【回想】過去——十一番隊舎の裏手
それは、千年の眠りから覚めた天理が、まだ十三番隊の平死神として静かに過ごしていた頃のこと。
更木剣八は、一人で刀を振るう天理の前に不機嫌そうに立っていた。
「おい、天理。お前、さっきの稽古でなんで俺の攻撃を『避けた』? あのまま受け止めて斬り返してくりゃ、少しは楽しめたものをよ」
剣八の退屈そうな、どこか欲求不満な言葉。
その傍らでは、幼い草鹿やちるが「そうだぞー! けんちゃんをもっと楽しませろー!」と跳ねている。
天理は静かに刀を納め、息一つ乱さずに剣八と、そしてやちるを見つめた。
その眼光は、いつもの穏やかな平死神のものではなく、かつて幾多の戦場を冷酷に支配した『絶対先制』の剣士そのものだった。
「……更木隊長。貴方はご自分の『遊び』のために、どれだけの力をドブに捨てているか自覚がありますか?」
「あぁ?」
剣八の眉根が跳ねあがる。だが、天理は一切怯まず、淡々と、しかし容赦なく言葉を続けた。
「貴方は強い。だが、その強さは『相手に合わせて自分を弱く削る』という、あまりにも愚かで甘い妥協の上に成り立っている。……やちるちゃん」
天理の視線が、跳ね回っていた少女へ向く。やちるはぴくりと動きを止めた。
「貴女も分かっているはずだ。彼が自分を殺し、力を封印し続けることでしか『戦い』を楽しめない呪いに晒されていることを。……彼を愛し、寄り添うなら、なぜその枷(かせ)を外してやらない? 貴女が彼の『無意識のブレーキ』になってどうするのです」
「……天理……おまえ……」
やちるの顔から戯け(たわけ)た笑みが消え、その瞳に静かな衝撃が走る。
天理は剣八に向き直り、冷徹な一言を放った。
「本気で命を削り合う恐怖も知らず、死線の手前で手加減をして『楽しい』などと……笑わせないでいただきたい。死神の頭目の一角がそんな生ぬるい遊びに興じていること自体、反吐が出ます。……限界を破りたければ、その小娘の愛に甘えるのをやめ、己の足元に転がる『死』を直視しなさい」
天理はそれだけ言い残すと、振り返ることもなく去っていった。
残された剣八は、地響きのような霊圧を苛立ちとともに撒き散らしながらも、天理の言葉が胸の奥深くに「毒」のように突き刺さっていたことを感じていた。
【現在】第二次侵攻——グレミィ・トゥミュー戦
「僕の能力は『夢 GLOBE』。僕が想像したことは、全て現実になるんだ」
星十字騎士団最高峰の怪物、グレミィ・トゥミュー。
彼が創り出した巨大な隕石が、瀞霊廷の空を覆い尽くさんばかりの絶望となって落下の途についていた。
死神たちが絶望に叫び、逃げ惑う中、更木剣八は一人、空を見上げていた。
(……ハンっ、思い出したぜ。あの野郎のムカつく顔をよ……)
天理は言っていた。*『死線の手前で手加減をして楽しいなどと、反吐が出る』と。
そして、『小娘の愛に甘えるのをやめろ』*と。
「……けんちゃん」
傍らに立つやちるが、哀しくもどこか晴れやかな顔で剣八を見つめている。
やちるは悟っていた。天理の言った通り、自分が「更木剣八」という男の力を封じ込めるための存在(野晒の意思)であり、今こそそれを返す時が来たのだと。
「行っとで、けんちゃん。天理のバカに……本当のけんちゃんを見せてやりなよ」
やちるが静かに姿を消す。
その瞬間、剣八の頭の中で、長年彼を縛り続けていた重い鎖がバチンッと弾け飛んだ。
「……ハッ! 遊びは終わりだ、天理の野郎……! 命の奪い合いって奴を……魅せてやるよ!!」
抑えつけられていた凄絶な霊圧が、瀞霊廷全体を揺るがす津波となって吹き荒れた!
卯ノ花烈との死闘による覚醒ではなく、「天理に突きつけられた自身の甘さへの怒り」と「やちる(野晒)の完全な受け入れ」によって、剣八は自らの意志で本能の檻を破壊したのだ。
手にしたボロボロの浅打が、禍々しくも巨大な肉斬包丁へと姿を変える。
「——呑め、『野晒(のざらし)』」
解号とともに放たれた一振りが、空を切り裂く。
グレミィが「絶対に破壊不可能」と誇った巨大隕石が、剣八の振るった刃の衝撃波だけで、何の一重の抵抗もなく真っ二つに粉砕された。
「な……ッ!? 夢じゃない……! 隕石を……斬っただと……!?」
戦慄するグレミィに対し、溢れ出る圧倒的な殺気と狂気を纏った剣八は、獰猛な笑みを浮かべて言い放った。
「おい、クソガキ。もっと凄いもん想像してみろよ。……じゃねぇと、一瞬で切り刻んで……天理の待つ場所へ叩き落としてやるぜ!!」
隕石粉砕後の戦慄——想像力の限界を超える狂気
「馬鹿な……! 僕の『夢』だぞ!? 概念すら殺す僕の想像力が、ただの鉄の塊に破られるはずがない……!!」
空を埋め尽くしていた巨大隕石が星くずとなって降り注ぐ中、グレミィ・トゥミューは己の頭を掻きむしりながら叫んだ。
彼が創り出したのは単なる岩石ではない。「瀞霊廷をまるごと消滅させる」という絶対的な破滅のイメージそのものだ。それを、更木剣八は理屈も鬼道もなく、ただの「一振り」で叩き割ったのだ。
「おいおい、声が小せえぞガキ。次はどんな『夢』で俺を楽しませてくれるんだ?」
煙の中から歩み出る剣八。
その肩に担がれた巨刀『野晒』からは、瀞霊廷の全空間を削り取るかのような無骨で禍々しい霊圧が渦巻いている。
(……くそっ! なんだこの男は……! 天理という奴の『絶対先制』の絶望とはまた違う……! 触れた瞬間、僕の存在そのものが『斬られる』という直感が、脳を汚染していく……!!)
グレミィの額から、ドロリとした冷汗が垂れ落ちる。
「……死ね! 宇宙の虚無に呑み込まれて消え失せろ!!」
グレミィが激昂とともに指を振るうと、剣八の周囲の空間が裂け、無酸素・絶対零度の「宇宙空間」が剥き出しとなった。
肺の空気が弾け飛び、血が沸騰し、肉体が凍てつく死の世界。並の死神であればコンマ一秒で肉片と化す極限環境。
しかし——剣八は、その虚無の歪みの中でニヤリと笑った。
「ハンッ……! 寒気すら温いぜ。……あの野郎(天理)の『お前は自分を殺して満足している』って言葉に比べりゃあな!!」
バッ!!
強靭すぎる筋力と霊圧だけで宇宙空間の圧力を押し返し、剣八は一歩前へ踏み出す。
手枷を外された鬼の歩みは止まらない。
「な……ッ、宇宙の空間そのものを耐えきった……!? 怪物……怪物め!!」
パニックに陥ったグレミィは、自らの肉体を「剣八を上回る最強の肉体」へと変化させようと試みる。
だが——
ゴキリッ……!!
「がぁぁぁぁぁっ!?」
グレミィの全身の骨が破砕し、皮ふが裂け、血が吹き出した。
剣八の強さをそのまま模倣しようとした瞬間、グレミィ自身の「許容量(キャパシティ)」を超えた霊圧の奔流が、彼自身の肉体を内側から崩壊させたのだ。
「……なんだ、終わりかよ」
白目を剥いて崩れ落ちるグレミィを見下ろし、剣八はつまらなさそうに吐き捨てた。
「自分以上の強さを想像できねぇような『生ぬるい想像力』で、俺を殺そうなんて100年早ぇんだよ」