あの日、地下礼拝堂で目撃した血生臭い惨劇。
ウーリ叔父さんがでかい化け物に喰われ、その化け物の背中からフリーダ姉さんが出てきたあの大悪夢。
逃げ帰ってからの数日間、僕は自分の部屋に閉じこもり、一心不乱にペンを走らせていた。
(書かなきゃ……忘れないうちに、僕が見たもの、知ったことを全部書き留めておかなきゃ……!)
冷や汗が手元を濡らす。僕は疑問に思ったことや新しく知った事実をメモして保存する癖があった。だが、今回の記録はこれまでのどれとも違う。命に関わる、世界の恐ろしい裏側だ。
その時──ドアの外から、小さなノックの音が響いた。
「アラン」
双子の姉、ヒストリアの声だ。
「っ……!」
心臓が跳ね上がった。僕は反射的に日記を固く閉じると、天板の裏側──机の底面に、あらかじめ準備していた粘着性の樹液でノートをぴったりと貼り付けた。引き出しの中なら探されるが、机の底なんて誰も覗き込まない
息を整え、何事もなかったかのようにドアを開ける。
「姉さん、何のよう?」
「……フリーダ姉さんが来ているよ」
その名前を聞いた瞬間、全身の毛穴が開き、背筋に強烈な悪寒が走った。ガタガタと膝が震え出す。
「どうしたの、アラン……? なんでそんなに震えてるの?」
ヒストリアが不思議そうに首をかしげる。
「な、なんでもないよ! また外に出て怒られるのが嫌なだけさ!」
僕は強がって作り笑いを浮かべると、ヒストリアの横をすり抜けて外へと走った。
背後でヒストリアが「変なの。いつもなら怒られても 笑ってるのに……」と呟くのが聞こえた。
◇
牧場の敷地内、青々と茂る草の上にフリーダ姉さんが立っていた。
いつもなら優しく手を振って迎えてくれるはずの姉さん。だが、その佇まいはどこか異質で、冷ややかな空気を纏っていた。
「……久しぶり、フリーダ姉さん」
「アラン、久しぶりね」
僕の引きつった挨拶に、フリーダ姉さんは静かに微笑んだ。だが、その瞳には光がない。
「アラン。もう絶対に、柵の外に出ちゃダメよ」
「……え? どういうこと? なんで出ちゃいけないの?」
僕が尋ねると、フリーダ姉さんの顔から笑みが消え去った。
「なぜなら──私たちは『罪人』だからよ」
言葉の意味が分からず、背筋が凍りついた。気味が悪くなり、僕は後ずさりしながら柵を越えて逃げ出そうとした。
「嫌だ……僕、向こうへ行く──」
「──柵の外に出るなと言っているでしょう!!!!」
突然、フリーダ姉さんが見たこともない形相で激昂した。
その瞳は、僕の知る優しい姉さんのものではなかった。ウーリ叔父さんと同じ──世界中の絶望を諦容したような、冷たく澄んだ青く光る瞳。
次の瞬間。
────ズドォンッ!!!!
視界を激しい黄色い閃光と猛烈な熱蒸気が覆った。
「うわああぁぁぁっ!?」
バリバリと音を立てて空気が弾け、蒸気の中からぬらりと現れたのは──見上げるほど巨大な巨人の腕だった。
皮の剥き出しになった赤黒い肉の腕が、逃げようとした僕の身体を上からガシッと掴み上げる。
「痛い! 放して! 放してよフリーダ姉さん!」
宙に吊るされ、巨大な指に圧迫されて骨が悲鳴をあげる。
部分巨人化した腕の根元で、フリーダ姉さんは別人のような狂気の顔で、壁の中の平和や僕たちの『罪』について支離滅裂に怒鳴り散らしていた。
恐怖と激痛で脳がパニックを起こす。僕は耐えきれず、叫んでしまった。
「わけが分からないよ!! フリーダ姉さんがそんな風になったのは……ウーリ叔父さんを食べ──―」
言った瞬間、自分がいかに致命的なミスをしたかを悟った。冷や汗が全身から吹き出る。
(あ……しまった……ッ!)
それを聞いた瞬間、フリーダ姉さんの顔から一切の感情が消え失せた。
「……可哀想に。そんな恐ろしいこと、全部忘れなさい……」
巨大な手が僕をそっと地面に降ろすと、フリーダ姉さんは失神しかけている僕の額に、優しく手をかざした。
視界が真っ白に染まり、僕の意識は深い闇へと落ちていった。
◇
「……起きて、アラン。起きてったら」
誰かに体を揺さぶられ、僕は目を覚ました。
頬に触れる風が冷たい。気づけば僕は、夕暮れの牧場の草むらに倒れていた。
目の前には、心配そうに覗き込むヒストリアの顔があった。
「……う、ん……。ヒストリア姉さん……なに?」
「アラン、ここで何をしてたの? 誰かに呼ばれて行くんじゃなかったの?」
「え……?」
頭の中がぽっくりと空洞になっている。何か大事なことがあったはずなのに、思い出せない。
「えっと……誰だっけ? ヒストリア姉さんは……覚えてる?」
「え……? 誰だっけ……? 私、覚えてないや」
「……何それ」
ヒストリアも首をかしげている。僕たちは二人して顔を見合わせると、「変なの」と言いながら家へと戻っていった。
◇
自分の部屋に戻り、鍵をかけることも忘れて部屋の中を歩き回った。
「なんで……? なんで僕は、外で倒れて寝てたんだ……?」
頭の奥が重く沈んでいる。理由がないはずがない。僕は疑問があると放っておけない性格だ。何かを探していたのか、それとも何かを隠したのか。
僕は部屋中を引っかき回すようにして理由を探し始めた。棚、本立て、ベッドの下、そして──机。
吸い寄せられるように机の下に潜り込み、天板の裏側に手を伸ばした。
ペタリと貼り付けられた紙の感触。引き剥がして手元に引き寄せると、そこには見覚えのある僕の文字で日記が書かれていた。
そこに記されていたのは、数日前に僕が目撃したという、信じがたい光景の記録だった。
『ウーリ叔父さんが食べられた』
『フリーダ姉さんがでかい化け物になった』
「え……」
読み進めた瞬間、ズキンッ!!! と、脳の真ん中に雷が落ちたような痛みが走った。
「うぐっ……あ、ガ……ッ!!」
視界が真っ白に染まる。日記を持つ手が激しく震えた。
痛みの波に耐えながら、僕は必死で歯を食いしばった。
(これだ……! 僕が外で倒れてた理由は、これだ……! もっと意識しなきゃ……っ!!)
猛烈な吐き気と激痛で立っていられなくなり、僕は具合が悪くなりながらも這うようにして部屋の扉へ向かい、ガチャンと鍵を閉めた。そしてそのままベッドへ崩れ落ち、身体を丸めた。
それからの時間は、まさに地獄だった。
丸一日。丸一日もの間、頭が内側から破裂して裂けるような激痛が僕を襲い続けた。
まともに意識を保つことすらできない。
「あぁぁぁぁぁっ!! 痛い! 痛い痛い痛い痛いっ!!」
ベッドの上で何度も頭を抱えて叫び、転がり回った。
途中、扉の向こうからヒストリアが様子を見に来て声をかけてくれたりノックしたりしていたのかもしれないが、痛みでまったく気づくことができなかった。激痛の旋風の中で、僕はただ悲鳴を上げ続けることしかできなかった。
──そして、丸一日が過ぎようとしたその瞬間。
頭の中で、何かが物理的にぶちんっとちぎれた。
「ハッ……!!!!」
ぴたりと痛みが引き、真っ白だった視界に鮮明な映像が流れ込んできた。
黄色い閃光。巨大な肉の手。恐怖で泣き叫ぶ僕。そして、冷たい瞳で睨み、僕のおでこに触れるフリーダ姉さん。
「……そうだ。あの時……フリーダ姉さんに、記憶を消されてたんだ……」
ベッドの上に力なく横たわりながら、ぽつりと呟いた。
全身は冷や汗でぐっしょりと濡れ、声は叫びすぎてガラガラに枯れていた。
じわじわと、恐ろしいほどの『恐怖』が背筋を駆け上がってくる。
(人の記憶すら、操作することができるんだ……)
そんな恐ろしい力に対する恐怖。
そしてなにより、大好きだった姉さんに記憶を消されたショックで、目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「なんで……? なんで姉さんは、僕の記憶を消したの……?」
頭の中が「なんで」でいっぱいになった。
なんで叔父さんを食べたの?
なんで急に怒ったの?
なんで僕の記憶を消したの?
なんで? なんで? なんで──……。
涙を流しながら、どれくらいの時間が経っただろう。
窓から射し込む光が少しずつ移り変わり、時間が経つにつれて、激痛と混乱で痺れていた脳が静かに冷えていった。
溢れかえる無数の「なんで」の中で、僕はただひとつだけの『回答』を導き出した。
(……ここから、逃げよう)
私は気分屋なので投稿ペースは日々変わりますが、どうかご容赦お願いします
あまり期待はできません