市丸ギンの放った冷酷な一言が、霊王宮の大殿前に重い静寂をもたらした。
「あんた……実は深層心理の奥底で、『もう自分は負けてる』んとちゃう?」
激昂しかけた阿散井恋次だったが、その唇は凍りついたように動かない。全身を駆け巡る激しい拒絶と、それ以上に体を縛りつける「心当たりのある恐怖」。
周囲の隊長格たち——日番谷、白哉、京楽らが騒然となるなか、市丸ギンはふっと細い目をさらに細め、視線を恋次から離した。そして、その視線を場の中央に佇む老総隊長、山本元柳斎重國へと向けたの点。
1. 市丸ギンの問いかけと、明かされる真実
「まあ……僕の独り言として聞き流してもらってもええんやけどね」
ギンは袖に両手を突っ込んだまま、軽薄な態度を崩さずに言葉を重ねる。
「……なぁ、総隊長殿。気になってたんですよ。かつて藍染の企みで三人の隊長が抜け、護廷十三隊が極度の人手不足に陥った時……なんで恋次 はんを隊長に繰り上げへんかったんです?」
「なに……?」
日番谷が眉をひそめる。
「恋次 はんは卍解も修得しとった。一護くんに同行して何回も特攻隊長みたいに活躍して、戦功かて十分や。副隊長の中でもダントツで隊長に近い言われてたはずやのに……なんで総隊長殿は、最後までこの人を隊長候補にすら推薦せえへんかったんです?」
ギンの問いに、隊長たちの間に動揺が走る。
当時、三隊長離脱後の護廷十三隊は火の車だった。実力・戦功ともに申し分なく、一護と共に幾度も戦場を潜り抜けた恋次が隊長に推されなかったことを、誰もが「単に年功や経験がまだ浅いから」だと納得させようとしていたのだ。
だが、ギンは逃がさない。
「総隊長殿の目は、伊達に千年間死神を見続けてきたんとちゃうはずだ。……見抜いてはったんでしょ? 恋次 はんが黒崎くんに、そして朽木隊長に決定的な敗北感を抱いて、魂の根底で心が折れてもうてることを」
2. 総隊長の沈黙と肯定
「市丸……貴様、総隊長殿に向かって何を……!」
砕蜂が怒りを露わに踏み出そうとしたが、元柳斎の手にした杖が『コツン』と地を突く音ひとつで、その場全員の動きが止まった。
元柳斎は静かに目を閉じ、深く重い息を吐き出した。
「……市丸の言う通りじゃ」
「っ……!?」
場にいた全員の息が止まった。白哉の瞳がわずかに見開かれ、日番谷や京楽の顔から色が失われる。
元柳斎はゆっくりと目を開き、その峻烈な眼光を、地に膝をついたまま動けない恋次へと向けた。
「阿散井恋次。お主の剣気には、いつからか『己の限界』を自ら定めた諦観が混ざっておった。どれほど威勢よく吠えようと、どれほど前に出ようと……お主の魂の奥底には『自分はあの二人(一護と白哉)には届かない』という敗北の影が刻まれていた」
元柳斎の声は厳格であり、同時にどこか悲哀を含んでいた。
「隊長とは、単に卍解を使える者のことではない。隊の命運を、そして己の信念を最後まで背負い切る覚悟を持つ者のことじゃ。己の心に敗れ、斬魄刀にすら真の力を認められぬ者を、護廷十三隊の隊長に据えるわけにはいかん」
「斬魄刀に……真の力を認められていない……!?」
ルキアが弾かれたように声を上げた。
「……そうじゃ。知っておる者も少なくなかろうが……阿散井の『狒狒王蛇尾丸』は、実のところ不完全な状態の卍解じゃ。斬魄刀はお主の魂の映し鏡。己の心で敗北を受け入れている男に、真の名を教えるほど命の刃は甘くはない」
3. 天理の不干渉と、繋がる真実
「そ、そんな……」
ルキアは言葉を失い、恋次を見つめた。恋次はただ頭を垂れ、拳を血が滲むほど固く握りしめている。何も言い返せない。それが何よりの「肯定」だった。
そこへ、ギンが追撃するように冷ややかに笑う。
「……ハハッ、やっぱりそうでしたか。道理でねぇ」
ギンは顎をさすりながら、どこか遠くを見るような目をした。
「現世におる時、七瀬(天理)の様子を見てて確信したんですよ。あいつ、黒崎くんや平子はん、日番谷はんにはちょくちょく声をかけたり叱咤したりしとったのに……恋次 はんにだけは、驚くほど一度も接触しようとせえへんかった」
「天理が……阿散井に……?」
京楽が笠を押し上げ、鋭い目をギンに向けた。
「あいつの『絶対的な目』には、最初から見えてたんや。恋次 はんが自分自身の心に負けて、これ以上戦局を変えられる存在やなくなったということがね。あいつにとって、触れる価値すらなくなってたんや。……藍染も、それを見て『阿散井などどうでもいい』と切り捨ててましたわ」
——天理が恋次とだけ接点を持たなかった理由。
——山本総隊長が恋次を隊長にしなかった理由。
——そして、藍染が恋次を最後まで脅威とみなさなかった理由。
そのすべてが「恋次の深層心理における敗北」という一つの真実に繋がり、霊王宮に集うすべての死神たちに絶大な衝撃を与えた。
「恋次……お前……っ」
一護が胸を締め付けられるような顔で恋次を見る。
「……くっ……」
血の涙を流さんばかりの顔で地面を噛みしめる恋次。
かつて一護に敗れ、白哉に敗れ、それでも立ち上がってきたつもりだった。だが、その裏で「自分はここまでだ」と心を折っていたのは、他の誰でもない自分自身だったのだ。
市丸ギンが暴き出し、山本総隊長が認めた残酷な現実。
霊王宮の特訓へと向かう一護とルキアを前に、護廷十三隊の「特攻隊長」と呼ばれた男は、生まれて初めて己の魂の死と向き合うこととなったのだった。