一番隊執務室・怒号と静寂
重々しい線香の煙が満ちる一番隊執務室。
部屋の空気は、いつも以上の異常な緊張感によって極限まで凍りついていた。
上座には、腕を組み深く目を閉じる山本元柳斎重國。
その傍らには、普段のひょうひょうとした笑みを完璧に消し、冷や汗を流しながら立ち尽くす八番隊隊長・京楽春水。
そして二人の前に立つのは、いつも静かな十三番隊の平隊員——七瀬天理。
だが今の彼の周囲には、言葉を交わすことすら恐ろしいほどの、凪いだ極限の殺気が満ちていた。
「……で? 何度も何度も現世の伝令神機を介して探りを入れ、挙句の果てには私を八番隊の暗部へ引き込もうと画策か、京楽隊長」
天理の声は静かだった。だが、その一言一言が空間そのものを物理的に圧迫していく。
「やあ……天理君。僕はただ、君という『絶対の力』があるなら、犠牲を最小限に抑えるのが隊長としての理に叶っていると言っただけで——」
京楽が弁明しようと口を開かけた、その瞬間。
「——黙れ」
ズンッ……!!
一番隊執務室の床が一瞬で数ミリ沈み込んだ。霊圧ではない。天理の「存在そのものの圧力」が、京楽の言葉を力づくで遮断したのだ。
「隊長としての理? 犠牲の最小化? 笑わせるな」
天理の瞳が、血のような朱色に揺らめく。普段の冴えない平隊員の面影はどこにもない。そこには世界の理を握る「絶対者」の顔があった。
「私が動けば確かに現世の破面も、虚圏の藍染も、明日には全員消えてなくなるだろうよ。だがな、京楽……そうやって何でも私が処理して、貴様の副隊長のような無様を晒す死神を大量に量産し、千年後の尸魂界に責任取れるのかよ。」
「……っ!?」
京楽の顔色が一気に変わった。笠の陰で見せたことのないような戦慄が走る。
「死神が自らの刃を磨かず、自らの命を懸けて理不尽に抗う覚悟すら捨て、ただ私の『先制』に甘えて生き残った先にあるのは何だ? 危機が訪れるたびに空を見上げて神頼みする、ただの無能の集団だろうが!」
天理は京楽へ一歩踏み出し、その胸元を射抜くような眼光で睨み据えた。
「先日の双殛の丘での動乱を思い出してみろ。総隊長の睨みに我を忘れて無様を晒した、貴様の副隊長みたいによ。」
かつて山本総隊長の圧倒的な霊圧と威圧の前に、身動き一つ取れずその場に崩れ落ちた八番隊副隊長・伊勢七緒。
死神としての鍛錬と覚悟が足りなければ、本物の強者の前では息をすることすらできないという「現実」を、天理は容赦なく京楽の突きつけたのだ。
「己の副隊長一人まともに育て上げられず、真の威圧の前に無力化させるような温い教育しかできん男が……この私を都合の良い兵器として使い捨て、護廷十三隊を骨抜きの腑抜けにするつもりか?」
「…………」
京楽春水は、言葉を失っていた。
どんな言葉で返そうと、天理の「理」と「圧倒的な先制の威圧」の前には全てが戯言に成り下がる。
「山本総隊長が私の力を安易に使わぬのは、老いでも頭の硬さでもない。死神たちが自らの足で立ち、強くなり、未来へ誇りをつなぐための『厳父としての愛』があるからだ。……それを『効率』などという安い言葉で踏みにじるな」
天理の怒号が執務室に響き渡り、沈黙が訪れる。
沈黙を守っていた山本元柳斎が、ゆっくりと目を開けた。
「……聞こえたか、春水」
「……はい、山じい」
京楽は帽子を深くかぶり直し、深く深く溜息を吐き出した。天理の言葉は、京楽が「勝利」のために切り捨てようとしていた一番大切な『死神の尊厳』を激しく殴りつけるものだった。
「春水。七瀬の力に頼ろうとするその甘え、二度と見せるな。護廷十三隊の責務は、我ら死神の刃と覚悟で果たすもの。……次なる余計な画策、儂が許さん」
「……肝に銘じます。天理君……いや、七瀬殿。無礼を重々お詫びするよ」
京楽は天理に向かって、深々と頭を下げた。もはやそこには探るような視線も、利用しようとする企みも微塵も残っていなかった。
「……分かればいいです。私は私の仕事に戻ります」
天理は冷ややかな声で言い捨てると、何事もなかったかのようにすっと殺気を消し、いつもの平隊員の姿勢に戻った。
「失礼いたしました、総隊長閣下」
静かに一番隊執務室を去っていく天理の背中。
残された京楽は、額の汗を拭いながら苦笑いを浮かべた。
「……まいったね。山じい以上の化け物を、僕は本気で怒らせちゃったみたいだ……」
「フン……自業自得じゃ、うつけ者が」
元柳斎は煙管の煙を静かに吐き出し、影の防衛者の去ったドアを見つめながら、微かに口元を緩めたのだった。
これで京楽春水のアンチ・ヘイト終了です、この後は徐々に和解に向かうはずです多分