静寂が支配する一番隊舎の執務室。
重厚な木造の空間には、老練な死神が纏う圧倒的な威圧感が満ちていた。
「……面を上げよ」
部屋の奥、上座に腰を下ろした山本元柳斎重國の重々しい声が響く。
その視線の先で、平隊員の羽織を着た男が静かに頭を下げていた。名は、七瀬天理。周りからは「目立たない、至って平凡な新入隊員」として処理されている男だ。
天理は顔色ひとつ変えず、深く伏せていた顔を上げた。その瞳は湖面のように凪ぎ、一切の動揺を見せない。
「何でしょうか、総隊長閣下。清掃の行き届かぬ点でもございましたか」
淡々とした声。どこまでも「しがない平隊員」を装う態度に、山本総隊長は深く刻まれた眉間のシワをさらに深くした。手元に置かれた杖を、トン、と床に突く。それだけで部屋全体の空気がピリリと跳ね上がった。
「……白々しい真似を」
総隊長は目を細め、静かに、しかし逃げ場を無くすような鋭い眼光を天理に向けた。
「昨日の流魂街・第九地区における大虚(メノスグランデ)群の急襲。隊長格の到着が遅れ、十三隊の防衛線が崩壊しかけた折のことだ」
「はい。凄惨な戦いでございました」
「そうだな。……だが、記録にはこうある。『突如として数頭の大虚が同時に原因不明の連続破砕を起こし、消滅。間一髪で全滅を免れた』とな」
山本総隊長はそこで言葉を切り、ゆっくりと立ち上がった。その巨躯から漏れ出る霊圧だけで、普通の死神なら膝を折るほどの圧迫感。だが、主人公は眉ひとつ動かさずに立っている。
「居合わせた隊員どもは『敵の自滅』『謎の助っ人』と口々に報告した。……じゃがな、おぬし」
総隊長の一歩が一歩、床を鳴らす。
「ワシの目は誤魔化せんよ。千年間、この護廷十三隊の頂に立ち、数多の死闘を見届けてきたワシの目はな」
「……」
「ワシは見取ったぞ。大虚群が爪を振るおうとした『コンマ数秒前』。一番後方にいたおぬしが、静かに奴らへ『視線』を向けた瞬間を」
部屋の温度が跳ね上がったかのように錯覚する。総隊長の発する霊威が、主人公の全身を包み込んでいた。
「おぬしが視線を合わせた瞬間、奴らの巨躯は内と外から数千の物理的衝撃によって瞬時に粉砕された。刃を振るう動作すらなく、ただ『見た』だけでな。……あれはおぬしの斬魄刀の力であろう」
詰問。しかし、そこには怒りや疑念ではなく、純然たる「畏怖」と「興味」が混ざり合っていた。
天理はしばらく無言で総隊長を見つめていたが、やがてふっと短く息を吐いた。隠し通すのは無駄だと、その驚異的な頭脳で即座に理解したのだ。
「……お目汚しをいたしました」
主人公の雰囲気が、ほんの僅かに変わる。
平隊員のペルソナが剥がれ落ち、そこにあったのは恐ろしいほどに研ぎ澄まされた「静かなる絶対者」の佇まいだった。
「私の力は、過剰で、無駄に目立ちます。穏やかに平隊員として生きたい身としては、あまり他人に知られたくはない能力でして」
「ほう……。相手の攻撃動作よりも先に、視認しただけで圧倒的な物理打撃を叩き込むか。まさに『絶対の先制』。恐ろしい刀だ。……名を何と言う」
主人公は腰の刀の柄にそっと手を添え、静かに答えた。
「『百花繚乱』。解号は……『狂い咲け』です」
「狂い咲け、百花繚乱……か。咲き誇るは敵の鮮血と砕けた骨というわけだな」
総隊長は重々しく頷くと、再び威厳ある表情で腰を下ろした。
「良いだろう。おぬしの『目立ちたくない』という意志、尊重してやる。おぬしを席官や隊長に据えれば、瀞霊廷のパワーバランスすら狂いかねんからな」
「感謝いたします」
「……ただし」
総隊長は眼光を極限まで鋭くし、主人公を指さした。
「護廷十三隊が真の崩壊の危機に瀕した時。あるいは、ワシの刃すら届かぬ陰の不吉を断ち切る時。……おぬしには裏の『切り札』として動いてもらう。よいな?」
主人公は静かに一礼した。
「御意。……指示があるまでは、しがない平隊員として雑務に励ませていただきます」
部屋を出ていく天理の後ろ姿を見送りながら、山本元柳斎重國は静かに独りごちた。
(……恐ろしい男だ。あの冷静さと、あの絶対的な先制力。もし奴が敵に回っていれば……ワシの『流刃若火』すら、構える前に叩き潰されていたかもしれん)
一番隊舎を後にした主人公は、青空を見上げながら静かに呟く。
「……さて、戻って庭の掃除でもするか」
史上最強の「平隊員」の物語が、ここから静かに動き出す——。