は帝光の五人ではない。
それは変えようのない事実だった。《キセキの世代》という呼び名が帝光中学校でプレーした五人を指す以上、銀城蓮がそこへ加わることはない。
しかし、銀城は彼らと同じ一年生でもある。
同じ時代に生まれながら、帝光とはまったく別の場所でバスケットを覚えた。日本で五人の天才が名を轟かせていた頃、銀城はアメリカのストリートでボールを追い、誰にも知られないまま別のバスケットを身につけていた。
そして今、その選手が正邦にいる。
そう考えれば、松元の中にこれまでとは少し違う見方が生まれた。
今年、正邦はキセキの世代を取れなかった。
つい最近まで、その認識に疑問を持ったことはない。実際に帝光の五人は一人も正邦へ進学していないのだから、言葉としては何も間違っていなかった。
だが、同じ世代に生まれた規格外の選手が、あの五人だけだと決まっているわけではない。
帝光にいなかったから知られていない。日本の中学バスケで戦っていなかったから、比較される機会さえなかった。それだけの理由で、銀城蓮という選手は《キセキの世代》という物差しの外側にいただけなのかもしれない。
「……なるほどな」
松元が小さく漏らすと、近くにいた岩村が振り返った。
「監督?」
「いや、何でもない。続けるぞ」
松元はすぐに選手たちへ視線を戻したが、胸の内には先ほどまでとは違う感覚が残っていた。
正邦には《キセキの世代》が来なかった。
それでも、同じ年に生まれた別の怪物が来なかったとは限らない。
表現を変えるなら、正邦にも正邦の“キセキ”が来たということなのかもしれなかった。
松元はそんな考えに自分で僅かに口元を緩めながらも、すぐに監督としての思考へ戻った。銀城がどれほど特別な才能を持っていようと、一人の力だけで全国へ行けるほど高校バスケは甘くない。何より正邦が目指しているのは、銀城一人に試合を預けるチームではなかった。
だからこそ、面白い。
これまで積み重ねてきた正邦のバスケットの中に、誰も想定していなかった一年生が加わった。その力をチームとしてどう使い、どう勝利へ結びつけるかを考えるのは、自分の仕事だった。
「第4Qも春日がPGだ。銀城はそのまま4番に入れ」
松元が告げると、銀城がタオルを肩から外した。
「まだやるんすか」
「疲れたのか?」
「まさか」
銀城の口元が上がる。
松元はその表情を見ながら、やはり前半とは違うと思った。
「なら問題ない。ただし好き勝手に点を取るだけが仕事じゃないぞ。お前に二人、三人と寄るなら、それ自体が正邦の武器になる。春日の判断を見て動け」
「分かってますよ」
「本当か?」
「監督までそれ言うんすか」
春日が横から口を挟んだ。
「信用ねえのは自業自得だろ」
「うるせえな」
銀城が面倒そうに春日を見る。
そのやり取りを聞いていた松元は、それ以上何も言わなかった。
少なくとも、チームから離れているわけではない。
第3Qの銀城は圧倒的に個人で得点していたが、味方を無視していたわけでもなかった。自分で抜ける状況では抜き、味方を使った方が勝利へ近いと判断すればボールを出す。やり方は前半までとはまるで違うが、勝とうとしていることだけは一貫している。
それなら、今はそれでいい。
第4Q開始を知らせるブザーが鳴り、選手たちが立ち上がる。
銀城も春日の後ろからコートへ向かった。
その背中を見送りながら、松元は改めて今年のチームを思う。
キセキの世代を取れなかった正邦が、キセキの世代を相手にどう戦うのか。
春までは、それだけを考えていた。
だが今は少し違う。
帝光とは別の場所から現れた、同じ世代の怪物を加えた正邦が、あの五人を相手にどこまで行けるのか。
考えるべきことは、そちらへ変わり始めていた。
次も見てね。