魂魄消失事件から月日が流れた、十三番隊の庭園。
志波海燕が十三番隊副隊長に着任して間もない頃。爽やかな秋風が吹き抜けるなか、天理はいつものように庭の掃除に精を出していた。
1. 太陽のような男
「おーい! 新入りの平隊員か? いや、名簿見たら結構前からいるベテランじゃねえか!」
豪快な笑い声とともに、長い竹箒を担いだ男が歩み寄ってくる。十三番隊副隊長・志波海燕だ。整った顔立ちに気さくな笑みを浮かべ、気取らない態度で主人公の肩をポンと叩く。
「俺は新しく副隊長になった志波海燕だ! よろしくな! ほう、それにしても綺麗に掃いてるじゃねえか。落とし葉ひとつ落ちてねえ」
「……志波副隊長。ありがとうございます。雑務が私の仕事ですので」
主人公は手を止め、静かに一礼する。
海燕は頭の後ろで腕を組み、感心したように庭を見渡した。
「固いこと言うなよ! 。隊長も『みんな仲良くな』っていつも言ってるだろ? 副隊長だからって遠慮いらんぞ」
太陽のように眩しく、誰に対しても分け隔てなく接する海燕。その圧倒的な陽の気に、天理は少しだけ目を細めた。
2. 水面(みなも)を渡る静寂と違和感
海燕は縁側に腰を下ろすと、懐から煎餅を取り出して主人公に差し出してきた。
「食うか? 浮竹隊長から貰ったんだが、うまいぞ」
「……いただきます」
二人で並んで縁側に腰掛け、煎餅をかじる。
海燕は空を見上げながら、ふと呟いた。
「なあ……お前、なんか変だな」
「変、ですか」
「ああ。上手く言えねえんだが……」
海燕は煎餅をポリポリと噛み砕きながら、鋭い、だが温かみのある目を天理に向けた。
「俺は一応、志波家の人間だし、副隊長だからな。相手の霊圧とか気配にはそれなりに敏感なつもりなんだが……お前の前に立つと、まるで巨大な池の前に立ってる気分になるんだ」
「……」
「風が吹いても波一つ立たねえ、どこまでも深くて静かな水面だ。霊圧が低いとか薄いとか、そういうのとは違う。……お前、本当はすげえ奴なんじゃないのか?」
主人公は表情ひとつ変えず、手に持った煎餅を見つめた。
「気のせいです、副隊長。私はただ、動くのが嫌いで、目立つのも嫌いなだけの平隊員ですよ」
「ハハッ! そうかよ! まあ、本人がそういうならそうなんだろうな!」
海燕は大声で笑い飛ばした。追及するでもなく、探るでもなく、ただその「違和感」をまるごと受け入れる大らかさが海燕にはあった。
3. 「心」についての問い
「……志波副隊長」
天理は珍しく、自分から問いかけた。
「心、とは何だと思いますか」
海燕は一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに嬉しそうにニッと笑った。
「心か! 良い質問だな。……心ってのはな、自分一人の中にあるもんじゃねえと思うんだ」
海燕は胸を叩いた。
「誰かと関わって、誰かと命を預け合った時に、その間に生まれるもんさ。心は相手に預けるものなんだよ。だから、一人で死ぬな。一人で抱え込むな。仲間に預けた心が、自分が死んだ後もそいつの中で生き続けるんだからな」
真っ直ぐで、あまりにも眩しい言葉。
主人公は静かにその言葉を噛み締めた。
自身の持つ能力——相手を認識した瞬間に絶対に先制し、問答無用で破壊する力。誰とも相容れず、誰にも明かせない孤独な絶対の力を持つ天理にとって、海燕の言う「心を誰かに預ける」という概念は、あまりにも遠い世界の話のように思えた。
(……一人で抱え込まない、か)
だが同時に、目の前にいるこの男の熱さが、胸の奥にわずかな温かみをもたらすのを感じていた。
「……良い言葉ですね」
「だろ? 浮竹隊長の受け売りも入ってるけどな!」
海燕は立ち上がると、ポンと天理の背中を叩いた。
「よし! 煎餅も食ったし、俺は浮竹隊長に薬を届けてくるわ! またな、天理! 掃除が終わったら酒でも飲もうぜ!」
「……はい。お気をつけて」
元気に走り去っていく海燕の背中を、天理は静かに見送った。
4. 予感
(……志波副隊長)
天理は立ち上がり、再び竹箒を手に取った。
その太陽のような眩しさの裏に、どこか破滅へと向かっていくような危うさを、天理の静かな瞳は感じ取っていた。
(あなたのその『心』が折れるような悲劇が訪れた時……私は、平隊員としてどこまで踏み込むべきなのでしょうね)
落ち葉を一つ、静かに履き清める。
瀞霊廷の片隅で、後に訪れる「志波海燕の悲劇(下級虚メタスタシアとの戦い)」の足音が、まだ遠く、しかし確実に近づいてきているのを予感しながら、天理は再び静寂の中へと戻っていった。