雨が上がり、海燕の無事を祝う賑やかな宴が落ち着いた数日後の十三番隊舎。
庭園の隅で静かに竹箒を動かす主人公のもとへ、まだ入隊したばかりの小さな身体の死神が、緊張した面持ちで歩み寄ってきた。
朽木ルキアである。
1. 貴族の少女と影の平隊員
「あ、あの……夜分遅くにすまない。私は最近、十三番隊に着任した朽木ルキアという者だ」
ルキアは名門・朽木家の養子という立場もあり、どこか肩に力が入ったように背筋をぴんと伸ばしている。
「朽木様。私は当隊の平隊員でございます。何かご用でしょうか」
天理が静かに一礼すると、ルキアは恐縮したように手を振った。
「様などつけないでくれ! 私はただの新参者だ……。実は、海燕副隊長から『庭の掃除で困ったら、あいつに聞け。瀞霊廷で一番要領が良い』と聞いてな……」
ルキアは手に持った大きな竹箒を見つめ、少し困り顔でため息をついた。
「貴族の家におったとはいえ、私は流魂街の育ちだ。雑務など慣れているつもりだったのだが……この広大な庭の掃除となると、なかなか筋が掴めなくてな」
海燕が自分のことをルキアに語っていたと知り、天理は薄く微笑んだ。
「海燕副隊長は口が軽くて困ります。……朽木隊士、箒の持ち方が少し力みすぎていますよ」
天理はそっと手を差し伸べ、ルキアの竹箒の角度をわずかに修正した。
「腕の力で叩くのではなく、風の通り道を作るように……掃くのではなく、撫でるのです」
「……あ」
ルキアが言われた通りに箒を滑らせると、先ほどまでパラパラと散らばっていた落ち葉が、吸い寄せられるように一箇所へ綺麗に集まった。
「すごい……! 一筋の無駄もない! まるで箒が自分の手足のように動いているようだ!」
紫紺の目をキラキラと輝かせるルキア。その純粋な反応に、天理は心の中で静かに笑った。
2. 憧れと、秘められた重圧
「……海燕副隊長は、本当に素晴らしいお方だな」
集めた落ち葉を見つめながら、ルキアがぽつりと呟いた。
「朽木家に入ってから、どこへ行っても『朽木家の養子』としてしか見られず、息が詰まりそうだった。だが……海燕副隊長は、私をただの『ルキア』として接してくださる。あの人の下で働けることが、本当に誇らしいのだ」
「……ええ。志波副隊長は、そういうお方です」
天理は静かに頷く。
もしあの運命の夜、自分が裏で手を回さなければ——海燕は死に、ルキアはその海燕を自らの手で刺し穿つという、あまりにも凄惨な悲劇を背負わされていたはずだった。
目の前で無邪気に海燕への尊敬を語るルキアの姿を見て、主人公はあらためて「裏で歴史を捻じ曲げてよかった」と実感していた。
「しかし……私はまだまだ未熟だ」
ルキアはキュッと唇を噛み締めた。
「海燕副隊長や兄様(白哉)の足元にも及ばん。早く一人前の死神になって、誰かを守れる強さを手に入れたいのだが……」
「焦る必要はありませんよ、朽木隊士」
天理は落ち葉を塵取りに収めながら、穏やかな声で言葉をかけた。
「咲くのが早い花もあれば、時間をかけて大木になる木もあります。あなたのその真っ直ぐな手足と心があれば、いずれ誰かの暗闇を照らす光になれます」
「光……私が、か?」
「ええ。ですが……まずは、怪我をしないことです。死んでしまっては、誰かを守ることも、心を預けることもできませんから」
その言葉は、かつて海燕が天理に語った「心」の教えそのものだった。
3. 先制の気配
「……! なんだ、今の言葉は……海燕副隊長と同じようなことを言うのだな、お前は」
ルキアは驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうにふっと微笑んだ。
「感謝する、天理殿。なんだか胸のつかえが下りた気がする。明日からの庭掃除も、精進させてもらうぞ!」
「ええ。いつでもお聞きください」
ルキアが元気に手を振って去っていく。
その小さくも温かい背中を見送りながら、天理は静かに空を見上げた。
(……朽木ルキア。あなたの運命の歯車もまた、藍染という男によって大きく狂わされようとしている……)
だが、今の彼女の瞳には、一切の陰りもない。
(……もし、百年ののちにあなたが現世で恐ろしい渦に巻き込まれる日が来たとしても)
天理は柄を握り直し、ゆっくりと目を細めた。
(その時はまた……誰も気づかない場所で、あなたの背中を静かに支えるとしましょう)
瀞霊廷に夜の静寂が降り立つ中、主人公は再び、無心で竹箒を滑らせるのだった。