第1章:老獪なる先手——山本総隊長と無間の密命
瀞霊廷が第二次侵攻の影に呑み込まれる直前。
ユーハバッハは深く恐怖していた。
第一次侵攻の際、終極百花繚乱滅殺陣にて8割壊滅と2割の生かされた現実——七瀬天理。
その男が、先の戦いの反動により深遠な眠り(昏睡状態)に就いているという情報を得ていたユーハバッハは、全軍侵攻のどさくさに紛れ、「何が何でも天理の存在をこの世から永遠に消去する」ためだけに、特別警戒戦力級の刺客を差し向けた。
だが、百戦錬磨の山本元柳斎重國は、その企みすらも冷徹に読み切っていた。
山じいは自ら中央四十六室へ出向き、猛反対する老害たちを圧倒的な威圧感で力ずくでねじ伏せると、無間に繋がれていた市丸ギンを密かに呼び出していたのだった。
「……市丸。七瀬が眠る間、あの男の身に万一のことがあれば尸魂界は真の終焉を迎える。奴の潜伏先を守り抜き、迫る刺客を滅せ。さすれば……貴様の過去の一切の罪を濯ぎ、無罪放免としよう」
「……へえ、山じい。えらい魅力的な提案ですな。わいをそこまで買いかぶってくれるとは光栄ですわ……」
第2章:激闘開幕——3対1の絶望と市丸ギンの覚悟
地下最深部の重厚な扉が爆砕され、黒煙の中から三つの影がヌッと立ち現れた。
「……フハハハ! ここに眠っているのが、我が陛下が危惧される『七瀬天理』か! 案外呆気ない死相を晒しているではないか!」
全身から禍々しい黒いオーラを放つエス・ノトが、無数の『恐怖の棘』を指間に握りしめる。
その傍らで、荒々しい雷撃を両手に宿したキャンディス・キャットニップが、不敵な笑みを浮かべて前へ踏み出してきた。
「陛下が直々に『何が何でも殺せ』と仰ったんだ。手柄は私がいただくよ!」
二人の背後には、巨漢のマスク・ド・マスキュリンが腕組みをして仁王立ちしている。
三人から放たれる圧倒的な霊圧が重なり合い、地下室の天井に亀裂が走った。まさに天理の胸へと雷光が解放されようとした、そのコンマ数秒前——
「——そこまでにしときや?」
シュンッ!
暗闇の奥から一閃された白刃が、キャンディスの前髪をかすめ、背後の岩壁を数十層も撃ち抜いた。
「なっ……何奴!?」
煙の中から歩み出てきたのは、白羽織すら纏わず、黒い死覇装一着の市丸ギンだった。
口元にはいつもの、胡散臭い狐のような笑みを浮かべている。
「へぇ、えらい大層な客人数や。眠っとる男一人殺すのに、わざわざ三人がかりかいな」
「チッ、死神の残党か! 邪魔だ、退け!」
キャンディスがブチギレて両手を掲げ、巨大な雷撃『雷霆(ザ・サンダーボルト)』を放つ!
ドドドガァァァンッッ!!
爆風が地下室を吹き荒れる。
市丸は間一髪で身を翻すと、始解『神鎗』を繰り出した。
「射殺せ、『神鎗』!」
音速で伸縮する刃が十数本もの槍となってキャンディスへ迫る。しかし、狭い空間での3対1はあまりにも不利だった。
「無駄だ……死神……!」
エス・ノトの手から放たれた黒い棘が、市丸の肩と太ももを深く穿つ。
「く……っ!?」
刺さった瞬間、市丸の視界がぐにゃりと歪んだ。
脳内に直接流れ込むのは、全細胞が悲鳴を上げるような強烈な「恐怖」。蛇に呑み込まれる蛙のような、精神を直接腐敗させる悪夢の波動だ。
「ハぁ……ッ、ハぁ……ッ!」
「ガハハハ! 効いているな! 正義の鉄拳を受けるまでもない!」
間髪入れずにキャンディスの追撃の雷撃が直撃し、市丸の死覇装が弾け飛び、肉体が黒く焦げて血が噴き出す。
膝をつき、血を吐く市丸。
だが、その目は死んでいなかった。激痛と恐怖に晒されながらも、彼の体は一歩たりとも天理のベッドの前から退いていなかった。
第3章:スーパースターの自惚れと市丸の冷酷な一手
「ガハハハ! 悪党め、ワガハイの正義の鉄拳の前にひれ伏すのだ! おいジェイムズ! ワガハイを応援しろ!」
巨漢マスク・ド・マスキュリンが前へ躍り出る。
足元にいた小さな付き人・ジェイムズが「頑張れー! マスクー! 負けるなー!」と必死に手拍子を打つ。
すると、マスクの体に光が満ち、電撃の傷が一瞬で全快するとともに、筋肉が倍以上に膨れ上がった!
「見よ! これぞワガハイの聖文字“S”『英雄(ザ・スーパースター)』の力! ジェイムズの声援を受ければ受けるほど、ワガハイは無限に復活し、パワーアップを遂げるのだ! 今のワガハイはさっきの10倍のパワー! これぞ正義の——」
三度目のパワーアップを果たし、自分の能力の仕組みと無敵性を誇らしげに語り尽くすマスク。
血みどろのままそれを見上げていた市丸は、口元の血を指で拭うと、肩を揺らして小さく笑った。
「……アホかいな。自分で能力ベラベラ喋って……脇におるガキ狙われへんと思ったか?」
「ぬ……なに……!?」
次の瞬間、市丸の右腕がかすかに動いた。
シュッ……!!
目にも留まらぬ速度で伸ばされた『神鎗』の刃が、マスクの横を通り抜け、背後で応援していた付き人・ジェイムズの胸を容赦なく一刺しで貫いた。
「ギャアアアアッ!? ジ、ジェイムズーーーッ!?」
貫かれたジェイムズは血を吐いてそのまま絶命し、マスクの体から溢れていた眩い光がスーッと霧散していく。
「能力の源を丸出しにして高笑いしとるようじゃ、まだまだ甘いわ。……それにしても」
市丸の細められた目が、すっと開かれた。
その奥に宿るのは、氷のように冷たく、地獄のように深い決意の光。
「さっきから聞いてりゃ……『命が惜しけりゃそこをどけ、現世へ逃がしてやる』やと?」
キャンディスが忌々しそうに雷を散らしながら吐き捨てる。
「そうだ! お前一人で私たち三人を相手に勝てるわけないだろ! その寝たきりの男を引き渡せば、命だけは助けてやるって言ってんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間。
市丸ギンの口元から、長年貼り付けられていた「嘘くさい笑顔」が完全に消失した。
「……なめるんやないで」
低い、地の底から響くような市丸の声。
「いくらわいでも……命を救われた恩人を売るもんかいな」
「何……!?」
「あのお方はな……わいが乱心して死にかけた時も、藍染のオジサンの爪痕から命を繋ぎ止めてくれた人や。……山じいとの約束もそうやけどな、わいにはこの男を守る理由が、命を賭ける理由がもう一つあるんや」
市丸は右手を水平に構え、斬魄刀の柄を深く握りしめた。
「死んでも……ここは通さへんよ」
「卍解——『神殺鎗(かみしにのやり)』」
第4章:終焉の刃——『神殺鎗』解禁
「死ねぇぇぇっ!」
能力を奪われ激昂したマスクが、巨大な拳を振り下ろして肉迫する!
だが——市丸の刃は、すでに彼の胸を貫いていた。
パンッ!!
音速の五百倍。刃が伸縮する一瞬、塵となって体内に残された毒。
「……え……?」
「『神殺鎗』の本当の力は……長さでも速度でも伸びる時でもない。……縮む一瞬、塵となって刃の内側に仕込んだ『細胞を溶かす毒』を残してくることや」
市丸が指を鳴らす。
「殺せ、神殺鎗」
バリバリバリッ……!!
マスク・ド・マスキュリンの体内から強烈な崩壊音が響き、彼の巨体が内側から細胞レベルで溶解・破裂していく。
「がはっ……!? 正義が……このような……ギャアアアアッ!?」
絶叫を残し、マスクは跡形もなく消し炭となって崩れ去った。
「マスクが……一瞬で!? バカな!」
キャンディスが恐怖に顔を歪ませ、全霊圧を解放する。『神罰の雷槍(ギャロウズボルト)』!!
同時にエス・ノトも無数の『恐怖の棘』を雨のように放ち、市丸を圧殺せんと襲いかかる!
「死ねぇぇぇぇ死神ぃぃぃッ!!」
迫り来る雷光と黒い棘の嵐。逃げ場などどこにもない。
だが市丸は、一歩も退かず、天理のベッドを背にして自らその濁流の中へ飛び込んだ!
ドカァァァンッッ!!
「カハッ……!!」
肩、腹、大腿部を雷と棘が深く抉り穿つ。血飛沫が舞い、骨が砕ける重い音が響く。
しかし——市丸の右腕は、微動だにしなかった。
「……わいの……勝ちや……」
激痛の中で、市丸の刃が光を放つ。
「神殺鎗——武闘連刃」
シューーーッッ!!
音速を超えた無数の突きが、至近距離からキャンディスとエス・ノトの身体を同時に十数箇所穿ち抜いた。
「がっ……あ……!?」
「そんな……こんな……死に損ないの……死神に……!!」
毒が全身に回った二人は、血を吹き出しながらその場に崩れ落ち、二度と動かなくなった。
沈黙が支配する地下室。
刺客三人全員を完全に叩き潰した市丸は、ガクリと膝をつき、自分の流した血の海の中へ倒れ込んだ。
「……ふぅ……。山じい……これで……無罪放免……帳消しやで……」
視界が赤く染まり、意識が途切れそうになる中、市丸は最後に天理の静かな寝顔を見上げた。
そこには、全てをやり遂げた男の、満足げで柔らかな笑みが浮かんでいた。
「市丸様ーーーっ!!」
ドサササッ! と砕け散った扉の向こうから、四番隊の救護班が雪崩れ込んできた。
先頭に走ってきたのは、副隊長の虎徹勇音、四番隊隊士の山田花太郎、そして十三番隊から緊急手伝いに駆けつけていた三席・虎徹清音だった。
「ひ、ひぃぃぃっ! すごい血です! 勇音副隊長、市丸様が脈停止寸前です!!」
花太郎が泣き叫びながら救護箱を開く。
「清音! 回道の準備を急いで! 花太郎ちゃんは出血部位の圧迫止血! 命を繋ぎ止めるのよ!!」
勇音の叫び声が地下室に響き渡る。
「はいっ! お姉ちゃん……じゃなくて副隊長! 回道、展開しますっ!!」
清音が必死に霊圧を練り上げ、市丸の胸元へ緑色の光を注ぎ込む。
「……ハは……。賑やかやな……。山じい……約束通り、守り抜いたで……」
市丸が弱々しく呟く。
「喋らないでください市丸さん! あなたが倒れたら、七瀬先輩を守る人がいなくなっちゃいます! 死なせませんからねっ!」
清音が半泣きになりながら回道を強める。
救護班の必死の処置により、市丸の命の灯火はかろうじて繋ぎ止められたのだった。
第二次侵攻開幕——「2割」の残党と消えないトラウマ
「——影の領域(ヴェルトライヒ)、展開」
天頂が破られ、瀞霊廷が「見えざる帝国」の影に呑み込まれた。
しかし、影の中から現れた滅却師(クインシー)たちの光景に、護廷十三隊の隊士たちは目を見張った。
「……少ない……! 敵の数が、前回の半分……いや、二割にも満たないぞ……!?」
そう、第一次侵攻の際、天理の卍解『終極百花繚乱滅殺陣』によって全戦力の8割を文字通り一瞬で消失させられた見えざる帝国には、もはや潤沢な兵力など残っていなかったのだ。
本来なら前線で捨て駒となるはずの一般兵はほとんど存在せず、影から姿を現したのは、傷の癒えきっていない少数の一般兵と、生き残った「星十字騎士団(シュテルンリッター)」の幹部たちのみ。
しかも、その数少ない生き残りたちの様子も異常だった。
「ひ……ひぃっ! 構えるな……! 殺意を向けるな……!」
「天理だ……天理がどこかで見ている……! 攻撃の意思を持った瞬間に、またあの地獄が来るぞ……!」
天理によって焼き尽くされ、八裂きにされながらも「2割の希望」として意図的に生かされた彼らは、肉体だけでなく精神まで完全に破壊されていた。
「2割残されたからこそ、生き残りたい」という強迫観念と、天理の『絶対先制』への激しいトラウマ。
攻撃の引き金を引けば自分が死ぬという恐怖から、兵士たちは武器を構えることすらできず、ガタガタと膝を震わせて硬直する。
「ええい、動け愚か者どもが! 相手は卍解を奪われた死神だぞ! パニックを起こすな!」
幹部たちが怒号を飛ばすが、数も少なく戦意もガタガタな滅却師軍に、以前のような圧倒的な軍隊の威容はどこにもなかった。
そこへ、浦原喜助の『侵影薬』によって卍解を取り戻した日番谷や砕蜂ら隊長格が、怒りとともに怒涛の反撃を叩き込む!
「取り戻したぞ……我が卍解!!」
「ぐあぁぁぁぁっ!?」
数で劣り、恐怖で足のすくんだ滅却師たちは、死神側の猛攻を受けて瞬く間に押し込まれていく。
天理が植え付けた「2割の地獄」によって、第二次侵攻の序盤は完全に死神側が優勢の展開となっていた。
皇帝の焦燥とハッシュヴァルトの呻き
影の城の深遠なる玉座。
眼下に広がるあまりにも惨憺たる戦況を「全知全能」の片鱗で見つめていたユーハバッハの顔が、怒りと屈辱で激しく歪む。
「……ぬうぅぅ……っ!!」
ユーハバッハの口から、抑えきれない苦々しい呻き声が漏れ出た。
その傍らに控えるハッシュヴァルトもまた、冷汗を流しながら眉をひそめ、報告の声を震わせている。
「……陛下。戦力が……保ちません。前回の侵攻で七瀬天理に『8割』を削られた傷跡が、あまりにも深すぎます……。数少ない生き残りも、天理の恐怖でまともに戦うことすら叶いません」
「えい……! 忌々しい男だ……七瀬天理……!!」
ユーハバッハは玉座の肘掛けを激しく叩きつけた。石の肘掛けが粉々になって砕け散る。
「奴は昏睡し、刺客(エス・ノトたち)を送り込んだというのに……! たった一人で我が帝国の戦力を2割にまで磨り減らした挙句、その残された2割に『生存への執着と恐怖』を植え付け、我が軍を骨抜きにしおった……!」
そう、天理の「あえて2割を残す」という冷酷な思考が、まさに狙い通りの効果を発揮していたのだ。
全滅させられていれば死狂いの特攻(バンザイアタック)ができたかもしれない。しかし「生き残ってしまった」からこそ、滅却師たちは死を恐れ、戦意を喪失している。
「ハッシュヴァルトよ……! もはや末端の兵などあてにならん! 文字を持つ者(シュテルンリッター)だけで前線を維持させろ!」
「……ですが陛下、文字を持つ幹部とて数に限りがございます。このままでは霊王宮へ攻め上る前に、我々の戦力そのものが底をつきます……!」
「分かっている……! だからこそ急ぐのだ! 一護らが霊王宮から降りてくる前に、我らだけで無理やりにでも霊王宮へ突破口を開くぞ……ッ!!」
ユーハバッハの顔にあったのは、かつての絶対者の余裕ではなく、「七瀬天理によって手詰まりに追い詰められた者の焦燥」そのものであった。