【霊王宮修業選定:市丸ギンの挑発と揺れる覚悟】
1. 霊王宮留まる者の選別
零番隊の「絶対誓約」によって護廷十三隊との間に真の和解がもたらされた直後、兵主部一兵衛(まなこ和尚)がその太い声で場を仕切った。
「さて……誓約は済んだ。だがユーハバッハとその親衛隊を迎え撃つには、足らん。今のままでは一護も、他の死神たちも叩き潰されるだけじゃ。戦力強化のため、一部の者を霊王宮へ残し、真の魂魄の覚醒を行わせる!」
和尚の視線が注がれたのは、黒崎一護、そして朽木ルキアの二人だった。
「一護、そしてルキア。おぬしら二人はこの霊王宮に残り、ワシら零番隊の離殿で特訓を受ける。異論はないな?」
「望むところだ! ユーハバッハを倒すためならなんだってやってやる!」
一護が強く頷き、ルキアもまた真っ直ぐな瞳で自らの刀を握りしめた。
さらに和尚は、十三番隊副隊長の志波海燕へと視線を向ける。
「志波海燕。おぬ言も潜在能力は目を見張るものがある。霊王宮に残るか?」
海燕は一瞬だけ空を見上げたが、すぐに豪快な笑みを浮かべて首を横に振った。
「へっ……ありがたい話だが、俺は遠慮しとくぜ、和尚さん」
「……ほう? なぜじゃ」
「浮竹隊長は今でこそ調子が良いが、いつまた持病で倒れるか分からねぇ。あの人が不調になった時、十三隊の現場を預かるのは副隊長の俺の仕事だ。俺は下(瀞霊廷)に戻って、隊員たちと一緒に戦線の立て直しに回る」
海燕の迷いのない言葉に、和尚も「ふむ、相変わらず家族思いの男じゃな」と深く頷いた。
2. 埋まらない「最後の一枠」と恋次の沈黙
海燕が辞退したことで、霊王宮で修業を受けられる枠には「あと一人分」の余裕が生まれた。
本来の原作であれば、阿散井恋次が自ら名乗りを上げ、一護やルキアと共に成長を遂げる場面。
だが——恋次は動かなかった。
「……っ」
恋次は拳を強く握りしめ、地面を見つめたまま一歩も前に踏み出せないでいた。
先日の星十字騎士団(シュテルンリッター)による第一波の侵攻。マスキュリンやエス・ノトといった化け物たちの前で、己の「蛇尾丸」が全く刃立たず、無力に叩きのめされた恐怖と屈辱が、彼の足に目に見えない重鎖となって絡みついていたのだ。
(俺が行って……本当に変われるのか? あの化け物どもに……勝てるようになるのか……?)
自問自答の渦に飲み込まれ、名乗りを上げるタイミングを完全に逸していく恋次。
周囲の隊長格たちも、不自然に黙り込む六番隊副隊長の様子にわずかな違和感を覚え始めていた。
「どうした、阿散井? 行かなくていいのか?」
日番谷が不審そうに声をかけようとした、その時だった。
3. 狐の影と、突き刺さる言葉
「……アカンなー、恋次はん」
ひょうひょうとした、どこか薄気味悪い京都弁の台詞が、霊王宮の張り詰めた空気を切り裂いた。
「……っ!?」
全員の視線が一斉に弾かれたように一箇所へ集まる。
そこには、白い羽織を肩にかけ、細い目を三日月のように歪めた男——市丸ギンが立っていた。
かつて藍染の側近として瀞霊廷を裏切り、だが土壇場で藍染の命を狙い、最後は天理の手によって死の淵からすんでのところで救い出された「蛇」のような男。
「市丸……!? お前、いつの間に……!」
朽木白哉が瞬時に霊圧を跳ね上げ、手繰り寄せるように千本桜の柄に手をかける。
だが、ギンは白哉の殺気など意にも留めず、のらりくらりと歩みを進め、恋次のすぐ隣で足を止めた。
「せっかくの霊王宮の特訓、千載一遇のチャンスやというのに……何でそんな地面ばっかり見てるん? 昔の威勢はどこ行ったんや」
「市丸……お前……っ!」
恋次が激昂してギンの胸倉を掴もうとするが、ギンは軽やかに一歩身を引いてそれをかわすと、細い目を僅かに開き、冷徹な光を込めて恋次の瞳を覗き込んだ。
「威勢よく怒ってみせたかて、隠せへんよ。……あんた、実は深層心理の奥底で、『もう自分は負けてる』んとちゃう?」
「〜〜〜っ!?」
恋次の身体が、まるで氷水を浴びせられたかのように硬直した。
「『自分なりに強くなったつもりでおったけど、星十字騎士団の奴らには逆立ちしても勝てへん』『一護やルキアとは根本的に才能が違う』……そんな諦めが、心の一番深いところで腐みかけてる。ちゃうか?」
「黙れ……! 黙れ市丸!! 俺は……俺はまだ負けてねぇ!!」
「嘘おっしゃい」
ギンの声が、低く、冷たく響く。
「負けてへんと思ってる奴の足が、なんでそんな震えてるん? 心の中で白旗あげてる奴が霊王宮でどんだけ汗流したかて、なーんも変わらんよ。……今のあんたが行ったかて、ただの『枠の無駄遣い』や」
「な……んだと……!?」
4. 衝撃を受ける周囲と、ギンの真意
「市丸! 貴様、言い過ぎだぞ!」
海燕が怒りを露わにしてギンと恋次の間に割り込もうとする。
一護もまた「お前、恋次になに言いに来やがった!」と天鎖斬月を向けた。
しかし、当の恋次自身はギンの言葉を否定する叫びを上げることができなかった。
ギンの言った一言一言が、己が最も直視したくなかった「心の弱さ」を恐ろしいまでの正確さで射抜いていたからだ。
周囲の隊長たち——白哉、京楽、日番谷らも、激怒する一方で息をのんでいた。
ギンの言葉は残酷だが、今の恋次が背負っている「折れかけた心」の正体を鋭く暴き出していたからだ。
「……なにも、嫌がらせで言うてるんとちゃうよ」
ギンはふっといつもの胡散臭い笑顔に戻ると、袖の中に手を引っ込めた。
「心が折れたまま上(霊王宮)へ上がったかて、待ってるのは惨めな死だけや。……自分の足で立たれへん奴は、瀞霊廷の泥水すすりながら、下で地獄を這いずり回った方がまだ芽があるんとちゃう?……まあ、僕の知ったこっちゃないけどな」
ギンはひらひらと手を振りながら、静かに一護たちの輪から離れていく。
残された恋次は、悔しさと、己の情けなさと、図星を突かれた恐怖で、全身を激しく震わせながらその場に膝をついた。
「恋次……」
一護が伸ばしかけた手は、空中で止まった。