静まり返った十一番隊の裏庭。
竹箒を壁に立てかけ、天理が回廊へ歩き出そうとした——次の瞬間。
「ハァッ!!!」
頭上から、空気を力任せに引き裂く暴風が吹き荒れた。
一瞬の猶予すらない。上空から振り下ろされたのは、刃こぼれだらけの巨大な斬魄刀。更木剣八の、挨拶代わりの本気の一撃。直撃すれば隊舎ごと真っ二つに叩き割られるほどの威圧感と重圧が押し寄せる。
普通の死神であれば、恐怖で体が竦み上がり、霊圧に押し潰されて肉塊と化す場面。
しかし、天理の視界はどこまでも静寂を保っていた。
(……やはり来たか)
天理は表情ひとつ変えず、刀を抜くことすらしない。
剣八の巨大な刃が、天理の額からわずか数ミリの距離まで迫るコンマ数秒前。
「狂い咲け」
心の中で静かに解号を呟く。
天理の瞳が、振り下ろされる剣八の肘と、その脚の踏み込みを「捕捉」した。
能力『百花繚乱』の発動。
だが、今回は敵を粉砕するためではない。発動させたのは、剣八の身体の「関節と筋肉」に向けた、極小かつピンポイントの物理衝撃。
(右肘にわずかな角度のズレ……右膝へ超高密度の物理的ブレーキ)
直後、剣八の完璧だった踏み込みが、ほんのコンマ一ミリ、外側へ滑った。さらに振り下ろされる腕の軌道が、目にも留まらない超微小な物理打撃によって、横へと数ミリ弾かれた。
ドガァァァァァン!!!!
凄まじい爆音とともに、地表が炸裂する。
の目と鼻の先、ミリ単位の差で剣八の刃が地面を叩き割り、大量の土煙と衝撃波が吹き荒れた。
天理は、まるで最初からそこに刃が落ちることを知っていたかのように、衣をわずかに揺らしただけで、すれ違いざまに一歩横へ佇んでいた。完全な無傷。
「……ッ!?」
土煙の向こう側で、更木剣八の目が血走り、口元が引きつるように歪んだ。
(今……何が起きた……!? 俺の腕が一瞬、外側にはじかれた……? いや、こいつは一歩も動いちゃいねえ。刀も抜いてねえ……!)
剣八は即座に刀を横一文字に薙ぎ払い、迫る土煙ごと天理の胴体を真っ二つにせんと迫る。
「逃がさねえぞ、おい!!」
二撃目。
それに対し、天理は初めて腰の刀に手をかけた。ただし、始解もせず、刀すら抜かない。「鞘に収まったまま」の状態で。
向かってくる剣八の刃に対し、主人公は静かに鞘の鯉口(こいぐち)をずらし、刀身を数センチだけ覗かせる。
そして、剣八の鋭い刃が鞘に触れる「瞬間」。
主人公の視界が、剣八の刀身の最も脆弱な点——霊圧の結節点——を捉えた。
(先制打撃——威力一%、極小集中)
カァンッ……!
澄んだ高い金属音が響く。
剣八の放った大ぶりな一撃が、鞘の先端でかすかに受け流された瞬間、 sword の刃線が明らかな違和感とともに上空へ跳ね上がった。
剣八の手首に、まるで「目に見えない巨人の拳」で下から殴りつけられたかのような猛烈な反動が走る。
「ぐっ……!?」
剣八の巨躯が、力任せの振りの勢いも手伝って、ガラ空きの体勢で踏みとどまった。
天理はそのスキを見逃さず、静かに足を引き、鞘を収めた。能力を攻撃として使えば剣八を大怪我させてしまい、正体が完全に暴かれる。だからこそ、「相手の攻撃の起動を殺すためだけに、極小の先制打撃を挟む」という、恐ろしいほどに精密で冷静なコントロールで凌ぎ切ったのだ。
「……十一番隊長閣下。突然何をお手合いなさるのですか」
土煙が静かに収まっていく中、天理はいつもの「冴えない平隊員」の低い声でそう呟いた。
呼吸ひとつ乱れていない。着物に泥すらついていない。
「……てめえ……」
剣八は、痺れた手首をギチギチと鳴らしながら、獰猛な肉食獣のような眼光で天理を睨みつけた。
「今、何をしやがった……? 俺の攻撃が……届く直前で、全部殺されてやがる……!」
そこへ、慌てた様子で一角ややちるが駆け込んできた。
「た、隊長ーっ! 何やってんすか、こんなところで爆音立てて……って、えぇ!?」
一角が目を見開く。
十一番隊舎の裏庭は半壊し、更木剣八が本気で刀を振るった跡がある。にもかかわらず、目の前に立っている平隊員は、すまし顔でそこに立っているのだ。
「隊長……まさか、そいつ……避けたんすか!?」
「避けた、だと……? ハッ、そんな生ぬるいもんじゃねえ……」
剣八は刀を肩に担ぎ直すと、ぶるりと身体を震わせた。恐怖ではない。あまりの異次元の戦慄に、武者震いが止まらないのだ。
「こいつは……俺が斬りかかる『前』に、俺の腕と刃を力づくで殺してやがったんだよ……!」
天理は深く溜息をつくと、静かに頭を下げた。
「滅相もございません。更木隊長の圧倒的な霊圧に押し出され、奇跡的に刃が逸れただけにございます。……これ以上お戯れが過ぎますと、山本総隊長閣下に報告せねばなりません」
「総隊長」の名前を出された一角が青ざめる。
「た、隊長! これ以上やったらマジで総隊長にお仕置きされますって! それに、こいつが本当に化け物なら、今の攻撃で死んでるはずです!」
一角には、天理が巧みに能力を隠して受け流したことすら認識できていなかった。ただの「奇跡的な幸運」に見えていたのだ。
剣八は一角の言葉を無視し、天理の凪いだ瞳をじっと見つめ続けた。
「……フン。どこまでも『平隊員』で通す気かよ」
剣八は不機嫌そうに鼻を鳴らし、ぐるりと背を向けた。
「いいだろう。今日はここまでにしてやる。……だがな、覚悟しておけよ。護廷十三隊が崩壊するような大闘争が起きた時……俺は真っ先にお前の元へ行く。その澄ました面を、その隠した刀で剥ぎ取ってやるからな!」
高笑いを残し、去っていく更木剣八。
それを見送った天理は、そっと腰の『百花繚乱』の柄から手を離した。
(……やれやれ。能力を殺して受け流す方が、敵を粉砕するより遥かに疲れるな)
天理は壁に立てかけてあった竹箒を拾い直すと、壊れた庭の惨状を見つめ、静かに呟いた。
「……さて。掃除のやり直しだな」