病室で天理が咲き誇るように光となって消え去った、その直後のこと。
天理を止められなかった圧倒的な虚無感と悔恨に苛まれた市丸ギンは、抜け殻のような足取りで瀞霊廷の地下深くへと歩を進めていた。導かれるように辿り着いたのは、漆黒の闇が支配する獄獄——無間(むけん)。
厳重な拘束具に縛られた藍染惣右介の前に、ギンは力なくへたり込み、ただ黙り込んでいた。
1. 無間での問いと、嗚咽
「……ほう。君が自らここへ来るとはね、ギン」
闇の中から、藍染の静かな声が響く。
拘束されながらもその眼光は衰えず、藍染はギンのただならぬ雰囲気を、そして瀞霊廷全体から「ある途方もない存在の霊圧」が消滅したことを、すでに察していた。
「……天理の身に、何があった」
藍染の問いかけに、ギンはしばらく答えることができなかった。
引き結んだ唇が震え、いつも浮かべていた薄気味悪い笑みはどこにもない。
「……あいつ……消えてもうたわ……」
ギンの口から漏れたのは、情けないほどにか細い声だった。
「僕が……僕が一番近くにおったのに……あいつの覚悟も、傷も全部知っとったのに……! 止めることすら出来へんかった……ッ!! 目の前で……百合の花びらみたいに透けて……居なくなってしもたんや……ッ!!」
膝に顔をうずめ、大粒の涙を溢れさせながら、ギンは嗚咽交じりに天理の最期を語った。
己の魂魄を完全に解き放ち、ユーハバッハの『全知全能』すらも凌駕して世界を救い、その代償として存在そのものを燃やし尽くした天理の最期を。
2. 藍染の問いかけ
ギンの絞り出すような慟哭を、藍染は静かに聞いていた。
やがて、藍染は冷徹な、だがどこか深く思索するような声音で口を開いた。
「……では、ギン。君が天理の意志を無視して彼を止め、その腕を掴んで戦場から遠ざけたとして……それで君は満足だったのかね?」
「……な……に……?」
顔を上げたギンに、藍染は問いを重ねる。
「たとえ君が彼を止め、奇跡的にユーハバッハが倒され、彼が生き残ったとしよう。だが……自らの命と引き換えにしてでも誇りと仲間を守ると決めた七瀬天理の覚悟と誇りを踏みにじり、泥を塗ったその行為に、一体どんな正当性があるというのだ?」
藍染の言葉が、容赦なくギンの胸を抉る。
「彼の生き様を否定し、その人生を君のエゴで汚して……それで君の気は済んだのか、と尋ねているのだよ」
「——なめとったら……あかんぞ、藍染っ……!!」
ギンが激昂した。
無間の床を強く叩きつけ、殺気を剥き出しにして藍染を睨みつける。
「天理くんがどんな思いで……どれだけのものを背負って死んでいったか……お前みたいな奴に何がわかるんやっっ!!」
立ち上がり、今にも藍染に掴みかからんとするギン。
だが、藍染は動じることなく、ただ静かにギンを見つめ返していた。
その圧倒的な冷徹さと、逃げ場のない正論。
ギンの荒い呼吸が、静寂のなかで少しずつ落ち着きを取り戻していく。天理のあの誇り高い微笑みが頭をよぎり、ギンはゆっくりと再び床へ拳を落とした。
「……くそっ……」
3. 藍染の考察と、流れた一筋の涙
静けさが戻った無間で、藍染は空を見上げるように目を細めた。
「……実に、理にかなった終着点だ」
藍染は今回のユーハバッハとの最終戦、そして過去の自身の行動について深く思考を巡らせ始める。
「ユーハバッハの『全知全能』……未来を改変するあの絶大な力に対し、概念そのものを『先制』して書き換える天理の『百花繚乱』だけが、唯一の決定打となり得た。……私がかつて彼と正面から激突することを避け、常に遠回りな策で対峙した選択は……正解だったということだね」
天理という規格外の存在。
藍染惣右介という絶対者をもってしても、力でねじ伏せることが不可能だった唯一の死神。
「……どのような強力な力を手に入れようとも……それを真に理解し、高みで競い合える相手がいなくなるというのは……これほどまでに虚しいものなのだな」
藍染の口から漏れた、静かな独白。
その瞬間——ギンの目が大きく見開かれた。
縛られた藍染の右目から、すっと一筋の涙が伝い落ち、頬を濡らしたのだ。
あの藍染惣右介が。
天を統べようとし、神にすらなろうとした冷酷無比な男が、一人の平隊員の死を悼み、理解者を失った孤独に涙を流している。
(……なんや)
ギンは鼻をすすり、どこか呆れたような、けれど憑き物が落ちたような笑みを浮かべた。
(……なんや自分も……僕と同じで、悲しかったんか……)
その一筋の涙を見たことで、ギンの心の中にあったドロドロとした悔恨と怒りに、すっと一つの区切りがついた。
4. 僕の上司
ギンは乱れた着物を整え、ふっと懐かしい出来事を思い出すように口元を綻ばせた。
「……そういえば昔、藍染はん。日番谷隊長に『僕以外を副隊長だと思ったことはない』なーんて、殺し文句みたいなこと言っとったなぁ」
藍染は涙を拭うこともせず、静かにギンの言葉に耳を傾ける。
「……けどな、僕にとっては……天理はんこそが、僕のたった一人の『上司』やったわ」
ギンはそう言って、どこか誇らしげに胸を張った。
「階級はただの平隊員で、いっつも雑務ばっかりしとったけどな。僕の心を本当に動かして、命を預けたいと思わせてくれたんは……あの人だけや」
「……そうか」
藍染の短い返答には、もはや嘲笑の響きは一切なかった。
「……おおきに、藍染はん。ちょっとスッキリしたわ」
ギンは背を向け、無間の出口へと歩き出す。
天理が遺してくれたこの世界を、天理が愛した護廷十三隊を、自分は生きて見届けていく。
誇り高き「上司」の部下として、恥ずかしくない生き方をするために。
ギンの去っていく足音が地下道に響き渡り、無間には再び、静かで深い寂寥が満ちていくのだった。