魂魄消失事件
夜の森に立ち込める異様な霊圧と、粘つくような静寂。
主人公は、いつものように「五番隊の遠征荷物の運搬・回収」という雑務を終え、隊員たちが立ち去った後の静かな森で、一人残された物資の整理をしていた。
平隊員として目立たず、嵐を避けて生きる。それが天理の絶対の矜持だった。
だが——その静寂は、不快な「ドロリ」とした霊圧の変質によって打ち破られる。
1. 異形の白
「……あ……ガッ……ッ!?」
巨木が折れ飛び、倒れ込んできたのは、平子真司——五番隊隊長だった。
普段の口軽で飄々とした雰囲気は微塵もない。
平子は地面に膝をつき、胸を押さえて激しく吐血していた。その顔面には、骨のような白い物質——「虚(ホロウ)の仮面」が、ドクドクと脈打ちながら侵食を開始していた。
「平子隊長……?」
「……逃げ……ろ……っ! 天理……!!」
平子は血走った目で天理を一瞥すると、激しい苦痛に歪む声で叫んだ。
「来んな……!! 俺は今……理性を失いかけてる……っ! 早く……他の隊長格を……呼びに……っ!!」
魂魄の境界が破壊され、内側から虚の力が暴走する「虚化(ホロウか)」。
平子は必死に正気を保とうと爪を地面に立てるが、仮面は顔の右半分を覆い尽くし、その瞳は黄色の怪しい光を放ち始めていた。
(……厄介なことになりましたね)
天理は静かに溜め息をついた。
助けを呼びに行けば、戻ってきた時には平子は完全に虚化し、死神としての理性を失っているだろう。かといって、ここで平子を殺すわけにもいかない。何より、この異変の裏には「あの男(藍染)」の気配が揺らめいていた。
(関わりたくはない。だが……いつも気さくに声をかけてくれた隊長を見捨てるのも、寝覚めが悪い)
2. 「虚の暴力」 vs 「絶対の先制」
「グ……ガアァァァァッ!!」
ついに平子の理性が途切れ、凶悪な虚の咆哮が森に響き渡った。
仮面が完全に顔を覆う。
平子の身体から溢れ出た歪な霊圧が爆発し、次の瞬間、彼は言葉通り「暴走した獣」となって天理へと跳びかかった。
シュッ——!!
瞬歩すら超えた、虚化特有の圧倒的な初動速度。
平子は爪のように研ぎ澄まされた右手を振り上げ、天理の首を刈り取らんと空間を切り裂く。
(速い。そして重い……隊長格の虚化、ですか)
主人公は、一歩も動かない。
刀に手をかけることも、回避の動作すら取らない。
ただ、その凪いだ瞳で、襲い来る平子の「右腕の軌道」と「仮面の中央(霊圧の結節点)」を「捉えた」。
(手加減はできませんよ、平子隊長)
カツンッ……!!
澄んだ高い打撃音が、深夜の森に木霊した。
「ガハッ……!?」
襲いかかったはずの平子の身体が、空中で突如として「く」の字に折れ曲がり、斜め後ろの地面へ激しく叩きつけられた。
平子が腕を振り下ろすコンマ数秒「前」。
彼の右腕とみぞおち、そして仮面の表面に対し、どこからも視認できない数千キロの「物理衝撃」が同時に、完璧な先制打撃として叩き込まれたのだ。
「グ……ア……ッ!?」
平子は血を吐きながら地面をのたうち回る。
主人公の『絶対先制』は、相手の攻撃動作そのものを時間軸の上で追い抜き、強制的に中断させる。
攻撃に移ろうとするたびに、平子の身体には内側から弾け飛ぶような不可視の衝撃が叩き込まれ、襲いかかることすら許されない。
「ウガァァァッ!」
カツンッ!(衝撃で叩き伏せられる)
「ガ……ッ!」
カツンッ!(爪を立てようとした瞬間に手首を砕く衝撃)
「……ッ、ガ……」
何度も襲いかかろうとしては、攻撃の「発動前」に未知の打撃によって叩き潰される。
そのあまりに理不尽で圧倒的な「絶対の壁」の前に、平子の体内で暴走していた虚の霊圧すらも、物理的なダメージによって強引に抑え込まれていった。
3. 仮面の亀裂と、死神の正気
「……ハッ……ハッ……っ!!」
数度の打撃を受け、地面に伏した平子の顔面から、パキパキと音を立てて白仮面が砕け落ちていく。
暴走する虚の力が、天理の打撃によって「発動の機会」を奪われ続けた結果、肉体の限界を迎えて沈静化したのだ。
仮面が完全に割れ、元の平子の顔が現れる。
血と汗に塗れながら、平子は激しい息を吐き、薄っすらと目を開けた。
「……あ……あれ……俺は……」
正気に戻った平子の視界に映ったのは、竹箒を抱え、困ったような顔で自分を見下ろしている平隊員(天理)の姿だった。
「……大丈夫ですか、平子隊長」
「お前……無事なんか……? 俺……お前に襲いかかって……」
平子は自分の痺れた両腕を見た。骨にヒビが入ったかのような猛烈な激痛。
そして、周囲の樹木がことごとく「内側から弾け飛んだような痕跡」を残している異常な光景。
平子の鋭い洞察力が、即座に違和感を弾き出す。
(待て……俺は確かにこいつを殺そうと跳びかかった。なのに……なんで俺だけがボロボロで、こいつは擦り傷一つない……? まさか……俺の攻撃が届く前に、全部『弾かれた』んか……!?)
「……お前、一体……」
平子が驚愕に目を見張り、天理の正体を問いただそうとした——その時。
暗闇の奥から、静かな足音が近づいてきた。
「……おや。これは酷い有様ですね、平子隊長」
眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせ、笑みを浮かべた男——五番隊副隊長・藍染惣右介が、暗がりから姿を現したのだった。
4. 漆黒の暗闘
「……惣右助……ッ!!」
平子が血を吐きながら睨みつける。
藍染は平子を一瞥したあと、ゆっくりと視線を天理へと移動させた。
藍染の目は、天理の足元、そして平子の身体に残された「異常な打撃痕」を細かく観察していた。
(……ほう。平子の虚化による暴走……それを、この平隊員が抑え込んだ……? いや、刀も抜いていない。霊圧の残滓もない。……だが、平子の骨を砕いたこの力は一体何だ?)
完璧な計画を進めていた藍染の思考回路に、初めて「理由のつかないノイズ」が走る。
「……そこの君。ここで何があったのですか?」
藍染が穏やかな声で問いかけながら、懐の『鏡花水月』に手を伸ばしかけた——コンマ一秒前。
天理は、竹箒を握り直しながら静かに言った。
「平子隊長が急に倒れられたので、介抱していたところです。……藍染副隊長、救護班を呼んできていただけますか?」
主人公の瞳が、藍染の手元を静かに「捉えて」いた。
(……ッ!?)
藍染の背筋に、氷を突きつけられたような凄まじい「悪寒」が走る。
鏡花水月を抜こうとした指先が、目に見えない絶対的な「死線」に触れたような錯覚。
(抜けない……! 今、刀を抜けば……私の身に『何か』が起こる……!?)
藍染惣右介の天性の勘が、絶叫していた。
この平隊員に向かって「攻撃」や「催眠」の動作を起こした瞬間に、自分は取り返しのつかない致命傷を負うと。
「……ええ、わかりました。すぐに救援を呼びましょう」
藍染は微笑を崩さぬまま、静かに鏡花水月から手を離した。
この男にしては珍しい「退いた」瞬間だった。
数分後、浦原喜助や握菱鉄裁が駆けつけ、事態は「仮面の軍勢(ヴァイザード)」結成と浦原たちの追放という歴史の裏側へと動いていく。
混乱の中、救援隊に紛れて去っていく天理の背中を、救護布に包まれた平子真司は、薄れゆく意識の中でじっと見つめていた。
(……おおきに、天理。……俺を助けてくれたんやな。……だが、お前……一体何者なんや……)
山本総隊長、浦原喜助、そして仮面の軍勢となる平子真司。
歴史の闇に消えた猛者たちの記憶に、決して表舞台には出ない「最強の平隊員」の影が、深く刻み込まれた夜だった。