雨の降りしきる暗夜。現世の竹林で、志波海燕と妻の都を襲った悪夢の夜。
下級虚・メタスタシア。触れた斬魄刀を消滅させ、霊体に寄生して肉体と魂を乗っ取る実験体。
高台の木々の影から、雨に打たれる戦闘を見下ろす男がいた。
天理だ。手にはいつもの竹箒ではなく、深く柄を握りしめた『百花繚乱』。
そして、天理の数メートル背後——空間の歪みの中に、隠形打とうの鬼道で姿を消した藍染惣右介、市丸ギン、東仙要の三人が佇んでいた。
藍染の目的は、海燕を完全に精神的・肉体的に破壊し、霊王宮の四大貴族たる志波家を失墜させつつ、死神と虚の融合データを採取すること。
だが、藍染たちの視界には、天理の姿は映っていない。
天理が発動させている能力は「絶対先制」だけではない。相手が自分を認識しようとする意識そのものを先回りして遮断する、極小の概念打撃。藍染の鏡花水月すら、天理を捉えることはできていなかった。
1. 崩れた「筋書き」
「触れた斬魄刀を消す能力……ッ! 卑怯な真似を……!」
竹林の中、海燕の斬魄刀『捩花』が霧のように消え去る。
海燕は素手でメタスタシアへ飛びかかろうとしていた。
高台で藍染が薄く笑みを浮かべる。
(……これで志波海燕は絶望し、肉体を乗っ取られ、部下の朽木ルキアの手によって討たれる。美しく悲劇的なシナリオだ)
藍染が心の中でそう確信した、まさにその瞬間。
「——解けろ」
主人公が静かに呟いた。
海燕の肉体へと滑り込もうとしたメタスタシアの触手。その「細胞の結合点」を、天理の視界が完璧に捉える。
(先制打撃——分解・物理衝撃・超極小)
シュンッ……!
雨音を切り裂き、目に見えない衝撃の刃がメタスタシアの触手をミリ単位の精度で切り刻んだ。
海燕には、まるで「自分の気迫と素手の打撃によって、虚の触手が弾け飛んだ」ようにしか見えない。
「なに……!? ぐあぁぁぁっ!?」
メタスタシアが悲鳴を上げる。肉体を乗っ取るための霊核が、原因不明の内部破壊を起こしていた。
2. 暗闘——藍染の違和感
(……何だ?)
高台で静観していた藍染の目が、わずかに細められた。
(メタスタシアの霊核が破壊された……? 志波海燕の打撃ではない。鬼道でもない。……あらかじめ仕込まれていた『何か』か?)
藍染は即座に鏡花水月の能力を強め、周囲の霊圧の揺らぎを探ろうとした。
だが、その思考すらも天理の能力の領域内。
(先制——認識の歪曲)
藍染が「違和感の原因を探ろうとした瞬間」、天理は藍染の脳神経に届くギリギリの範囲で、極小の概念衝撃を打ち込んだ。
「……くっ……!」
藍染が一瞬、こめかみを押さえる。
「……藍染隊長? どうされました?」
市丸ギンが怪訝そうに問いかける。
「……いや。何でもない。……ただ、少し頭痛がしただけだ」
藍染惣右介ほどの男が、「理由のない頭痛」を感じるはずがない。
藍染は戦慄していた。自分の認識の外側で、何かが完璧に、自分より『先』に動いている。実験の筋書きが、目に見えない手によって書き換えられている。
「……実験は中断だ。メタスタシアを回収する」
「え? ええんですか? 志波海燕はまだ生きてますよ?」
「……不確定要素が大きすぎる。引くぞ」
藍染は冷や汗を拭いながら、不気味な気配を感じ取り、逃げるように闇へと姿を消した。
3. 残された「心」
「ハァ……ハァ……っ!」
雨の中、膝をつく志波海燕。
目の前には、霊核を破壊され、急速に消滅していくメタスタシアの残骸があった。
そして、命を取り留めた妻の都。
「海燕様……! 海燕様……っ!」
「都……! よかった……無事だったか……っ!」
海燕は妻を強く抱きしめた。
乗っ取られることもなく、部下に自分を殺させるという絶望を味わうこともなく。志波海燕の『心』は、折られることなく護られたのだ。
……海燕はふと、竹林の深みを見つめた。
(今……誰かいたのか……? 俺の攻撃に合わせて、助けてくれたような……)
だが、そこには雨の音しか残っていなかった。
4. 濡れた竹箒
翌朝の十三番隊舎。
雨が上がり、眩しい太陽が差し込む庭で、天理は淡々と落ち葉を掃いていた。
「おーい! 天理!」
元気な声とともに、怪我の手当をした志波海燕が走ってくる。
「志波副隊長。ご無事で何よりです」
「おう! いやー、昨日はひどい目に遭ったんだがな、なんとか生きて戻れたぜ! 都も無事だ!」
海燕は豪快に笑いながら、天理の肩を叩いた。
「不思議なんだよな。昨日の戦い、俺の限界を超えた力がでたっていうか……誰かが背中を押してくれたような気がしたんだ」
「副隊長のお心が、奥様を救いたい一心で奇跡を起こしたのでしょう」
天理は静かに微笑み、竹箒を動かす。
海燕はそんな天理の手元をじっと見つめ、ふと首をかしげた。
「……なあ。お前、その箒……なんでそんなにしっとり濡れてんだ?」
「……朝露ですよ、副隊長」
天理は表情ひとつ変えずに答えた。
海燕は一瞬呆れ顔を見せたが、すぐにニッと笑って主人公の首を腕で巻き込んだ。
「ま、いいや! 生きて戻れたお祝いだ! 今日は俺のおごりで酒飲むぞ! 拒否権はなしだからな!」
「……副隊長、まだお怪我が……」
「うるせえ! 心が元気なら酒は薬だ!」
笑い合いながら去っていく海燕の背中を見送り、主人公はそっと一息ついた。
歴史の表舞台では、志波海燕は「惨劇を乗り越えた熱き副隊長」として生き続ける。
藍染惣右介の完璧な謀略を、影からたった一言の解号と一瞬の先制で打ち砕いた平隊員。
(……やれやれ。これでしばらくは、静かな雑務に戻れそうですね)
青空を見上げながら、天理は再び静かに竹箒を滑らせたのだった。
今回、志波夫妻は生存させました、天理がいて見捨てることは無いのでこうなりました。ご理解頂けると助かります