四番隊総合救護所、最奥の特別療養室。
「2割の生存」という呪縛を滅却師たちに刻み込み、自らは常時2倍の霊力を喰らい続けた反動で深い昏睡に陥っている天理。そのベッドの脇に、丸椅子を引き寄せて腰掛けた男がいた。
五番隊隊長・平子真子である。
普段のひょうきんな態度は影を潜め、おかっぱ頭の影から覗く瞳は、静かな優しさとどこか呆れたような色をたたえていた。
1. 逆様の世界の男と、先制の男
平子は懐から飴玉をひとつ取り出すと、包み紙をシャリと鳴らして自分の口に放り込んだ。甘い香りが薄暗い室内に広がる。
「……なぁ、天理。聞こえてるか?」
返事はない。ただ、一定の周期で刻まれる規則正しい呼吸音だけが部屋に響いている。
「自分、ほんまに無茶苦茶やりよるな。10割叩き潰すんやなくて、わざと2割残して『種族の希望』を盾に精神折る……なんてエグい戦術考えつくんや。……うちの元副隊長(藍染)もドン引きの悪魔的な発想やで、ほんま」
平子は苦笑しながら、肘を膝について天理の寝顔を見つめた。
「でもまあ……おおきにな。自分がその命削って作ってくれた『空白の時間』のおかげで、浦原のバカが奪われた卍解取り戻す薬(侵影薬)作ってくれたわ。これで次の侵攻が来ても、うちの連中も正面から殴り返せる」
2. 隊長としての「本音」
平子は視線を天理の閉ざされた両目へと向けた。
激戦の中で一度は全盲となったはずのその瞳は、卯ノ花烈の治療と天理自身の圧倒的な霊子復元力によって完璧に再生している。だが、精神の疲弊ゆえに、その瞳が開く気配はない。
「……なあ、天理」
平子の声が、少し低くなった。
「俺の『逆撫(さかなで)』はな、相手の感覚をひっくり返して混乱させる能力や。……けどな、自分の『百花繚乱』は違う。感覚どころか、世界そのものの『理』を強引に自分都合へ叩き直す力や。……正直、恐ろしいで」
平子は自分の髪をガリガリと掻いた。
「平隊員のフリして、影でコソコソ竹箒掃いてた男が、いざとなったら護廷十三隊の誰よりも容赦なく世界を守りよる。……ほんま、五番隊の隊長として、自分が隊員やなくてよかったわ。こんな規格外の部下が下にいたら、俺の胃に穴がいくつ空いても足りん」
3. 先輩としての「約束」
平子は立ち上がり、天理のベッドの布団を少しだけ持ち上げて丁寧にかぶせ直した。
「……けどな、天理」
平子は天理の額に、ぽんと軽く手を置いた。
「もうええぞ。次、あの滅却師どもが這い上がってきた時はな、俺たち隊長格が正面から全部ブチのめしたる。自分が起き上がってまた『先制』放つ出番なんか、一秒も作らへんからな」
平子は扉へ向かって歩き出し、手すりに手をかけた。
そして、振り返らずにニッと口角を上げる。
「ゆっくり寝とき。……目が覚めたら、現世の美味い菓子でも奢ったるわ。浦原に言ったら、山ほど買い込んでくるはずやからな」
パタン、と静かに扉が閉まる。
言葉を残して去っていった元・仮面の軍勢(ヴァイザード)の隊長の背中を追いかけるように、天理の指先が、ほんのわずかに——ピクリと動いた。