病室の空気は、凍てつくような静寂と、息もできないほどの緊張感に包まれていた。
窓の外では、三界の崩壊を告げる異様な空が広がっている。
ベッドの上で横たわる天理の傍らには、自らも満身創痍でありながら、その細い目で作動を見守る市丸ギンの姿があった。
「……ふふ、往生際が悪いなぁ、天理くん。一護くんたちも向こうで死にもの狂いや。そろそろ起きて手伝うてあげたらどうなん?」
ギンの薄っすらとした笑い声は、どこか寂しげだった。
天理の体からは、すでに生命の灯火が消えかけている。だがその内面——精神世界では、自身の存在を賭した、静かで苛烈な対話が繰り広げられていた。
精神世界:百花繚乱との対話
一面に咲き誇る白百合の庭園。
だが、その花々は天理の命の擦り減りに応じるように、一散に散り急いでいた。
天理の目の前に佇むのは、自身の斬魄刀の具現——『百花繚乱』。
天理は静かに口を開いた。
「……なぁ、百花繚乱。ずっと考えていたんだ。黒崎くんに卍解時、全てを放つ『最後の月牙天衝』があるように……私にも『最後の始解』があるんじゃないか?」
その言葉が落ちた瞬間。
「——ふざけるなッ!!!!」
ドガァァァァンッ!!
精神世界が激しく揺れ動いた。
穏やかだった百花繚乱の表情が一変し、激越な怒りとともに凄まじい霊圧が爆発する。散った百合の花びらが旋風となり、天理を切り裂かんばかりに舞い散る。百花繚乱の瞳には、明確な「憤怒」が宿っていた。
「正気か、天理!! 貴様、自分が何を口にしているのか分かっているのか!?」
感情を剥き出しにしてブチ切れる刀獣に対し、天理は傷だらけの顔で、ただ穏やかにそれを受け止めた。
怒りを吐き出した百花繚乱は、肩で激しい息をつき、静かに、感染するような鋭さで天理を射抜いた。
「……なぜだ。なぜ、そのような愚かな回答に至った? 答えろ、天理」
天理はふっと息を抜き、どこか遠くを見る目をして語り始めた。
「……卍解というものは、私の意志ではない。お前という存在を力づくで屈服させ、引きずり出し、共に昇華させた『二人で成すもの』だ。だからこそ、そこに私の我儘や全てを賭ける道理はない」
天理は自らの胸に手を当て、まっすぐ百花繚乱を見つめた。
「だが——始解は違う。始解こそ、死神が己の魂の産声として、最初に刀と交わした対話の原点だ。私という存在の本質、私という人間の意志そのものなんだよ。……なら、命の全てを燃やし尽くす最後の引き金は、卍解ではなく『始解』にこそ眠っている。……私の考察は、間違っているかい?」
「…………」
百花繚乱は沈黙した。
目を激しく見開き、言葉を失い、ただ目の前に立つ主(天理)の洞察に息をのんだ。
そのわずかな反応、揺れ動いた瞳を見た瞬間——天理の心に確信が降った。
(……やはり、あったんだな)
天理の微笑みに対し、百花繚乱は心底悔しそうに歯を食いしばり、静かに、だが重く警告を発した。
「……そうだ。存在する。だが、使えば——貴様は間違いなく『滅びる』」
百花繚乱の声が震えていた。
「思い出せ!! 万全の卍解を使ったとて、全ての霊力を消費し、今や霊力の回復もおぼつかない。それが今、瀕死で崩れかけたその肉体で『それ』を解放してみろ……! 数年レベルの話ではない、文字通りお前の魂魄そのものが砕け散り、完全に死を迎える!!」
百花繚乱は天理の肩を掴み、叫んだ。
「それでも……それでも使うというのか!? 貴様の命を捨ててまで!!」
「……使うよ」
天理の答えに、迷いは一切なかった。
「この瀞霊廷の……世界の暗闇を払えるなら、私一人の命など軽いものさ」
天理は掴まれた百花繚乱の手の上に、自身の手を優しく重ねた。
「ただ……ごめんな。お前まで巻き込んでしまう。私という愚かな主の道連れにしてしまって……本当に、申し訳ない」
「…………」
百花繚乱は呆れたように天理の手を見つめ、やがてハッと自嘲気味に息を漏らした。
「……本当に、馬鹿な主だ」
怒気は消え、そこにあったのは溢れんばかりの慈愛だった。
「どこまでも愚かで……どこまでも愛おしい、私の主だ」
百花繚乱の姿が、眩い光となって弾けた。
そして、その光は天理の精神、記憶、生き様そのものと溶け合い、頭の中へと温かく、切なく響き渡った。
それは——今までの彼の人生そのものを咲き誇らせるような、愛おしさに満ちた新たな解号。
『咲き誇れ——百花繚乱』
自身の積み重ねてきた日々、護りたいと願った人々、そして共に歩んでくれた刀への全ての思いが、その一言に結集する。
【能力:概念先制消滅】
相手がその存在において「最も得意とし、核とする特技(能力・概念)」を、発動・認識の前に永久かつ絶対の先制を持って『消滅』させる。
代償、万全の状態であっても数年間は平死神の霊力しか無くなる万全の状態で無い場合魂魄が耐えきれず消滅する
現実世界:病室での必死の制止
「……あ……」
病室で目を閉じていた天理の目から、一筋の涙が零れ落ちた。
ゆっくりと目を開いた天理の手に、いつの間にか『百花繚乱』が握られている。
だが、その体からはもはや一瞬の光速移動(瞬歩)にすら耐えられないほど、命の灯火が灰になりかけていた。いま戦場へ飛べば、目的地へ辿り着く前に身体が霧散してしまう。
天理は、病室のベッドの上に横たわったまま、静かに刀の柄へ指をかけた。
ここで——この病室から、遥か上空の真世界城にいるユーハバッハへ向けて『能力』を放つ気だ。
その異様な気配、死線を超えた魂の波動を察知した市丸ギンの顔から、いつもの笑みが完全に消え去った。
「……な、何しようとしてるん……天理くん……!?」
ギンが柄を握る天理の手を、必死の力で上から抑えつける。
常に余裕を崩さないあの市丸ギンが、なりふり構わず両手で天理の腕を固め、悲痛な叫びを上げた。
「あかん……!! あかんで!! そんな力、今のボロボロの体で解放したら……君、今度こそ完全に死んでまう!! 魂魄ごと消えてなくなるんやぞ!!」
「……ギン」
「アホなことすな!! 頼むからやめてくれ!! 命を捨てて世界を救うなんて、そんな格好ええ役割、君が背負う必要なんてどこにもないやろ!! 一護くんたちに任せたらええ……! 君はもう、十分すぎるほど戦ったやないか……っ!!」
ギンの細い目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
藍染を倒すためだけに孤独に生きてきたギンが、初めて自分以外の誰かの死を心から拒み、泥臭く縋り付いていた。
しかし、天理は抑えつけられた手の中で、優しく、けれど絶対に揺らぐことのない力で刀を引き抜こうとする。
「……ありがとう、ギン。私を心配してくれて」
天理の顔には、この上なく穏やかで美しい笑みが浮かんでいた。
「でもね……今の私には、もうあそこまで跳ぶ力すら残っていないんだ。……だからこそ、ここで解放する。この命の最後の全霊子を燃やし尽くして、ここからユーハバッハの『核』を撃ち抜く」
「嫌や……! やめろ天理ぃぃぃっ!!」
ギンの制止を振り切り、天理の全身から、この世のものとは思えぬほど高潔で、絶大で、そして儚い光が爆発した。
病室全体が白光に包まれ、空間そのものが天理の命の輝きに震える。
天理は静かに目を閉じ、今までの自分の人生、出逢ってきた人々、そして共に寄り添ってくれた刀への思いを込め——その言葉を口にした。
「……咲き誇れ」
「『百花繚乱』」
病室から放たれたその極光は、三界の領域を超越して一直線に天を突き抜け、遥か上空——真世界城で暴虐の限りを尽くすユーハバッハの元へと届こうとしていた。